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15度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年11月 3日(日)08時08分58秒
  19571220-04
Two Sons (Ray Draper)
(5分23秒)


【この曲、この演奏】
ドレイパー作の曲で、コルトレーンの演奏記録は本セッションだけです。(資料06)
昭和の歌謡曲の匂いのするテーマで、心惹かれるメロディを、チューバとテナーで仲良く演奏しております。最初のソロは何とピアノのコギンズですが、マイルスに声を掛けられるだけあって、無難に大役を果たしています。そしてドレイパーからコルトレーンとソロが続くのですが、何ともその対比の妙味に聴き入ります。資料09ではこの対比を「コルトレーンの小気味良いテナーが出てくると、カタルシスを覚えてしまうのは、ドレイパーには可哀そうだがやむを得まい」とあります。ジャズ喫茶でしかめっ面で聴くならこのコメントに頷けますが、自宅で気軽に楽しく聴いていれば、ドレイパーの存在も味のあるものとなります。



【エピソード、ボスティックからの学び】
「サキソフォンはプラスチック製ではない。簡単に形を変えることはできない。となれば答えは一つ、君の指を変えることだ」
コルトレーンはボスティックにいろんなことを質問し、ボスティックは時間の許す限りその質問に答えた。またコルトレーンの指が並の人間よりはるかに長いことから上記のことを言い、サキソフォンのそりに合わせて指を曲げる奏法をコルトレーンに教えた。
楽旅での車移動の際にはボスティックが運転していたが、そこでもコルトレーンはボスティックに質問を浴びせていた。
「手帳をよこしな。この先の断崖絶壁から真っ逆さまに転落する前に、君の知りたいコード変化のことを書いてやるから」
こう言われてコルトレーンはようやく質問を止めるほどであった。(資料1)
 

14度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年11月 2日(土)07時47分36秒
  19571220-03
Filide (Ray Draper)
(7分14秒)


【この曲、この演奏】
引き続き、ドレイパー作の曲です。コルトレーンの演奏記録は本セッションだけの曲ですが(資料06)、資料09によればマクリーンのリーダー作「ファット・ジャズ」でも取り上げられた曲とのことであり、またマックス・ローチの作品でも取り上げられています。
マイナーな悲しげなこの曲は、多くの人が心動かされるメロディなのでしょう。テーマでのテナーとチューバのアンサンブルが心憎い雰囲気を出し、それに続くコルトレーンのソロもテーマから刺激されてのもので、このセッションでのコルトレーンの快調な様子が伺えます。続くドレイパーのソロも、かなりの頑張りを見せています。
曲名はギリシャ神話の登場人物のフィリスのことのようで、神話での悲しき物語が、この演奏から聴こえてきます。




【エピソード、ウォーキン・ザ・バーからの脱却】
リズム&ブルースを演奏しながらのミュージシャンとして屈辱的なことを要求されうバーの仕事は、生活費を稼げて、しかもその屈辱を酒で紛らわすこともでき、そこに身を沈めていた多くのミュージシャンにとってはなかなか抜け出せないことであった。
コルトレーンもそんな仕事からなかなか抜け出せなかったが、1952年に抜け出すチャンスを得たのは、これまた人の出会いであった。
アルト・サックス奏者のアール・ボスティックは、1951年に「フラミンゴ」を大ヒットさせ、常に自分のバンドを抱えられる仕事と現金を得ていた。
1952年初めにコルトレーンはボスティックのバンドに参加した。その理由は”クリーンヘッド”ヴィンソンに雇われた時と同じく、自分の選んだ楽器についてもっと多くのことを学び、偉大なサキソフォン奏者と一緒にするためであった。さらにコルトレーンにとって嬉しかったのは、ボスティックが良い条件を出してくれたことであった。
ボスティックのバンドのピアノ奏者は、ジョー・ナイト出会った、コルトレーンはすぐにナイトと仲良くなった。コルトレーンのソロの際には、ナイトは演奏し易いコードをうまくつけてくれた。また二人はボスティックの音楽について、彼らなりの研究をしていた。そんな中でコルトレーンはハーモニーにますます関心を抱き、そんな彼にナイトはピアノをできるだけ勉強するようにすすめた。このことはコルトレーンに、「調律された音階とピアノは十八世紀に生まれたもので、ヨーロッパ音楽のハーモニーの源泉である」ことを思い出させた。
またコルトレーンとナイトは、大酒飲みでも同じであった。
 

14度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年11月 1日(金)07時55分51秒
  19571220-02
Clifford's Kappa (Ray Draper)
(9分16秒)


【この曲、この演奏】
レイ・ドレイパー作の曲で、コルトレーンの演奏記録は本セッションだけです。
曲名の意味を考えてしまいます。先ずは「kappa」ですが、ネットで調べたところこれはスラングで「皮肉」「冗談」を含ませる意味の言葉とのことです。例えば「You’re handsome kappa」とあれば、「君はハンサムだねという賛辞ではなくただの煽り」とのことです。
では「Clifford」は何かと言えば名前(1stネーム)で使われ、ジャズ界に何人もいるのでしょうけれど、一般的にはブラウニーのことになるのでしょう。
しかし「ブラウニーの皮肉」となると何を言いたいのか分からず、そもそも前提付きな訳ですから、これ以上に考えるのは意味のないことでしょう。
さて演奏ですが、チューバという楽器をソロで使うにはその表現方法に限りがあり、どうしても朴訥とした演奏になってしまいます。ドレイパーは天才と言われていただけのことはあり、またプレスティッジがリーダー作を用意しただけに、このソロには向かない楽器を上手く使いこなしていますが、そこには楽器の限界があります。そんなチューバのドレイパーに寄り添うコルチレーンはドレイパーの演奏を意識して、いつもより緩やかな演奏をしています。
ミドル・テンポの楽しい曲を聴きながら、ドレイパーとコルトレーンの演奏風景を思い浮かべ、ニヤリとしてしまいます。






【エピソード、1951年のコルトレーン、板歩きの刑のような仕事】
レッスンを受けながら、音楽とテナー・サックスの勉強と研究の日々を送った1951年だが、生活費を稼ぐ必要が、当然ながらコルトレーンにあった。
この時期はリズム&ブルースが全盛であり、巷のバーでは単純さを売り物にした風変わりなショーが流行っていた。演奏はどデカイ音でリズム&ブルースをがなりたてていた。そして「ウォーキン・ザ・バー」と呼ばれたスタイルで演奏するのであった。ステージで演奏するだけではなく、バーのカウンターを、客の指や飲み物を踏まないようにして、体をひねりながら何度も歩くというものであった。客は狂気じみたその行為を喜び、店側は売上に喜び、ただしミュージシャンはFワードを口にしたい気持ちをぐっと堪えていたのであった。
まさにこれは、舷側から突き出た板の上を目隠しされて歩くようなもの、であった。コルトレーンもこの板歩きの刑のような仕事をしながら、生活費を得ていたのであった。(資料01)
 

