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16度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月22日(金)07時40分30秒
  その前に、この作品が録音された1957年6月12日(水)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「食管制度改革の方向、臨時食管調査会が答申、二重米価を拝す、麦価格は弾力的、各種奨励金は整理」

読売「石一〇、一七九円、生産価格、米価政府案ほぼ決まる、食管赤字48億円に圧縮」

朝日「国際収支悪化をどうする、総合策 14日決定へ、財引き締めを中心に、五顧問、岸首相に進言」
高碕達之助、一万田尚登、太田正孝、賀屋興宣、北村徳太郎の五名です。大蔵出身、銀行出身の政治家で、当時の自民党の大御所たちです。


ではこの6月12日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・4面スポーツ面に「朝日新聞の共催従来通り、高校野球大会」との小さな見出しがあります。昨年100回を迎えた夏の高校野球は、朝日新聞の主催で行われてきました。この1955年のこの記事は、「第一回高校スポーツ中央審議会」で、朝日新聞主催の是非を議論し、従来通りとの決議になったのでした。これは文部省通達「高校競技会を教育団体、スポーツ団体以外の団体に主催させるかどうか」に対して開かれた会議とのことです。
・9面社会面に「衣類 虫よけの王 ホドヂン」との広告があり、「ホドヂンは天下一品です」との強気の宣伝文があります。会社名はなく、「物は信用と効果、実質を御買い下さい」と書かれています。webでこの「ホドヂン」を調べたところ、その容器やチラシ類を掲載しているサイトがありましたが、詳しく書かれてページはありませんでした。金星商會から昭和11年には発売されていたとのことです。
・TV欄 KRテレビ20:30から「密林の女王」という番組が放送されており、この日は「ラジウムの行方」という題でした。webで調べると、映画に「ターザンと密林の女王」というのがありましたが、この「密林の女王」に関する情報は得られませんでした。
 

14度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月21日(木)07時44分26秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の19枚目は、Sonny Rollins の The Sound Of Sonny、1957年6月12日の録音です。
サックスと貝を押さえるロリンズさんの左手が迫力のジャケですが、チューブマイクのノイマンU47にも圧倒されるジャケです。
2006年8月24日に本作を「今日の1枚」で取り上げた際には、私は「よく言えば、リラックスしたロリンズ。悪く言えば、集中力のないロリンズ」と申してしまいました。駐在先の香港から帰任する直前だった当時の感想を反省しながら、今日はリバーサイドへの第1作である本作を聴いて見ます。
 

10度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月20日(水)07時28分33秒
  さてエリントンさんの「マイク ジャケ」作品。
ハンマーがミュージックワイヤーを叩く瞬間、ベースの弦の躍動、スネアとハイアットの鼓動、こんな至近弾を浴びているような気分になる演奏です。
これを聴いて、ロックバンドのザ・フーの演奏を思い出しました。好き勝手に演奏するギター、ドラム、そしてベース。しかしそれらは刺激的な塊になっています。40年近く前のラジオである方が、「フーは全員がいつもソロ演奏している」と言っていました。
このエリントンさんの作品、「全員がいつもソロ演奏している」演奏なのです。それでいながら名演となるのは、偉大な3人だからなのでしょうし、一期一会を大事にして録音に望んだエリントンさんの力なのでしょう。
こんな演奏はスロー・ナンバーでも発揮されています。「Fleurette Africaine」での3人の演奏に聴き入りました。


参考資料「Sound Designer 2018年6月号 マイク読本」有限会社サウンド・デザイナー発行
(文中ではマイク資料と表記)
 

9度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月19日(火)07時50分23秒
  その前に、この作品が録音された1962年9月17日(月)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「金融政策を総合運用、自由化の影響調整に、産業向け操作も、担保率・関税などで、大蔵省方針」
政府はは1960年に「貿易為替自由化大綱」を策定し、輸入数量制限の品目数を削減するとともに関税率の設定を行いました。このため、国際競争力の高まった産業から順次輸入を自由化する方針することとし、1960年には41%であった貿易自由化品目率が以後、1年ごとに62%・73%・92%と上昇し、大綱策定から4年目の1964年には94%にまで上昇しました。ただし、自動車に関しては1965年、コンピュータ関連については1970年まで輸入自由化は持越しとされました。以上はウィキペディアからの引用です。

読売「最終報告作成方針なる、憲法調査会、両論の根拠明示 種類別に、来年七月メド、解釈論議を織り込む」

朝日「最終報告の方針作成、憲法調査会合同会議で決まる、意見整理 論拠示す、重要点 審議状況を明示、七月ごろまでに骨子」

内閣の憲法調査会は憲法調査会法に基づき1956年に設置され、1964年に内閣と国会へ憲法調査会報告書」を提出し実質的な活動を終え、1965年に廃止されました。
それから35年後の2000年に国会法を一部改正し各院に憲法調査会が設置されました。その後の2007年には憲法審査会となりました。


