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「想い出の東京教育大学」開設20周年

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 4月 2日(火)00時42分29秒
編集済
  去る2月5日、当サイトは開設20周年を迎えましたが、遅れること2か月の4月5日、現在は当サイトと一体化していますが、Geocities上のスライドショーとして「想い出の東京教育大学」が開設され、こちらも20周年を迎えることになりました。
当時、Geocitiesは「コダック・フォトフレーム」というスライドショーのサービスを提供しており、これを利用したものでした。これが結構人気があり、本家の「OB会のページ」以上のアクセスがあったのです。しかし、その後GeocitiesがYahoo!Japanに併合されるとスライドショーのサービスが廃止されてしまい、一時Yahoo!Photosの利用を経て、現行のJavaScriptによるスライドショーに移行したものです。その結果、以前は写真に説明が表示できませんでしたが、説明が付けられるようになり、結果的にはそれで良かったとも言えます。また、当初は写真の枚数も少なかったのですが、閲覧した方々から写真の提供があったりして、多くの人達のご協力によって、ここまで充実してきたのです。一朝一夕に成立したわけではありません。
その後、このスライドショーはあちこちの同窓生の会合などでアトラクションとして利用されたりするようになりました。皆様のご協力、ご愛顧に感謝いたします。

http://tue.news.coocan.jp/news.htm#process

 
 

今年のOB有志の会は7月7日、日光で開催

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 4月 1日(月)18時20分13秒
編集済
  毎年行われているOB有志の会(新聞会の60年安保闘争世代を中心とする会)の一泊旅行は、今年は7月7日に日光で開催されるそうです。幹事となっている渡邉OBから以下のような連絡がありました。
「毎年開催しているOB有志の会の一泊の旅行は、今年(二〇一九年)七月七日にホテル・ジャパン日光で行います。中禅寺湖、戦場ヶ原などを散策する予定です。なお延泊希望の方はもう一泊宿泊できるよう準備します。そのうち書面の案内を差し上げます。奮ってご参加ください。お待ちしております。」
 

GeocitiesのWebスペースサービス3月末終了

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 4月 1日(月)01時04分56秒
編集済
  GeocitiesのWebスペースサービスがこの3月末で終了となりました。利用者が多いだけに影響も大きいです。
当サイトを構成する「想い出の東京教育大学」も最初はYahoo!JAPAN併合前のGeocitiesに約20年前に開設されたものでした。
当サイトの「東京教育大学同窓生のWebサイト集」掲載のものでは、7件がGeocitiesを利用していましたが、その内3件は事前に別のWebサーバーに移動し、4件はそのまま廃止となっています。
(移動したサイト)むらき数子の情報ふぁいる、根井哲学講座、前澤倫子のページ
(廃止されたサイト)かえるさんのお家、首藤久義の本、渡部治の世界、甲斐研究室ホームページ

http://tue.news.coocan.jp/dososei.htm

 

Re:短命教育大29年

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月23日(土)10時20分49秒
編集済
  大学そのものが短命である上に、当時の関係者がみな他界するか、消息不明になってしまった。
筑波への移転を強行した福田信之らの推進派教授陣も、移転に反対して他大学に散っていった和歌森太郎らの反対派教授陣もみな他界。当時大衆団交を要求して運動していた全学闘や文自闘、各学部自治会の幹部たちもほとんどが消息不明。消息が分かっているのは新聞会員以外では文自闘の前田君くらい。みんなどこに消えてしまったのか?元気でいるなら元気でいるよと、一言掲示板に書き込みでもして欲しいものだ。
 

