teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


新刊 「小説 私の東京教育大学」 について

 投稿者:管理人  投稿日:2021年11月28日(日)00時35分0秒
編集済
  最近、真木和泉著「小説 私の東京教育大学」(9月22日初版、本の泉社、1200円)という本が出版され、同窓生の間で話題になっている。新聞会とは無関係なのだが、管理人のところにどういう本か教えてくれなどという問い合わせがあったりする。
簡単に説明すると、著者は宮崎県立宮崎大宮高を出て1966年に漢文学専攻(本書では大学院からの名称である中国古典学専攻を使用。本人が修士課程修了だからかもしれない)に入学した巻和泉という人(著者名の「真木」は筆名)。この同じ高校出身の1学年上には、当会のメンバーだった故・根井康之君(哲学専攻、2014年11月12日ご逝去)がいるが、根井君は筑波闘争の時期は全学闘の幹部の一人だったのに対し、この本の著者は根井君とは反対側の民青の立場。(もともと漢文学教室は民青が多数派だった上、桐花寮の同室の先輩もそうだったのでそうなったとのこと。)根井君は中退して哲学者として自立したが(「根井哲学講座」参照)、巻君は大学院まで行っているのも対照的。
内容は、1966年に大学に入学した主人公(著者本人だが別名になっている)の桐花寮への入寮(ただし2年で退寮しその後は下宿)から筑波闘争の敗北までを描いたもので、タイトルは「小説」となっているが内容は回想録のようなもの。しかし登場人物を仮名にしたり、完全な史実というわけではないので「小説」としたのであろう。また、著者の立場上、全学闘の運動は否定的に評価されている。管理人は巻君の在寮当時は同じ桐花寮生だったことになるが、本書によると巻君の居室は1寮11号室であり、私は3寮13号室だったのでやや離れており、面識はない。登場人物の名前は基本は仮名が使われているが、沖縄から来た赤嶺君のように著名人には実名が使われている場合もある。

https://honnoizumi.co.jp/book/2021/0922.html

 
 

東洋史の本間富英君ご逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2021年11月16日(火)16時58分20秒
編集済
  新聞会とは無関係ですが、ご存知の方もあるかと思われるので連絡します。本日配達されてきた喪中葉書によると、東洋史学専攻の本間富英君(春日部市在住)が本年10月21日、73歳で永眠されたとのことです。今年元旦の年賀状には、「最近は学生時代のフォークソングを聞いてパワーを貰っています」とあり、元気そうだったのですが。本間君は、新潟県立長岡高校を卒業後、1967年文学部東洋史学専攻に入学、1971年に卒業し(在学中は文京区千石2丁目の民家に下宿)、その後は埼玉県内の高校(草加高校、松伏高校、羽生第一高校)に勤務し、退職後は学習支援事業(学習指導員)に従事していました。管理人は、卒業後何年かして、帰省のため東武伊勢崎線に乗車中、帰宅途中の本間君とたまたま遭遇し雑談したのが本人と会った最後になってしまいました。謹んでご冥福をお祈りいたします。  

新聞会活動アルバムのページ新設

 投稿者:管理人  投稿日:2021年11月11日(木)11時39分0秒
編集済
  最近(連絡があったのは10月17日未明)、OB会員(横浜通信部・M生)の自宅で、岳東寮合宿の際に撮影された「1965年7月26日午後2時、富士登頂の記念写真」という珍しい写真が見つかった。今は亡き大津君の姿もある。
スライドショーへの追加も考えたが、それでは見つけにくく、あまり見る人もいないと思われるので、別途「新聞会活動アルバム」というページを新設し、ここに掲載した。しかし、それだけではページの内容が少なすぎるので、スライドショーやOB会ニュースで使用されている写真も併載した。

http://tue.news.coocan.jp/album.htm

 

