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軽井沢観緑会無事終了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月15日(水)22時18分8秒
  OB有志の会主催の「軽井沢観緑会」は、6月12-13日、予定通り開催され、無事終了しましたのでお知らせします。初日は曇り、2日目は雨と天候には恵まれませんでしたが、軽井沢周辺の近代日本文学関係者の史跡を多数訪問し、2日目の午後散会しました。  
 

北辰寮廃止

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 1日(日)16時44分53秒
  新潟県石打の北辰寮(筑波大学に移管され石打研修所)は、2013年に廃止されていたそうだ。今まで気づかなかった。体育の単位取得のため、スキー合宿に行った人も多いはず。

https://www.tsukuba.ac.jp/news/20130415143453.html

 

新聞会OB有志の会観緑会参加者募集中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月26日(火)12時46分44秒
  一昨年山中湖で開催された観緑会につづきOB会有志の会(大体60年安保闘争世代の会)による観緑会が、今年は6月12-13日に軽井沢で開催される運びとなり、参加者を募集中です。参加希望者は国文・渡邊OBまで連絡してください。  

旧祖師谷農場の現状写真をアップ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月 3日(日)18時23分2秒
  従来、「東京教育大学跡地関連リンク集」のページに、旧祖師谷農場の現状写真がありませんでしたが、昨日(4月2日)、管理人が祖師谷公園まで花見に行った際、撮影した写真10枚をpdfファイルでアップしました。  

『東京教育大学闘争の敗北』新聞広告

 投稿者:水沢  投稿日:2016年 3月20日(日)22時36分38秒
  今日、しばらく前の『東京新聞』1面下の書籍広告に、『東京教育大学闘争の敗北-ある農学部生の総括 増補改訂』が出ていたと、聞きました。私は知らなかったので、今日が初耳でした。  

『東京教育大学闘争の敗北』増補改訂版

 投稿者:水沢  投稿日:2016年 2月25日(木)15時30分8秒
  今朝、『東京教育大学闘争の敗北-ある農学部生の総括』という本が、縮刷版刊行会宛に送られて来ていました。昨日の配達でした。その昨日には、私は筑波大学に立ち入りました。1977年ころに立ち入って以来、2回目でした。

書名をご覧になると、聞き覚えのある方もおられると思います。このサイトのトップページの下の方にも紹介されている通り、2010年10月に刊行されています。今回のものは、その「増補改訂」と銘打っています。B5判573ページという大冊で、12級という小さな文字(昔の新聞活字や8ポイントに近い)、横2段組みです。
しかし、どうも、「増補改訂」とは思えません。2010年のものは、総括という通り、振り返りながら想いを書いていたように記憶します。しかし、今回のものは、編年体で、どういう経過があったのかの事実資料集に徹しています。しかも、67~69年の闘争だけではなく、1949年の学制改革に当たっての大学名問題、敗戦直後の全国の学生運動などから、文理大学での動き・学生運動を起点に、その後の学生運動までを網羅しています。『縮刷版』やこのサイトも大いに活用した大した労作です。
この仕事に長年取り組んだのだのは、教育大闘争の記録は残すほどのものではないとの意見もあるだろうが、教育大闘争を語ることのできるのは当時の教育大生しかいないし、語ることはあの時代を過ごした者の義務だと感じてのことだと言う。そして、その「勝手に担いだ荷物」を「降ろしてホッとしている」そうだ。ご苦労様でしたと言います。

三協社から送られてきたが、企画印刷が三協社、発行が山浦印刷出版部となっており、本体価格が3800円。
 

梅花女子大のこと(2)

 投稿者:水沢  投稿日:2016年 1月31日(日)17時40分45秒
  「梅花女子」の名前を、私は徳富蘆花の『思い出の記』という小説を読んで知ったと記憶しています。それも、浪人時代(約50年前)に神保町で買った明治時代の増刷版でした。約50年前に読んだ本です。だから、歴史ある古い大学というイメージは持っていました。
しかし残念ながら、その後の50年、梅花女子大のOGとお知り合いやお友達、お友達以上の関係になる機会は絶無でした。
それにしても、1878年とは、西郷隆盛の死の翌年ですね。
あまり関係のない話を書きました。
 

梅花女子大のこと

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2016年 1月22日(金)01時11分43秒
  M生が学新(教育大学新聞&全学新)にかかわっていた1963~67当時、梅花女子大の名は知っていましたが、同大学が1878年創立のキリスト教主義の学校で、とりわけ児童文学研究で有名で「東の白百合、西の梅花」と言われた名門女子大な~んてことは全く知りませんでした。もっともこのこともNHKの朝ドラ「あさが来た」関連で日本女子大の創立者である成瀬仁蔵のウイキペディアの記述を読んでいて、成瀬が梅花女学校の創立にもかかわったということを知って……とまるで芋づる式の一夜漬け知識でして。  