ではこの9月17日の日経新聞から少しばかり紹介します。
・8面に「ひらけゆく赤外線技術」との見出しがあります。米のウィリス・モーター社が赤外線テレビを発明、東芝が放射温度計を完成させたなどの事例を紹介し、世の中で赤外線技術に注目が集まっていることを伝えている記事です。放射温度計は広く世に広がりましたが、赤外線テレビはweb上に情報がありませんでした。
・15面社会面に「光のデパート」との宣伝文があり、広告主は山際電気照明センターです。この会社は今のヤマギワで、戦前から秋葉原にあった会社です。照明に強い販売店でしたが、家電販売店として全国展開しましたが、バブル崩壊で会社の切り売りを進め、2008年には電子部品用セラミックの大手メーカーMARUWAの子会社となりました。
・TV欄には民放4局中3局が「池田総理をかこんで」という番組を放送しています。TBSは14:00から、日テレは14:45から、NETは15:45からの放送です。TBSと日テレには出演者が記載されており、両局とも河合良成と水野重雄でした。恐らくは同じ番組なのでしょう。フジが参加していないのは何故なのでしょうか。
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月18日(月)07時52分23秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の18枚目は、Duke Ellington の Money Jungle、1962年9月17日の録音です。
このジャケットは、何度見ても迫力があります。何しろエリントンにミンガス、そしてローチの3人がスタジオにいますからね。そして今回は「マイク ジャケでつまみ食い」ですので、ピアノ上にある2本のマイクにも目がいきます。ボケと角度の面から断定はできませんが、チューブマイクのノイマンU47でしょう。御大の演奏に向け、万全の準備が整ったスタジオ風景です。
この作品は「今日の1枚」で2005年3月11日に取り上げました。その際には打楽器であるピアノの演奏に焦点を当てた感想を、私は述べておりました。今回はどの曲の演奏に惚れたか、そんな感想を書ければと思っております。
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月17日(日)07時44分26秒
  さてテテさんの「マイク ジャケ」作品。
ピアノの音の輝きに陶酔しました。ピアノという楽器の姿が目の前に浮かんできました。強いタッチのテテさんの演奏が、ノイマンU67で根こそぎ収録されています。この辺りは録音技術に定評のあるMPSであります。ジャズの録音技師といえばヴァン・ゲルということになり、私も彼のホーンの録音の巧さに、多くのジャズファン同様に惚れております。しかしピアノとなると、ヴァン・ゲルの録音に釈然としないところがあったのですが、このMPSの録音を聴けばその差を痛感します。
この時期のテテさんに世間の注目が集まっており、この録音に相当な心組があったのでしょう。最初のテテさん作のタイトル曲では、世間に一発かましてやるぞとの、強い思いが伝わってくる演奏です。この気持ちが伝わってのベースとドラムの好演もあり、さらにピアノの録音の良さが加わり、昇竜の勢いの演奏に聞き惚れました。
 

7度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月16日(土)07時54分31秒
  その前に、この作品が録音された1968年2月2日(金)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「企業の自己金融力は限界、上昇やがて止まる、大蔵省、金融再編の前提に」
一般的には企業の自己金融力は今後も拡大し、長期金融機関の存在意義が薄れるとの味方でしたが、それとは違う見方を政府が出したとのことです。

読売「板門店で直接交渉、プエブロ事件、米 北朝鮮案を受諾」
プエブロ号事件とは、同年1月にアメリカ海軍の情報収集艦プエブロが、北朝鮮に拿捕された事件であります。アメリカとしては領海侵犯の事実は無いとの主張であり、乗員1名が死亡し、残る乗員82名が身柄拘束されていたため強硬措置も考えましたが、北朝鮮も強硬な姿勢を崩しませんでした。朝鮮戦争の休戦協定、ベトナム戦争の拡大、北朝鮮の同盟国であったソ連の自動参戦などのことをアメリカは熟慮し、結局は板門店での階段で北朝鮮の用意いしたスパイ活動を認める謝罪文書に署名しまし。乗組員は12月に解放されましたが、プエブロ号は返還されず、現在でも首都平壌市内の大同江で一般向けに観光公開されており、同国の反米宣伝に利用されています。以上はウィキペディアからの引用です。

朝日「返還問題に影響、沖縄の首席公選、与野党 活発に動き出す」
1968年11月10日に行われた琉球政府の第1回行政主席選挙は、無所属で出馬した革新系の屋良朝苗が当選しました。返還後は知事となり、1976年まで在任しておりました。


ではこの2月2日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・2面に「小笠原は都に帰属、政府・自民が一致、国は再建事業担当」との見出しがあります。小笠原諸島は1968年6月26日に日本に復帰しました。
・7面下には雑誌の広告が並んでおり、アサヒ芸能では「たくましく愛と性に生きた日本の女たち」、平凡パンチでは「以外、女のコのオトコ知識」との記事紹介があります。私は神奈川県立図書館で明治のベストセラーという講演に参加したのですが、そこで戦後のベストセラーの話もありました。最初のベストセラーは戦後すぐの「日米会話手帳」、そして1960年代に発行された「性生活の知恵」との紹介がありました。いつでも人間は性に対する好奇心が旺盛なのですね。
・TV欄 日テレ 21:00からは新番組ドラマ「われら弁護士」です。紹介記事でこれが取り上げられており、山村聰・山崎努・杉浦直樹・山田吾一の4人の弁護士役の写真が掲載されています。記事では弁護士は5人とあったので、もう一人は米倉斉加年でしょう。この番組は同年10月まで37話放送されたようです。
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月15日(金)07時42分28秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の17枚目は、Tete Montoliu の Piano For Nuria、1968年2月2日の録音です。
ジャケ写は、グランドピアノの後方からピアノを弾いているテテさんにピントを合わせているので、ピアノ用マイクはぼけております。しかしながらその形状から、恐らくはノイマンU67だと思います。
さてピアノへのマイクのセッティング方法ですが、ネットで見る限り、最低2本、3本は必要とのことです。しかしジャケ写には1本しか写っていません。これはフィリンゲンにあるSABAのトン・スタジオでの録音手法なのでしょうか。
さて本作を「今日の1枚」で取り上げたのは、2004年6月22日のことでした。その際には、ソロで演奏された「I surrender, dear」について、「ピアノの特徴と機能を最大限に活かした演奏で、女性を思う切なさが、痛いほど伝わってくる快演」と私は感想を述べました。しかしながら多くは演奏から外れた記述に終始していました。今日は真面目に聴いて見ます。
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月14日(木)07時28分39秒
  さてハルさんとベティさんの「マイク ジャケ」作品。
さばけた闊達な女性が、優しく人生の受け止め方を語っているような歌心でした。パーカーでお馴染みの「Out Of Nowhere」、ロリンズで知られている「What Is There To Say」でのベティさんの歌で、そんなことを強く感じました。私の中でこの14年間でベティさんは、「飲み屋さんで経験豊かな女性」から「さばけた闊達な女性」に変わったと申しますか、私が少しは成長したということなのでしょう。
さてハルさんなのですが、活躍の場面は少なし。その中で「Out Of Nowhere」でのクラリネットは、甘い語り口でなかなかのものでした。
 