15度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月31日(木)07時30分30秒
  19571220-01
Under Paris Skies (Giraud - Drejac)
(7分47秒)


【この曲、この演奏】
この曲はシャンソンの世界では有名な曲であり、他の世界の方々も取り上げている曲のようです。アメリカのポップス界のスターでしたアンディ・ウィリアムスのが有名であり、ジャズ界でも取り上げている方がいるようです。
この曲のコルトレーンの演奏記録は、本セッションだけです。
冒頭のテーマではコルトレーンがテナー・サックスの中音域の魅力を生かした演奏を聴かせ、その後のドレイパーのソロはチューバの低音域を聴かせる朴訥とした演奏、そして続くコルトレーンのソロはテナー・サックスの高音域の魅力をダブルタイムで聴かせるもので、この流れだけで楽しめる演奏です。しかし仕掛けはこれからで、「アルルの女」を使っての一幕を入れて、再びコルトレーンとドレイパーの魅力を味わえるものです。
この数年後にはLAとロンドンで数十年に渡って編曲の世界で活躍したドレイパーさんと、研究熱心なコルトレーンが会得してきた音域による魅力とが合わさっての、この演奏に繋がったのかと思います。



【エピソード、本セッション】
まずは本セッションの主役であるチューバ奏者のレイドレイパーの経歴を、「新・世界ジャズ人名辞典」より紹介する。
1940年にNYに生まれた彼は、早くからチューバの天才少年と知られており、1956年から1957年には自己のグループでバードランドに出演していた。その一方で彼は、オーケストラでの作編曲でその才を示していた。1958年から1959年にはマックス・ローチのグループに参加していたが、1960年代以降はLAで映画関係の仕事に専念していた。ジャック・マクダフのBN盤へのスコアの提供などの活動も残していた。1969年には渡欧し、ロンドンを舞台に幅広い音楽活動をしていた。1980年頃に帰米し、1982年に42才で亡くなった。
次に本セッションについて、資料11には次のようにある。
コルトレーンのこの年最後のプレスティッジ(正確にはNJ)セッションを飾るのは、チューバとテナーという、大変毛色の変わったフロント・ラインである。新人のリーダー、チューバ奏者のレイ・ドレイパーは、伝えられるところでは、高校生でコルトレーンと知り合い、コルトレーンからこの録音のための準備を手伝ってもらったという。そのアレンジは、重苦しくなりがちなこの編成から、なるべく多くのヴァラエティを引き出そうという試みがみて取れる。
コルトレーンはこの録音に親愛を持って接しており、彼が全てのセッションを真剣にとらえていたことが今更ながらに伺える。
コルトレーンとレイ・ドレイパーの共演は2回あり、本セッションとその一年後のジュビリー・レーベルへのセッションである。両セッション共に、レイ・ドレイパー名義でLP化されている。(資料06)
リズム陣は知名度のない3人だが、ピアノとベースの二人は「新・世界ジャズ人名辞典」に名前がある方だ。
コルトレーンとの共演については、ピアノのGil Cogginsは、1957年のマイルス・バンドでの共演歴がある。ベースのJames "Spanky" De BrestとドラムのLarry Ritchieとは、1958年のレイ・ドレイパーのジュビリーでのセッションで、コルトレーンは顔を合わせている。さらにベース奏者とコルトレーンは、1959年春のケニー・ドーハムのセッションで一緒に演奏している。この情報は、1991年7月4日に資料06の編者が大阪ブルーノート出演中のシダー・ウォルトンから聞き取ったものだ。(資料06)
 

13度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月30日(水)07時45分10秒
  19571213-05
Lazy Mae (Red Garland)
(16分8秒)


【この曲、この演奏】
この曲はガーランド作のブルースで、コルトレーンもガーランドも本セッションだけでの演奏記録です。(資料06,08)
この手のゆったり長尺リフ・ブルースは、下手するとウダウダ演奏に終わってしまいますが、流石はこのメンバーですので、存在感あるウダウダ演奏になっています。ガーランドが8分、コルトレーンが3分、そしてベースにも2分、トランペットに2分、最後に再びガーランドの登場となっています。最後のガーランドのソロは、1分ほどのものですが、レコード化ではフェイドアウトなので、実際には3分ほど弾いていたのでは。
この中で個性を示す方々はやはり流石であり、この演奏でガーランド愛好家の間でいわれている「ガーランドのマラソン・セッション」は終了となります。


【エピソード、サンドルからの教え、1951年】
コルトレーンは毎日学校に行ったし、週末はできる限り演奏の仕事をするようにしていた。熱心な練習を行うかたわら、ガレスピーやバンド仲間にいわれた本も読んでいた。
学校でコルトレーンは、ラステリとはレッスン以外では親しくならなかった。しかしサンドルとはいろんな話をした。
「クラシックを聴くんだ、ジョン」
「偉大な作曲家たちがバイオリンの独奏曲から交響曲にいたるまで、あらゆる楽器を使った曲を書いている。君はまずその技法を聴き取るんだ。次には、そのエッセンスを抜き出して、君の愛する楽器、サキソフォンに移し変えてみるんだ」
コルトレーンはサンドルからのこの助言を素直に受け入れた。そんな中でコルトレーンが「自分がたくさんの楽器がひしめく海のただ中で泳いでいて、それら音楽の波が自分を高くのせて岸に打ち寄せるような感じがした」と行ったところサンドルは、「すばらしい」「だがその中で弦楽器群がどんな役割を果たしていたかわかるかい」とコルトレーンに質問した。困り顔のコルトレーンにサンドルは、「弦楽器は連続する倍音を巧みに使って、高音域で拡大された調整を演奏しているんだ。テナーの場合に、君は全ての七度音コードを十三度音に拡大するのとまったく同じことだ。こうしてコードの高さはますます高くなる。君だって同じことをしているはないか」と言った。
この後も幾つかの会話が続いた後にサンドルはコルトレーンにこう言った。
「君が他のサックスを吹くのをきいてみたい」「ソプラノがいい、ジョン」「よく考えてみるんだ」(資料01)
 

15度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月29日(火)07時50分38秒
  19571213-04
Soft Winds (Benny Goodman)
(13分46秒)


【この曲、この演奏】
ベニー・グッドマンが1939年に初演した曲で、アート・ブレイキーが取り上げたことで、ハードバップ期に取り上げられるようになった曲です。(資料14)
コルトレーンのこの曲の演奏記録は本セッションだけですが(資料06)、ガーランドはこの4年後にプレスティッジのレコーディングでこの曲を取り上げています。(資料08)
ガーランドが7分、コルトレーンが3分、そしてバードが2分のソロをとっていきます。
資料11にはガーランドのソロについて、「ソロイストのガーランドがスティームローラーのごとく段々と弾みをつけ、最後に力強いブロック・コードで(マッコイ・タイナーがその数年後よくやったように)コルトレーンの入場をお膳立てをする」とあります。
決してガーランドはコルトレーンの引き立て役ではありませんし、楽しく気分良く7分のソロを聴かせています。ただコルトレーンのソロになるとガーランドが実に控えめなバッキングなので、この意味からは確かに資料11指摘のような後年の演奏が垣間見れるものです。
コルトレーンがベニー・グッドマンの曲を演奏したのは、記録がある限りではこれだけのものです。そんな意味でも関心を持つものです。