Re:大阪女子大新聞のOG

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 1月21日(木)11時10分27秒
編集済
  > 全学新の加盟学新一覧(1966年)には大阪女子大の名があるのですが、野上さんに接点があったかどうかは不明。

この頃、大阪の学生新聞では、大阪学芸大学、大阪工業大学、梅花女子大学が全学新活動に熱心でしたが、大阪女子大とは接点がなかったと思います。
 

大阪女子大新聞のOG

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2016年 1月21日(木)00時06分13秒
  たまたま斜め読みした野上孝子『山崎豊子先生の素顔』(2015.8、文芸春秋刊)という伝記。著者の野上さんが旧大阪女子大の新聞部員だったという記述に出会いました。野上さんは1939年(昭和14)生まれで、62年(昭和37)同大学の国文科卒業と同時に大学の就職課の求人に応募し山崎豊子(1924~2013)の秘書となり52年間仕えたそうです。この間、『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』等々の大作誕生の裏話も記されているのですが省略。
面接の様子も綴られているのですが、毎日新聞大阪本社の記者から作家に転じた山崎豊子が大学新聞の記者に親近感を持ち採用を決めたのでしょうか。全学新(ゼンガクシン)の加盟学新一覧(1966年)には大阪女子大の名があるのですが、野上さんに接点があったかどうかは不明。なおちなみに大阪女子大は1949年開学、2005年(平成17)に大阪府立大に統合されたそうです。著名OGに富岡多恵子(作家・詩人)、藤本統紀子(タレント、エッセイスト。府大OBでもある故藤本義一の夫人)の名があります。
 

1969年の入試中止について

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 1月18日(月)16時33分28秒
  1969年の入試中止に関して、閲覧者から、つぎのようなメールがあったので、紹介します。

スライドショーで、入試中止を報じる「教育大学新聞」をみました。
正直言って、私の青春時代の苦い、悔しい思いの一つがよみがえってきました。
私を始め、多くの若者の夢を奪ったことで、当時の東京大学と東京教育大学の関係者、文部省関係者、紛争を起こした学生などの社会的責任は大きいと今でも思っています。(日大も昭和44年は入試中止でした。)教育大学の入試が実施されていても入学できることは不可能であったかもしれませんが。
その年、一期校と同日試験の東京都立大学の人文学部を受験するも東大、教育大受験希望が少なからず流れ、あえなく不合格でした。お陰様で何とか学芸大学に救われ、その後の人生も自分なりに何とかやって41年後、6年前ですが、教職生活の定年を迎えました。
『人間万事塞翁が馬』いつもこのように思うようにしています。
 

サイト上の写真の一部差し替え、追加

 投稿者:管理人  投稿日:2015年12月25日(金)15時22分42秒
  新聞会OB会事務局保管のネガ・フィルムで未点検のものがあり、先日これを点検したところ、いくつか利用可能なネガがあったので、これをサイト上にアップしました。
「400号記念特集号」の学生運動の座談会の写真は、今まで雑誌の写真のコピーを掲載していましたが、ネガをスキャンしたものと取り替えました。
また、朝永振一郎教授の「思い出ばなし」第9回、第10回のカットとして使用されていた理化学研究所、サイクロトロンの写真も原板があったので、今までの不鮮明な紙面のコピーと取り替えました。
その他に、8枚の写真をスライドショー「想い出の東京教育大学」に追加しました。
E館工事中、砂川闘争、全学連10回大会、全学連11回大会(3枚)、チャペルセンター前集会、全自連7全代の8枚です。
 

Re:慶応新聞のOB

 投稿者:管理人  投稿日:2015年10月13日(火)15時11分30秒
編集済
  > もっともそれが三田新聞なのか慶応義塾新聞なのか知らないけれど。

慶応塾生新聞会のサイトによると、慶応義塾大学新聞の方らしい。

http://www.jukushin.com/archives/3429

 

慶応新聞のOB

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年10月13日(火)00時45分58秒
  続けて掲示板を汚し恐縮ですが、ボケないうちに備忘録として思い出ばなしを。
慶応の新聞のOBと言えば、茂木さんの後輩筋で同じく慶応の法学部を出た人がいることを思い出しました。読売新聞社会部の記者を経て東京本社の社長や読売巨人軍オーナーなどを歴任した滝鼻卓雄(たきはな・たくお)さん。実はこの滝鼻さんは慶応の新聞部の時代、北川俊委員長時代の「全学新」の全執(中執)だったのですね。なぜ、ぼくがそんなことを知っているかって?実は北川俊ことTMさんが早世し、全学新の同期の仲間による偲ぶ会が開かれた時に、たまたまぼくも末席にいたから。もっともそれが三田新聞なのか慶応義塾新聞なのか知らないけれど。
 

慶応の新聞のOB?

