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4度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月30日(月)06時59分21秒
  19590326-01-7
Giant Steps (John Coltrane)


【この曲、この演奏】
コルトレーンが作った代表的な曲であり、また本セッションから一ヶ月半後の五月5日にコルトレーンはこの曲を再び取り上げ、それはその生涯の中でも代表的な演奏となっています。
本セッションではこの曲を8回演奏しています。その最後のTake 8 は、コルトレーンのアトランティック作品の8+2枚の後者の、1975年発売の「Alternate Takes」で世に出ました。それについては別に取り上げます。
ここでは他の7つのテイクについて、触れていきます。

-01 Take 1, incomplete (4分27秒)
スタジオ内でメンバーとスタッフの会話も収録されており、実質の演奏時間は3分37秒です。
また資料07にはこのテイクについて、「warm-up b + bd」と表記されています。「演奏の準備と中断」との意味です。
演奏はそれなりの時間をかけていますが、コルトレーンは完全に手探り状態、チェンバースはコルトレーンの意図を理解している演奏ですが、シダー・ウォルトンとレックス・ハンフリーズはおっかなびっくりの演奏です。
コルトレーンが意図する、早いコードチェンジにアドリブを炸裂させて躍動感あふれるスピード感には程遠い内容で、コルトレーンの苛立ちも感じられますが、最初のテイクなので手慣らしの演奏とも言えるでしょう。
終盤にはコルトレーンは演奏をブレイクする姿を見せますがピアノとドラムは演奏を続け、仕方なくコルトレーンも演奏に付き合う場面があります。しかしその数秒後にはやはりダメだと、コルトレーンは演奏を止めています。

-02 Take 2, false start (14秒)
コルトレーンが吹きはじめたところで演奏は中断、ドラムは軽くシンバル、ピアノは調子ハズレの演奏でした。

-03 Take 3, incomplete (2分50秒)
テーマに関してはコルトレーン自身は手応えあるかの演奏ですが、アドリブに移るとやはりバックに不満を感じ、自分のイメージと演奏の違いに直面しているコルトレーンです。ピアノは無難な演奏になってきましたが、ドラムはまだタイミングを掴めない模様です。コルトレーンもこれがOKテイクになるとは端から思っていないようで、練習テイクとの気持ちの演奏ですが、流石にこれ以上と思ったのか、途中で終了させました。

-04 Take 4, incomplete (1分19秒)
ここでもアドリブに入ってから、コルトレーンが演奏を中断させています。まだリズム陣との呼吸にズレがあるようです。

-05 Giant Steps (Take 5, alternate) (3分41秒)
5回目にしてピアノとドラムがリズム感を掴んでようで、このテイクは完走とはなりましたが、コルトレーンのソロには途中で乗り切れない様子がうかがえ、OKテイクとはなりませんでした。

-06 Take 6, false start (32秒)
テーマの後半で演奏が中断となりました。その直後のスタジオ内の会話からすると、コルトレーンはもっとフワフワと浮くようなリズム感を求めているようです。

-07 Take 7, incomplete (4分12秒)
完走の5回目よりも長い演奏時間ですが、最後のテーマに入りかけたところでブレイクです。何かしっくりこないものを感じているコルトレーンです。



【エピソード、本セッション】
1月15日のセッションがアトランティックによるコルトレーン歓迎セッションだとしたら、このセッションは自身のバンドで自分が突き詰めたい演奏を目指しているコルトレーンの、腕試しセッションと言えるのであろう。
セッションのメンバーに選んだのは、シダー・ウォルトン、ポール・チェンバース、そしてレックス・ハンフリーズであった。
先ずは信頼が厚いチェンバースを確保できたことは、コルトレーンにとって喜びであっただろう。
シダー・ウォルトンとコルトレーンの共演歴は、資料06によれば3回ある。最初のは時期はこの年の春となっているが、本セッションの前であったようだ。ケニー・ドーハムのバンドでのライブで、この情報は資料06の執筆陣(まず藤岡氏だろう)が、1991年の大阪ブルーノートでのウォルトンのライブの際のインタビューから得た情報とのことだ。このドーハムとのライブで、恐らくコルトレーンはウォルトンに目をつけ、本セッションに声をかけたのだと思う。
2回目のウォルトンとの共演は本セッション、そして最後となる3回目の共演は、この年の晩夏のバードランドでのコルトレーンのライブであった。この情報も資料06の執筆陣(藤岡氏だろう)が、大阪ブルーノートのライブでのウェイン・ショーターから得たものだ。そして時期は多分9月としている。このライブではコルトレーンは、トミー・フラナガンとウォルトンという二人のピアニストを代わる代わる使っていたとのことだ。これから想像すると、本セッションから一ヶ月半後にはトミフラを使って「ジャイアント・ステップス」を吹き込んだコルトレーンが、この二人のピアニストを比べる場として、このバードランドでのライブを行なったのかもしれなし。
コルトレーンとウォルトンの共演は、この1959年の半年間の3回だけであった。
次にドラムのレックス・ハンフリーズとコルトレーンの共演だが、資料06によれば2回である。それはウォルトンもいた3月のドーハム・バンドでのライブと、本セッションである。ハンフリーズとの関係は、本セッションで終わりとなった。
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月29日(日)07時01分56秒
  19590115-08
Centerpiece (Harry Edison / Bill Tennyson)
(7分8秒)



【この曲、この演奏】
全く知名度がないこの曲ですが、二人のジャズマンによるものとクレジットされています。一人は知名度があるトランペット奏者のハリー・“スウィーツ”・エディソン、もう一人は知名度が低いビル・テニスンです。ウィキペディアには記載されている方ですが、そこには次のような記述があります。
Tennyson died, aged 36, in a car crash in New York soon after completing a hit record Centerpiece with John Coltrane.
この一文から想像するに、この曲はテニスンとコルトレーンの関係から用意された曲なのでしょう。
コルトレーンの演奏記録は本セッションだけですが(資料06)、資料08によればミルトはこの曲を1976年の厚生年金会館でのステージで披露しています。
さて演奏ですが、ゆったりリラックスのブルースを披露しています。この手の演奏はジャズに限らず、ミュージシャンの存在感が鍵となります。それがなければ、だらだら流しのブルース演奏となってしまうのですが、ここではコルトレーンとミルトをはじめ、クインテットの風格を感じる演奏に仕上がっています。
ここでの演奏は「bags & trane」には収録されずに、1970年発売の未発表曲集「The Coltrane Legacy」に収録されました。




【エピソード、アトランティックとの契約、別の背景】
資料11にコルトレーンがプレスティッジの次の契約先を探していた様子を、次のように記載している。

1959年は、コルトレーンには始まりと終わりであった。彼のプレスティッジでの契約は終わり、以来二度と彼は同レーベルに吹き込むことはなかった。新たなレーベルを探して、彼は最低二つのレーベルと交渉していた。アトランティックとリバーサイドである。この時には彼は、レコーディングを重要な収入源の一つと考えており、そこから年収の総額を想定していた。キープニュースは、コルトレーンが年間4枚のリーダー作を録りたいと言ったと記憶しているが、プロデューサーから見て、それは芸術的に不可能な数だった。(1年で2枚が当時のジャズ・レーベルの標準で、現在では1枚が普通)面白いのは、コルトレーンがモンクのリバーサイドに於けるアルバム1枚辺りの著作権アドヴァンスの額を知っており、それを参考に目算していたことだった。彼は、自分にモンク以上の価値はないと感じて、キープニュースに、その金額より多くを要求するつもりはないと言い、それ故、彼の需要に見合うよう録音の回数を増やしたのである。
果たしてコルトレーンは、アトランティックと契約し、59年と60年の2年間、そこで吹き込みを行った。そこからリリースされた作品には、のっけから、ユニークでよく練られたコルトレーンの楽曲が堰を切ったように出てくる。最後のプレスティッジ・セッションから4箇月とたたぬうちに、コルトレーンは初めて記念碑的作品「ジャイアント・ステップス」を吹き込んだ。このタイミングの良さは、彼がだいぶ前から作曲に於いて一歩進んだアイデアを試しており、芸術的自由をより多く与えてくれるような環境を待っていたことを強く示している。
 

