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19度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月24日(月)07時31分31秒
  「マイク ジャケ」作品の25枚目は、Joe Haider の A Magyar/The Hungarian/Die Ungarische、2001年4月10日の録音です。
この作品が録音されたRadio DRSは、チューリッヒの中心から北に1kmほどの所にあります。グーグル・マップで確認できるのは2014年撮影の写真ですが、この辺りは空き地がそれなりにある住宅街に新しいビルが建設されている地域です。しかしRadio DRSはその中でも築20年は経っている8階建てのビルです。
その中のStudio 2を使ってレコーディングしている様子の写真が、本作のジャケットに使われています。結構広いスタジオでの2枚の写真で確認できるマイクは、ドラム上部にセットされた1本だけです。それはダイナミックマイクのゼンハイザーMD421、通称白クジラに見えますが、何しろピンが手前のベースに合っており奥のドラムはボケていて、「そう思うけどな、でも違うよね」程度の見え方です。
2002年8月12日に「今日の1枚」で本作を取り上げた際に私は、「お爺さんグレイト」と当時60才代半ばのハイダーさんの演奏への感想を述べました。この当時のハイダーさんの年齢が想像出来るようになってきた今の私は、どのような感想になるのか楽しみです。作品タイトルはハンガリー人というような意味ですので、そこも考え合わせて聴いてみます。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月23日(日)07時40分50秒
  さてJJさんの「マイク ジャケ」作品。
やはりJJのトロンボーンとジャスパーのサックス、この2管の色の重なり具合が興味のポイントになりますが、この上なく色気ある演奏を聴かせています。アップテンポよりスローの方に魅力を感じ、「In A Little Provincial Town」「I Shoul Care」と続く展開に聴き入りました。
スローの方をよく感じた理由に、録音状態があるかもしれません。ラジオ局用ということなのか、レコード会社が使用したテープによるのか、ベールが何枚もかかった音質です。また2管の録音レベルが低いこともあり、それが余計にスロー・テンポの演奏をよく感じさせたのでしょう。
このカルテットの演奏には、すこぶる纏まりの良さを感じます。ネット上でJ.J.Johnsonのディスコグラフィーを発見できないのですが、トミフラとエルヴィンのディスコを見ますと、このメンバーで1956年7月と1957年1月に何度も演奏を行っています。本CDには録音時期について「early 1957」と記されており、この時点では気心知れたメンバーになっていたのでしょう。この演奏はLPとCD合わせて2348枚が世の中に出回っています。これを持っている私はラッキー! などと言う程の作品ではありませんが、持っていて心地よくなれる作品であります。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月22日(土)07時30分32秒
  その前に、この作品が録音された1957年1月1日(火)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「好況にインフレ含み 今年の日本経済、安定成長に焦点、下期には 景気調整に要、消費支出増大しよう」
戦後復興景気と朝鮮特需で成長してきたこの時の日本経済ですので、理解するのには結構な知識が必要になるのでしょう。私は見出しの意味を掴むのに、苦労しています。

読売「日本の基本方針を訓令、新春再開の国連総会、善意の調停者へ、自由陣営の一員に立ち」
日本はこの元旦の2週間ほど前に国連加盟が承認されました。

朝日「南極を目指して」
最後のコースをゆく宗谷と海鷹丸、との説明文付きで両船の写真が掲載されています。



ではこの1月1日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・2面の「海外トピックス」に、「モナ・リザ とんだご難」との見出しがあります。30日のルーヴル博物館で42才の男が、「ポケットに石を入れていたが突然これを画にぶつけてやれとの気になった」と、モナ・リザに向けて石を投げつけました。石はガラスを破り絵にあたり、ひじ部分に1平方センチほどの剥がれ落ちができたとのことです。
名画「モナ・リザ」は何度も損壊事件を受けています。この石男の1956年には酸をかけられたこともあり、防弾ガラスのケースに入れられるようになりました。1974年に「モナ・リザ」が来日した際にも、赤スプレー吹き付け事件がありましたが、絵は無事でした。
・新年あいさつの広告が中心であり、6面には丸見屋の広告があります。「初風呂にミツワ石鹸」とあり、妙齢の女性のアップ写真が掲載されています。
ミツワ石鹸は1964年まで丸見屋という社名でした。ミツワ石鹸やミューズという商品は今でも人気モノですが、会社は多難な展開の中で2014年には廃業となっています。
・TV欄 NHK 19:30「初笑い東西寄席中継」の出演者は、円生に志ん生でした。すごい共演ですね。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月21日(金)07時19分22秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の24枚目は、J.J.Johnson の Live At Cafe Bohemia、1957年1月1日の録音です。(年はジャケ情報、月日は決め打ち)
J.J.Johnsonのカフェボヘミアでのこのライブ盤を「今日の1枚」で取り上げたのは、2006年6月3日のことでした。その際には気付かなかったのですが、ジャケと裏ジャケでの演奏写真はカフェボヘミアではなく、スウェーデンでの夏フェスでの様子です。何しろ裏ジャケに映る観客は万を超えていそうなものなのです。
この夏フェスでのステージでJJさんのトロンボーンの音を狙っているマイクは、曲がったマイクスタンドにセットされた、恐らくはノイマンKM56Cでしょう。
「しっとりと、異国情緒で、哀しさを内に秘めて」と私は13年前に感想を述べましたが、良くわからない表現なので、今回のつまみ食いでは少しは気の利いたことを書きたいと思います。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月20日(木)07時40分29秒
  さてアニーさんとポニーさんの「マイク ジャケ」作品。
このライブはポニー・ポインデクスターのリーダー作品だと考えると、彼のエンターテイメント振りを味わえる楽しい作品となります。私を含め多くの方の本盤購入理由はアニー・ロスですしょうから、その意味合いでは「焦点が見出せない作品」となってしまいます。
さてポニー・ポインデクスターの経歴を眺めてみると、彼が歌っている点について触れた資料が見当たりませんでした。想像するに、ライブでは歌っていたがレコードとなると制作側から歌は望まれなかったということでしょう。その意味ではMPSが本作品を残したことに、意義があったと言えるのでしょう。
軽い気持ちで聴くのをお勧めする作品です。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月19日(水)07時40分34秒
  その前に、この作品が録音された1966年5月1日(日)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「設備投資に活、国際競争力の強化が急務、一部を損金参入、研究投資に補助金」
鉄鋼、自動車、石油化学などが対象とのことです。重厚長大産業を鍛え上げている時期なのでしょう。