1960年の当会の日誌復刻

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 9月26日(日)20時21分54秒
編集済
  最近、当会事務局の水沢千秋OB(あずさ書店経営・縮刷版販売を担当)の自宅で、東京教育大学の閉学の際、新聞会室から持ち出した荷物の中から、60年安保闘争当時の当会の活動を記録した日誌が発見されました。貴重な記録と思われるので、日誌が書かれた当時の会員であった渡邉正彦OBが文字に起こし、当サイト内に「当会の1960年4-10月の活動日誌」というページを新設して公開したのでお知らせします。

http://tue.news.coocan.jp/nisshi.htm

 

田中康夫氏の父

 投稿者:横浜通信部・M生  投稿日:2021年 8月 3日(火)01時08分23秒
  オリンピック・フィーバーとコロナ禍による感染者激増のニュースに圧し潰されながらも、いよいよ決戦の秋(とき)迫り加熱しつつある横浜市長選。カジノ誘致をめぐる住民投票拒否や新市庁舎への移転に伴う旧庁舎の不当払い下げ(JR関内駅前の旧庁舎=村野藤吾設計を僅か7700万円で星野リゾートグループなどに払い下げ方針)など、市政の内向きな専断への批判から、林文子市長の任期満了による市長選はカジノ誘致派VS.反対派など有力候補8人が入り乱れての混戦・乱戦必至の中で8月8日公示、22日投開票と間近に迫りました。(立候補予定は林文子市長のほか小此木八郎、福田峰之、太田正孝、山中竹春、田中康夫、郷原信郎、松沢成文の各氏ほか)
そんな先週末の夕、旧知の知人に誘われ、たまたま地元のJR駅前のカフェで開かれた田中康夫氏を囲む車座集会に顔を出したのですね。支持・不支持はさておき、雀百まで‥‥老いてますます好奇心旺盛(笑)なのですね。
10人足らずの小さな集まり。阪神淡路大震災時のボランティア活動はじめ2期6年の長野県知事時代など、今回の市長選への出馬に至る実績や地方政治への抱負の一端を拝聴したのですが、たまたま話が田中さんと長野県との関わりに触れる中でびっくり。田中さんは武蔵野市生まれ。信州大学教授となった父親の赴任により上田と松本で高校まで過ごし、松本深志高校を経て一橋大学卒。在学中に書いた「なんとなく、クリスタル」で文藝賞を受賞し一躍人気作家となったのですが、そんなあれこれはここでは省略。父親の田中博正(旧姓根本?)さんは1930年生まれ、教育大の心理学科卒。信州大学教授、上越教育大学副学長などを歴任した心理学者なのですが、副学長時代の学長が筑波大の名誉教授だった辰野千寿。記憶はあいまいなのですが、実はぼくは学生時代、その辰野さん(当時は助教授)の教育心理学講座を受講しているのですね。
 

伊藤アキラさんご逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 7月16日(金)12時41分10秒
編集済
  「この木なんの木」などのCMソングで知られる伊藤アキラ(本名 伊藤皓)さんが5月15日急性腎不全のため亡くなられたとのこと。80歳でした。伊藤さんは1959年、千葉一高から文学部社会学専攻に入学(1963年卒)され、学生時代から三木鶏郎「冗談工房」に参加し、CMソングの世界で活躍されてきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%A9

 

朝永さんの思い出?(続)