18度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月28日(土)07時29分29秒
  19590115-07
Blues Legacy ((Milt Jackson)
(9分4秒)



【この曲、この演奏】
ミルト作のこのブルース曲は、スローからミディアムのテンポで適度な倦怠感が持ち味の曲です。
作者のミルトもコルトレーンも、演奏記録は本セッションだけです。(資料06、08)
ミルトが準備した演奏展開をコルトレーンは忠実に演奏し、ブルース・フィーリングをゆったりと味わえる演奏になっています。ミルトのブルースの世界を堪能できると同時に、まだまだ伸びていくコルトレーンの姿を感じる演奏になっています。
この演奏は「bags & trane」には収録されずに、1970年発売の未発表曲集「The Coltrane Legacy」に収録されました。




【エピソード、アトランティックとの契約交渉の背景】
ハロルド・ラベットも、その契約はいい取引だと考えた。
コロンビア法律学校を卒業したラベットは、彼が法律に強い人間だからといって、多くのミュージシャンたちから「相談役」と呼ばれていた。彼は当時、マイルス・デイヴィスのマネージャーをしていた。コルトレーンのことは、彼が最初にデイヴィスのバンドのメンバーになった時から知っていた。ラベットはいたって抜け目のないタレント・スカウトで、うまく話をつけてコルトレーンのマネージャーとなり、アトランティックとの契約について交渉するのを助けた。コルトレーンが自分のバンドを作ってから、ラベットはデイヴィスが一九五五年以来関係をもっていたショー・エージェンシーとコルトレーンの契約に調印した。そのエージェンシーのラリー・マイヤーズとジャック・ホイットモアは、コルトレーンに対してきわめて細心の注意と個人的な配慮をもって接してくれた。(資料01)
 

12度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月27日(金)07時15分4秒
  19590115-06
Be-Bop (Dizzy Gillespie)
(6分1秒)


【この曲、この演奏】
随分とストレートな曲名ですが、資料14ではこの曲を次のように説明しています。
タイトルとおりのビ・バップ的なアクセントをもったナンバーで、急速調で演奏されることが多く、ミュージシャンにとってもテクニックのショウ・ケースといった要素をもった曲になっている。
資料08を見ますとこの曲名は、「Dizzy's Fingers (as Be-Bop)」や「Be-Bop (as Dizzy's Fingers)」とされることがあるようです。
曲名はどうであれ、この曲のコルトレーンの演奏記録は本セッションだけです。(資料06)
さて演奏ですが、ミルトとコルトレーンの他にも、ハンク・ジョーンズはビ・バップ期にガレスぴーとの共演があります。この三人を筆頭に、ガレスピーのもとで演奏していた時期を引き寄せるかのように、熱の入った高速演奏を繰り広げています。この三人のぶつかり合いを、爽快な気持ちで楽しめる演奏です。



【エピソード、アトランティックとの契約について】
コルトレーンとアトランティックとの契約について、資料01には次のとおり書かれている。
アーテガン兄弟と長年の交際をしていたデイヴィスが、コルトレーンを兄弟に紹介したのだが、彼らは他の多くの人たち同様に、そのサキソフォン奏者の誠実さ、優しさ、謙虚な態度にすっかり惚れ込んでしまった。こうして始まった友情がきっかけとなって、コルトレーンはプレスティッジとの契約期限が切れたあと、一九五九年四月にアトランティックと二年契約を結ぶこととなった。一年は正式契約、次の一年は選択契約だった。それがアトランティックの契約のやり方だった。前払金は四桁、最高とはいえないが、まあ平均並みということだろう。しかし、以前のプレスティッジとの契約よりは条件がよかった。契約は別として、アーテガン兄弟は個人的な関心を抱いていたのだ。
 

10度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月26日(木)08時10分32秒
  さてローラさんの「イス ジャケ」作品。
誰でも生きてきた年数分、いろんな歌に接してきたはずです。そこには様々な思い出があるのでしょう。私は今回この作品を聴いてみて、いろいろな歌の場面を思い出しました。ポップ・ソング、歌謡曲、つまりは大衆音楽の力強い存在感、そんなものがこの作品のベースにあるような気がします。
ジャズから出発したローラさんは、いろんなジャンルに幅を広げ、40歳台半ばのこの作品の時期には歌手として大きな存在になっていたのでしょう。そんな作品を本当に楽しんだ、今回のつまみ食いでした。
 

5度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月25日(水)06時19分57秒
  その前に、この作品が録音された2001年1月4日(木)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「食品ゴミ 5年で20%減、再利用を促進、未達成なら社名公表、大手企業に義務付け、農水省方針」
食品リサイクル法が、4月から施行されるのに合わせてのことです。

読売「一般販売わずか1万枚、2002年W杯決勝チケット、大半VIP・海外用、全体の15%、前回は4割」
サッカー2002年W杯の決勝戦会場の横浜国際競技場は7万席、VIPに1千席、そしてメディアやTV中継用もあり、これで残りは6万席。3万席は海外用となり、残りは3万席。そしてこれが、一般席に35%、横浜市民向けに20%、サッカー関係者に25%、残りの20%の6千席は食事付きなどのプレミアムチケットとのことです。
私には特に不思議は感じられませんが、ポイントは「サッカー関係者に25%」が適正利用されてたのかでしょう。

朝日「超高齢出産の人生設計、56歳で初産、54歳で双子、人生の締めくくりに」
連載「日本の予感」の4回目です。


ではこの1月4日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・39面社会面に「桂三木助さんが自殺」との見出しがあります。記事では、順調に人気者になっていたが、最近は芸の伸び悩みを気にしていたとあります。
ウィキペディアによれば、1996年から彼の奇行が目立っていたとのことです。
・いつもより全面広告が目立つ、紙面構成でした。
アクセンチュア、カネボウ、ホンダ、DoCoMo、ニッセイ同和損害保険、野村證券、A.I.(映画、見開き)、ベネッセ、アカデミー出版、日本通信教育連盟、都民共済、JTB、ユーラシア旅行社、TISの14社の広告です。通常の40ページの中での、全面広告です。
・TV欄では桂三木助自殺が主のワイドショーですが、ハワイ芸能人モノも多くの番組が取り上げています。
 

7度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月24日(火)08時08分16秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の30枚目は、Laura Fygi のChange、2001年1月4日の録音とします。(年月日決めうち)
15年前(2005/3/20)に「今日の1枚」で本作を取り上げた際には、「訴えかけるものが僕には感じられず、安心して運転したい時の車内音楽の粋を出ないもの」と、ローラ・フィジィさんを酷評しました。手垢がついたついた構図ながら、ローラさんと椅子を見事に収めたジャケ写で購入した本盤ですが、「いくらジャケ買いとはいえ、歌手名くらいは見ないといけません」とまで書いてしまいました。
この作品のタイトルのように、私の感覚も少しは良い方向に変わったことを願って、これをつまみ食いしてみます。
 

11度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月23日(月)07時39分42秒
  さてアリソンさんの「イス ジャケ」作品。
考えてみたら大作の後の作品は、意気込みが空回りすることがある中で、アリソンさんは落ち着いたスロー・ナンバー集を素敵に作ったものです。空回りしたのは私の感想でした。
スローな気分を支えてくれるバック陣も加わり、そして選曲のセンスも決まり、NYタイムズが「singer with a feline touch and impeccable intonation」と絶賛したアリソンさんの歌声の魅力が活きた作品になっています。
半分の6曲名に、「Blue」とのスペルが入っています。その中のジョニ・ミッチェル作の「Blue Motel Room」が、今回のつまみ食いで私の心に止まりました。「I hope you'll be thinking of me, because I'll be thinking of you」の歌詞の響き方が、Danny Embrey のギターと共に、ブルーな雰囲気で流れていきます。
表ジャケ以外の彼女の写真をみますと、シャイな彼女がそこにいます。そんなアリソンさんの魅力が本作に感じられ、実に良いものでした。
 