9度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月13日(水)07時43分13秒
  その前に、この作品が録音された1955年1月1日(土)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「国際収支の健全化を推進、十億ドル台を期待、30年度の実質保有外貨」
世界との通商が今後ますます激しくなるための対策とのことです。

読売「日本再建の方途、本社主催 四党首座談会(上)、新中国を再認識せよ、交通・貿易の推進必要」
鳩山一郎総裁(民主)、緒方竹虎総裁(自由)、鈴木茂三郎委員長(左派社会)、河上丈太郎委員長(右派社会)の4名での座談会です。

朝日「西独再軍備可決、パリ協定ついに承認、フランス国民会議、賛成二八七、反対二六〇」
この年に西独はドイツ連邦軍を編制するとともにNATOに加盟、また東独は同年にワルシャワ条約機構に加盟すると共に翌1956年に国家人民軍を編制しました。


ではこの1月1日の新聞から少しばかり紹介します。
・1面下の小さな記事は「きょうから新市発足」との見出しです。会津若松市、深谷市、小牧市、尾西市、観音寺市、伊豫市の6つの市が新年に誕生したとの内容です。
因みに尾西市は2005年に一宮市に編入されました。また伊豫市は2005年に伊予郡中山町と双海町と合併し、伊予市となりました。
・正月ということで、映画6社の広告が12・13面下に並んでいます。興味深い作品が多いのですが、全23作品の中で私が知っている作品はありませんでした。その中でぜひ見てみたいと思ったのは、東宝の「鶴田・三船の男性No.1」という映画です。「迫力が物言う男対男、ネオンに踊る恋と恋」との宣伝文句が添えられており、岡田茉莉子と越路吹雪が共演しています。ビュイックの牧(三船)とラッキョウの健(鶴田)が活躍する内容だと、ネットに情報がありました。
・TV欄 NHK12:15から「青春スイート娘」という番組が放送されています。おそらくはドラマだと思うのですが、ネットには情報がありませんでした。
 

9度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月12日(火)07時30分56秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の16枚目は、Hal McKusick Plays ・ Betty St. Claire Sings、1955年1月1日の録音です。(月日は決め打ち)
この作品を、アルファベット順に並べてあるCD収納箱から引っ張り出しのに、苦労しました。歌手ベティ・セント・クレアの作品なのでヴォーカル箱を探しましたが、見当たらず。ではハル・マクシックで収納したかと思い、アルト・サックス箱とクラリネット箱を探しましたが、見当たらず。結局、ハル・マクシックでヴォーカル箱に入れておりました。
お馬鹿話はここまでとして、このハルさんとベティさんのコ・リーダー作品を「今日の1枚」で取り上げたのは、2005年10月14日でした。その際にベティさんのことを「飲み屋さんで経験豊かな女性から、甘ったるい声で口説かれているような雰囲気。何か気持ち悪いのですが、何か居心地が良く、しかし酔いが醒めたらやはり気持ち悪く」と、絶対に褒めていない感想を書きました。今回のつまみ食いでは、出来れば褒めた感想を書きたいと思うのと同時に、ハルさんの演奏にもコメントしたいと思います。
ジャケに映るマイクは、スタジオでのヴォーカル録りの定番RCA77だと思います。
 

10度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月11日(月)07時41分25秒
  今日のコルトレーン

19561130-03
Gnid (Tadd Dameron)
(5分9秒)



【この曲、この演奏】
この曲名はどのような意味なのか、web上で本曲に触れている日本語ページでは困っている方々ばかりです。そして私もその一人に加わりました。
字引を開きますと、「gneiss(片麻岩)」の次が「gnome(地の精)」であり、この単語はありません。ではg抜きではと思い調べますと、「nicotine(ニコチン)」の次が「niece(めい)」でありました。
意味だけではなく発音にも困りますが、dは黙字とするべきでしょうから、「ニッド」なのでしょう、各資料もそうなっています。
愛くるしく可憐しいメロディのこの曲では、ダメロンの誠実なピアノに、コルトレーンの女心に振り回されている男のテナー・サックスが加わり、楽しい5分間を過ごせる演奏です。未だに女心がわからない私には、何か突き刺さるものがこの演奏にあります。



【エピソード、歌に聴き入っている時のコルトレーン、教会】
歌に聴き惚れている時のコルトレーンは、物静かであった。とりわけ彼の内部を強くゆさぶるのは最低音部であり、力強い音色は彼の靴の底まで響き渡り彼の魂をいつまでも感動に包み込んでいた。
そんなコルトレーンは、南部の教会で盛んであった音楽と宗教が美しく混ざり合った場において活動的な伝達者として活躍していた。彼が所属していたのは聖スティーブン派メトロポリタン・アフリカン・メソジスト聖公会シオン教会であった。そこでスティール牧師と出会うのである。(資料01)
 

10度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月10日(日)08時02分58秒
  今日のコルトレーン

19561130-02
Soultrane (Tadd Dameron)
(5分24秒)


【この曲、この演奏】
清廉さと風雅な感じのこの曲は、ダメロンがコルトレーンの名前を入れて作った曲です。コルトレーンのために作った曲かもしれません。
コルトレーンのこのバラッドでの演奏は、言葉の綾を身に付けた演奏になっています。この1956年という時の、先頭を走るテナー・サックス奏者になってきているものです。実にお見事、何度でも聴き入る演奏です。そこに添えるダメロンのピアノが、コルトレーンの演奏を更に鮮やかなものにしています。
この後の進歩を続けるコルトレーンの節目に、この曲をもう一度演奏して欲しかったと思うのは、私だけではないでしょう。


【エピソード、中学に時にコーラスを聴くことに夢中】
コルトレーンは中学の時に、ハイスクールの講堂でコーラスをよく聴いていした。そんな時には、母親と従妹のメアリーが一緒だった。透き通るような美声のコーラスを聴くことが、この時のコルトレーンの大きな楽しみだったのだ。特に熱心に耳を傾けたのは、黒人霊歌であった。
コルトレーン自身も一度コーラスの一員になろうとしたが、彼の声はあまりにもためらいがちで音程も悪く、入団するのは無理であった。(資料01)
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月 9日(土)08時17分55秒
  今日のコルトレーン