読売「中国 ベトナムで米ソを非難、平和会談 米の術策、ソ連援助は革命そこなう、毛思想で文化革命進む、周総理が演説」
文革、ベトナム、対米、対ソ、課題山積みの中国の様子を表してる見出しです。

朝日「在外財産審 七日にも答申、報償金に落ち着く? 保障義務 法理論上で難点」
見出しからはポイントが掴めませんが、引揚者への対策とのことです。
この件は1967年に引揚者へ特別交付金の支給を持って完了となったが、1980年代に入りまた議論が出始め、1984年に特別の基金を設けるとの方向になりました。



ではこの5月1日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・1面に「富良野市が誕生」との見出しの小さな記事があります。人口は3万6千人とのことです。
テレビドラマで富良野が有名になるのは、これから15年後のことです。
・12面に「新発売 ブラザー冷蔵庫」との広告があり、カラフルな戸の冷蔵庫が5種類並んでいます。冷蔵庫はいろんな会社から発売されていましたが、ブラザーも発売していたとは知りませんでした。ネットで調べた限りでは、1995年に新発売した冷蔵庫があるようですが、今ではカタログから消えております。
・TV欄 フジテレビ 23:11から「今週のハイライト」が放送されています。この番組自体はウィキペディアに見当たりませんでしたが、漫画トリオが出演していた番組かと思います。この番組で政治に関心を持ったコメディアンが政界に進み、大阪府知事になり、最後は強制わいせつ事件で辞任というオチをつけました。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月18日(火)07時24分57秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の23枚目は、Annie Ross & Pony Poindexter With The Berlin All Stars、1966年5月1日の録音です。
このライブ盤は「Volksbildungsheim, Frankfurt」で収録されており、ウィキペディアを見ますと「フランクフルトアムマイン教育センター」という意味の成人向けの教育施設とのことです。そこには1000席ほどのホールがあるとのことですので、ジャケに映る様子はそこでのものでしょう。
ジャケに映るのは女性はアニー・ロス、男性はポニー・ポインデクスター、そしてマイクが3本用意されています。2本のマイクは二人の歌声のためのものですが、残りのチューブタイプと思う1本はやけに上向きにセットされています。考えてみれば歌声用の2本は低い位置にセットされています。右斜め上からの俯瞰写真ですので、撮影角度でそう見えるのでしょうか。
2004年1月26日に「今日の1枚」で本作を取り上げた際には、内容に突っ込んだ感想は述べておりませんでした。今回の「つまみ食い」では、真面目に聴いてみます。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月17日(月)07時50分40秒
  さてベニーさんの「マイク ジャケ」作品。
ジャケに写っている観客は斜に構えてジャズを静かに理解していくように見えますが、本作での観客の反応は熱狂的なものです。その要因はホーンの二人の熱演にもよるものですが、やはりマルの生気あふれる演奏が観客を熱狂させている最大の要因だと感じました。
マルはピアノがメインの演奏形態でも存在感あるピアニストですが、このような管楽器入りのバンドでの演奏でも力ある演奏でバンドを盛り上げていく才のある方です。そんな姿はドルフィーとリトルのファイブ・スポットを筆頭に幾つかあり、本盤もそんな1枚でしょう。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月16日(日)07時44分9秒
  その前に、この作品が録音された1968年1月11日(木)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「流通機構のゆがみ正す、おとり広告規制、再販品目を減らす、公取委」
人手不足下の物価高の一因が流通機構の歪みと判断とのことです。再販は医薬品を中心に品目を減らし、またデパートやスーパーのおとり広告での「大安売り」にもメスを入れるとのことです。
再販品目は書籍や音楽レコードなどの著作権モノだけかと思っていましたが、ウィキペディアによれば「化粧品、毛染め、歯磨き、家庭用石けん・合成洗剤、雑酒、キャラメル、医薬品、写真機、ワイシャツの9商品が、おとり廉売からブランドを守るため」に再販品目に指定されていたとのことです。1960年代から徐々に品目を減らしていったのですが、最後に指定取り消しとなったのは1997年の化粧品と医薬品だとのことです。この記事から長い時間がかかったようです。