13度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月22日(日)07時51分42秒
  その前に、この作品が録音された2002年3月19日(火)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「トラック排ガス 自主基準、日野など4社、2003年規制値より7割低く、技術先行、競争優位に」
この年2002年のPM基準の5分の1にするとのことです。

読売「加藤氏離党、派閥会長も辞任、脱税事件で道義的責任」
加藤紘一元幹事長のことで、この月に自分の秘書が逮捕されていました。この翌月には衆議院議員を辞職、翌年の総選挙では無所属で立候補し当選、自民党に復党し、宏池会最高顧問に就任しました。

朝日「全病院に指針義務付け、怠れば診療報酬減、厚生省方針」
確認漏れによる医療事故が続いていた時期で、それへの対策です。例えば、輸血時に血液型が患者と合っているか複数の医療従事者で確認する、とのものです。
私は2015年に人生初入院しましたが、巻かれたリストバンドのバーコードを読み取る場面が、1日に何度かありました。



ではこの3月19日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・12面に「自動翻訳機能が大活躍、日米間の小学生ネット交流、総合学習に強い味方」との見出しがあります。日本語を英語に翻訳させ、それをさらに日本語に翻訳させて、日本語の意味があっているか確認、これを繰り返して米側に送信するとのことです。
この作業は今の翻訳機能でも、必要なことです。
・8面経済面に「Better World Fund」の意見広告があり、国連人口基金(UNFPA)への日本政府の支援を呼びかけています。世界インパクト投資ファンドのことですが、あくまで投資信託なので、自分としては首を傾げる広告です。
・TV欄の午前中の民放報道バラエティ番組は、加藤氏離党をどこでも扱っていると思いきや、鈴木宗男疑惑をメインにしている番組が多かったです。
 

9度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月21日(土)07時29分22秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の29枚目は、Karrin Allyson の In Blue、2002年3月19日の録音です。
「in blue」には「憂鬱な」とか「(恐怖で)青ざめた」などの意味があるのかと調べましたが、青色に関する使い方ばかりでした。
本作のジャケにあるソファーはイス資料にはありませんでしたが、いかにも欧州の有名作品といった感じです。ジャケを開きますとこのソファーは3人掛けと分かり、高級感も伝わってきます。私は13年前に大塚家具でいろんなソファーを見ましたが、このソファーは100万円近い値段でしょう。
そのソファーに座っているアリソンさんは、少しお怒りなのか、機嫌が悪いのか、そんな表情です。この表情はまさに「in blue」と思った次第です。
2002年11月5日に本作を「今日の1枚」で取り上げた際には、彼女の前作の「コルトレーンのバラッド」集と比較し、厳しい感想を書きました。今日は本作だけに意識を向けて、ジャケットのアリソンさんの表情の真意を探りたいと思います。
 

16度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月20日(金)07時38分33秒
  さてアンディさんの「イス ジャケ」作品。
見た目には緩やかな流れの川でも、入ってみれば水量の多さを甘く見ていたことが分かることがあります。本作品での演奏も、一聴の美世界かと思いきや、所々で演奏の力強さに圧倒されます。スルメ盤の要素たっぷりの作品と言えるでしょう。
アンディさん作の「Waltz For Eric」は、ジュネーブ郊外の住宅街にある小さな公園の緑が、日差しの変化でその輝きが変わっていく様子を表現しているような曲であり、演奏です。でもその底には、自然と人間の力強さがあることを、感じさせる演奏です。
このEricとはEric Peterさんのことです。この方は「新・世界ジャズ人名辞典」や「ヨーロッパのジャズディスク1800」に掲載されていないのですが、ネットには情報がありました。スイスのベーシストで、1935年生まれ、1996年に亡くなっています。いくつかの参加した奏者が掲載されていますが、私にとってはテテ・モントリューとの活動がその内容が接したことがあるものです。
コジャズの4名にとっては、スイスで、そして欧州で活動した仲間なのでしょう。ジャケで椅子に座る4名を見ますと、前年に亡くなった大事な友人の思い出に浸っているようです。
 

9度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月19日(木)07時34分43秒
  その前に、この作品が録音された1997年6月11日(水)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「元副頭取ら4人を逮捕、第一勧銀、藤田副頭取も追及、88億円利益供与、商法違反容疑、東京地検」

読売「第一勧銀、元副頭取ら4人逮捕、迂回融資88億円、対総会屋、利益供与の疑い、東京地検」

朝日「一勧元副頭取ら4人逮捕、東京地検、う回融資関与容疑、組織ぐるみ否定できない、杉田次期頭取」

総会屋の小池隆一へだけではなく、監督官庁へも金が流れており、10年で総額460億円が動き、一勧11人の逮捕者を出した事件でした。ここで起きた大蔵省接待汚職事件は大蔵省解体につながりました。



ではこの6月11日の日経新聞から少しばかり紹介します。
・16面消費産業面に、「高級魚介類、自前で養殖、飲食チェーンのはや」との見出しがあります。神戸の物流センターの4階に、2トンの水槽を三機用意し、初めはヒラメにフグ、その後にオコゼやアワビを養殖するとの記事内容です。
ネットを見ますと、「はや」との飲食チェーンが関西にありますが、焼肉が主のものです。また記事にある養殖についての情報は、ネットから得られませんでした。想像で言うならば、高く経営を狙ったが上手くいかずで終わったとのことなのでしょう。
・39面社会面に「大きさが活きる」とのコピーで、グルフクラブのアイアン・ヘッドの写真付きの広告があります。会社名は書いてませんが、「Armour、アーマー」とのブランド名です。ネットで見ますと、「Under Armour」とのブランド名でのゴルフウェアが見つかりました。
・TV欄 テレ朝 9:55から「渡辺篤の建物探訪」が放送されています。この番組は1989年に始まり、今に続く人気番組です。昨年2019年には放送1500回、30周年となった番組です。
 

8度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月18日(水)07時29分43秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の28枚目は、CoJazz plus Volume2、1997年6月11日の録音です。
ジャケ写は、Radio Studio, Geneva でのものです。このスタジオについての情報はネット上で見つかりませんでしたが、名前を変えて今でも使われているのでしょう。
恐らくはレコーディングを終えたメンバー四人が、確信を得たかの表情で椅子に座っているのが、印象的なジャケです。やはり一仕事終えたら、椅子に座りながら暫しの休憩なのでしょう。
2000年12月27日に本作を「今日の1枚」で取り上げた際には、リーダー格のアンディ・シェラーさんが、いつものテナー・サックスではなくピアノをここでは弾いていることに、私は戸惑いながらの感想を書いておりました。
今日は素直な気持ちで、かつては話題になったという本作を聴いてみます。
 

4度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月17日(火)07時18分51秒
  さてランディさんの「イス ジャケ」作品。
「Once In A While」はトミー・ドーシー楽団のために書かれた曲ですが、1950年の映画「アイル・ゲット・バイ」に挿入され、そしてジャズ・メッセンジャーズのバードランドでのブラウニーの演奏でジャズファンの記憶に残っている曲です。ディジー・リースのBNでの演奏も、有名なところでしょう。
このランディさんの作品にも、この曲が収録されています。落ち着いた雰囲気の中で、ランディさんのピアノとセシル・ペインのバリトン・サックスの語り合いが、誠に心に染みるものです。
誰にでも「たまには」、違う自分の人生を考えることがあるものでしょう。この曲を聴きながらジャケを見れば、そこに写るランディさんの表情は、そんな気持ちなのかも知れません。さすがに椅子の兄ちゃんにはそれを感じませんが、それでも何かを考えている様子。無邪気そうに見える子供も、そんな考えを持つ時期も遠くないことでしょう。
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月16日(月)08時09分44秒
  その前に、この作品が録音された1956年10月25日(木)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「各部会の審議打切る、税制調査会、原糸には一律五%、物品税 新たに約20品目」