19561130-01
Mating Call (Tadd Dameron)
(5分36秒)

【この曲、この演奏】
タッド・ダメロン作のこの曲は、コルトレーンの録音は本作品だけです。本セッションで録音されたダメロン作の全6曲、コルトレーンは本セッションだけでの演奏記録となっています。(資料06)
ダメロンは作曲と編曲に定評がある方で、この曲は異国情緒あるものです。
その演奏ですが、ワン・ホーンでのコルトレーンの、気がみなぎっている演奏が印象的です。フィリー・ジョーの出だしでのシンバル、そして曲の印象を深めるダメロンのリフも素敵なものです。ここにリーダーのダメロンの好演が加わっていれば、より印象的なものになったことでしょう。



【エピソード、この日のセッションについて】
コルトレーンにとっては、この日のセッションがプレスティッジでの7度目のセッションとなり、そしてプレスティッジで初のワン・ホーンでのレコーディングとなります。
このレコーディングはピアノのタッド・ダメロンがリーダーであり、コルトレーンとダメロンの共演記録は本セッションだけです。またベースのジョン・シモンズは1930年代から活動しており、ダメロンのバンドで演奏していましたので、その関係で本セッションへの参加となったのでしょう。当然ながらコルトレーンとの演奏記録は、本作品だけです。
全6曲がダメロン作なのですから、本作のリーダーはダメロンで揺るがないものですし、プレスティッジは「Mating Call」(LP7070)とのタイトルでダメロンの作品として発売しました。しかし1960年代になると、同タイトルながら「John Coltrane With Tadd Dameron」(LP7247)とのクレジットで本作を発売しております。
 

5度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月 8日(金)07時36分54秒
  今日のコルトレーン

19561026-11
Blues By Five (Miles Davis)
(9分59秒)

【この曲、この演奏】
一部ではガーランド作とのクレジットがある気軽なアップテンポ・ブルースですが、多くではマイルス作とクレジットされています。マイルスもガーランドも資料08によれば、この曲の演奏記録はこのセッションだけですので、セッション中にマイルスとガーランドのさりげない話からできた曲なのでしょう。コルトレーンの演奏記録も本セッションだけです。
さて演奏ですが、マイルスのオープン・トランペットもコルトレーンのテナーも思う存分歌っておりますが、ガーランドのブロック・コードが光り輝いている演奏となっています。
このマラソン・セッション後半は次の「My Funny Valentine」でお疲れ様になるのですが、そこにはコルトレーンは参加していません。


【エピソード、クビ宣告の関わるお話】
このマイルス・バンドは、1957年4月に2週間に渡り「カフェ・ボヘミア」で演奏しました。私家録音では4月13日の記録が残っています。
この2週間公演の後に、マイルスは2年間続いたこのバンドを解散しました。コルトレーンはクビになったのです。(資料05)(資料01では1956年11月にクビ宣告としている)
さて資料05に、このクビ宣告の際のこととして、「堪忍袋の緒が切れたマイルスは、パンチとボディブローをコルトレーンにお見舞いして、さっさとバンドを解散した」との記述がある。
マイルスがコルトレーンをクビにした時は、本当にコルトレーンのことを思ってのことだったのであろう。実際にコルトレーンは、これを機会に薬と縁を切り、快進撃を始める。その意味でもマイルスは、コルトレーンにとって大恩人なのだ。
ただ私見ですが、本当にマイルスはコルトレーンに手を出したのかと思っている。この話はコルトレーンに関する話の中で、私が本当かいなと思っている三つのうちの一つである。
 

8度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月 7日(木)07時42分37秒
  今日のコルトレーン

19561026-10
When Lights Are Low (Carter - Williams)
(7分31秒)


【この曲、この演奏】
ベニー・カーター作のこの曲は、このマイルス・バンドの演奏で知られるようになりました。
コルトレーンの演奏記録は本セッションだけであり、マイルスも1953年との2回だけです。
さて演奏ですが、陽気にのびやかなこの曲を、マイルスのオープン・トランペットとガーランドのピアノは曲と自身のスタイルの特徴を活かした良い演奏をしています。一方でコルトレーンの演奏ですが、何て表現して良いのかわからないような感じを受けました。この辺りは立て続けにリハ無しでのマラソン・セッションの難しさだったのでしょう。
なお前曲の「Tune Up」とメドレーで本曲は演奏されています。



【エピソード、ボブ・ワインストックの誤解」
この曲が収録されている、「ing四部作」で最初に発売された「Cookin'」の裏ジャケには、この曲が「Just Squeeze Me」とクレジットされている。これは単なる誤植ではなく、ボブ・ワインストックはこの「When Lights Are Low」が「Just Squeeze Me」と思っていたのである。
資料06にこのセッションでの、ボブ・ワインストック手書きのログ・ブックが掲載されている。6穴バインダー手帳に手書きで曲名を書いてあるものだが、そこには「Tune Up」と「Blues By 5」の間の曲として、「Just Squeeze Me」と書かれている。
確かにこの2曲は、テンポと曲調は同じ趣がありますが、それを言い出したらプレスティッジは曲名間違いのてんこ盛りになってしまう。このログ・ブックだけでの間違いならば勘違いで納得できるが、商品としてよに出す時にも間違えているので、本当にこの演奏している曲は「Just Squeeze Me」だと信じていたのであろう。ボブ・ワインストックほどの人がと思うが、その理由は確かめようもない。
 

10度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月 6日(水)07時27分23秒
  今日のコルトレーン

19561026-09
Tune Up (Miles Davis)
(5分44秒)