短命教育大29年

 投稿者:水沢千秋  投稿日:2019年 2月22日(金)09時30分55秒
  昨21日の朝日夕刊に、小石川5丁目の石川啄木顕彰室のことが出ています。4年前に造られた老人施設の建物の1室として付置されたようです。啄木は、その地で1912年に亡くなったのだとか。
関連してその記事に、「さらに歩くと筑波大東京キャンパスや教育の森公園などがある一角に出る。一帯は旧東京高等師範学校の敷地だった」という記述があります。教育大の名前は出てきません。
教育大は1949年~1978年までわずか29年の命でした。それに比べ、東京高等師範学校は1902年~1952年で50年(高等師範学校と改称したのが1886年なので、この時代を含めると66年)、筑波大学も1973年に1期生なので今や45年を超す。教育大が省略されるのも、淋しきことなれど、時代の趨勢なのでしょうか。
 

Re:学生新聞会の者です。

 投稿者:匿名  投稿日:2019年 2月11日(月)15時05分53秒
  この表題を投稿させていただいたものです。当時は独立採算によって運営されていたとのことで、非常に驚いています。また、こちらのサイトから全学新の資料を拝見させていただき今の大学新聞と比べ非常に興味深く読ませていただきました。

この投稿をさせていただいたのは今の学生新聞に思う所あり、先人の方々はどのようなことをしていたのかと興味があったからです。大変貴重なお話を読ませていただきありがとうございます。

最近の学生新聞はほとんどの大学がノンポリで、大学スポーツや大学のニュースといったことを取材し発行している形のものが多いようです。本学新聞会も概ね同じような形です。
全学新加盟大学新聞会だったところでもいくつか現在でも活動なされている新聞会もありますが、殆どが聞き覚えのなくおそらく解散したのだろうと思います。全日本大学新聞連盟という全国組織を作ろうという運動が4年ほど前に中央大であったようですが、頓挫してしまったようです。悲しいことですが最早全国規模で活動するほどの体力は、今の学生新聞にはないようです。(地域レベルの連盟はありますが全学新に比べると小規模です。)
大学新聞どころか新聞そのもの自体若者が手に取らない時代で、色々苦心しています。しかし、熱い先人の活動を見ると身が締まる思いです。頑張って学生新聞を製作していこうと思います。
改めてお礼申しあげます。

長文失礼いたしました。
 

Re:学生新聞会の者です。

 投稿者:水沢千秋  投稿日:2019年 2月11日(月)12時30分33秒
  「匿名」投稿者は、現在大学生新聞会に所属しており、その大学新聞は往時の全学新にも属していたとのことで、そういう大学新聞が生き延びていることに心強さを感じます。うれしいです。
50年前にあった大学新聞で、今も生き延びているのを、私は3つ知っているだけです。東大、中大、工学院大です。ただし、東大は「学生新聞」とは言えないでしょう。当時から法人になって、学生主体とは感じられませんでした。ただし、学生新聞としての『東大駒場新聞』がありましたが、今はないでしょう。今の中央大学新聞のことは、先月にある人に教示を受けて知りました。昨秋の1号分を入手しました。定期的に新聞を作っていますが、大学当局の援助と介入を受けて、御用新聞の臭いプンプンでした。工学院大にも新聞会がありますが、実際には新聞は長く作っていないようです。
「匿名」投稿者の属している大学生新聞会が、大学当局の干渉を受けずに、独立した大学新聞発行を続けて行かれることを願っています。
50年以上前には、大学新聞を対象にした広告代理店がありました。大学新聞向けの書籍広告だけを専門にした零細企業1社と、企業広告(在学生向けに就職勧誘の企業広告だったのです)を扱うリクルート社がメインでしたね。ただし、教育大学新聞は、有力国立大・大手私立大学に比べて、リクルート社からまわって来る企業広告が断然少なく、その収入が少なかったのです。旧制時代からの歴史と大学の名称ゆえに、企業からの就職勧誘が少なかったのですね。
 