 投稿者:横浜通信部・M生  投稿日:2021年 7月 4日(日)17時08分58秒
  さて順序が後先になったのですが、ぼくがこの『物理村の風景』という本を読むに至った朝日の書評から一部を抜粋。タイトルは「ゆったり流れる時間の下で研究」。
  * * *
情報が途絶した第2次世界大戦下にあっても、湯川・朝永に代表される日本の素粒子理論物理学者は、独創的な研究を継続していた。おかげで、その薫陶を受けた世代は、その後、欧米に渡り世界的に活躍できた。
その一人が93歳になられる著者で1950年代後半から60年代にかけてコペンハーゲンのニールスボーア研究所、ロンドンのインペリアルカレッジに留学し、帰国後は、東京教育大学で朝永振一郎とともに素粒子理論研究室を主宰した。
本書は、物理学の巨人たちと著者との個人的な交流を縦糸、趣味の音楽を通じて知り合った人々との出会いと別れを横糸として綴(つづ)られた色とりどりの織物のような珠玉のエッセイ集だ。(朝日 2021年1月16日 評者:須藤靖)
  * * *
教育大新聞の連載エッセイ「思い出ばなし」やこのHPの桐花寮における朝永さんの洒脱な講演を聞いた記憶が頭の片隅にあって、生来の乱読&雑学好きもあって、門外漢ながらつい物理学がらみの本書を読んでしまったという次第。
が、それに加え、本書を読んで知った亀淵さんのプロフィールの一端に驚いたことが昼下がりの冗舌?の原動力。なんと氏はかの「石堂清倫」の甥だというのですね(妹さんの長男)。
新聞会OBG諸兄姉でもぼくより下の世代だとやや距離感?があるかもしれないけれど、石堂さんはマルクス・エンゲルス全集やレーニン全集の翻訳で知られ、60年代にはグラムシ、トリアッチの翻訳を通して「構造改革論」の提唱、紹介者。ぼくは63年に出た『現代変革の理論』(青木書店)を読書会で読んだ記憶があり、しかも今回、教育大新聞の縮刷版で調べてみると、64年(昭和39)8月25日号の1面に「新しい道への礎石」と題する石堂さんの巻頭論文が載っていてびっくり。ぼくが新聞会に身を置いた時期とぴったり重なるではありませんか。
ところで朝永さんはウイキペディアには「学生時代は女浄瑠璃や寄席に入り浸って、かなりの趣味人だったと伝えられる。」とあるのですが、残念ながらぼくは朝永さんがW館やキャンパス内を足早に歩く姿こそ何度かお見かけしたものの、その謦咳に接したこともなければ、洒脱な落語はもとより講義・講演すらナマで聞いたことがないのですね。で、あらためて調べると教育大の学長が1956~61年、ノーベル物理学賞を受賞したのが65年、59歳の時。そして79年の7月8日、73歳で逝去なさっているのですね。う~ん、若い。
さて既に雨の日曜日も夕闇が迫りつつあります。前掲の朝日の書評のタイトルは「ゆったり流れる時間の下で研究」。学窓を出て早や半世紀余。いまもコロナ禍に翻弄され、忙しない日々を過ごしているのですが、ぼくの好きな楽曲の一つがスメタナの「モルダウ」。これから交響詩「わが祖国」から、ボヘミヤの森と草原、そしてゆったりと流れる大河の情景を思い描きながら「モルダウ」を聴くとしましょう。(笑)
 

朝永さんの思い出?