【この曲、この演奏】
マイルス作とされているアップ・テンポのこの曲については、資料06によればコルトレーンは3回の演奏記録があります。2度目の演奏は本セッション、3度目は1956年12月のフィラデルフィアでのマイルス・バンドでのライブで、後に発掘盤で世に出ました。そして最初のものは、1947年のEddie Cleanhead Vinson のバンドでの演奏記録となっています。(Cleanheadバンドでのこと、R&Bバンドでのコルトレーンの活動は、別機会に書きます)そしてこの1947年の演奏が、コルトレーンの最初のテナー・サックスによる演奏記録であります。またここで演奏された「Tune Up」は、Vinson作となっています。
マイルスは何度もこの曲を演奏していますが、最初の演奏記録は1953年のものです。
さて演奏ですが、全員が飛び跳ねるような軽快な演奏です。マイルスのオープン・トランペットが縦方向ならば、コルトレーンの演奏は横方向の揺れであるように感じ、このフロント二人の個性の対比の風味が生きており、このバンドの個性の強さが感じられるものです。



【エピソード、”クリーン”なのはマイルスだけ】
この時期のマイルス・クインテットで薬にクリーンなのは、マイルスだけであった。マイルスは1954年のニューポートで好評を博する前に、麻薬を打つ習慣とは手を切っていたのである。
しかしながら他の4人は相変わらず麻薬を売っていた。それは薬中毒フィリー・ジョー・ジョーンズの影響も強かったとの事だ。(資料01)
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月 5日(火)07時41分0秒
  今日のコルトレーン

19561026-08
Airegin (Sonny Rollins)
(4分26秒)



【この曲、この演奏】
続けてロリンズの曲を演奏しており、それはロリンズの代名詞の一つでもある曲です。マイルスとロリンズの共演でこの曲を披露した1954年の「バグス・グルーブ」でのものが、非常に有名な曲であります。マイルスはスタジオ録音では本セッションとの2回、しかしロリンズは「バグス・グルーブ」での1回しかこの曲の演奏を残しておりません。またコルトレーンは、本セッション1回だけの演奏記録です。(資料06,08)
さて演奏ですが、クインテット一丸となった重戦車のような出来です。マイルスのオープン・トランペットの切れ味に真っ向から立ち向かうコルトレーンのテナーも、頼もしい限りです。フィリー・ジョーの切れ味の良さも加わり、このバンドが当時のジャズ界の先頭を走っている様子が伺える演奏です。



【エピソード、ホッジスの思い】
資料01によれば、ホッジスはコルトレーンが思っていた以上に彼を可愛がっていたとのことである。しかしこと麻薬患者をバンドに置くわけにはいかず、また麻薬がコルトレーンの演奏に黒い影を落としていたので、ホッジスとしてはどうしようもなかった。
偉大な先輩から可愛がられていたのに、またホッジス楽団で有意義な活動を行なっていたのに、コルトレーンは自らそれを捨てたのである。
凡庸のミュージシャンならば、これでキャリアは終わり。しかしコルトレーンは、ジャズ界において遥か先を進んでいたマイルスから声をかけてもらったのである。この与えられた機会の重要性を考えて行動すべきコルトレーンであったが、どの時代においても麻薬から抜け出すのは容易ではないのであった。
 

8度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月 4日(月)07時32分10秒
  今日のコルトレーン

19561026-07
Oleo (Sonny Rollins)
(5分54秒)

【この曲、この演奏】
このロリンズ作のビ・バップの勢いがある印象的なナンバーをマイルスはお気に入りのようで、1960年台半ばまで何度も演奏しいます。
そしてコルトレーンもこの曲とは縁があります。本セッションを入れて計4回の演奏記録があり、その内の3回はマイルス絡みのものです。1958年9月9日のマイルスのライブはアット・ザ・プラザとして正規発売、そして1960年3月21日のマイルス・バンドにyいるフランスでのライブ演奏は発掘CDで世に出ています。残りの1回はレイ・ドレイパーのリーダー・セッションでのコルトレーンの演奏で、1958年11月or12月のスタジオ録音であり、ジュビリーから正規発売されています。
さて演奏ですが、影の主役はチェンバースのベースでしょう。マイルスとトレーンのソロの後ろを、ドラムとピアノがオフの状態で、踏み込みの良い疾走感あるベース演奏が聴けます。マイルスはアップテンポをミュート・トランペットで爽やかな風となり、コルトレーンは音色に格段の進歩を見せた濃い演奏を披露しています。



【エピソード、ヤク中・アル中のコルトレーン】
コルトレーンは1953年から、ホッジス楽団に加わっていた。そこではベニー・ゴルソンとの再会を果たし、演奏でも隣り同士、バスでも隣り、そしてホテルも相部屋であった。
このように魅力的な音楽生活を送っていたコルトレーンであったが、1954年9月にホッジス楽団を辞めたのであった。それをホッジスは黙って見送っていた。その際のことを、ジョン・ウィリアムスは次のように回想している。
「コルトレーンはサキソフォンを手にして椅子に坐っていたがその指は死んだように動かなかったし、口にくわえたままの楽器は石のように黙ったままだった。彼が麻薬をやっているのは、誰の目にも明らかだった。それも中毒が進んでいると思ったホッジスは彼に注意し、麻薬をやめるよう説得した。彼はジョニーの説得を受け入れ麻薬から足を洗うことを誓った。だが、その舌の根が乾かぬうち、翌日か翌々日にはもとの木阿弥となって、同じことの繰り返しだった」(資料01)
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月 3日(日)07時36分38秒
  今日のコルトレーン

19561026-06
I Could Write A Book (Rodgers - Hart)
(5分10秒)



【この曲、この演奏】
1940年に公開されたミュージカル「パル・ジョーイ」の主題歌として書かれた曲で、ジーン・ケリーが歌いヒットしました。また1957年に映画化された際にはシナトラが歌い、これまた大ヒットとなりました。ジャズではこのセッションの演奏が有名ですが、ケニー・ドリューやサラ・ボーンの演奏も親しまれています。(資料14)
この曲の演奏記録ですが、コルトレーンもマイルスもこのセッションだけです。(資料06,08)
都会の夜を粋に遊ぶ人間たちの楽しい様子が浮かんでくる曲ですが、マイルスのミュート・トランペットが笑顔を浮かべているがどこか哀しさがある女性を思い浮かばせる演奏、コルトレーンは精一杯粋がっている男の様子が漂う演奏を行っています。またガーランドは、イントロとソロで宝石の輝きのピアノを聴かせています。粋な演奏です。