Re:学生新聞会の者です。

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 8日(金)20時58分8秒
編集済
  全学新については、当サイト内に解説があるのでご覧ください。当時の史料も掲載しています。1966年の時点での加盟学新の名簿もあるので、その中にあなたの属する学新名もあることでしょう。当時の関連書類が残されているということは、教育大学新聞会と友好関係にあった学新かもしれません。
「新聞制作に携わった経緯や活動は当時どのように行われていたのか」ということについて言えば、教育大学新聞会は、組織としては単なる学生サークルです。単に新聞を作ってみたいという人が入会し、取材、記事の執筆、新聞の編集、印刷所での校正、広告集め、新聞の販売などを行っていました。自ら経営者も兼ねている学生という無給の従業員が働いている新聞社だと思えば良いでしょう。いつも数十人の会員が動いていましたから、比較的規模の大きな中小企業のようなものです。私の在学中はいませんでしたが、それ以前、時期によっては、外部の人を事務職員として雇っていたこともあるとのことです。

http://tue.news.coocan.jp/upu/zmeibo2.htm

 

学生新聞会の者です。

 投稿者:匿名  投稿日:2019年 2月 8日(金)19時51分52秒
  はじめまして、私は現在大学生新聞会に所属しているものです。
この度こちらの掲示板に書き込みをさせていただいたのは、全学新という組織があったことを知ったからです。私の所属している新聞会も当時所属していたようで、部室の古い資料には関係のものと思われる書類等があります。

今新聞制作に携わる身として、先人の皆様が当時どのような活動や新聞の制作を行っていたのか興味がありぜひともお話を聞ければと思い書き込みさせていただきました。

もし、よろしければ新聞制作に携わった経緯や活動は当時どのように行われていたのかお聞かせ願いたいです。
 

当サイト開設20周年

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 5日(火)00時11分40秒
  本日、当サイトは1999年の開設以来、20周年を迎えました。
皆様のご協力により、これまで維持できてきたものと、感謝申し上げます。

http://tue.news.coocan.jp/news.htm#process

 

「教授陣の消息」欄を追加

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月29日(火)00時18分47秒
  当サイトの「東京教育大学名誉教授一覧(1997)」のページに「教授陣の消息」という欄を追加しました。生没年のみを記入していますが、すでに東京教育大学の教授陣は大半の方が他界されているのが分かります。

http://tue.news.coocan.jp/emeritus.htm#01

 

冊子ができました。購読勧誘

 投稿者:水沢千秋  投稿日:2018年11月 4日(日)17時35分11秒
  10月に、下で長文ご紹介した全共闘運動50周年を記念した刊行物が出来上がって、私の手元に届いた。もう50年も前のことなので、関心を持って頂けるか覚束ないが、よかったら入手して読んでやって下さい。
下に書いた「東京教育大学」発足時の問題や、移転反対闘争の裏面史などが浮彫りにされています。B5判55頁。
送料込みで500円です。発行所のフェニックス社(080-3434-5301)にご注文頂ければ、冊子と一緒に郵便振替用紙が送られます。
私たちの座談会1ページ目1行目に、文字化けでもあるまいに、不思議な間違いがあるけど、容易に判断できる。ご愛敬ということにしましょう。
 

教育大とは何だったのか

 投稿者:水沢千秋  投稿日:2018年10月 1日(月)12時00分3秒
  この投稿は、分量が多すぎるとは思います。しかし、簡略化すると意を尽くせません。長文の投稿をご容赦ください。