読売「間接税の増収方針決まる、臨時税制調査会、原糸に五%新課税、高級電気器具など二十品目にも」

家庭利用の電気製品の幅が広がってきている様子がある、この記事です。電気カミソリ、最初の頃はこのように呼ばれていました。

朝日「国際原子力機関に加盟、憲章要綱あす了承、調印式に加瀬大使」
この期間が設立されたのは、1957年7月29日のことでした。


ではこの10月25日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・4面に「日雇いアブレ激減、民間事業の求人が増え」との見出し記事があります。大都市では建築と運送、地方都市では大工場の臨時工が増えているとのことです。
・6面スポーツ面下に、英国海外航空会社の広告があり、「ヨーロッパへの空の旅は週4回のB・O・A・Cで!」と宣伝しています。BOACとはBritish Overseas Airways Corporationとの略で、1974年まで存在した航空会社です。英国欧州航空(BEA、British European Airways)と合弁し、現在のブリティッシュ・エアウェイズになりました。
・TV欄 KRテレビ 22:10「その人に会ってみよう」との番組があり、その紹介記事が掲載されています。在日ソ連代表部首席チフヴィンスキー氏を招き、千田是也が話を聞くとの内容です。新劇や歌舞伎などの日本文化について話とのことです。
 

4度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月15日(日)07時36分0秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の27枚目は、Randy Weston の Jazz A La bohemia、1956年10月25日の録音です。
よーく見ると、状況が分かりにくいジャケ写です。ランディさんが寄りかかっている建物は実物なのかも、怪しく思えてきます。一見普通で、でも怪しく不思議な点の一つがイスに座っている兄ちゃんです。屋外用の椅子は、折り畳みのための金具が外に剥き出しなので、廉価な品なのでしょう。それに座っている兄ちゃんも、実に廉価な身なりです。ポーズを決めているランディさんをスケッチしているようにも見えますが、絵心を全く感じさせない兄ちゃんです。
悪口はここまでとして、1999年4月28日に「今日の1枚」で本作品を取り上げた際に私は、「取っ付き易いモンク風の演奏という感じ」として、色々と感想を述べています。
アーメッド・アブダルマリクとアル・ドレアレスという渋い脇役を従えて、バリトン・サックスのセシル・ペインとのライブ演奏、久しぶりに楽しみます。
 

9度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月14日(土)07時42分14秒
  さてニーナさんの「イス ジャケ」作品。
重量感がありながら軽やかに流れるピアノ、歌手としての魅力は当然ながら、私が感じるニーナさんの魅力はこのピアノの響きも大きな動因です。そこにはタウンホールの音響効果も手伝っているのでしょう、至高の響きです。
ジャズに限らず私が女性歌手が演奏する楽器の音色に惹かれるのは、ニーナさんのピアノと、ジョニ・ミッチェルの生ギターです。
さてステージにあるイスの存在理由ですが、それは全く掴めないままに終わりました。タウンホールの近くに、ニッカボッカー・ホテルがあります。歴史あるこのホテルの重厚な建物は、タウンホール同様に国立史跡となっています。
ニーナさんは大勝負のこのタウンホールの舞台の前日に、家族をこのニッカボッカー・ホテルに呼んだのでは。そしてメインダイニングで食事をし、楽しい会話をし、その気持ちの延長という意味でそこのイスをステージに用意したのでは。
こんな妄想が浮かんだところで、今回の「つまみ食い」は落ち着いた気持ちで聴き終えました。
 

8度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月13日(金)07時00分45秒
  その前に、この作品が録音された1959年9月14日(月)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「五ー六百億は堅い、本年度の自然増収、予算補正の動きも活発」
岩戸景気による景気拡大の税収面での効果が、この時期に見えてきたとのことです。

読売「西尾氏、統制委への付託、社党大会第二日、深夜 本会議で可決、焦点 人事問題に移る」
この年の参院選で自民党に大きく離された(議席そのものは増えた)社会党の中には社共共闘の動きが出たが、西尾氏はこれに反発していた。この年の末には西尾氏は社会党を離れ社会クラブを結成、翌年には民主社会党を結成し、初代委員長に就任した。

朝日「月の引力圏に突入、到着の地域を予定、ソ連ロケット、四分 早まる」
このルナ2号は世界で初めて月面に到着した人工物となり、3週間後に打ち上げられたルナ3号は、月の裏側の撮影に世界で初めて成功しました。



ではこの9月14日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・1面に「フ首相 あす訪米、直ちにア大統領と会談」との見出しがあります。フルシチョフ首相とアイゼンハワー大統領の会談は友好的なものとなり、冷戦下の世界に一時的な「雪解け」をもたらしました。私はフ首相がアメリカの工場を視察した際に、工員(工場関係者かも)に自信の腕時計をプレゼントしている様子を、TVで見たことがあります。
・2面に「週刊新潮」の広告があり、「3つの特別レポート」の中に、「カメラの無いヌードスタジオ、お客の質が下がってきました」との記事宣伝文があります。
いろんなカメラ好きがおり、中にはカメラ愛好家の評判を下げる方々も多くいます。ただしこの記事は、売春防止法が前年に施行されたことによる、新たな性風俗と考えるべきでしょう。
・TV欄 日テレ 19:00からの「ファミリー・スコープ」は、「当世奇人気質」との題で、全国の「すね者」を取り上げる内容とのことです。まずネット上にはこの番組の情報は見当たりませんでした。すね者とは「ひねくれて他人と調和しない人。つむじまがり」意味ですが、私の周りでは「天邪鬼」や「ひねくれ者」との言い方は聴きますが、「すね者」とは聞いたことがありませんでした。
 

7度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月12日(木)07時32分56秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の26枚目は、Nina Simone の At Town Hall、1959年9月14日の録音です。(ジャケ記載データの翌々日)
マンハッタンのミッドタウンにあるタウンホールは、1921年に開業し、約1500人を収容できるホールです。その建物は国定史跡や歴史的建造物に指定されており、ミッドタウンの顔と言える存在です。様々な用途に使われ続けているホールですが、音響特性の素晴らしさから音楽ホールとしても有名なものです。
ここでのニーナ・シモンさんのライブ盤ですが、「つまみ食い」したイスはピアノ椅子ではありません。ピアノ椅子はニーナさんの白く長いガウンによって、ジャケにほとんど写っていません。その代わりではないのですが、ステージ中央後方に立派なダイニング・チェアが置かれています。それは一流ホテルのメインダイニングで使われるような椅子であり、ステージに置かれている理由は、私には想像できません。
本作品を「今日の1枚」で取り上げたのは2004年8月1日のことで、その際にはニーナさんの魅力をやたら長文で書いておりました。また2016年11月には「Summertime が収録されている作品」でつまみ食いし、その曲でのニーナさんの魅力を私は述べておりました。
今日は中央後方の椅子の存在理由を想像しながら、つまみ食いしてみます。
 

14度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月11日(水)06時22分1秒
  19590115-05
The Night We Called It A Day (Matt Dennis / Bert Kalmar)
(4分22秒)



【この曲、この演奏】
この曲名のように、中学一年生で習う単語でできた一文を訳すのは難しいものですが、資料14にあるように「私たちの関係が終わった夜」との意味合いなのでしょう。マット・デニスのこの洗練されたバラッド曲は、シナトラを筆頭に、カーメン・マクレエやクリス・コナーなどの多くのシンガーの素敵な歌が残っています。インスト系でこの曲を取り上げるのは少ないのか、資料14での代表的演奏に本セッションが含まれています。
ハンク・ジョーンズの人間関係のドロドロを表現するかのような出だしですが、すぐにミルトのヴァイブが大人の愛の終わらせ方を感じさせるように、悲しみを緩和させる演奏を披露しています。コルトレーンもしっかりとソロを決めていますが、ミルトの引き立て役を心得た演奏です。