【エピソード、ヤク中・アル中のコルトレーン】
コルトレーンは酒を飲みヘロインを使用していたが、これはこの時期のジャズ・ミュージシャンには珍しい事ではなかった。
資料03によれば、1954年と1955年にチャールス・ウィニックが行った社会学的調査の中に、ニューヨークに住むジャズ・ミュージシャンの16%がヘロインの常用者だったとのものがある。彼がニューヨークで357人からの聞き取り調査の結果であり、この時期にニューヨークの全ジャズマン、ウィニックはこの数を5千人と推定しているが、に適用すれば750人強のジャズ・ミュージシャンがニューヨークで活動していたことになる。
しかし面前調査で素直に答える人間は少ないことを考えると、これは最低限と考えるべきである。何れにしても「多くのジャズマンが・・・」と言う表現をよく見かけるが、16%と言う数字が調査結果としてあるのは貴重なことである。
 

7度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月 2日(土)07時27分58秒
  今日のコルトレーン

19561026-05
You're My Everything (Dixon - Young - Warren)
(5分19秒)


【この曲、この演奏】
1949年の同名映画の主題歌であるこの曲は、歌物ではナット・キング・コール、インスト物では本セッションが有名であります。(資料14)
愛を語りかけるこのバラッドは、コルトレーンもマイルスも本セッションだけしか演奏記録がありません。(資料06,08)
本演奏に入る前のスタジオでのやり取りの最後の部分は資料09によれば、ガーランドがシングルトーンで入り始めるとマイルスが演奏を止めてブロックコードで行けよと、指示しているとのことです。
ガーランド独特の華のあるブロックコードの響きで演奏が始まると、マイルスのミュート・トランペットが極上の輝きでスロー・バラッドを奏でていきます。そして次に登場するコルトレーンも、この時期には歌心を十分に表現できる演奏になっています。そして締めはやはりマイルスのミュート、素敵な演奏が終わります。



【エピソード、ヤク中・アル中のコルトレーン】
資料01ではジミー・コブが、薬に浸かっていた時期のコルトレーンとのエピソードを語っています。
『コルトレーンと私は、フィラデルフィアのショーボートで一緒に仕事をしていた。ある夜、休憩の時に、一人の男がわれわれの所に来て言った。「お二人に二階のお手洗いに来て欲しいのですが」私はそいつをホモだと思ったので「それで?」と言った。コルトレーンは黙っていた。すると男はバッジを見せながらすごんだ。「騒ぐな。おれは麻薬取締官だ」われわれは二階のトイレに連行され、シャツを脱がされ身体検査を受けるハメとなった。どこかのご婦人が、われわれが麻薬患者だと密告したらしい。私は彼に両腕を広げて見せて言った。「どう私のおてて、スベスベしててきれいでしょう」彼は目ざとくコルトレーンの腕を見て言った。「これは、この跡は一体なんだ」トレーンは従順な態度で答えた。「あざです。生まれた時からついていました」思わず私は吹き出しそうになったが、トレーンがあまりにも無邪気で子供っぽい態度だったので、麻薬取締官も彼の言うことを信じて、われわれを釈放してくれたのである』

もしもこの時にコルトレーンが捕まり、キャバレーカードを取り上げられていたなら、その後の彼の猛進がどうなっていたかと思うエピソードである。
 

7度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 3月 1日(金)07時12分6秒
  今日のコルトレーン

19561026-04
Half Nelson (Miles Davis)
(4分47秒)

【この曲、この演奏】
資料14にこの曲に関する面白い話があります。マイルスがパーカーとのサヴォイ・セッションのためにこの曲を書きましたが、ベース奏者ネルソン・ボイドが作った「レディバード」という曲をヒントにしているため、「半分はネルソン」との曲名にしたとのことです。
このビ・バップの有名曲ですが、コルトレーンの演奏記録は本セッションだけであります。
マイルスのオープン・トランペットはビ・バップに揉まれて来た方だけに、流石のグルーブ感です。それに絡んで行くコルトレーンのドライブ感も、マイルスと同じ土俵での演奏になっています。スピード感勝負のこの曲を、軽快に決めた演奏であります。




【エピソード、ヤク中・アル中のコルトレーン】
フィラデリフィアに、ジョンや他のミュージシャンが仕事終わりに集まる「パットの店」という、サンドイッチ屋さんがあった。ここの売り物はホーギーであり、それは長さ2フィート(約60センチ)のイタリアパンを縦に切り開いて具を詰め込んだものであり、潜水艦型サンドイッチである。
この1954年頃のコルトレーンは、体力を回復させるために人一倍食べていた。なぜ体力を回復させる必要があったかと言えば、それはコルトレーンが酒とヘロインを常に大量に体に入れていたからである。それで元気がなくなり体がだるくなり、体力回復策を図っていたのである。(資料01)
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 2月28日(木)07時20分0秒
  今日のコルトレーン

19561026-03
'Round About Midnight (Monk - Williams - Hanighen)
(5分22秒)


【この曲、この演奏】
モンク作の偉大なこのバラッドは、当初は器楽曲として書かれ、曲目には「About」入りでした。その後にハーニー・ハニゲンが詞をつけた際に「About」になったそうです。(資料14)
このセッションに関連した各資料、オリジナル発売のレコードでは、資料08を除いては「About」入りの曲名表記となっています。
資料06によれば、コルトレーンのこの曲の演奏記録は6回となっています。最初が本セッションの2週間強前のマイルスのCBS、本セッション、そして1958年6月のルグランのセッションでした。その後の3回はマイルス・バンドでのライブであり、非正規盤で世に出ております。
名曲を名演なのですから、ジャズ史に残る演奏であります。前半はマイルスのミュート・トランペットが、人生を振り返っているかのような、静かに心に差し込んでくる演奏です。一転して後半はコルトレーンが、もがきながらもこれからも進んで行く決意を述べているような演奏です。
このマイルス・クインテットが活動してから早一年が過ぎたのですが、この5人が一丸となる演奏は強力無双であります。