 投稿者:横浜通信部・M生  投稿日:2021年 7月 4日(日)15時49分59秒
  徒然なるままに、たまたま最近、朝日新聞の書評に釣られて読んだ亀淵迪『物理村の風景』(日本評論社、2020年11月刊)というエッセイ集について。在学中は全く知らなかったのですが、教育大新聞のHPを見ると確かに亀淵迪の名が教授一覧にあるのですが、受験生特集の学部学科の教室紹介欄に名前が無いので、おそらく光学研究所?
さてその亀淵迪(かめぶち・すすむ)さんの略歴を見ると1927年に石川県の小松市生まれ。名大の物理学科を出て、教育大、筑波大の教授。またウイキペディアによれば「日本の物理学者。理学博士。筑波大学名誉教授。坂田昌一に師事。専門は、場の量子論。特に繰り込み理論の研究で知られる」とあります。
『物理村の風景』のサブタイトルが「人・物理・巨人・追想をちりばめた宝石箱」。ぼくが個人的な感懐にとどめず本書をここで紹介しようと考えたのは「第2部 物理村の風景」の中にある「朝永諧謔性とその周辺」という章の記述から。ちょっと長いけれど引用します。
4 朝永の諧謔的な作品で、これで極上かと思われているものが二つある。それを知る人たちが段々と少なくなり、結局は永久に失われてしまうとすれば、正しく文化的な損失であろうと考え、ここに認めておくことにした。実を言うと、先立つ三章を長々と書いたのも、このことを書きたいがためであった。
そう記した後で、亀淵さんは「その第一は、1章で述べたニュートン祭における朝永落語「割り箸」である。これは彼の創作落語だとされており、度々再演され‥‥」と続け、その原典版なるものを紹介しています。ニュートン祭? 物理学科では毎年末に学科を挙げてそんな名前のコンパを開き、朝永落語が一席講じられていたのですね。
さて亀淵さんが文化的損失を危惧?して書き残した「割り箸」、あるいは再演にあたって「角砂糖つまみ」また「おつまみ」と題されたという落語は次の通り。
【状況設定は、昭和の初期。田舎の良家の娘さんが町の教養ある家庭、例えば大先生の家で住み込みの家事手伝いをする。それを通じて娘さんは先生夫妻から礼儀作法や料理・裁縫・お茶・お花などを教わり、花嫁修業をする。そのような状況下での出来事‥‥。】
  * * *
 ある日先生が娘さんに伝える――「今日はお客さんがあるから、お茶とお菓子の準備をしておきなさい」と。娘さんはそこで羊羹を取り出して切り、それを指でつまんで菓子盆に載せた。それを見て先生は「これこれ娘さんや,お客さんに差し上げるような大切なものは、手でつまんだりしてはいけません――お箸を使いなさい、お箸を」と注意した。
 と、あれこれあったが、娘さんは客を適切にもてなし、先生もほっとした。客の帰ったあと、先生が小用のため便所に行くと、朝顔型の便器の傍らに、袋入りの割り箸が一膳おかれていた。
  * * *
見事な落ちである。(略)それにしても、礼儀正しくやるには道具を用いねばならぬとすると、〝男はつらいよ”ではある。
‥‥そう亀淵さんは記し、続いて第二の「ソ連旅行のお土産話」があるのですが、ここでは省略。(以下、つづく)
 

管理人様 深謝

 投稿者:宗内敦  投稿日:2021年 7月 2日(金)13時34分33秒
編集済
   私のブログサイトをホームページサイトに続けてご掲載くださっていることに、今ごろ気づきました。このところブログ欄の「拍手」が増え気味なのもそれが一因と分かり、心からお礼申し上げます。
 「英文のスライドショーのページ開設」、この欄の音楽と写真の流れ、思わず引き込まれ、しばしば訪れては、学舎を中心に思い出の数々に戻っては、淡々として飾らぬバックミュージックに胸をゆすられ、涙しています。有難うございます……。そうこうするうち、東教大に関わる私の思い出話(エピソード)を、同窓生の皆様にご披露したくなりました。(http://muneuchi.art.coocan.jp/enka/enka_index.htm
 そして、終活活動収めの一環としてこの文章を掲載しているエッセイ集「演歌つれづれ(歌は心の帰り船)」を、ご希望者に貰っていただきたいと思うようになりました。どうぞご連絡ください。これも私の幸せな終活活動です。第11話と第12話が該当のエッセイです。
 

英文のスライドショーのページ開設(Open English version of "Slideshow”)

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 3月23日(火)18時07分24秒
編集済
  OB会内で、このサイトを英文でも読めるようにしたらどうかとの提案があり、さしあたり、海外からのアクセスが相対的に多いと思われる「スライドショー 想い出の東京教育大学」のページに、英文のものを併設しましたので、お知らせします。
それに引き続き、「朝永振一郎学長の桐花寮祭での講演」、「キャンパス写真集」、「東京教育大学小史」のページにも、英文のページを併設しました。また、トップページの記述にも、一部、英文を併記しました。

The Alumni Association members suggested that we make this site available in English, so we have added an English version to the "Slideshow: Memories of Tokyo University of Education" page, which seems to receive a relatively large number of visitors from overseas.
Following this, we have also added English versions to the pages of "Principal Sin-itiro Tomonaga Talked about His Old Days at the Festival of Tôkaryô Dorm","Campus Album of Tokyo University of Education" and "Short History of Tokyo University of Education".Also, some of the descriptions on the top page are now written in English.
Please visit!