読売「エンタープライズ寄港、政府 警備対策固める、機動隊五千を増援、18日の上陸に配慮要請も」

朝日「デモ隊に自重求む、米原子力空母入港、政府の警備方針決る、当日の上陸中止要請」

佐世保港へのエンタープライズの寄港は大変な騒ぎ隣、ウィキペディアにも「佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争」として項目があるほどです。
幼い時の記憶が微かにある私ですが、当たり前ですが政治的な背景など知る由もなく、エンタープライズのおもちゃを親にねだっていたことがはっきりした記憶です。


ではこの1月11日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・5面に「トヨタ・鈴木の提携、石田会長が示唆、(自動車再編 新たな一投)」との見出しがあります。トヨタの石田会長の発言です。
この時点でトヨタは日野自動車とダイハツと業務提携しており、鈴木と提携できれば軽でも1位になるとのことです。そうすると日産は、軽がある東洋との提携に動くとの、記事コメントです。
さてこの記事でキーとなっているスズキですが、日産やマツダなどにOEMを行ってきましたが、資本提携はなかったようです。この記事にあるようなトヨタとの関係にはならなかったのですが、2017年にはトヨタと業務提携との発表がありました。この記事から半世紀経ってのことですが、これもどう進むのか分かりません。
日本の自動車業界は一寸先は・・・なのでしょうかね。
・15面に「メリー・アーモンド・スカッチ」との広告があり、評論家の戸塚文子氏が「原稿書く間にこの小さなスカッチ」とコメントしています。この聞きなれない商品ですが、ネットで調べますと「古くからヨーロッパにある、飴を高温で煮詰めて作るスカッチにローストアーモンドを加えたもの」との解説があり、「あーあれか」と納得しました。メリーとはメリーチョコレートカムパニーのようです。ちなみに広告にコメントを寄せている戸塚文子氏は、著名な紀行文作家とのことです。
・TV欄 TBSで19:30からの「チャコねえちゃん」は、写真付きで番組紹介記事が載っています。山崎唯氏と写っている四方晴美はこの当時は10歳でした。
 

16度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月15日(土)08時01分1秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の22枚目は、Benny Bailey の Soul Eyes、1968年1月11日の録音です。
ドミシルというジャズクラブは、1965年から1981年までミュンヘンにあったジャズクラブです。国際的に有名なジャズクラブだとウィキペディアにありますので、数々の名演が行われていたのでしょう。今このクラブをネットで調べますと、このベニー・ベイリーのライブ作品が多くヒットします。
さてジャケットを眺めますと、マイクは何本もステージ上にセットされていますが、トランペットを吹いているベニーさんにはマイクは用意されていません。100人ほどの収容人数ですの生音だけで十分なのでしょうが、それを言ったら他の楽器も同じですので、このマイク無しが気になりますが、考えても答えの出るものではありませんね。
本盤を「今日の1枚」で取り上げたのは、1999年5月30日のことでした。私はやけに熱を込めて感想を書いておりましたが、今日はジャケを眺めながらこの日の100人ほどの観客の反応を楽しみます。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月14日(金)07時24分21秒
  さてペイジさんの「マイク ジャケ」作品。
「ジャズ歌手とされている方々の表現方法はないが、ジャズのフィーリングを持ち、素晴らしいスイング感を持っている人だ」との青木啓氏の言葉が国内盤CDの解説にありますが、ペイジさんの魅力を言い得ております。確かな歌唱力と健康的な歌声に、「The Lady Is A Tramp」で楽しめるスイング感が加わりますので、時折聴く歌手としてはペイジさんは頼もしい存在です。
 

17度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月13日(木)07時00分14秒
  その前に、この作品が録音された1956年5月1日(火)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「衆院の議事 全く進まず、信任決議で大混乱、社党 実力で上程阻止」
社党の議員が益屋議長と鳩山総理席に突っ込んでいく写真が掲載されています。

読売「衆院乱闘寸前の混乱、中間報告また持ち越し、小選挙区審理、社党 殺到戦術に出る」
鳩山首相を取り囲む社党議員の写真が掲載されています。
日本での小選挙区制は、1994年の法改正により1996年の衆院選から実施されています。その前にはこの記事の1956年、そして1973年の田中内閣の時に小選挙区導入を試みましたが、大政党に有利であるとの批判のもとで、両内閣共に導入を断念しました。