【エピソード、ヤク中・アル中のコルトレーン】
この1956年までのコルトレーンには、酒と薬がつきものだった。これから数回に渡り、そんなエピソードを紹介して行く。
先ずはコルトレーンが薬に手を出し始めたとされる1953年のお話を、資料1から。
「麻薬中毒は1920年代に、多くの黒人ミュージシャン達が例のスピーク・イージーで演奏した頃から始まったものだと思う。それを黒人街に持ち込んだのはギャング達だ。白人ギャング連中は、人間と思っていない黒人達に麻薬を売りつけて金もうけをしていたのだ。麻薬が社会問題になったのは、それが郊外の白人住宅地に入り込み中流階級の少年たちが麻薬を打つようになったからである」 ボビー・ティモンズ

「ミュージシャンたちがどっぷりと麻薬の世界に溺れてしまった理由は、彼らが音楽家として芸能人としてお互いに近づき、できるだけ親しく理解しあおうと望んだからだと思う。そこで麻薬をやるのが仲良くなるのに一番いい方法だと考えたのだろう。だから新しくバンドに入ったミュージシャンが、先輩と一緒に注射針を腕に突き刺すことによって、親しさを示すのは当然だというような習慣が生まれていたのである」 ジョージ・フリーマン

いつどこでコルトレーンが麻薬に手を出したのかははっきりしないが、アール・ボックス楽団を離れて、ジョニー・ホッジスのバンドに参加する前に「お仲間」によって麻薬、それもヘロインの世界へ引き込まれた。この「お仲間」が誰であるかは、誰も知らないと言われている。
 

7度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 2月27日(水)04時17分51秒
  今日のコルトレーン

19561026-02
Well, You Needn't (Thelonious Monk)
(6分18秒)



【この曲、この演奏】
モンク独特のリフが印象的なこの曲は、多くのジャズマンに演奏されてきています。資料06によれば、コルトレーンの演奏記録は3回です。先ずは1956年9月15日にマイルスバンド、本セッションと同メンバーでの、カフェ・ボヘミアでのライブで、私家録音で残っているようです。この年の春から秋にかけてマイルスはカフェ・ボヘミアで何度も演奏していますので、実際には数多く演奏していたと思います。最後が1957年6月26日に、リバーサイドでの御大モンクのセッションでの演奏です。またマイルスはこの曲を、この後もライブで度々演奏している記録があります。(資料08)
さて演奏ですが、5人全員が全速で走り抜けて行く演奏です。特にコルトレーンは出だしを任されて意気に感じて力闘しており、マイルスはオープン・トランペットで親分の存在を示し、ガーランドはいつもとは違う音色で勝負に出て、チャンバースとフィリーは力強さを前面に出した演奏です。何かの鬱憤を晴らした5人の印象で、聴き終えました。




【エピソード、フィリー・ジョー・ジョーンズとコルトレーン、そしてプレスティッジ】
フィリーとコルトレーンと言えば、何度も共演している盟友との印象ですが、マイルス絡みを除くと5回しか共演がありません。ブルーノートでのチャンバース、プレスティッジでのエルモ・ホープ,ロリンズ,そしてダメロンとの共演、さらにはベツレヘムでのオスカー・ペティホールのリーダーセッションです。自分のバンドを持つ前のプレスティッジにはもっと共演があるかと思うのですが、意外でした。
次にフィリーのプレスティッジへの録音ですが、マイルスとコルトレーン絡み以外では、5回しかありません。これをどう考えるかですが、1950年代の売れっ子ドラマーと毎週金曜日にヴァンゲル・スタジオで録音を行っていたプレスティッジですので、私には少ないと感じます。(資料08)
これについて資料11に、フィリーとボブ・ワインストックの関係があまり良くなかったとの記述があります。
なるほどと思いながら、他にも事情があったのだろうなとか思った次第です。
 

11度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 2月26日(火)07時16分59秒
  さてズートさんの「マイク ジャケ」作品。
「In The Middle Of A Kiss」という、薄っら悲しげなバラッドがあります。有名曲ではないですが、素敵な曲です。ズートさんのテナーは、この薄暮のような悲しさを絶妙な塩梅で聴かせてくれています。このCDには追加曲があり、この曲の別テイクが2つ収録されています。この二つも良いのですが、本テイクと比べれば薄暮の加減が少し違うもの。やはり良い演奏となるまでにはステップが必要なのですね。
またソプラノ・サックスでの演奏では、「Rosemary's Baby」でのスリリング感に、聴き入りました。映画「ローズマリーの赤ちゃん」とのこの曲の関連性は分かりませんが、映画でのミア・ファローの表情が浮かんでくる演奏でした。
本作を久しぶりに聴き返し、良い時間を過ごせました。
 

11度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 2月25日(月)07時27分28秒
  その前に、この作品が録音された1973年5月30日(水)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「物価抑制へ総合策急ぐ、機動的・果断に実行、政府・日銀、多様な要因に対処、スタグフレーション警戒の声」
スタグフレーションは経済の循環なのか、構造的に起きるのか、私はそんなことを勉強していました。

読売「国会きょう審議再開、防衛庁長官に山中氏、増原氏辞任、社共 内閣責任追及へ」

朝日「国会やっと正常化、きょうから審議を再開、防衛長官に山中氏、田中政権になお苦難、国鉄・健保など焦点」

不用意発言が相次いでいました。二日目には衆院議長の中村氏が辞任、理由は「(野党を)ごまかした」と発言したことでした。続いて防衛長官の山中氏は、天皇陛下へのご説明内容をもらしたとのことでした。この山中氏の件の経緯をネットで調べたのですが、見つかりませんでした。