【エピソード、1951年のフィラデルフィアにて】
1951年の始め頃(多分4月)、ガレスピーバンドを辞したコルトレーンは、家族が住むフィラデルフィアに戻った。既に従姉妹のメアリーもそこに住んでおり手狭であったため、コルトレーンは復員兵士の貸付制度を利用して、また母親が長年の家事手伝い仕事で貯めたお金と合わせて、家を購入した。
フィラデルフィアに住まいを得た後にコルトレーンは、グラノフ音楽学校に入学した。ガレスピーとパーシー・ヒースの推薦状があったこともあり、すんなりと入学できた。デニス・サンドルが音楽理論の教師となり、マシュー・ラステリからサックスのレッスンを受けた。その時のコルトレーンはテナー・サックスを持っており、練習も勉強も演奏も全てテナー・サックスに集中した。(資料01)
 

18度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月28日(月)09時49分7秒
  19571213-03
Two Bass Hit (Gillespie - Lewis)
(8分49秒)


【この曲、この演奏】
アル・ヘイグの後を受けてガレスピー・バンドのピアニスト兼アレンジャーとなったジョン・ルイスが書いた曲で、「ワン・ベース・ヒット」に呼応した曲です。ガレスピー・バンドは勿論のこと、マイルスやソニクラの良い演奏を行った曲です。(資料14)
この曲のコルトレーンの演奏記録は5回あり、本セッションの他の4回はマイルスバンドでのものです。1955年10月のラウンド・ミッドナイトのセッション、1958年2月のマイルストーン・セッション、1958年5月のカフェボヘミアでのライブ、そして1958年7月のニューポート・ジャズ祭での演奏です。カフェボヘミアを除いての3回のマイルスバンドでの演奏は、正式盤で世に出ています。(ラウンド・ミッドナイトのセッションの演奏は、別のアルバムで世に出ています)(資料06)
ガーランドも何度かこの曲を演奏していますが、コルトレーン同様に本セッション以外はマイルスの元での演奏です。(資料08)
さて演奏ですが、リズム陣の粒立ち鮮やかな演奏です。特にテイラーの切れ味が印象に残る演奏です。爽快なホーン陣もなかなかであり、特にドラムの切れ味に乗って飛ばすコルトレーンには、後年の姿を予感させるものがあります。



【エピソード、リードを試す、1957年10月】
資料12に、帽子姿のコルトレーンがテナー・サックス用のマウスピースを眺めている写真、そしてそれを吹いて試している写真が掲載されているページがある。そこにはこう書かれている。
ブロードウェイの52丁目のバードランドにほど近い所に、「Vibrator(ヴァイブレイター)」と言うリードの会社がある。モンクとのファイブ・スポット・ギグのさ中、新しいサウンドを求めて、リードやマウスピースの研究にも余念の無かったコルトレーンは、そこを訪れ色々なリードを試している。オシャレなハットが珍しく、ほほえましい。
先の2枚の写真はマルセル・ザニーニが1957年10月27日頃に撮影したとのことだ。
またこのページには、1990年9月24日に藤岡氏がアリス・コルトレーン邸で撮影した、コルトレーンが使用したマウスピースの数々の写真がある。コルトレーンの熱心さが伝わる写真だ。
 

17度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月27日(日)08時06分31秒
  19571213-02
Solitude (Ellington - Delange - Mills)
(8分31秒)



【この曲、この演奏】
エリンとの名バラッドです。後からつけられた歌詞は、「これほど不幸になれる人がいるものか。どこもかしこも薄暗いばかり」と、絶望のどん底の内容です。それを歌い上げたのがビリー・ホリデイ。そして数多くのミュージシャンによって、この曲は今でも輝く存在になっています。(資料14)
「エリントンがスタジオで曲数不足のため、メンバーが到着するまでの20分で書いた曲」というのが、この曲が誕生した有名な逸話です。しかし、急遽こしらえた曲が名曲に、というのは世に中に数多あるもの。また作曲を行うミュージシャンには、次から次にメロディが舞い降りてくる時期があるもの。35歳のエリントンは、まさにそんな時期にこの曲を作ったのでしょう。
この名バラッドをコルトレーンはなどか演奏しているかと思いきや、資料06によれば本セッションだけの演奏記録です。そして資料08によれば、ガーランドも同様にこの曲の演奏記録は本セッションだけです。
さて演奏ですが、至極のバラッドをサラッとした優しさで聴かせています。ガーランドとコルトレーンも、甘さの加え加減で個性を感じられる良い演奏です。その中で白眉は、バードのトランペットでしょう。ブラウニーが亡くなってから1年半経った時期ですが、JMでの活動などで経験を積んだドナルド・バードのハードバップ絶頂期の中での存在感を示す演奏といえ、トランペット奏者としての実力を示すものです。
私ならこの曲の名演ベスト10に、この演奏を加えたいです。



【エピソード、1957年10月27日の演奏】
資料12に次の記述があります。
マンハッタン52丁目西310番地、パーム・ガーデンズに勢揃いしたハード・バップの覇者たち。ドナルド・バード(tp)、フィル・ウッズ(as)、コルトレーン(ts)、レッド・ガーランド(p)、トミー・ポッター(b)、アーサー・テイラー(d)。
1957年10月27日、日曜日の午後、「サンディ・アフタヌーン・ジャズ」シリーズが始まった。駆け付けたサックス奏者マルセル・ザニーニはカメラを構えこの貴重なシーンをフィルムに収めることに成功。しかし、事前の告知が不十分だったため会場に客の姿は「10人ほどかなぁ」というまことにもったいない有り様。
ドナルド・バードはソニー・ロリンズのバンドに入っており、当日は日曜のマチネー(昼公演)のためヴィレッジ・ヴァンガードに出演する予定であった。しかし、実際ここに写っていると言うことは、既にロリンズバンドを辞していた、このあとすぐにヴァンガードへ駆け付けた、このどちらかであろう。
コルトレーンはこの夜、モンクとファイヴ・スポットに出演。
ちなみにパーム・ガーデンズは、コルトレーンが7年後の1964年4月8日(水)、マルコムXの演説を聞きに行って、おおいに感銘を受けた場所である。

マルセル・ザニーニが撮影した2枚の写真と共に、この文章が資料12にある。なんとも贅沢な瞬間と思う演奏風景の写真であり、文章と共にこの時期がハード・バップの絶頂期であることが感じられる写真であり、たった10人の客という残念な様子も伝わる写真でもある。