 

皆様、ご健勝に。

 投稿者:宗内敦  投稿日:2021年 3月21日(日)08時46分46秒
編集済
    私と同年の小野清子氏,ご逝去。お会いしたことは一度も無かったけれど、東教大同窓として誇りにしてきました。無念です。 合掌
 昨年は恩人のひとりでもある松原達哉先生が亡くなり、心が折れた。どなたか、ご遺族のお名前・ご住所をご存じの方、お知らせいただければ、うれしく存じます。
 年とともに、種々様々に孤立していきますが、自身はきちんと社会に目を向けてがんばっています。ホームページとブログ欄が私の長寿の源、時にはお立ち寄りくだされば、うれしいです。
     http://shoshisaikou.blog10.fc2.com/blog-entry-89.html
 

小野清子さんご逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 3月19日(金)15時45分38秒
  報道によると、体育学部出身の体操選手、政治家の小野清子さん(秋田県立秋田北高卒)が3月13日85歳で逝去されたとのことです。謹んでご冥福をお祈りいたします。1月に骨折して入院中に新型コロナに感染し、一旦は回復したものの容体が急変して亡くなられたとのことです。
以前はご本人のホームページもあったので、当サイトの「東京教育大学同窓生のWebサイト集」に掲載していたこともあります。(現在は「閉鎖サイト」に掲載しています。)
 

So-netのWebスペースサービス終了

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 2月 4日(木)10時06分14秒
編集済
  プロバイダSo-netは、1月28日15:00にWebスペースのサービスを終了してしまった。「同窓生のWebサイト集」に登録されていたかなりのサイトがSo-netを利用していたが、他のスペースに移動したものは見つからず、みなそのまま廃止になってしまった。
以前、Geocitiesが廃止になった時もかなりのサイトが閉鎖されたが、今回もそれに近い。同窓生のサイトが減る一方で増えていかないのは残念。

https://www.so-net.ne.jp/info/2020/op20200908_0040.html?

 

桐花寮跡地に板橋区立中央図書館開館

 投稿者:管理人  投稿日:2021年 2月 1日(月)21時24分42秒
編集済
  板橋区のかつての東京教育大学の桐花寮跡地は、現在は板橋区平和公園になっていますが、この平和公園内に、3月、板橋区立中央図書館が開館されることになったとのことなのでお知らせいたします。

https://www.city.itabashi.tokyo.jp/kyoikuiinkai/shisetsu/toxhokan/1013103.html

 

当会創設90周年

 投稿者:管理人  投稿日:2020年12月10日(木)10時12分54秒
編集済
  当会の起源は、1930年10月に設立された東京高等師範学校・東京文理科大学の大塚学友会々報部にあり、その後、1948年3月に文理科大学新聞会、さらに1949年7月から東京教育大学新聞会と改称し、1973年4月まで、新聞の発行を続けてきました。しかしこの時をもって、東京教育大学新聞会は会員不在となって消滅、その後は過去の在籍者がOB会を立ち上げて活動を続けてきました。
最初の新聞の発行から、今年10月でちょうど90周年となるわけです。
しかし、この間、新聞が発行されていたのは43年間、新聞がなくなってOB会の活動に移行してから47年となり、新聞のない期間の方が長くなってしまいました。
東京教育大学の後継である筑波大学は、独立した編集権を持つ学生新聞を認めず、「筑波大学新聞」は大学当局が発行する単なる広報紙になっています。これに抵抗して「筑波学生新聞」を発行していたグループもありましたが、すでに活動を停止しています。もっとも「筑波大学新聞」の創刊にあたっては、当時筑波大学助教授であった当会の松原達哉氏が関与しているため、多少の継承関係はあります。
なお、当会の刊行している「文理科大学新聞・教育大学新聞 '46-'73 縮刷版」は、水沢OBの経営するあずさ書店で、現在も販売しています。

http://tue.news.coocan.jp/shukusatsu.htm

 