今年は、全共闘運動50周年に当たる。ある人が、仲間たちと協働して、それを記念した刊行物(予定はB5判60ページ)を出そうとしている。その人は、私よりもわずかに年長なのだが、病を抱えた上に足を悪くして、それでも定期的に数種の小部数刊行物(同人誌と言ってもよい)を出している。その気迫には負ける。
全共闘運動50周年記念刊行物に、教育大を含む2大学の座談会各14ページを収録したいというので、協力を依頼された。彼の善意的意欲は肯定するし、気迫には負けるし、彼の体調を考えると協力せざるを得ない。
そこで、しばらく前に座談会を実施し、私がテープ起こしをした。今、それを整理している。その過程で、気づいたことがある。教育大卒業生のほとんどが知らなかった「教育大の性質・役割・立ち位置」である。管理人さんご自身や作成の「東京教育大学小史」該当部分に教えられたり、『文理科大学新聞・教育大学新聞 縮刷版』を見たりして、わかったことである。
教育大発足時には、文理科大教授陣は「東京文教大学」を主張し、「東京教育大学」を忌避した。教育大学の名称を冠することは、大学の「目的を教員養成の一途に集中して学術の研究をこれに従属せしむる」ことにつながると考えたからである。これに対し、高等師範教授陣や同窓会の茗溪会は「教育大学」を支持した。その混乱をまとめるためにいったんは「東京文教大学」に決まって、文教大学案が国会に提出された。ところが、国会の委員会が文部省に「教育大学」にするよう勧告する。文理大の教授陣は、その裏には茗溪会の暗躍があるとにらんで巻き返そうとした。与野党の意見も対立したまま、与党だけが賛成して国会が「教育大学」を確定する。
文理大の教授陣はこれに対し、脱退声明を出して「教育大学から抜ける」と言った。しかし、この混乱を収めるために、文部省で社会教育局長をやっていた柴沼直という役人が学長として送り込まれ、この学長が、文理大教授の脱退派に「大学の運営は文理大の意見に従う」旨の約束を行い、脱退派の教授を文・教・理の学部長とし、評議会では文理大教授が絶対多数を占めるようにお膳立てをすることにより、脱退声明組を翻意させたというのである。
確かに、われわれの時代には、学生も教育に特化した大学だとは思っていなかったわけだから、「教育大学」の名称に違和感がなかったわけではない。どういう大学なのかの性格づけが、はっきりしていなかった。国立大学には、すべて性格づけがある。地方の大学は、その都道府県の高等教育をになっている。1つの都道府県に複数の国立大学がある場合には、総合大学以外は単科大学ばかりで、その大学名に性格づけが現れている。東京と奈良の2つの女子大は、女子の高等教育をになう。共学の国立総合大学がないのは、奈良県だけである。共学の国立総合大学が2つあるのは、私たちの時代は東京だけ、今は茨城県だけである。
新制大学にする際には、東京文理科大と東京高師を東大に合体させる(=実質は文理大と高師の廃止だ)案さえあったという。その案は多分、文部省が受け入れなかったのであろう。旧制大学どうしの統合は避けたし、それだと東大がさらに肥大化しすぎる。文理大と高師の学生定員を移さないとしても、附属機関の多い東大に、さらに附属を増やすことになってしまう(教育大には、特別支援教育分野の学校がいくつも附属することになった)から、文部省もそれを避けたのだろう。
そこで座談会では、教育大は「東大の二番煎じ」という言葉を使わざるを得なかったのだが、文部省が、「教育大」の名称のもとに東京に例外的に2つの国立総合大学を認めたのだ。ところが、戦後大学制度の下では、教育に特化した大学は小中学校教員を養成する大学・学部だけになった。にもかかわらず、「東京教育大学」を名乗ったことが、名称への違和感を生み、性質・役割・立ち位置の不鮮明さを生んだことは否めない。
なお、冒頭に述べた「全共闘運動50周年記念刊行物」は、わずかしか作らないそうだ。1冊500円で市販もすると言い、11月18日を製作のデッドラインにしたいと言っている。しかし、様子を聞くに、11月18日までに完成というのは、無理じゃないかな。完成したら、改めてここでご紹介したい。
 

金沢で祝う会

 投稿者:矢下育子  投稿日:2018年 9月 6日(木)01時17分57秒
  投稿が遅くなりましたが、4月29日付けの管理人の記事にあるように、教育大文学部日本史学専攻65年入学の小谷(おたに)正典さんの博士号取得を祝う会が5月11日~12日に金沢で開かれました。東京から3人、安曇野から1人の同級生が新幹線と車で金沢のホテルに駆けつけ、福井からの小谷さんと合流。夜は金沢料理で乾杯して10年にわたる小谷さんの努力を労いました。金沢城や兼六園の観光も楽しんで1泊2日の旧交を温めました。65年日本史入学組は2017年6月にも8人で新潟を旅行していますが、あと一回くらいはみんなで集まりたいと思っています。  