ちなみにこの日の演奏記録は、資料06, 07, 08, 09に記述がないもの。そこに「何故に?」との思いが湧くのだが、藤岡氏が編纂した資料12なので、この催しが1957年10月27日にパーム・ガーデンズであったのは事実なのであろう。
私は10人の観客の中に、テープレコーダーを回している人がいて、その人の孫が屋根裏整理でそれを発見して、「世紀の・・・」との宣伝文句と共に世に登場する時がくるのを待っていたい。
 

14度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月26日(土)07時32分47秒
  さてクリスさんの「マイク ジャケ」作品。
クリスさんがこの時期前後にアトランティック・レーベルに吹き込んだ多数のスタジオ作品と比較しますと、本作には汗が似合う熱さがあります。アップテンポではケニー・バレルのギターの力も借りて、テンポの良い熱さ。そして「'Round Midnight」と「All About Ronnie」と続くスローでは、熱く語りかける様子が素敵でした。
タイトルの意味はこの日に会場に来た人ではなく、レコードで聴く人に向けてのもの、「ここにいる私を感じて」との意味かなと考えながら、つまみ食いを終えました。
 

15度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月25日(金)07時28分55秒
  その前に、この作品が録音された1959年9月13日(日)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「ソ連、月ロケット打上げ、あす朝(日本時間)到達へ、フ首相の訪米を目前に、人口すいせいを放射」

読売「ソ連、月ロケット第二号を発射、明朝6時5分到達、最終ロケットは誘導式、最終段は1トン半」

朝日「ソ連、月ロケットを発射、明朝六時(日本時間)到達へ、モスクワ放送 、最終段階は一トン半」

ソ連のルナ計画は、無人月探査計画であり、1959年から1976年までの間に、ルナ1号からルナ24号までを月に送った。アメリカとの激しい宇宙開発の中でソ連は、月面衝突を目指していた。3回連続の失敗の後の1959年1月に、4回目で月へ向かう軌道に探査機投入に成功し、これをルナ1号と名付けた。
この記事にあるのはルナ2号であり、ルナ1号から1回の失敗を挟んでのものであった。このルナ2号は世界で初めて月面に到達した人工物となった。これから3週間後にはルナ3号を打ち上げ、月の裏側の撮影に成功した。この時点では宇宙開発において、ソ連はアメリカを引き離していたのであった。(ウィキペディアより)



ではこの9月13日の新聞から少しばかり紹介します。
・2面に「ア大統領に報告」との見出しの小さな記事があります。ハチガー大統領新聞係秘書が語ったもので、ソ連の月ロケットに、大統領は驚いていないと語ったとの内容です。普通に考えればこれは見栄であり、当然ながらアイゼンハワー大統領は悔しさめい一杯だったのでしょう。ちなみにハチガー大統領新聞係秘書とは、翌1960年のハチガー事件のジェイムズ・ハガティ(当時の日本の報道機関の表記はハチガー)のことです。
・8面に「アイレスカメラ」の広告があります。「名キャッチャー、明るいファインダー、優秀な頭脳部」と、宣伝しています。広告主はアイレス写真機製作所です。この会社は1949年にヤルー光学としてスタートし、順調に事業を推移してきて、1956年の工場火災での危機も乗り越えていましたが、新設計のレンズ交換式カメラの売れ行きが芳しくなく、1960年に倒産となりました。
・TV欄 日テレ 13:15からの「日曜劇場」は東京喜劇人劇として、「ネット裏に娘ありて」を放送しています。出演者は、榎本健一・柳家金語楼・古川緑波・水谷良重との豪華メンバーです。
 

18度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月24日(木)07時14分55秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の35枚目は、Chris Connor の Chris In Person、1959年9月13日の録音です。
クリスさんのヴィレッジ・ヴァンガードの舞台上での熱唱が伝わるジャケで使われているマイクは、アルテック639のように見えます。日本ではこのマイクは、「鉄仮面」の愛称で知られているそうです。クリスさんが鉄仮面マイク、何やら意味深の気がします。
本作を「今日の1枚」で取り上げたのは、2005年5月26日のことでした。その際の私の感想は「貫禄を感じさせる歌いっぷり」とのあっさりしたものでした。今回のつまみ食いでは、もう少し文字数を多くして、感想を述べたいです。
 

14度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月23日(水)07時40分43秒
  さてアルヴァニタスさんの「マイク ジャケ」作品。
何度聞いても、ドラムとベースが力強く輝くピアノ・トリオは良いもんだと、本作に唸る次第です。そしてアルヴァニタスさんのピアノは、スィング感の爽快さの中に垣間見られる悩む人間の心情の表現が、ため息が出るほど素敵なものです。
愛すべきピアノ・トリオ、改めて実感したつまみ食いでした。
 

15度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月22日(火)08時01分11秒
  その前に、この作品が録音された1958年9月10日(水)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「税制改正 早急に具体化、きょう税制委員会懇談会再開、公約の線崩れそう、地方税減税で波乱必至」
いつの時代も、どの国でも、公約では減税としますが、その実現は難しいものですね。

読売「ダレス長官、日米会談前に語る、安保条約変更も、日本の提案 同情的に討議」
国務長官ジョン・フォスター・ダレスは日本に強い影響力を持っていた方です。ウィキペディアによれば1956年には日本に、北方領土の択捉島、国後島の領有権をソ連に対し主張するよう強く要求し、「もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とする」と指摘して日本側の対ソ和平工作に圧力を加えたとあります。

朝日「衆院 決算委で追及、主力戦闘機の内定、最終決定まだ、国防会議運営を再検討、首相答弁」
この時代から政府・自民党・裏役は、グラマン派とロッキード派に別れていたようです。



ではこの9月10日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・4面には、「機械業界も不況へ」「長期合理化急ぐ肥料業界」と、景気の悪い記事が並んでいます。この時期はなべ底不況のどん底状態でした。
・9面社会面下の広告は「トヨタ毛糸編機」で、愛知工業の広告です。
私は子供の頃に実家に毛糸編機がありましたが、現在の編機は随分と小型化されています。また製造会社はかつての主要メーカーだったブラザー工業とシルバー精工が編機事業から撤退し、現在ではシルバー精工から事業継承となったドレスインという会社が毛糸編機を製造しています。
因みにこの広告の愛知工業についてですが、明確な情報をネット上からは得られませんでした。今ある愛知工業は1985年に設立された鉄鋼製品の加工会社です。また1943年創業の愛知機械工業は、日産自動車の機能子会社です。豊田自動織機のかつての製造品目を見ても毛糸編機はなく、この「トヨタ」というブランドを使っている愛知工業の存在が謎のまま、私の調査は終了しました。
・TV欄 22:35 NHK「落語」は古今亭今輔が演じる「もう半分」です。この三遊亭圓朝作の怪談噺は、古今亭今輔の十八番でした。
 