朝日「ドムニッツキー氏後任入国、政府条件付き承認、代表の権限はない、西大使に回答を訓令」
在京元ソ連代表部主席の扱いについての記事で、この時期は漁業交渉で日ソが緊迫した状態でした。
なお1面に衆院の記事も写真付きで掲載されており、それは首相を囲む社党議員を上から写した写真でした。


ではこの5月1日の日経新聞から少しばかり紹介します。
・3面に「大阪造船が冷凍船を受注」との見出しの小さな記事があります。極洋捕鯨から受注したとのことです。
大阪造船は現在のダイゾー社であり、事象の軸足を化学工業に移しておりますが、造船事業も継続しタグボートを手掛けております。
極洋捕鯨は極洋との社名で、現在では水産品の買い付けや加工を主に事業を行なっております。
・11面に「ソフト サンスター シオノギ」との広告があります。「もう粉歯磨の時代ではない」「日本で始めての新型半練歯磨」とも書かれています。粉で歯を磨く経験のない自分としては、興味深くこの広告を見ました。「夜ねる前にも歯をみがきましょう」との文句にも、」時代を感じます。
なおこの広告では、「始めて」という漢字を使っております。
・TV欄 日テレ 19:30から「映画人東西対抗野球戦実況(後楽園)」との番組があり、森繁久弥・灰田勝彦・錦之助の名があります。芸能人野球大会かと思ったのですが、この日の後楽園球場では、番組欄には書かれてませんが「読売 対 広島」の試合が行われておりました。ですのでこの番組は、読売 対 広島戦を放送しながら、役者に喋らせようとのものだったのでしょう。
 

16度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月12日(水)07時44分11秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「マイク ジャケ」です。


「マイク ジャケ」作品の21枚目は、Patti Page の In The Land of Hi-Fi、1956年5月1日の録音です。(年は確定情報、月は多分、日は決め打ち)
1950年代のパティ・ペイジさんについて、ウィキペディアから引用します。
「アメリカのスタンダード・ポップスを代表する女性歌手であり、1950年代に女性アーティストとして最も多くのレコード売り上げ枚数を記録した」
「最大のヒット曲は同じく1950年にリリースされた「テネシーワルツ」である。この曲は同年に13週間にわたって1位の座にあり、累計売上げ枚数は600万枚に達しビルボード誌のヒット・チャートで1950年代最大のヒットを記録した」
ペイジさんは、押しも押されもせぬ、国民的大スターだったのです。しかし大スターだからと言っても、マイク6本を準備する必要はないでしょう。
2004年9月25日に「「今日の1枚」でこの作品を取り上げたのですが、RCAの44BX、ノイマンU47などのマイク6本に囲まれた、ペイジさんのレコーディング風景がジャケットになっています。
「高音質」を謳い文句にしている本作への15年前の私の感想は、上っ面の褒め言葉で簡単に済ませたものでした。今回のつまみ食いでは、もう少し気持ちを入れて感想を書きたいものです。
 

16度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月11日(火)07時35分7秒
  今日のコルトレーン

19570420-06
The Cat Walk (Teddy Charles)
(7分13秒)


【この曲、この演奏】
キャットウォークと言えば、ファッションショーでモデルさんが独特の歩き方をする、あの長い舞台のことです。そして他にも、工場や劇場、そしてダムや貨物機などにある狭い通路を指す言葉のようです。猫が通れるだけの狭い通路、そんなことなのでしょう。
ジャズでキャットウォークと言えばドナルド・バードのBN作品となりますが、本セッションにテディ・チャールズ作の曲として収録されています。
テディ・チャールズのイメージからは外れますが、実にムーディな曲です。その中での各ソロは、どのように振る舞うか迷っている演奏です。資料11はこのセッション全体について、「もっとコード・チェンジになじむ時間があったなら、ソロイストの演奏は一段と違ったであろう」と評しています。これはここでの演奏には当てはまるものだと、思いました。
曲自体は舞台をゆったりと歩くモデルさんの優雅な動きをイメージしたのでしょうけれど、狭い通路をギリギリの思いで歩く様子が欲しかったなと感じました。



【エピソード、家で練習】
「ソニー・ロリンズは橋の上で練習し、私は公園の中で練習をしたものだが、コルトレーンはいつも自分の部屋で練習していた」ハンク・モブレー
フィラデルフィアにいた1943年のある晩の、アパートでのコルトレーンの練習は次のようなものだった。
夜食で腹ごしらえした後に、教則本を前にしていくつかのコードの正確な演奏練習を始めようとしていた。リードがムラなく平らに削れたかを確かめ、それを締め金でマウスピースに固定する。そして綺麗に磨き上げたアルト・サックスを首紐にかけ、サックスを右に少し傾けて下げ、右の親指を指のせにかけ、他の指をボタンに当てた。こうして練習を始めるのだが、ときおり奇妙な音が出ることがあった。中古のアルトの限界と思うこともあれば、リードの削り直しを行うこともあった。こうしてアパートで練習する夜を続け、やがて自分が敬愛してやまないホッジスの流れるような美しい音に近づいて行くのがわかった。
これまでの短い人生において、まるで女を抱きしめるような手つきでサックスを腕にだき吹奏に熱中しているときほど、大きな開放感を覚えることはなかった。
自分が創造している音楽にしても、今のところは自分だけの楽しみなのである。
(以上全て資料01)
 