【エピソード、アーテガン兄弟とコルトレーンの出会い】
アーメットは長身で、山羊ひげを生やし頭は禿げていた。ネスヒの方は背が低く、白髪まじりの男で、鉄道の信号のように両湾を振る癖があった。彼らの事務所と録音スタジオはその当時、西五六丁目のブロードウェーと八番街の中間にあった。コルトレーンが彼らと別れてから二年後の一九六三年に、会社はブロードウェーの一八四一番地に移転した。
ジョン・コルトレーンの存在に気づいたのは、ネスヒ・アーテガンの方だった。
ネスヒが初めてコルトレーンの演奏を聴いたのは、一九五六年に彼がマイルスと一緒にカフェ・ボヘミアに出演していた時だった。その時のことを彼は次のように語っている。
「コルトレーンの演奏は、それまでに製作された彼のレコードの演奏をはるかに超えていた。彼の音楽は、バンドの他のメンバーものとはまるで違っていたように思た。独奏の構成、高度の和声学、奇妙な音符の重ね方、演奏の速度・・・そのいずれもが興味をそそられるものだったが、一度演奏を聴いたぐらいではすべてを理解することはできなかった」(資料01)
 

13度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月10日(火)07時20分37秒
  19590115-04
Three Little Words (Harry Rudy / Bert Kalmar)
(7分30秒)



【この曲、この演奏】
「Four Letter Words」は使うのをはばかれる四文字言葉ですが、「Three Little Words」になると一転して、誰もが何回か決意を固めて使った言葉、「I Love You」となります。
資料14 によればこの曲は、エリントン楽団も出演した1930年の映画「チェック・アンド・ダブル・チェック」で、ビング・グロスビーが歌ったものです。その後はレスター・ヤングやソニー・ロリンズが取り上げ、有名曲とは言えないのですが、ジャズファンの記憶の片隅に残っている曲です。
この曲の演奏記録は、コルトレーンは本セッションのみ(資料06)、ミルトは1980年のライブでこの曲を取り上げています(資料08)。
このような鼻歌系の楽しい曲では、ミルトのノリの良さがたっぷりと味わえ、またコルトレーンもその楽しさに乗っかっています。ただしイメージの膨らませ方には違いがあり、コルトレーンの高速と、あくまで楽しく聴かせる範囲のミルトの速度感には、少なからずズレがあります。ただしこの曲ではそれが、個性のぶつかり合いと感じられる範囲のものと言えます。




【エピソード、アーテガン兄弟のアトランティック】
ネスヒとアーメット・アーテガンは、全駐米トルコ大使の息子である。二人ともジャズ愛好者であると自認していたが、ある日曜日の午後、トルコ大使館で異人種同士のジャム・セッションを開いて、お固いワシントンの外交界を驚かせたりした後、一九四八年にアトランティック・レコード会社を設立した。設立資金の一万ドルは、ある好意的な歯科医から借りたものだった。一九六七年、彼らはその会社を二千二百万ドルでワーナー・コミュニケーションに譲渡して、綿密に仕事の計画を立てて実施すれば、ジャズは充分ペイするものであることを実証した。彼らが最初に手がけたのはシンガーのルース・ブラウンだった。彼らがブルースに強い親近感を抱いていたからだ。だが、彼らの名前が一番よく知られたのは、プレスティッジの初期の何枚かのレコードと、ビートルズの不運なアップル・レーベルから発売された後期の数枚のレコードを例外として、モダン・ジャズ・カルテットと契約を結び、彼らがレコーディング作業をやめるまで契約を継続させたことである。(資料01から。この資料は1975年に発行されたもの)
 

10度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月 9日(月)04時59分30秒
  19590115-03
Bags & Trane (Milt Jackson)
(7分27秒)


【この曲、この演奏】
このひねりと工夫を織り込んだ曲は、ミルトがこのセッションのために準備したものだと思います。演奏記録としてはミルトも(資料08)もコルトレーンも(資料06)も、本セッションだけです。
深遠な広がりを感じさせるミルトの演奏には、このセッションとこの曲への意気込みを感じさせるものがあります。やはりこのセッションのリーダーは、ミルト・ジャクソンだと感じさせるものです。コルトレーンの演奏には、彼が積み重ねてきた独特のフレージングが十分にいきたものであり、またこのセッションをいいものに仕上げたいとの意思が感じられます。
そうでありながら、ハンク・ジョーンズの短いソロを聴いていると、コルトレーン抜きならどういう演奏になったかと考えてしまします。
最後のミルトとコルトレーンの4小節交換における二人の色合いの違いは、聴き手は素直に楽しむべきでしょう。




【エピソード、録音技師 Tom Dowd】
アトランティックから発売されたコルトレーンのリーダー作品は8作あるが(後年の未発表系は除いて)、その7作品の録音技師はトム・ダウドである。3作品はトム・ダウドが単独でクレジットされており、他の4作品はPhil Iebleと共同でクレジットされている。(因みにトム以外での1作品はole であり、録音技師はPhil Ramone)
録音技師との面でコルトレーンを見ると、ルディ・ヴァン・ゲルダーのプレスティッジ時代、トム・ダウドのアトランティック時代と言える。そのトム・ダウドについて、ウィキペディアにある経歴は、次の通りだ。
コンサート・マスターの父とオペラ歌手の母との間に、トム・ダウドは1925年にマンハッタンで生まれ、幼少期にはピアノ、チューバ、バイオリン、ベースを弾いていた。彼はやがてコロンビア大学に進み、そこではバンド演奏を行っていましたが、物理教室に所属していた。18歳で彼は軍曹の階級で徴兵され、マンハッタン計画にも関わった。
戦後には彼はクラシック音楽のレコーディング・スタジオで仕事をしながら、アイリー・バートンのヒット曲を手がけ、すぐに録音技師として先頭を走るようになった。
その後も数多くのミュージシャンを手がけ、また音楽プロデューサーとしても活躍した。
アトランティック・レーベルに所属していた正確な時期はウィキペディアにはないが、同レーベルを一流レーベルにしたことに彼は大きく関わっていたようだ。因みに彼が関わったミュージシャンとして、次の名前がウィキペディアに掲載されている。

Bee Gees, Eric Clapton, Lynyrd Skynyrd, Black Oak Arkansas, Derek and the Dominos, Rod Stewart, Wishbone Ash, New Model Army, Cream, Lulu, Chicago, the Allman Brothers Band, Joe Bonamassa, the J. Geils Band, Meat Loaf, Sonny & Cher, the Rascals, the Spinners, Willie Nelson, Diana Ross, Eagles, the Four Seasons, Kenny Loggins, James Gang, Dusty Springfield, Eddie Harris, Charles Mingus, Herbie Mann, Booker T. & the M.G.'s, Otis Redding, Aretha Franklin, Joe Castro

勿論、コルトレーンもその一人である。
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月 8日(日)06時03分3秒
  19590115-02
The Late Late Blues (Milt Jackson)
(9分36秒)



【この曲、この演奏】
ミルト・ジャクソン作によるこのブルース・ナンバーを、本セッションの2曲目に持ってきました。コルトレーンの演奏記録は本セッションだけ(資料6)ですが、作者ミルトの演奏記録も本セッションだけ(資料8)です。恐らくは即興で用意した曲なのでしょい。
この曲名ですが、何故に「late」を重ねているのか、何か深い意味があるのかと考えましたが、「最新の収穫遅れのブルース」との意味かと思いながら、それでは意味不明だと自嘲した次第です。
さて演奏ですが、こちらは明快であり、ドライブ感が爽快なブルージーな演奏です。1曲目の演奏のぎこちなさを反省したのか、攻めに転じたミルト・ジャクソンがいます。それを受けて立つコルトレーンは、高音から低音までジェットコースターのように飛ばすような演奏です。これがミルトを始め、他のメンバーとも相性が良い展開を聴かせています。
プロデューサーの意図とは違う方向に進み始めたこのセッションの、面白味が感じられる演奏です。



【エピソード、共演メンバー】
本セッション参加メンバーとのコルトレーンの共演歴は、資料06によれば次の通りである。
ミルト・ジャクソンとの共演歴は9回となっているが、本セッション以外では1950年から1951年にかけてのガレスピーのもとでの共演であり、その中の幾つかの演奏は世に出ている。またこの中には、ミルト・ジャクソンがピアノも弾いたセッションが二つある。
ハンク・ジョーンズとコニー・ケイとの共演歴は、両者共に本セッションだけとなる。
因みにポール・チェンバースとの共演歴は90回ほどとなる。
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月 7日(土)07時05分59秒
  19590115-01
Stairway To The Stars (Matt Malneck, Frank Signorelli & Mitchell Parish)
(3分32秒)