18度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月21日(月)07時50分22秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の34枚目は、Georges Arvanitas の 3.a.m. 、1958年9月10日の録音です。
目覚めて再び眠りに入れずに、午前3時頃に集合住宅群の自室から他の建物を見ますと、何室かに明かりが灯っています。そうすると、あの部屋の人はこれからベッドに入るのか、それとももう起床したのかと、動かない頭を回し始めることがあります。
そんな意味合いから考えると、午前3時というのは微妙な時間となります。一般人は深い眠りの時間と考えますが、早い時間からの仕事に起床している方もいることでしょう。
一方でこの時間帯が、一日の活動の最後である人達も多くいるはずです。ジャズ好きに音楽を提供してくださる方々も、そんな方々なのでしょう。
そんな時間をタイトルにした本作を「今日の1枚」で取り上げたのは、1999年10月16日のことでした。ダグ・ワトキンスとアート・テイラーの演奏を絶賛し、「この時代はまだ一般に言われているヨーロッパのハイ・センスな独特な雰囲気は、アルヴァニタスに限らず、まだ成熟していなかったのでしょう」と、私は分かったフリの感想を書いておりました。
ベースとドラムには上から1本のマイクだけで録音に望んでいる様子のジャケの演奏を、今日はつまみ食いします。
 

19度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月20日(日)08時21分12秒
  さてミルトさんの「マイク ジャケ」作品。
ドラムはジェフ・ハミルトン。40歳代となった1990年代中盤から素敵なリーダー作を発表している方で、この「今日の1枚」でも、そんな作品を6枚取り上げてきました。しかし本作に参加した時は24歳で、プロ活動を始めたばかりの時でした。そんな時代のハミルトンは、モンティ・アレキサンダーのトリオで腕を磨いていました。
ベースで本作に参加しているジョン・クレイトンも、25歳の本作時点ではモンティ・アレキサンダーのもとで活動していました。
クレイトンとハミルトン、二人はその後の1985年にクレイトン・ハミルトン・ジャズ・オーケストラを結成し、今に至るまで精力的に活動しています。
そんな背景を思い浮かべながら本作を聴くと、主役と助演の二人にを支えるドラムとベースに耳が移っていきます。決して目立つことはないが、しっかりと主役と助演を支えるクレイトンとハミルトンの演奏に感心しながら、ミルト・ジャクソンとモンティ・アレキサンダーの快適な演奏を楽しみました。
 

15度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月19日(土)07時45分7秒
  その前に、この作品が録音された1977年6月1日(水)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「対ソ 輸出信用供与を再開、政府・輸銀方針、まずプラント二件、来週にもソ連と交渉」
読売「社・共とだけ党首会談、福田首相 領土後退し失敗、成田氏強調、日ソ交渉、評価対立」
朝日「七月試運転は困難に、東海村の核燃料再処理工場、凍結求め米親書、日本側 粘り強く交渉へ」

朝日の見出しにもソ連の影があり、国際政治の動きにはソ連が鍵を握っている時期なのでした。



ではこの6月1日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・3面に「会場使用断る、日教組大会で福島県」との記事があります。この時期には日教組への加入率は50%前半でしたが、2016年秋時点の組織率は23.6%であり、報道で日教組の名前に接することは少なくなりました。しかしながら今でも日教組の集会には、右翼の街宣車が多数集まるようです。
・11面下にスイス・クレジット銀行東京支店の広告があり、「スイス・クレジット銀行東京支店は本日、6月1日から営業を開始します」とあります。この銀行東京支店は、この翌年にクレジット・スイス銀行東京支店、1996年にクレディ・スイス・ファースト・ボストン銀行東京支店、2005年にはクレディ・スイス銀行東京支店と、名称変更を繰り返すことになりました。
・TV欄 民放 18:30からのニュース番組名は、日テレが「ジャストニュース」、TBSが「ニューススコープ」、フジが「ニュース6:30」、そしてテレ朝が「ニュースレーダー」となっています。ちなみに東京12チャンネルはアニメを放送しています。
番組名としては「ジャストニュース」は1984年まで、「ニューススコープ」は1990年まで、「ニュース6:30」は1978年まで、そして「ニュースレーダー」は1987年まで使われていました。
 

16度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月18日(金)07時24分49秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の33枚目は、Milt Jackson and Monty Alexander の Soul Fusion、1977年6月1日の録音です。
ヴィブラフォンの上に2本のマイクというのは、基本のセッティングです。そしてそのマイクは、ノイマンU47かU87でしょう。
さてミルト・ジャクソンがモンティ・アレキサンダーと組んだ本作を「今日の1枚」で取り上げたのは、2015年11月7日のことでした。「グルーブ感とブルース・フィーリングが魅力」との感想を述べた本作を、今日はつまみ食いします。
 

16度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月17日(木)07時08分57秒
  さてメリルさんの「マイク ジャケ」作品。
ピアノ、ソプラノサックス、そして時にバイオリンの二人から三人をバックにしての歌唱ですから、それはメリルさんにとっても、そしてジャズ・ヴォーカル好きにとっても、いつもとは違う舞台です。
この作品の普段と違うものに最初は戸惑いますが、それに慣れれば、メリルさんの歌に魅了されていきます。彼女のしっかりと歌う歌唱が、まるで語りのように伝わってくる不思議さに、聴き入っていく作品です。
Owlは1990年代に入ると消えていきますが、これは新興レーベルの運命とも言えます。私としては、今回のつまみ食いから、そして新譜屋さんでの当時の様子を思い浮かべて、まだまだ活動して欲しかったレーベルだなと思いました。
 

14度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月16日(水)07時37分33秒
  その前に、この作品が録音された1986年3月1日(土)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「ココム規制順守へ指針、通産省、見本市への出品規制、来週中に通達、ハイテク流出防ぐ、違反企業は輸出禁止」
輸出規制逃れの手段として、国際見本市への出品として輸出する企業が、それなりの数いたようです。

読売「宮殿から物証発見、マルコス夫婦の海外隠し資産、NY市にビル所有、焼却書類一部が残る、夫人側近の名義で」
マルコス夫婦が米軍ヘリコプターで宮殿を脱出し、クラーク空軍基地からハワイへ向かったのは、この年の2月25日のことでした。
またこの海外隠し資産は日本分もこの後に報道されるようになり、幾つかの大企業の名前が挙がっていました。

朝日「東京の私大+下宿=親は悲鳴、仕送り年に150万円、総費用、自宅通学117万円、59年調査、学生も生活切り詰め」
ネット上には平成26年の調査、今から5年前、この記事から28年後の仕送り額がありますが、月11.2万円、年にすると134万円です。デフレ時代が続いているとはいえ、学生にとっては親元を離れて東京で学生生活を送るのは、より大変になっているようです。またこれは親御さんにとっても、同じことなのでしょう。