榊原加助氏ご逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月30日(月)18時03分46秒
編集済
  当会の会員で、1956年日本史入学の榊原加助氏が6月28日に逝去されていたことが、OB会員への喪中はがきで判明しました。82歳でした。
卒業後は、友人とデザイン会社「集合den」を立ち上げ、常務取締役を勤めておられました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

http://tue.news.coocan.jp/news.htm#c2

 

大谷成章氏ご逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2020年11月28日(土)18時29分15秒
編集済
  当会の会員で、1958年哲学入学の大谷成章氏が、本年6月1日に逝去されていたことが、同期の会員への喪中はがきで判明しました。
大谷氏は卒業後は神戸新聞の編集局長になり、その後退職すると様々な職につき、阪神淡路大震災の際には地域のコミュニケーション誌の発行に参加して活動されていました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

http://tue.news.coocan.jp/news.htm#b2

 

当会のメーリングリストについて

 投稿者:管理人  投稿日:2020年10月29日(木)08時14分48秒
編集済
  当会は、当初GMOのメーリングリストを使用していましたが、それが昨年12月2日に廃止となって以降、Allserverのものを使用していました。しかし、これが10月15日(気が付いたのは17日)、何の予告も連絡もなく、突然使用不能となり、そこで、18日に急遽googlegroupsに変更しましたが、これが通常のMLとは仕様が違う上に制約が多く、使いにくいと評判が悪かったため、あらためて20日に「らくらく連絡網」に変更しました。
そうこうするうち、Allserverが動かなくなって13日後の10月28日、このMLの動作テストしてみたところ、何と正常に動いていました。
そういうわけで、現在当会のメーリングリストは、Allserver、googlegroups、らくらく連絡網の3本立てになってしまいました。
しかし、らくらく連絡網になってから新規メンバーが加わったため、このMLが参加者数は最多です。参加ご希望の方は(当会の会員に限ります)、「管理者へメール」からご連絡をお願いします。招待メールを送ります。
 

加藤清雄先生と野本義雄先生のお写真

 投稿者:1965年農学部入学生KS  投稿日:2020年 9月13日(日)20時41分21秒
編集済
  小生は1965年に農学部に入学しました。
同年の一般教養科目である加藤清雄先生ご担当の物理学と、野本義雄先生ご担当の動物学実験には大変お世話に成りました。最近、自分のお世話に成った方々の写真を眺めておりますが、この両先生のお写真は手持ちが有りません。加藤清雄先生にはご自宅にまで呼んで頂きましたが、その後暫くしてから連絡が取れなく成りました。野本義雄先生は翌年に日大薬学科教授にご栄転と成り、その後も文通を続けておりまして、日大薬学科にお邪魔したことも有りますが、後年、喪中欠礼状でご逝去を知りました。この両先生のお写真をお持ちの方が居られましたら、そのコピーを是非小生にお送り頂きたいと存じます。管理人様に小生の連絡先アドレスを伝えさせて頂いておりますので、どうかよろしくお願いいたします。
 

森上史朗氏ご逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2020年 8月17日(月)18時36分31秒
編集済
  松原達哉氏のご逝去より約1年前、2019年8月4日、松原氏とは心理学の同期で、やはり当会OBである、森上史朗氏が、亡くなられていました。88歳でした。謹んでご冥福をお祈り致します。
同氏は、日本女子大学や青山学院大学で教授を務められ、その後、子どもと体育総合研究所の代表を務めておられました。

http://educator.kir.jp/pdf/20190908moriue.pdf

 

レンタル掲示板
/27