【この曲、この演奏】
アトランティックのコルトレーン、最初の曲はポール・ホワイトマン楽団で有名になった曲で、もともとは「パーク・アベニュー・ファンタジー」との曲名で1935年にインスト曲として世に出たものです。それに詩がついた1939年には、エラ・フィッツジェラルドがレコーディングした曲です。(資料14)
この曲が邦題で扱われる時には、「星へのきざはし」となります。階段ではなくきざはし、同じ意味ですが、こちらの方が物語が広がるような気がします。
資料06によればコルトレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。ミルト・ジャクソンはこの曲を、1961年にウェス・モンゴメリーとの共演盤で取り上げています。
優しい気持ちになるメロディを、ミルトもコルトレーンも大切にしながら演奏しています。しかしその色合いは、異なったものです。コルトレーン登場までのミルトを中心とした演奏は、この手の曲の演奏の王道といったものです。その後に登場するコルトレーンの演奏は、曲の持ち味を大切にしていますが、強い気持ちをぶつけているような演奏です。この曲だけだと、ミルトとコルトレーンの共演が成功したとは、またコルトレーンの初セッションが良いものになったとは、なかなか言いがいたいものを感じます。
この演奏は「bags & trane」には収録されずに、1970年発売の未発表曲集「The Coltrane Legacy」に収録されました。





【エピソード、本セッション】
コルトレーンのアトランティックとの契約は1959年4月からだが、最初のレコーディングは1月に行われた。アトランティックが用意したのは、ミルト・ジャクソンとの双頭セッションであった。
MJQは1956年からアトランティックの看板となっており、またミルト・ジャクソンの個人活動も1956年から1961年頃まではアトランティック・レーベルで行っていた。MJQでの色合いとは違い、ソロ活動でのミルト・ジャクソンはブルージーで明るい演奏が持ち味であり、また様々なミュージシャンとの共演を行っている。アトランティックのカタログを眺めるだけでも、レイ・チャールズ、コールマン・ホーキンス、そしてクインシー・ジョーンズとの共演作を残している。
このミルト・ジャクソンの共演を最初のセッションに選んだのは、アトランティックの共同オーナーであり、本セッションのSupervisionとしてクレジットされているネスヒ・アーディガンであろう。間口が広いミルト、そしてブルース&バラッドを得意露するミルトにコルトレーンとの共通性を見て、最初のセッションはコルトレーンに肩肘貼らずに演奏させようとしたのだと思う。
私の感想としては、セッションの意図としては正解であったのかと思う。
本セッションでは8曲が収録され、その中から6曲をアルバム「bags & trane」として発売した。それは録音から2年を経過した1961年のことであった。
 

5度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月 6日(金)06時23分42秒
  19581226-06
Time After Time (Styne - Cahn)
(7分45秒)


【この曲、この演奏】
本セッションの最後の演奏、すなわちプレスティッジでのコルトレーン最後の演奏は、有名スタンダードでした。
曲名は再三再四、何度も何度も、といった意味で、「あなたを愛することはとても幸せだ、と何度も私自身に言う」といった内容の歌詞を持つ曲で、1947年の映画「下町天国」でシナトラが歌った曲です。(資料14)
さて演奏ですが、ワン・ホーン・カルテットでスタンダードを演奏するコルトレーンに、このレーベルでの三年間で成熟していった姿を感じます。さらっと流した演奏でもありながら、このレーベルへの感謝を込めているようにも感じます。そして演奏を共にしているガーランド、チェンバース、テイラー、盟友と言えるこの三人への感謝も感じられる演奏となっています。




【エピソード、A.ブルームのインタヴュー、1958/6/15、その20】
(JC=ジョン・コルトレーン、AB=オーガスト・ブルーム)(資料04)

(ここで、ブルームの妻と思われる女性が会話に入ってきて、もう夜の六時だから、すぐにコルトレーンをクラブに連れていかないと、七時からマイルス・デイヴィス・クインテットのステージに間に合わないと二人に告げる。彼らは出発の準備に取りかかる。ブルームが会話を録音していることを知らなかったコルトレーンは、このとき、テープレコーダーが回っていることに気づく)

JC せっかくうまく喋れていたのに・・・こいつが回っていたのかい?

AB ああ。

JC うまく喋れていたんだよ、こいつに気づくまでは(笑)。まさかテープが回っているとはね。

AB (録音テープを)クラブハウスに持っていって、次の会合でクラブの他のメンバーに聴かせてやろうと思ってね。こいつを聴いたら、きっとみんな興奮する。今まで知られていなかった・・・。

JC まあ・・・

AB ・・・君のいろんな側面が見えてくるから。今までよりもずっとね。

JC かもしれない。ただ、何か役に立つことを話したかったな。その、気の利いたことを(ブルームが笑う)。最後は他のミュージシャンみたいに、「スウィングし続けろ」とかそんな言葉で締めくくるとするよ。

AB 実はもう一つ考えがある。録音中、君はいろんなことをとても自然に話してくれていた。だから考えたんだ。君さえ良ければ、こいつを私がじっくり聴き直した上で、会話を書き起こして、「ダウンビート」誌に送ろうかって。そうしたら君の特集記事が組まれる。あの雑誌としては初の試みだからね。

JC そういうことなら・・・中身のあることを言っておきたいな。自分が本当に言いたいことを。だからちょっとリサーチして、確固たる議題を見つけたい。ジャズについてとか、そういった本物のテーマを。そしたら、そのことを掘り下げて話せるだろうし。もしそのテープを雑誌社に送るって言うなら、その、どうしても送りたいなら・・・私にも確認させてくれ(笑)私にも見せてくれよ(笑)。

AB よし、じゃあこうしよう。私が会話を書き起こすから、君の住所を教えてくれ。

JC 分かった。

AB それから、こいつを紙に書き起こして君に郵送して・・・(聞き取れず)。君さえよければだけど。

(テープはコルトレーンが住所を書いている間もしばらく回り続ける。ブルームが「ファイヴ・スポット気付で君にクリスマス・カードを送った」とコルトレーンに告げ、コルトレーンは「受け取ったと思う」と答える)
 

8度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月 5日(木)06時52分50秒
  19581226-05
Goldsboro Express (John Coltrane)
(4分44秒)



【この曲、この演奏】
ゴールドソボロとはノース・カロライナ州にある街ですが、コルトレーンの生誕地のハムレット、そして育ったハイポイントとは、距離がある街です。東西に長い同州の、コルトレーンゆかりの土地は西側で、ゴールドソボロは東側になります。この土地とコルトレーンの関係について各資料をあたりましたが、その記述はありませんでした。「Goldsboro Express」との曲名なので、鉄道に関わる意味なのでしょうか。
コルトフェーン作のこの曲の自身の演奏記録は、本セッションだけです。(資料06)
資料11によればこの曲は、「インディアナのコード・チェンジに則った即興演奏である」としています。
さてピアノレスでの演奏ですが、コルトレーンとテイラーの魂のぶつけ合いが5分間近く続きます。4小節のぶつけ合いは、本セッションとその前のセッションでは肩の力を抜いていたのに対して、ここでは本音をぶつけ合っているようです。もう少ししたら新しい環境が待っているコルトレーン、その予兆を感じさせる演奏です。




【エピソード、A.ブルームのインタヴュー、1958/6/15、その19】
(JC=ジョン・コルトレーン、AB=オーガスト・ブルーム)(資料04)

JC それとパーキンス。彼については演奏スタイルをよく知らない。アルバム自体、あまり聴いたことがない。主にどういうスタイルなんだい?

AB そうだな。レスター(・ヤング)に影響を受けているようで・・・

JC レスターか。

AB そう、パンチがある。スタン・ゲッツもちょっと入っているな。ハービー・スチュワード風でもある。ああいった系統だよ。どれも根っこはレスターがある。

JC ああ。

AB 他と比べて彼の音はちょっと独特かな。

JC バリ(バリトン・サックス)は吹くのかい?