ではこの3月1日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・8面に「解散・新社で再出発、経営危機の三井アルミ」との記事があります。
-1 3月末に会社を解散、累積債務550億円を親会社グループ5社で処理
-2 4月に同じ商号の会社を設立、設備・営業の全てを引き継ぎ再出発
この手続きで三井アルミを身軽にするとの策です。しかしながら再出発も上手く行かずに、現在ではKMアルミニウムという会社に吸収されているようです。二度のオイルショックで「電力の缶詰」と言われたアルミ産業は、日本から姿を消していったのです。この記事はそんな流れの中の、一つの出来事です。
・6面は全面広告で「ひとがひとに還る場所、サントリーホール、10月12日開場」とのものです。開場後数ヶ月間のプログラムが掲載されてますが、カラヤンありアバドありで、それは豪華な内容です。
・TV欄 NHK教育 22:30からのYOUは「カメラを持てばカ・メ・ラ・マ・ン」との内容です。中高生に大ブームの写真、とのことです。このタイトルをそのまま受ければ、今は誰でもカメラマンでありますね。
カメラマンが写真家を指す使い方は日本独自ものです。また女性あってもカメラマンと呼んでいたとのことで、2000年に入ってからの職業名の見直し(看護婦から看護師など)の動きの中でも、カメラマンとの呼び方は対象にならなかったようです。
 

17度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月15日(火)07時03分54秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の32枚目は、Helen Merrill  の Music Makers、1986年3月1日の録音です。(年月はジャケ情報、日は決め打ち)
1980年代の中頃からジャズの新譜屋さんに、フランスのOwlというレーベルからの作品が並ぶようになりました。当時に新譜を追っていた方々に、注目を浴びていたレーベルでした。当時の私にとっては雲の上のジャズ好きの方々の話を聴きながら、私も何枚かOwlの作品に手を伸ばし、また「今日の1枚」でも計4枚のOwl作品を取り上げてきました。このヘレン・メリルさんの作品も、そんな1枚です。
ジャケに写るマイクは、ノイマンM149だと思います。しかし歌手のジャケで、歌手本人を登場させず、しかもブラインドをバックにマイクだけで構成するジャケには、怪しさを感じます。そう、このOwlというレーベルは怪しさが、人を惹きつける魅力だったのでしょう。
「今日の1枚」で本作を2005年9月11日に取り上げた際には、私は「やたら力強く歌っているが、悲しみが深くなるだけで、希望のかけらも感じさせないもの」と感想を述べながら、一方で「こんな世界から抜け出したいと思いながらも聴き入ってしまう不思議さ」とも述べました。まさにOwlの魔法にかかったかのような感想でした。
14年ぶりに本作を聴いてみます。
 

18度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月14日(月)07時41分57秒
  さてリタさんの「マイク ジャケ」作品。
この作品を聴くのは、3年前に「Falling In Love With Love」でつまみ食いして以来ですが、やはり愛聴盤ですので、聴き始めれば何度も聴いてしまいます。
そしてA面とB面との違いとの意識で聴いてみて、いかに自分がジャケのクレジットを読んでいないかが分かります。指揮者が違うのです。
A面はTom Dissevelt氏、この方はオランダの作曲家として活動した方で、リタさんの姉妹と結婚したようです。そして彼は後に、電子音楽とジャズの融合の先駆者として知られるようになったとこか。そんな彼の指揮するオケでのリタさんは、彼女の声の愛くるしさを上手く捉えています。
一方のB面では、Ian Corduwener氏がオケを指揮しています。この方に関する情報は得られませんでしたが、オランダの音楽界で堅実な仕事をされたのではと思います。それはB面でのリタさんの声の伸びやかさを活かすアレンジから、感じられます。
今回のつまみ食いでも、新たな発見がありました。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月13日(日)07時57分33秒
  その前に、この作品が録音された1957年3月26日(火)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「両条約に調印、欧州共同市場・ユーラトム、六ヶ国 年末までに批准」
仏・西独・伊・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクが、調印した六ヶ国です。
1951年に欧州石炭鉄鋼共同体 (ECSC) 、1957年にこの欧州経済共同体 (EEC) 、そして1993年の欧州連合 (EU) となります。ただ欧州には、欧州経済領域 (EEA) や欧州共同体 (EC) があり、分かりにくい面があります。
ユーラトムは欧州原子力共同体であり、EU体制の今でも存在しています。

読売「原子力の国際協力、ランダース博士を囲んで(上)、公開こそ基礎、政治性ヌキの直接話し合いで」
ノルウェー・オランダ共同原子力研究所長のG.ランダース博士のことです。

朝日「きょう事実上回避、最低賃金の実力行使、勤務中の集会中止、総評、国鉄などへ指示」
1980年代までは、日本労働組合総評議会(通称 総評)が、労働組合中央組織で力を持っていました。太田薫さんが有名でした。




ではこの3月26日の日経新聞から少しばかり紹介します。
・8面に「マーケットという名の総合食料品店」との記事があります。各食料品店が一カ所に集まっての営業形態が出てきて、従来の「お店」からの変わり始めたとの記事です。
私が生まれ育った横浜の新興住宅街では、この記事から10年後にマーケットという名の屋根付き商店街が誕生しました。八百屋・中華料理・美容室、反対側に豆腐屋・肉屋・菓子屋・魚屋が同じ屋根の下で営業しており、私は母親の後をついて買い物に行っていた記憶がありまあす。それから5年後にはすぐ近くにスーパーマーケットと冠したお店が誕生し、双方で競い合っておりました。この住宅街は駅から徒歩10分でしたが、駅周辺の開発で大型店が登場し、徐々にこの二つの住宅街密着型マーケットはさびれて行きました。1980年代に入る前にスーパーマーケットと冠したお店は月極駐車場となり、屋根付き商店街は入れ替わりが激しくなり、更には空き店舗となり、最後には危険だからと屋根が撤去され、2000年代に入り事実上なくなりました。
・13面最終面に「謝 近火御見舞」との広告があります。新宿 中村屋のもので、「おかげ様にて被害もなく平常通り営業致します」と書かれています。中村屋の近くで火事があったがウチは大丈夫、御見舞ありがとうね、とのものなのでしょう。私は火事絡みの経験がなく、この近火という言葉に馴染みがありませんでしたが、「近火御見舞」とは今でもある習慣のようですね。
・TV欄 KRテレビ 12:40から「私の女性写真」との番組があり、松島進は出演しています。この番組の情報は、ネット上にありませんでした。また松島進氏の情報もネット上にないのですが、その著書はAmazonに出品があります。「女性撮影の実際 (1951年)」「女性美の写し方 (1951年) 」であり、この時代のポートレイト写真家として名のあった方なのでしょう。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月12日(土)08時22分45秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の枚目は、Rita Reys の The Cool Voice of Rita Reys Vol.2、1957年3月26日の録音とします。(ネット情報日の翌日)
とにかく私はこのジャケが好きなのです。今ではオリジナル盤購入は控えておりますが、何かの出会いがあれば、気持ちが大きく傾くことでしょう。
ノイマンU47の機能美と存在感、そしてリタさんの美しさとオーラ、その中身は良いものです。2001年10月26日に「今日の1枚」で取り上げた際には、「A面はオーケストラ控え目。でもB面はフル活動」と、その特徴を述べました。2度目のつまみ食いとなる今回、A面とB面、どちらを気に入るのか、楽しみです。
 