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年10月13日(火)00時13分53秒
  たまたま図書館で読売新聞を斜め読みしていて、「時代の証言者」という連載企画に目がとまりました。10月7日付け、聞き書きの証言者はキッコーマン醤油の元社長の茂木友三郎。氏は大村さんと同世代で1954年に慶応の法学部を出ているのですが、「在学中はジャーナリズム研究会に所属し、学生新聞や雑誌を作り、3年から4年にかけて編集長をつとめ広告集めに苦労した」とあるのですね。ぼくらの時代、慶応には三田新聞そして慶応義塾大学新聞があったと記憶しているのですが、そのいずれかのOB?  

大村さん&中西さんのこと

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年10月12日(月)23時49分34秒
  管理人さんの書き込みを読んでウイキペディアで調べると「1960年、東京教育大学の研究生となり、中西香爾に師事した。中西香爾の紹介で1961年、東京理科大学大学院理学研究科都築洋次郎の研究室に所属し、高校教諭として働きながら1963年、東京理科大学大学院理学研究科修士課程を修了した」とあるのですね。ということは、大塚キャンパスの理学部在籍はわずか1年。ところで、中西香爾って?とさらに調べると、なんと文化勲章の受章者でした。いやはや……理科系の人脈にはトンとうとくて、おそらくぼくが在籍していた時も現役だったはずの中西教授の存在を全く知りませんでした。(なおちなみに中西さんは健在のようです。)  

ノーベル医学生理学賞受賞の大村智氏

 投稿者:管理人  投稿日:2015年10月 6日(火)11時35分29秒
  新聞報道によると、この度ノーベル医学生理学賞を受賞された大村智氏は、山梨大を卒業後、墨田工業定時制の教員となり、そのかたわら、教育大の聴講生になり、その後理科大の大学院に行った人だという。聴講生というのは学部学生とあまり一緒に行動することはないものの、もしかすると見かけた人もいるかもしれませんね。  

Re:朝永さんのペン画

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月27日(日)10時43分50秒
編集済
  > それにしても朝永さんの絵って、エッセイ集など著作に収録されているのですか?

当サイトの「思い出話」のカットは、教育大学新聞掲載のものを転載したにすぎず、「著作集」は参照していないので分かりません。
 

朝永さんのペン画

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年 9月27日(日)01時20分5秒
  送られてきた世田谷文学館ニュース8月号の巻頭、菅野昭正館長とゲストの酒井忠康世田谷美術館長(美術評論家)の対談を斜め読みしていたら朝永さんの名前が出てきて、日曜の夜中だというのに思わずこのHPを久々に覗く破目に。
酒井さんの神奈川県立近代美術館時代の文学者などとの交流や美術と文学との乖離などについての話の後で、次のようなやりとりが。(抜粋)
 酒井 意外なところで、これは誰も注目していないと思いますが、理論物理学の朝永振一郎さんの絵が実にいい。
 菅野 朝永さんは随筆も素晴らしいですよね。どういう絵を描くんですか。
 酒井 ペン画がいいです。
そんなわけで早速、朝永さんが教育大新聞に寄せたエッセイ「思い出ばなし」をチェックしてみました。たしかに第15回ほかに添えられたカットは味のあるペン画で、デッサンもしっかりしています。それにしても朝永さんの絵って、エッセイ集など著作に収録されているのですか? あいにくぼくは未見です。
なおこの対談の詳細は同文学館のHPでPDFファイルをダウンロードすれば読めるようです。
http://www.setabun.or.jp/report/pub_news.html
 

総会終了後、感想が寄せられる

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 7月28日(火)09時14分20秒
編集済
  これが「最後」という7月7日の総会終了後、何人かの方から、事務局に感想が寄せられている。
ある方からは電話で「終了後、大塚キャンパスを11人で訪れ、写真を撮った」との話があった。
また、ある方は葉書で「もう新聞会の集まりは無いとのことですが、本当に残念でたまりません。皆様方のことは決して忘れません」と伝えてきた。
なかには封書で「過日の新聞会の会合、お世話様でした。お陰様で楽しい一時を過ごすことができました。新聞会OBG会としては、ことしで一応のシメ。これで良かったと思います。いままでも、年代によっての会は続いてきていますので」と伝えてきた方もいる。
想えば、東京教育大学の廃学を前に、1974年、東京教育大学新聞会OB会が組織され、最初の総会を両国パールホテルで開催、1978年には東京教育大学新聞縮刷版刊行会の名で「文理科大学新聞・教育大学新聞 縮刷版」を刊行、以来約40年にわたる活動は、学生サークル運動の歴史に名を残すものと言っても過言ではなかろう。当然のことながら、その間、会員の高齢化が進行し、当会創設当時の幹部は最初の会長、事務局長を含め、大半が鬼籍に入っている。
 

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