「縮刷版」の販売価格を改定

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 7月31日(火)10時12分6秒
  当会の発行する「文理科大学新聞・教育大学新聞縮刷版」の販売管理を担当しているあずさ書店からの連絡によると、同書店では、この度、「縮刷版」販売価格の見直しを行い、従来19,950円とされていたものを10,000円にするとのことです。なおこの価格は、1978年の発行当初に予約特価とされていたものです。
これまでよりお求めやすくなるものと思われます。本日7月31日から、この価格での注文を受け付けています。
 

有志の会箱根観楓会を10月開催

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 7月20日(金)16時25分14秒
  新聞会の60年安保世代を中心とするOB有志の会による箱根観楓会が、10月21-22日に開催される運びとなりました。
昨年は予定していた軽井沢観秋会が台風の接近により急遽中止されてしまいましたが、それ以来のものです。
渡邉OBが中心となって計画されているので、参加希望者は渡邉OBまで連絡してください。
 

お礼

 投稿者:小谷(持川)正典  投稿日:2018年 5月17日(木)11時15分27秒
  久しぶりに「新聞会掲示板」を開きました。最初に、小生の記事が出ていて驚きました。書き出しを読ませていただいて思わず涙が出ました。管理人さんにお礼を申し上げます。管理人さんは、小生の一年上級、顔もしっかり思い出します。この「掲示板」は時々開いて、孤独ななかでいつも何かしら勇気をいただいていました。ご苦労とご配慮に感謝です。大学時代は色々な意味で不完全燃焼でした。近年、不完全燃焼という言葉で表現できるようになりました(その原因の殆んどは、自分自身にあると思っています)。半世紀前に教育大で日本史を志した証しを自分自身に示したいという気持ちで、研究?らしきものを続けました。同級の仲間たちが絶えず応援してくれました。同級生も、たぶん不完全燃焼という点では共通しているのだと思います。書きたい事はたくさんありますが、ともかく管理人さんの心遣いへの感謝を、先ずお伝えします。  

小谷(旧姓持川)正典さん71歳で博士号

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 4月29日(日)22時32分37秒
  1965年文学部日本史学専攻入学の持川(のち小谷姓)正典さん(福井県立藤島高校卒)だが、卒業後は地元で教員を務めていた。2007年3月、丸岡高校長を定年退職後、2008年4月福井県立大学大学院経済・経営学研究科に入学、10年かけて修士・博士課程を修めた。博士論文のタイトルは「日本における近代的鉄道政策の形成過程」。70代での博士号取得は珍しいと地元で話題になっている。日本史の同窓生たちの間では、みんなでお祝いに行く計画があるらしい。

http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/312732

 

渋谷さんご自宅弔問

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 4月14日(土)22時42分13秒
編集済
  本日(4月14日)、当OB会のメンバー6人により、先日逝去された渋谷さんのご自宅に弔問が行われました。

http://tue.news.coocan.jp/news.htm#u1

 

渋谷紀雄さんご逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 4月 3日(火)17時02分1秒
  先ほど当OB会のメンバーである渋谷紀雄さんの奥様の豊美さんから、渋谷さんのご逝去を伝える葉書が届きました。葉書の全文は以下の通りです。謹んでご冥福を祈ります。
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ご無沙汰していますが、いかがお過ごしでしょうか。去る3月18日渋谷紀雄は、お風呂で急性心不全を起こして亡くなりました。持病のアスペルギルス症の調子もよく前日までテレビを見たり、新聞を読んで楽しく元気に過ごしておりました。本当にあっけない最期でございました。でも、本人はあまり苦しまなかったとのこと、それだけが救いです。急なことゆえ、ショックも大きくただ悲しみに沈んでおります。21日通夜22日告別式を親戚、墨田川高校の同僚の先生方と執り行いました。76歳の人生でした。安らかにねむってくれることを祈るばかりです。ここに生前お世話になった方々にご報告すると同時にいただきましたご厚情に心よりお礼申し上げます。


 

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