19度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月11日(金)08時48分53秒
  19571213-01
Billie's Bounce (Charlie Parker)
(9分23秒)


【この曲、この演奏】
この曲はパーカーが1945年に書いた曲で、ビ・バップを代表する曲であります。資料14にはこの曲の代表的演奏として、パーカー以外では11人の奏者の演奏が掲載されています。そこにはこの曲を演奏して当然と思う方の他に、ユタ・ヒップやリー・コニッツ、そしてキース・ジャレットなどが含まれています。いろんなタイプの方に好まれた曲と言えます。
コルトレーンもガーランドも、この曲の演奏記録は本セッションだけです。(資料06,08)
テーマを演奏するこのクインテットは、本当にこの曲を楽しんでいる様子が伝わってくるもので、本セッションも好調に進むことを示しているものです。コルトレーンのソロには、技術に余裕も感じられるもの。続くバードは、元気溌剌。そしてガーランドはホーン二人が作った空気感をより一層膨らませる好演であります。飛び跳ねているジャズマン、素敵です。





【エピソード、本セッション】
4週間前と全く同様のメンバーでのセッション。本セッションでの5曲は、「ディグ・イット」と「ハイ・プレッシャー」という2枚のガーランド作品に収録されている。
資料06によると、コルトレーンはバードとともにガーランドのクインテットで、11月7日から20日まで演奏を行なっている。これはピーター・キープニュースの話をルイス・ポーターを通じて、資料06の編者が得た情報である。
マイルスやモンクとの共演で様々な面での向上を図ったこの時期のコルトレーンだが、このガーランドとの密な瞬間も、コルトレーンの音楽性の向上にとって重要なものだったと、私は感じる。それはこの二つのセッション(11/15,12/13)から発売されたガーランド名義の4つの作品の中に、感じ取れるものだ。
 

17度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月10日(木)07時39分57秒
  19571115-10
All Morning Long (Red Garland)
(20分20秒)


【この曲、この演奏】
ガーランド作のブルースで、コルトレーンもガーランドも、この曲の演奏記録は本セッションだけです。(資料06, 08)
さて演奏ですが、ストップタイムが効果的なコルトレーンとバードの伸びやかなソロに続いて、ガーランドの7分間ソロが展開されます。ベースにも聴かせどころを用意して、演奏時間は20分にもなります。熱演というより穏やかなおおらかな演奏です。
曲名は「午前中ずっと」との意味です。カーテン越しの陽射しの中で、うとうと気分で過ごす時間は気持ちが良いものです。そんな雰囲気を狙った演奏なのかとも思いました。その午前中が、どの時間帯なのかは別の話ですけど。



【エピソード、ガレスピーのコンボを退団】
ビッグバンド時代に続いてガレスピーのバンドに1951年初めに加わったジミー・ヒースとコルトレーンだが、ヒースは数週間で退団した。そしてコルトレーンも4月には、ガレスピーバンドを退団した。この退団の理由については、各資料に記述はない。(資料01)
コルトレーンはフィラデルフィアに戻り、更に練習と音楽の勉強に励んでいく。この退団理由を、私は次の通りに想像する。ガレスピーのビッグバンドとコンボでのコルトレーンの活動は、初めての一流バンドでの活動でもあった。一流の演奏家と長期間活動を共にし、自分に足りないことを、コルトレーンは感じたのではないか。またテナーへの持ち替えでも、思うところが多かったはずだ。人気者ガレスピーと行動を共にすれば経済的には安定するのだが、コルトレーンはガレスピー時代に気付いた自分の音楽家として必要なことを求めて、敢えて厳しい道を選んだのだと思う。
 

19度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月 9日(水)07時48分38秒
  19571115-09
Hallelujah (Youmans - Robin)
(6分31秒)


【この曲、この演奏】
「ハレルヤ」とは「主(ヤハ)をほめたたえよ」との意味とのことですが、簡単には理解できないものなのでしょう。
それにしてもガーランドは目立たない曲を、本セッションに用意したものです。資料09によればこのユーマンス作の曲は、ミュージカル「Hit The Deck」の中の1曲です。
コルトレーンもガーランドも、この曲の演奏記録は本セッションだけです。(資料06, 08)
さて演奏ですが、アップテンポを楽しむかのピアノ・ソロにテイラーのドラムが一緒に踊っているかの演奏です。続くコルトレーンは、2年後の大躍進を想像させる、熱のある演奏です。バードとテイラーもソロを披露して、速球演奏は終わります。



【エピソード、ガレスピーがコンボを結成、コルトレーンはテナーに変更】
ビッグバンドを解散したガレスピーは、1951年に入りすぐに、セプテットを編成した。そこにジミー・ヒースとコルトレーンを、ビッグバンドから引き続き雇っていた。そしてこのセプテットでコルトレーンは、テナー・サックスを吹くようになった。
コルトレーンはそれまでにも時々、他の奏者の都合でテナーの持ち替えをやっていた。そしてガレスピーは、コルトレーンのテナーをアルトと同様に好きであった。コルトレーンのアルトからテナーへの転換は、スムーズに行われた。(資料01)
また資料03によれば、ビッグバンド時代にコルトレーンはテナーの練習に励んでいたとのことだ。
ただこのテナーへの持ち替えに関するコルトレーンの気持ちについては、どの資料からも情報を得られなかった。
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月 8日(火)08時24分16秒
  19571115-08
Birks' Works (Dizzy Gillespie)
(7分34秒)


【この曲、この演奏】
ガレスピーの代表曲であり、ビ・バップの代表的な曲でもあります。
1951年作であり、この時期にガレスピーのコンボに在籍していたコルトレーンは何度もこの曲を演奏しており、資料06に記録されているだけでも1951年に4回の演奏があります。セプテットで2回、オクテットで2回演奏しており、その演奏は正式盤を含めて世に出ました。ガレスピーの元を離れてからのコルトレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。(資料06)
ガーランドはこの年の初めに、ペッパーの「ミーツ・ザ・リズムセクション」でこの曲を演奏し、そして本セッションと、2回の演奏記録があります。(資料08)
さて演奏ですが、ビ・バップの曲の彩りを残しながらハード・バップの粘りを加えた演奏です。またコルトレーンにしてみれば、ガレスピーのバンドで繰り返しこの曲を演奏していた時期からの6年間を感じているような演奏です、と言うのは聴き手の勝手な妄想なのでしょうか。
聴きごたえある演奏です。