16度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月10日(月)05時55分58秒
  今日のコルトレーン

19570420-05
Witches' Pit (Pepper Adams)
(6分43秒)


【この曲、この演奏】
曲名を検索すると本セッションが真っ先に検索されるので、「Witches' Pit」はよく使われる言い回しではないようです。「witch」には「魔女」の他に、「すごく魅力的な女」との意味合いもあるようなので、「魅力的な女の落とし穴」との意味合いなのでしょうか。
この曲のコルトレーン唯一の演奏記録(資料06)となるここでの演奏は、明るく振る舞うように努めているコルトレーンのソロが、微笑ましいものです。ペインやマルのソロは、魅惑の女性を前にたじたじしている様子。その中でアダムスだけが堂々としている演奏です。アダムスの若い時からの写真からは想像できませんが、この中で女性との縁に長けていたのはアダムスかなと感じました。その後に落とし穴に落ちるのは誰なのかは分かりませんがね。



【エピソード、フィラデルフィアでビル・バロン】
オルンスタイン音楽学校の同じクラスに、ビル・バロンがいた。ビルはテナー・サックスのテクニックを勉強していた。二人はノース・キャロライナのローカルバンドの話で盛り上がり、二人は友達になった。ビルはコルトレーンのアパートを訪れ、コルトレーンは両親の家に住んでいるビルを訪問していた。彼らの話題は音楽のことばかりで、アルトとテナーの音の違い、特に二つの楽器の音が交わり重なる時の音域について話し合った。
しかしこの関係も1944年夏にビルが徴兵されて、終わりとなった。(資料01)
 

17度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月 9日(日)07時51分33秒
  今日のコルトレーン

19570420-04
Velvet Scene (Mal Waldron)
(4分54秒)


【この曲、この演奏】
ベルベット、ビロードの方が通りが良いかな、織物のことです。ウィキペディアによればフォーマル・ドレスやカーテンに使われているとのこと。そうすると曲名は、ベルベットがある場面のことなのでしょう。しかしウィキペディアにはさらに、「生地としての利用の他、レコード拭きに利用された」とあります。そこに何か音楽的な意味を含めた曲名なのかもしれません。
至極の端麗さを持つバラッドです。アダムスのソロもこの曲にあった出来栄えですが、コルトレーンのそれは珠玉の出来になっています。贅沢に美しいドレスをまとった麗人がいる空間、曲名の意味するところはこれでしょう。
コルトレーンはここだけの演奏曲ですが、それはマルも同様です。(資料06,08)
なぜにマルがこの美しいバラッド曲を再び披露することがなかったのか、不思議な思いです。


【エピソード、オルンスタイン音楽学校】
コルトレーンはフィラデルフィアに来てから数ヶ月後に、市内の優れた音楽学校の一つのオルンスタイン音楽学校の学生になった。彼は精糖工場で日常勤務しながら、マイク・ゲラ先生の下で音楽を学んだ。
コルトレーンは早めの誕生祝いとして中古のアルト・サックスを母親から贈られたもので、それは十分に使用に耐えられるものであった。このアルトを使って彼は、ゲラ先生からのサキソフォンのテクニックを学んでいた。その時に様子をゲラ先生は次のように述べている。
「彼は私の担任のクラスに入って苦労せずにもっとも優秀な生徒となった。あるとき私は複雑なコードを次から次へと書き半音階の特別練習として生地たちに宿題として与えたが、彼は翌日それを学校に持ってきて即座に演奏した数少ない生徒の一人だった。私が教えることを片っ端から覚えてしまい、いつでももっと教えて欲しいとせがむ生徒だった」(資料01)
資料05には、母親がローンでアルト・サックスを買った支払明細が掲載されている。63ドルを12ヶ月で返済している。またコルトレーンはオルンスタイン音楽学校に通いながら、さらに地元のミュージシャンと日夜ジャム・セッションを行っていたとのことだ。
 

19度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月 8日(土)07時57分23秒
  今日のコルトレーン

19570420-03
Route Four (Teddy Charles)
(6分55秒)


【この曲、この演奏】
国道4号線は東京都中央区から青森市まで続く道で、8514.9kmで全国最長の道であります。当然ながらこの曲名はアメリカのもので、西にニューヨーク州イーストグリーンブッシュから、 東にニューハンプシャー州ポーツマスまで、 バーモント州を横断する257マイル(407 km)の米国高速道路です。(ウィキペディア)
地図でこのルート4を眺めるに、多くのジャズマンは楽旅でこの道を利用していたのでしょう。そこそこ名前のあるミュージシャンでも自分で車を運転して移動するようですので、辛さと疲れを感じる道なのでしょう。
テディ・チャールズ作のこの曲は、作者の個性を十分に感じ取れる曲で、個性あるアレンジにより危機感を感じる演奏になっています。疲れと眠気の中で、動物の飛び出しにも気を使いながら夜中に車を走らせている、少々強引ですがそんな風な思いになった演奏でした。
この手のタイプの曲を後年のコルトレーンが取り上げればとも思いましたが、この曲はこのセッションだけでの演奏記録です。(資料06)