ではこの5月30日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・15面に追跡というコーナーがあります。これは読書からの当初を元に、「追跡」して行くものです。この日は57歳男性からの投書で、「規定時間までなぜ見せぬ、国立科学博物館」との見出しです。投書の方が16:30閉館を意識しながら見学していたら、16:14に「もう終わり、出て下さい」と言われ、突然電灯が消えたとのことです。追跡結果の見出しは、「閉館イコール勤務終了、民間とはサービス大違い」とのことです。
この記事の時期は私が世間を意識し始めたときですが、「お役所仕事」という言葉をよく聞いていました。徐々に良くなって行きますが、民間と比べるとまだまだです。
しかし映画を見ると、この手の「お役所仕事」はよく見るシーンです。万国共通のことなのでしょう。
・6面に「都心より1時間の優雅な27ホールズ 丘陵 林間コース」との広告があります。佐野ゴルフクラブを運営するカネスと、販売提携している京王百貨店の広告です。「個人正会員200万円、法人正会員400万円」となっています。このコースは今でもカネスが運営して頑張っている、栃木県佐野市にあるゴルフ場です。因みに現在の個人正会員権相場は、売り15万円 買い5万円、名変30万円、年会費2.5万円、庶民のゴルフ場になっています。
・TV欄 NHK教育21:00からの「通信高校 英語A1」のお題は、「タイガーズとスパイダーズ」です。身近なテーマでお勉強なと思ったのですが、この大人気グループ・サウンズは1971年と1970年に解散しています。また両グループ名の最後は濁らないのが正解。このお題をどのように扱った英語授業だったのか、興味があります。
 

5度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 2月24日(日)06時42分11秒
  昨日、ディスクユニオン関内店の中古CD半額セールに行ってきました。
42枚で11,220円でした。いずれ「今日の1枚」で取り上げます。


「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の15枚目は、Zoot Sims の Zoot At Ease、1973年5月30日です。
ズートさんのソプラノ・サックスの前にあるマイクについては、マイク資料に情報はありませんでした。ブルー・マイクロフォンズ社の製品に似てはいたのですが、そこどまりでした。
この特徴あるマイクが写っている本作を「今日の1枚」で取り上げたのは、2000年5月31日でした。「ソプラノがエキゾチックな香を」「なかせ方に圧倒」と、シムズの存在感に惚れ込んだ感想を書いておりました。「Alabamy Home」と「Softly,As In A Morning Sunrise」を取り上げての感想でしたので、今回のつまみ食いでは他の曲に惚れて見ます。
 

7度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 2月23日(土)07時53分41秒
  さてマレイさんの「マイク ジャケ」作品。
例えば「Chazz」、このセッションには参加していませんが、マレイの盟友のベース奏者ウィバー・モリスによる曲で、マレイが何度も演奏している曲です。人生を問いかけているようなスローナンバーを、マレイのバスクラは様々な表情を見せながら演奏しています。決して派手さはありませんが、聴き込みほどに味わいが増してきます。
ここが本作の全体のポイントと言えるでしょう。マレイの数多くの作品の中では語られる機会の少ない作品と本作は言えますが、スルメ盤として凛々しい存在です。

参考資料「Sound Designer 2018年6月号 マイク読本」有限会社サウンド・デザイナー発行
(文中ではマイク資料と表記)
 

6度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 2月22日(金)07時39分22秒
  その前に、この作品が録音された1991年10月14日(月)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「対ソ本格支援へ4条件、G7特別声明、債務に責任体制を、ソ連と合意、来週にもG7D、返済猶予なお協議」

読売「対ソ金融支援に4条件、G7特別声明、計画の明示求める、プラス会合 債務猶予は先送り」

朝日「G7、対ソ金融支援で協調、ソ連と4条件合意、具体化へ代理会議月内に、モスクワ」

この1991年はソ連が崩壊へ進んだ年でした。8月19日のクーデーター失敗、ゴルバチョフの権威失墜、そんな中でのこのG7の動きでした。この年の12月25日にはソ連が崩壊しました。



ではこの10月14日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・1面に「広島、5年ぶりに優勝、19日から西武と日本一決戦」との見出しがあります。この年のセ・リーグの順位は、広島・中日・ヤクルト・読売・横浜大洋・阪神でした。広島は先発投手では佐々岡が大活躍、最優秀選手・最優秀防御率・最多勝利賞を獲得しました。救援投手では大野が活躍し、最優秀救援投手になりました。また打撃では、野村が最多安打賞となったのです。しかしながら日本シリーズでは、秋山の大活躍などで西武に軍配が上がりました。
・1面にテルモの血圧計の広告があります。私はテルモの血圧計のシェアは高いものだと思っていましたが、2018年は3.29%と5位でした。因みにトップはオムロンの54.43%でした。
・TV欄 日テレ 10:25からの5分番組「ゴルフしま専科」という番組があります。この手の番組はテレ東の専売特許と思っていましたが、日テレにもあったのですね。しかしネット上にはこの番組に関する情報は無し、きっと短命だったのでしょう。
 

8度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 2月21日(木)07時28分31秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の14枚目は、David Murray の Ballads For Bass Clarinet、1991年10月14日の録音です。
このマレイのバス・クラ作品を「今日の1枚」では、1999年11月24日に取り上げました。バス・クラの音をマレイなりに極上まで高めた本作、そこには当然マイクの存在があります。
ジャケに映るマイクは、暗い写りながらもその特徴が分かるものです。早速マイク資料で調べたのですが、ロイヤー・ラブスのR-121に似ています。しかしながら先端の形状が違うので、ネットでこのメーカーの他のマイクを調べましたが、ジャケにある形状のマイクは見つかりませんでした。またマイク資料ではR-121を数カ所で取り上げていますが、それはギター録音での記述でした。ここで手詰まり、調査は終了です。
20年近く前の本作への感想ですが、音にこだわったものだけになりました。今回のつまみ食いでは、マレイの歌心についての感想を書きたいです。
 

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