【エピソード、ガレスピーのビッグバンドの解散】
ガレスピーとコルトレーンが神秘の世界について話していると、ジェスが丁度良いタイミングで「飲みに行こうぜ、ジョン」と言い、上手にこの話に結論を出していた。
ジェスとコルトレーンはジョニ黒党であり、一口飲んでタバコを一本か二本吸い、またグラスに口をつける飲み方であった。
またもう練習に励むコルトレーンを悩ますのは、例の歯痛であった。でもそれもまだこの時期は、ジョニ黒をがぶ飲みすれば対処できていた。
ガレスピーのビッグバンドは、やはり経済的に苦労していた。楽旅の交通費の支払いだけでも大変であった。何しろ、ベイシーでさえ1950年に入ると、6人編成のコンボに縮小していたほどだった。
1950年のクリスマス・イヴにガレスピーはミュージシャンを集めて、その週が終わって新年になったら「これでお終いだ」と言い渡した。
 

18度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月 7日(月)07時46分53秒
  19571115-07
What Is There To Say (Duke - Harburg)
(5分57秒)


【この曲、この演奏】
バーノン・デュークの作品中、比較的地味な存在の曲ですが、ロリンズの上手い節回しとソニクラの見事なバッキングを聴かせるバラッド演奏が印象深い曲です。(資料14)
このスタンダードの演奏記録は、コルトレーンは本セッションだけ(資料06)でありますが、ガーランドは1961年にジャズランドのセッションでトリオ演奏でこの曲を取り上げています。
美しいバラッドを美しいガーランドのピアノが耕し、そこにコルトレーンとバードが魂を植え、そして最後にその魂をピアノが磨き上げる、そんなドラマを味わえる演奏です。



【エピソード、ガレスピーのビッグバンド時代の練習】
コルトレーンは楽旅中のほとんどを練習に充てていた。ホテルの部屋やバスの後部座席で練習に余念がなかった。リードを変え、マウスピースを調整し、指使いを変えるといったぐあいで、自分の頭の中には聴こえているが、現実にはまだ一度もサックスから出したことのない新しいサウンドを常に追求していた。
ジェス・パウエルはコルトレーンが四六時中サックスを手放さないのを不思議に思い、その理由を聞いてみた。
「納得できないからさ」
「何が納得できないんだ、君のアルトはすばらしい音を出しているじゃないか、ぼくにはいいサウンドだと思えるがね」
「君にはね。だが残念なことに君はぼくではない」
「そりゃそうだ。だが君だってバードじゃないぜ」
またある場面ではコルトレーンがジェスに、彼がホーキンスのようなすばらしい音を出すのが羨ましくて、聞いてみた。
「ジェス、どうやったら君みたいに大きな美しい音が出せるんだろうな」
「ドアのかげで練習するといいんだ」
ジェスのこの言葉を目を大きくして眉を吊り上げていたコルトレーンに、ジェスは続けて言った。
「サックスのベル部分をドアに向けて、その後ろに立ったままの姿勢で吹くんだ。そうすると、音が頭の方にはね返ってくるんだよ。だからサックスを吹きながら、自分が演奏している曲を聴くことができるというわけだ」
コルトレーンはあたりの響き渡る話声のような美しい音色を求めて、ジェスの助言に従い、練習を続けていた。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月 6日(日)08時02分55秒
  19571115-06
Soul Junction (Red Garland)
(15分30秒)


【この曲、この演奏】
この日録音されたのは10曲で、リーダーであるガーランドのオリジナルは、本曲を入れて2つあります。資料09にはこの曲について、次のように書いてあります。
「スタジオに居合わせたボブ・ワインストックの注文に応じてガーランドが、フロイド・スミス(g)のフロイズ・ギター・ブルースの一節を題材にして書いた曲」とのことである。
コルトレーンとガーランドのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。(資料06, 08)
さて演奏ですが、ガーランド流のブルース感覚を味わえるものです。もともと曲らしきものがないので、ワインストックご要望のコード進行に沿って、ガーランドがブルースを表現していきます。資料09には「シングル・トーンとブロック・コードを巧みに使い分けるそのプレイにかかると、泥臭いブルースがモダンな洗練されたジャズ・ブルースに変わる」とあります。この洗練されたブルースが、ガーランドのブルース演奏の真髄と言えます。
長尺演奏の初めから半分以上がガーランドの独断場ですが、コルトレーンもバードもガーランドの世界を壊さぬように頑張っております。


【エピソード、宗教・哲学・精神など】
ガレスピーのビッグバンドの楽旅のバスの中で、コルトレーンはユセフ・ラティーフから手渡せれた東洋関係の何冊かのジョンを読んでいた。ユセフ自身は正統派回教徒で、東洋の哲学や音楽、宗教の影響を強く受けていた。コルトレーンと知り合ったユセフは、コルトレーンの内部に秘められた宗教と哲学への並々ならぬ関心を察知していたのだった。
またビル・バロンはヨガに関する本をコルトレーンに渡していた。
ガレスピーもコルトレーンと同様に好奇心に満ちた人間だったので、精神の運動における神秘の世界に関心を抱いていた。二人はこのような話題では話し込むことが多かった。(資料01)
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年10月 5日(土)08時32分8秒
  19571115-05
Undecided (Shavers - Robin)
(6分52秒)


【この曲、この演奏】
チャーリー・シェイヴァーズによる曲で、スイング時代の名曲です。カーティス・フラーの名盤での演奏でお馴染みです。
コルトレーンとガーランドのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。(資料06, 08)
さて演奏ですが、一体感の薄さを感じますが、そこはこの曲の口ずさめるメロディが助けています。ガーランド、コルトレーン、そしてバードもそこそこのソロですが、全体としてはアンサンブルの色合いをもっと出せば良いのにねと感じました。



【エピソード、ガレスピーのビッグバンドへ加入】
1949年にコルトレーンはガレスピーのビッグバンドに加入した。これはジミー・ヒースとに縁によるものであった。
テキサス出身の大男のテナー奏者ジェス・パウエルはガレスピーからビッグバンドへの誘いを受け、さらにガレスピーから誰と組みたいかを聞かれ、ジミー・ヒースの名を出した。そしてヒースはコルトレーンと一緒にオーディションに参加し、二人ともガレスピーに認められ、ビッグバンドに加入することになった。
この時期のガレスピーはパーカーと共にビ・バップを生み出していた。しかしそれはダンス用大編成バンドから、鑑賞用小編成コンボへ、ジャズ演奏の形態を変えた時期でもあった。そんな時期に敢えて大編成バンドを作ったガレスピーだが、リーダーとしての資質に抜きん出ていたガレスピーは、このバンドも2年間も維持したのであった。(資料01)
 

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