【エピソード、フィラデルフィアでの生活、母親】
1944年6月、ハイスクールを卒業した従妹のメアリーがフィラデルフィアに来て、コルトレーンと同居していた。母親はまだアトランティック・シティにいたが、月に一、二回フィラデルフィアに立ち寄りコルトレーンを訪ねた。母親とコルトレーンはその後数年間は再び一緒に住むことはできなかったが、コルトレーンにとっては母親をいつも身近に感じていた。
コルトレーンの母親はコルトレーンの生涯を通じて最も支配力を持った女性であった。彼が後にニューヨークに住むようになった時に母親をしばしば訪ねたことから判断すれば、彼が死ぬまで二人の間柄は変わらぬ親密さを保ち、牧師と信者の信仰告白の関係に近いものがあるように思われた。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月 7日(金)07時37分47秒
  今日のコルトレーン

19570420-02
Mary's Blues (Pepper Adams)
(6分49秒)



【この曲、この演奏】
アダムス作の曲ですが、マリーとは誰のことなのかは分かりませんでした。
本セッションがコルトレーン唯一の演奏となるこの曲ですが、楽しくブルースで盛り上がりましょうとのこの曲で、アダムスとコルトレーンは気炎を吐くソロを聴かせています。ペインの澄ました演奏が気になるところですが、最後の3管での4小節交換では、ペインも存在感を示しています。




【エピソード、二人のバリトン奏者との共演】
コルトレーンとアダムスは、本セッションを入れて3回の共演が記録されています。最初は1956年4月20日の、チェンバース・バンドのボストンでのライブでした。フラー入りの3管編成で、ブートで世に出ました。2度目は本セッション、そして3度目は1958年1月3日の、プレスティッジにおけるアモンズのリーダー・セッションでした。
コルトレーンとペインの共演記録は、本セッションだけです。(資料06)
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月 6日(木)07時46分58秒
  今日のコルトレーン

19570420-01
Dakar (Teddy Charles)
(7分10秒)


【この曲、この演奏】
このセッションを仕切っているテディ・チャールズが提供した曲です。コルトレーンのこの曲の演奏は、このセッションだけです。
タイトルからは未知の祖国を思い描いているものと思われるこの曲は、もの悲しい雰囲気を少し早めのテンポで演奏されており、ペイン、コルトレーン、アダムス、そして丸と続くソロの色合いの違いを味わえるものです。資料09で述べられている「バビッシュなペインとモダンなアダムス」というほどの違いは感じませんが、二人の興味深い対比は味わえます。コルトレーンのこの曲への思いの強さが込められた演奏が、そのバリトンの対比を価値あるものにしています。


【エピソード、このセッション】
資料09によればこのセッションは、演奏には参加していないがテディ・チャールズがプロデュースしたものであり、オール・スターズ名である。6曲中3曲が彼が作った曲であるのは、そのためである。
コルトレーンの初リーダー作品は、プレスティッジから1957年後半に発売された「コルトレーン」であり、このセッションから40日後の録音である。(発売日はウィキペディアの記載で情報源が明示されていないので、1958年に入ってからの発売かもしれない)
本セッションをプレスティッジは1963年12月にコルトレーンのリーダー作品として、「ダカール」というタイトルで発売した。しかし本セッションが最初に世に出たのは、1959年のことであった。(発売日は資料05)
「Modern Jazz Survey Baritones & French Horns」と題されたその作品の規格番号は、LP16-6であった。規格番号もプレスティッジでは見慣れないものであるし、アルバム名に「French Horns」とあるが、このセッションにはフレンチ・ホーン奏者は参加していない。その理由は、このLP16-6は12吋盤だが16回転のものである。通常の倍の演奏を収録できるものに、A面には本セッション、B面にはNJ8305としてプレスティッジ傍系レーベルのニュージャズから「Curtis Fuller and Hampton Hawes with French Horns」として発売された演奏が収録されている。(ウィキペディアぺの情報源無し記述によれば1965年発売)そこにはJulius WatkinsとDavid Amramという二人のフレンチ・ホーン奏者が参加している。
つまりこの16回転モノは、バリトン2本での演奏とフレンチ・ホーン2本の演奏を売りにしているのである。悪くいえばキワモノ作品となる。
話が本セッションから逸れるが、プレスティッジから16回転モノは6タイトル発売されている。
16-1はミルト・ジャクソンとMJQの作品を収録したもの。(LP7003, 7005)
16-2はビリー・テイラーの2作品を収録したもの。(LP7015, 7016)
16-3はマイルスの2作品を収録したもの。(LP7109, 7150)
16-4はJJとカイ、二人のトロンボーン奏者共同名義の2作品を収録したもの。(LP7023, 7030)
16-5はジョージ・ウォーリントンのNJ8207、ウッズとガーランド共同名義のNJ8304を収録したもの。
1から4は理解できる、5はウッズ繋がりで了解可能、しかし16-6となると了解不能となる。この了解不能品を持って、プレスティッジの16回転12吋モノは最後となる。音質の悪さが嫌われたのと、16回転に対応した機器が浸透しなかったためであろう。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月 5日(水)07時33分0秒
  今日のコルトレーン