AB いや、吹かないと思う。

JC そうなんだ。

AB 彼を聴くのは、ちょっと他とは違う感じなんだよ。例えば・・・

JC ソニー。

AB そう、ソニーとかを聴くのとは違う。ああいった、東海岸の優れたテナー奏者を聴くのとは。

JC まあ、彼らもきっと良いんだろうね。

AB 皆、とても優れたプレイヤーだよ。

JC ああ、そう思うよ。

AB ただ、つい考えちゃうのは、彼らのプレイをレコードで聴くことはあっても・・・これは君もそうだと思うけど、ライブで聴くチャンスがなくってね。

JC ああ。

AB アルバムは何枚か聴いたことがある。聴いた感じでは、よく練り上げてはいるんだけど、ソロになるとすべて予定調和というか・・・自然発生的なものがないんだ(聞き取れず)。一瞬の輝きというものが。そういうアルバムが多いな。

JC なるほど。

AB ソロイストが誰であれ、全体の構成をじっくり考えてあるから、どういうプレイをするか分かってるんだ。だから、ミスも最初から起こり得ない。

JC aa.

AB モンクのやつを覚えてるだろう? アルバムのどの曲か忘れたけど、君が(コールマン・)ホーキンスなんかとやったやつだ。

JC あれか。

AB 君がソロに入るのを忘れて、モンクが「コルトレーン、コルトレーン」って叫ぶんだ。

JC (笑)そうだった。

AB 私にはそういったものが、偉大なる音楽を生み出すっていうか。ミスが生まれる瞬間があるからこそ、素晴らしい瞬間が生まれるんだ。あのホーキンスだって、あの曲ではミスをしていた。

JC そうだな、まあ(笑)。ああいうのを毎回やるのはお勧めできないけど。頻繁にはやらないほうがいい。

AB もちろん。けど、あれは一例というかさ。

JC あれは確かに自然発生的だよ、兄弟(笑)。

AB 思うに、君はモンクのプレイに意識を集中していたんじゃないかな。

JC そうだな。それについて言うと、あれが起きたのは最初の頃だ。彼とはプレイ経験も浅かったから、本当に面食らったよ。(レコーディング中)何度も慌てふためいた。まだ彼のことが分かっていなくて、コード進行とかそういったことに慣れていなかったんだ。ただ、時間と共に慣れていった。慣れたら慣れたで、モンクは本当に得体のしれないことをやってくる。彼とプレイするときは、一瞬たりとも気が抜けない。彼がそういったのが好きなんだ。神経を常に“ピリピリ”尖らせておくのさ(ブルームが笑う)。モンクとしばらくやっていると、そういうのがだんだん楽しくなってくる。ただ、最初は怖かったな。
 

10度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月 4日(水)07時20分39秒
  19581226-04
Bahia (Ary Barroso)
(6分16秒)



【この曲、この演奏】
資料05ではこの曲について触れていますので、引用します。
アフリカ西海岸を出発する奴隷船は、貿易風と海流に乗って大西洋の対岸にある南北アメリカとカリブ諸国へ向かう。北米ニューオリンズと共に奴隷船着岸地の代表のひとつが、南米ブラジルのバイーヤ(現・サルバドール)であった。バイーヤもダカール同様、現在はユネスコ世界遺産のひとつとして知られている。
原曲はブラジルの作曲家アリ・バローゾが1938年に作詞作曲したサンバである。ディズニーのアニメーション「三人の騎士たち」(1944年)の挿入歌としても親しまれている。
コルトレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。
原曲はサンバとのことですが、ここではラテン調にアレンジされております。そのことはコルトレーンのサックスの、より一層アグレッシブな追及に寄与しています。自分が生まれ育った地とは全く異なる土地だけど、自分のルーツでもある土地、そんなことの思いが感じられる演奏です。




【エピソード、A.ブルームのインタヴュー、1958/6/15、その18】
(JC=ジョン・コルトレーン、AB=オーガスト・ブルーム)(資料04)

AB バド・パウエルとはやったことがないんだね。

JC 共演はしたことがあるが、バンドを組んだことはない。彼とは確か、一度だけ、ギグで共演したはずだ。四九年頃、マイルスはニューヨーク、アップタウンの、ブロードウェイをずっと北に行ったところにあるオーデュポン(訳注=ハーレムにあるオーデュポン・ボールルームのこと)で、例のダンス音楽の仕事をやっていた。で、そうしたギグの一つに、ソニー・ロリンズにバド、アート・ブレイキー、それになんとかってベース奏者と私が参加したことがあったんだ。で、ダンス音楽をやった。バドと組んだのはこれっきりだ。いい演奏だったよ(監修注=ソニー・ロリンズの記憶では、ドラムはケニー・クラーク)。
(マハール注=資料06ではコルトレーンとバドの共演は、1952年で月日は不明、場所はこのインタヴューにある通りのオーデュポン・ボールルーム、メンバーはマイルス、ロリンズ、バド、ブレイキー、そして多分パーシー・ヒースとなっている。また演奏曲は不明とのこと)

AB すごいな!

JC ソニー・ロリンズ。最近の彼は聴いてみた?

AB 最後に聴いたのは確か、九月だ。去年の九月。彼のライブ・アルバムを聴いた。「ヴィレッジ・ヴァンガードの夜」を。

JC ああ。

AB エルヴィン・ジョーンズと演ってたな。ベース奏者の名は忘れた。ドナルド・ベイリー(ドラマー)もプレイしていたと思う。私が観たコンサートでは、彼は確か、ウェンデル・マーシャル(ベーシスト)と演っていたはずだ。

JC ああ、ソニーは」間違いなく、巨匠と呼ばれるミュージシャンの一人だ。(聞き取れず)彼は“巨匠”の座に登りつめた。

AB ビル・パーキンスとか、リッチー・カミューカのようなテナー奏者はどう思う? あまり好きな言葉ではないけど、いわゆる“ウェストコースト組”のミュージシャンたちは?

JC 意見を言えるほどじっくり聴いたことはないな。だから何とも言えないが、リッチーのことはよく知っている。彼も私も、フィラデルフィアで芽が出たミュージシャンだから。そういうわけで、一緒にプレイする機会はいつでもあった。彼が(スタン)ケントンと一緒にやるようになってからは、一度くらいは聴いたかもしれないが、彼はあまり即興演奏をしないから、バンドでいくつかソロをとるだけで、彼のそういったスタイルは好きだけどね。

AB なるほど
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月 3日(火)06時35分24秒
  19581226-03
Something I Dreamed Last Night (Yellen - Magidson - Fain)
(10分50秒)


【この曲、この演奏】
マイルスやジュリー・ロンドンが取り上げている曲ですが、有名曲ではなく、資料14にも掲載されていません。
マイルスが取り上げたのは1956年5月11日のマラソン・セッション初日のことで、その演奏は「スティーミン」に収録され、この素敵なバラッドを多くの人々に届けました。しかしながらその際にはコルトレーンは演奏に入れず、従ってコルトレーンのこの曲の演奏記録は本セッションだけとなります。
3曲続けてのバラッド演奏ですが、コルトレーンのサックスの泣き方は実に良い塩梅で、切なさ哀しさを表現しながらも、決して過剰になっていません。そこにガーランドが見事に寄り添い、ハバードが香辛料を振りかけるあたりも、お見事です。
この時のコルトレーンには2年半前のマイルス・バンドでのことの意識は無かったのでしょうけど、聴く方はそこの所を深読みしてしまいます。



【エピソード、A.ブルームのインタヴュー、1958/6/15、その17】
(JC=ジョン・コルトレーン、AB=オーガスト・ブルーム)(資料04)

AB ホッジスとも演ったの?

JC ああ。

AB いつの話だい?

JC 1953年だ。

AB 期間は? そいつは知らなかった。

JC 六、七ヶ月だ。確か。

AB 本当に? 他のメンバーは?

JC ピアノがリチャード・パウエル。それにローレンス・ブラウンとエメット・ベリーだ。(ブルームが何かもごもごと言い、それを聞いたコルトレーンが笑いながら、何かもごもご言う)それからドラムのジミー・ジョンソン。ベース奏者は名前が出てこないな。

AB 驚いたな。君がホッジスとやっていたなんて。

JC ああ、やっていたとも。

AB いい刺激になったんじゃない?