19570419-05
Falling In Love With Love (Rogers - Hart)
(11分40秒)


【この曲、この演奏】
「恋に恋するなんて愚か者の遊び、恋に恋して永遠の恋と思ったが、恋は私から去っていた。最後にやっと目が覚めて」と、ほろ苦い失恋の歌です。(資料14)
このロジャーズ - ハートの名コンビのスタンダード、コルトレーンの演奏はこのセッションだけです。(資料06)
さて演奏ですが、ソロの先発はハードマンです。威勢のよいトランペットを決めていますが、後半になると迷いも感じます。続くマクリーンは陽気に歌うソロで楽しくさせますが、後半には少なからずの寂しさが感じられます。そしてコルトレーンですが、恋を知り尽くした男の骨太ソロを聴かせてくれますが、後半には見栄を見透かされているのに気付いたようま照れがあります。マルのソロは、失恋の気持ちを素直に表現したもので、ベースとシンバルのバッキングもセンス良く決まっています。最後の3管による4小節交換は、男の見栄の張り合いのようで、楽しいものでした。
資料14に掲載されるようなこの曲の名演ではないのかもしれませんが、私にはコルトレーンが加わったこの演奏に愛着を持っています。
最後になりますが、資料06と資料09では「Falling In Love」とこの曲を記載しています。「With Love」抜きの表記も世の中にあるのかとネットで調べましたが、分かりませんでした。




【エピソード、フィラデルフィアでの生活と仕事】
フィラデルフィアに着くと、事前に予約したブラウアーは兄と同じアパートに一部屋で生活した。キンザーとコルトレーンは、フランクリンの叔母が住むビルに部屋を確保し、二人で住んだ。
ブラウアーは米国信号隊の事務所に軍属として働くことになり、コルトレーンは製糖工場の行員、キンザーは食料品店の事務員となった。いずれの仕事も特によくはなかったが、彼らはそれぞれの食によって収入を得て、第二次世界大戦が終わったときに将来の生活設計を立てるための時間待ちをしていた。
1943年11月に、キンザーは徴兵令状を受け取りすぐに入隊した。フランクリンも令状を受け取ったが、甲状腺肥大症との理由で兵隊にとられなかった。
フランクリンはその後に奨学金を受けて、フィラデルフィアのテンプル大学に入り、ジャーナリズムの学位を取得して1947年に卒業した。そして、フィラデルフィア・アフロ・アメリカン新聞のリポーターとなった。彼は数年後に、ミュージシャンとしてのコルトレーンについての、最初の記事を書いたのだ。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月 4日(火)07時40分46秒
  今日のコルトレーン

19570419-04
Blue Calypso (Mal Waldron)
(8分58秒)


【この曲、この演奏】
「大体が暗さと重さが売りもののマルが、明るく軽やかなカリプソを演ろうというのは無理がある」(資料09)
まぁ、ズバリと言うもんだ。「陽気なのを1曲」とワインストックから注文を受けたのかはわかりませんが、「演ろう」との心意気は良いではありませんか。
曲は、マルが「こんな感じかな、カリプソは」との感覚で作ったものです。演奏ですが、「行くぜ、カリプソ」と楽しむテイラーで始まり、マルのソロでは「これでいいのかな」との苦笑いのピアノ。続くコルトレーンは、「ぶっ飛ばそうぜ」と珍しく笑顔を感じるソロです。次のハードマンは、前半はマルよろしく苦笑いの演奏ですが、後半は「オレも飛ばすよ」と急に元気になります。そしてマクリーンのソロは、「オレ、こういうの好き」と伸び伸び演奏です。再びマルの苦笑いに戻り、ある意味で楽しめるカリプソ演奏が終わります。




【エピソード、高校卒業しフィラデルフィアへ】
ベティ・リーチが合同ダンス・パーティで、コルトレーンがクラリネットやアルト・サックスを演奏したのを覚えている。そんな高校生活も1943年に終えた。
コルトレーンは、高校時代の友人のフランクリン・ブラウアーとジェームズ・キンザーとの3人で、1943年6月11日にハイポイントを出発しフィラデルフィアに向かった。ブラウアーの二人の兄がフィラデルフィアにいて、いい稼ぎになる場所だと手紙に書いたのであった。3人は米国政府が兵隊に引っぱるめに、十分に貯金をしようと考え、汽車に乗って旅に出た。
ボビー・ティモンズがフィラデルフィアについて、次にように語っている。
「フィラデルフィアは、典型的な南部の都市同様に人種差別が行われている。北と南に黒人街がある。サウス・ストリートはその区分戦で、その南側から五キロへだったスナイダー・アベニューにいたる地域は黒人だけが住む区域となっていた。北側ではバイン・ストリートからジャーマン・タウンまでが黒人街となっていた。われわれミュージシャンだけがその障壁を破ることができた。というのも、われわれはエンタテイナーとして近辺の白人居住区にゆくことができた。そこで暮らしているあいだ、人種差別に関連した暴動らしいものは一度も起こらなかったが、他の南部の都市同様に、黒人たちは自分たちの土地にとどまっていたし、白人たちは自分の好き勝手にどこへでも出掛けて行くことができたのである。だが、理解に苦しむようなやり方で極端な人種差別をすれば、われわれ黒人たちはなおさら団結して自分たちの文化により集中するようになるのだ。フィラデルフィアでは、われわれ黒人の大半は昼も夜も音楽に夢中になっていた」
(以上全て資料01)
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月 3日(月)07時23分47秒
  今日のコルトレーン