JC 楽しかったよ。とても楽しかった。“真の音楽ってやつを何曲かやったな(笑)。ローレンス・ブラウン。彼のことが大好きでね。とてつもないトロンボーン奏者だ。エメット・ベイリーにも感銘を受けた。それにジョニー・ホッジス。それからアール・ボステックもある意味、とんでもないミュージシャンだ。最初はアールのようなミュージシャンの良さが分からなかった。チャーリー・パーカーを聴くまではね。チャーリーには価値観を大いに揺さぶられたが、しばらくして彼の魔法の影響から抜け出すと、他のミュージシャンも聴くようになった。それに、彼らとのプレイから学ぶことも多いと分かったんだ。大事なのは、物事がどうなっているのか理解しようとすることだ。彼らがどうやって・・・(聞き取れず)まったく異質なプレイをするミュージシャンがいて、君はこう言う。「あれは誰々だ、どこかで聴いたことがある」。で、また他のミュージシャンを聴いて「あれは誰々だ、どこかで聴いたな」とか言う。それから座って、彼らのルーツみたいなものをたどってみると、分かったりする訳だ。彼らも結局は大樹の枝にすぎず、すべては一本の線でつながっているんだとね。だから、今の私は、ジャズをそういうふうに捉えるようになった。俯瞰的に、全体を見るんだ。
ジョニー・ホッジスの後はマイルスだな。次に彼とやった。マイルスのバンドに入る前の数週間は、ジミー・スミスとも仕事をした。オルガン奏者の。

AB 彼は素晴らしいね。

JC そのとおり!(ブルームが笑う)真夜中に目が覚めると、彼のオルガンが聴こえてくるんだよ(笑)

AB (笑)そいつは悪夢だ。

JC ああ、まさに。彼のレコードが悲鳴を上げているんだ。
 

8度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月 2日(月)06時01分58秒
  19581226-02
Then I'll Be Tired Of You (Harburg - Schwartz)
(9分29秒)



【この曲、この演奏】
この曲も資料14には掲載されておりませんが、ナット・キング・コールやエラなどが取り上げているバラッドです。
コルトレーンの演奏記録は、本セッションだけです。
資料06に、本セッションのワインストックのログ・ブックが掲載されています。それには、最初はこの2曲目を「All Through The Night」と記載しています。また書き直しについては「I'll Be Tired Of You」と、「Then」を省いて記載しています。
さらに資料06では、この曲は3テイクあるとのことです。最初は途中で中断、2回目が採用された演奏、そして3度目は6分54秒の演奏でその一部が採用された2回目に挿入されているとのことです。ちなみに1回目と3回目は、最終的には消去されたとのことです。
「コルトレーンの郷愁をそそるバラード・プレイが印象的」と資料09にありますが、コルトレーンのみならず、ガーランドもハバードもノスタルジアを感じる演奏です。私の想像ではこの演奏に際してメンバーは、タイトルの「You」を特定の人ではなく、今自分たちが身を置いているショー・ビジネスの世界に置き換えているのではと思いました。自分たちは純粋にジャズを演奏したくこの世界に入ったのだけれど、そこには契約だ何週間拘束だとのことが付き纏い、なかなか思い通りにはいかない、そんな中で純粋にジャズに心寄せている自分を思い返すような演奏に聴こえました。




【エピソード、A.ブルームのインタヴュー、1958/6/15、その16】
(JC=ジョン・コルトレーン、AB=オーガスト・ブルーム)(資料04)

AB マイルスとの前は、つまりレッドとポールとフィリー・ジョーと組む前は、どんなミュージシャンとやっていたんだい? 共演したミュージシャンを挙げてくれる?

JC えっと・・・全員ってことかい?(笑)

AB (笑)もし、お望みなら(笑)。

JC 参ったな、ええと・・・。

AB 一つだけ確かなのは、君が半端じゃない数のミュージシャンと共演してきたってことだ。

JC ああ、そうだな。

AB それも何年にも渡って、人脈を広げてきた。

JC ああ、まあね・・・

AB なら、こうしよう。今から十五年前の1944年頃、君はミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた。

JC ああ。

AB プロとしての最初のギグは、誰と演ったんだい?

JC そうだな・・・自分では、ジョー・ウエッブのインディアナポリスのバンドが、プロとしての最初の仕事だって思っている。四七年(*)のことだった。ブルース・シンガーのビッグ・メイベルがいたバンドだ。このバンドは・・・うまく説明できないが、リズム・アンド・ブルースというか、何でもありのバンドだった(笑)。あれはどういうバンドだったんだろうな。とにかく、あのバンドが最初だった。それから、キング・コラックスとも演った。トランペット奏者の。あとはエディ・ヴィンソン、ディジー、アール・ボステック、ゲイ・クロッシ・・・

AB 誰だい?

JC ゲイ・クロッシーだ。

AB 聞いたことがないな。

JC クリーブランド出身で、小さなバンドを組んでいた。その前はルイ・ジョーダンのバンドに入っていて、彼のバンドは・・・彼のコンボはルイのバンドを手本にしていた。ルイのように歌えてサックスも吹ける。それから、ディジー・メイ率いるヘップキャッツ。

AB それも初耳だ。

JC (聞き取れず、おそらく「たいしたバンドじゃない」と言っている)それに、ジョニー・ホッジス。
 

9度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 3月 1日(日)07時56分44秒
  19581226-01
Do I Love You Because You Are Beautiful ? (Rodgers - Hammerstein)
(5分12秒)



【この曲、この演奏】
「マイ・フェイヴァリット・シングス」と同じ作者によるバラッドですが、資料14には記載されてなく、恐らくはガーランドの“メモ帳”からの曲でしょう。
抒情的な曲に、コルトレーンは艶冶で神秘な雰囲気を加えて演奏しており、聴き入る音色と共に酔える演奏をしています。ガーランドのシングルトーンは、抒情的な曲に憂いを加えており、これもさすが。ハバードは切れ味の良さで演奏しています。三者三様の演奏ながら一体感があり、このあまり取り上げられない曲を楽しんでいるようです。



【エピソード、本セッション】
コルトレーンのプレスティッジにおける最後のセッションである。コルトレーンは、1955年のマイルス・バンドへの参加によるマラソン・セッションから始まり、1957年4月からのプレスティッジとの2年契約以降もあり、コルトレーンの実質的なプロ活動開始の3年間の30回近くのセッションをプレスティッジで行なってきた。
このセッションも前回(1958年7月11日)のセッションと同様に、プレスティッジとの契約をこなすためのセッションと言え、本セッションでは6曲演奏され、後年に3枚のアルバムに分散されて世に出た。
さてメンバーであるが、リズム陣にはコルトレーンのプレスティッジ期の盟友といえる、ガーランド・チェンバース・テイラーの3人が参加している。また3曲にはトランペット奏者の、フレディ・ハバードが参加している。
資料06によれば、コルトレーンとハバードの共演記録は5回となっている。
最初が本セッションであり、2度目は1959年にバードランドにおけるコルトレーンのライブである。3度目は1961年5月23日の「アフリカ・ブラス」のレコーディング、4度目はその二日後の5月25日の「オレ」のレコーディング、そして最後は1965年6月28日の「アセッション」のレコーディングである。この共演歴をみるとハバードは、プレスティッジ、アトランティック、そしてインパルスのコルトレーンのリーダー作品で共演したことになる。この意味で言えば、コルトレーンが契約した3レーベル全てのリーダー作で共演したのは、ハバードだけかもしれない。(後で調べます)
話を本セッションの共演者に戻すと、一部の曲においてドラム奏者はジミー・コブとの記述が資料09にある。本セッションを含む最後の3セッションにおいて、ジミー・コブとアート・テイラーの記載違いが幾つかの資料にみられる。ここでは資料06を正と考えて掲載している。
いつもの金曜日のヴァンゲル・スタジオでコルトレーンは6曲をレコーディングした後、再びプレスティッジで演奏することはなかった。
 

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