19570419-03
Don't Explain (Holiday - Herzog)
(6分58秒)

【この曲、この演奏】
ビリー・ホリデイの十八番として有名な曲で、ヘレン・メリルやニーナ・シモンの歌、そしてウィントン・ケリーのピアノでも素敵なものが残っています。資料14ではビリー・ホリデイの作詞作曲と書かれていますが、多くの資料で確認できる通り作詞はビリー・ホリデイ、作曲はアーサー・ハーツォグによるものです。
このスタンダード曲をコルトレーンが演奏しているのは、本セッションだけです。(資料06)
さて演奏ですが、マクリーンの元気の無い汽笛のような演奏が各所に配置され、独特のアレンジになっています。ビリー・ホリデイの伴奏者を務めたマルにとっては思い深い曲でしょうから、このアレンジは彼なりの意味があるものでしょう。全体的にはハードマンのトランペットの存在が、この演奏全体を印象深いものにしています。そして何度か繰り返して聴くと、マクリーンの元気の無い汽笛は、程よい味付けと感じるようになりました。
資料09に「1曲の演奏としては統一感に少々の問題」と書かれていますが、「記憶に残るDon't Explain」も良いものですよ。



【エピソード、高校時代のアルト演奏】
コルトレーンはアルト・サックスを何回か家で練習した後に、ヘイグッドから借りているアルト・サックスを持って、高校バンドの練習場に行き、それを誇らしげに吹いてみせた。自分がクラリネットの他にサキソフォンも吹けるようになったことをヨクレイ先生にわかってもらおうとした。彼女はその演奏を認め、ポピュラー・ソングを独奏してみるようにコルトレーンに言った。そこで彼は普通のサキソフォン・ソロとは違って32小説からなる曲全体を息もつかずに演奏した。ホッジスの影響を受けたフレージングで彼が「タキシード・ジャンクション」を演奏し終わると、一せいに拍手が沸き起こった。
こうしてコルトレーンは、バンド随一のミュージシャンとしての名を高めることになった。生徒たちは学校の中でコルトレーンの姿を見つけると、きまって音楽についてアドバイスしてくれとせがんだ。大人たちも街中で彼に声をかけて、その腕前を褒めることがあった。女の子たちは彼の姿をみかけるとたちまちそのまわりに押しよせ、魅力的に笑いながらサインを求めた。(資料01)
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月 2日(日)07時29分27秒
  今日のコルトレーン

19570419-02
J.M.'s Dream Doll (Mal Waldron)
(8分40秒)


【この曲、この演奏】
資料09によれば、この曲はマルがマクリーン夫人に捧げた曲とあります。マル、マクリーン、そしてマクリーン夫人の関係は分かりませんが、曲を捧げる何かがあったのでしょう。
夜霧の危険な気配を感じさせるスローな演奏は、コルトレーンもソロをとっていますが、マクリーンの独断場と言えるものです。山出しの演奏とも感じるところがあるマクリーンですが、哀惜の情を切々と語っている演奏と聴き入りました。資料11がこのセッションに冷たいコメントを出しているのは、この辺りの感じ方からなのでしょうか。
コルトレーンはこの曲をこのセッションで演奏しただけですが、マルは後年になって数度この曲を演奏しています。その一つがマクリーンを加えての、東京でのスタジオ録音です。残念ながら私はそれを聴いたことがなく、またネットショップを幾つか調べても在庫なしでした。いつか聴ける日が来るのを願っています。


【エピソード、高校時代の演奏】
グレース・ヨクレイという夫人がハイ・ポイント地区で音楽を教えるようになり、高校の最上級生となったコルトレーンも彼女のお世話になった。
高校時代のバンドにはコルトレーンと同じくスティール牧師に指導を受けた生徒も多くいて、また高校でも精力的に練習をしており、初見で演奏できるほどであった。
クラリネットを吹いていたコルトレーンは、アルト・サックスに興味を持つようになっていた。しかし、コルトレーンにはそれを買うお金がなかった。クラリネットすら学校のもので、個人の所有物ではなかった。
ペリー通りでレストランを経営していたヘイグッドは、アルト・サックスを持っていた。ヘイグッドが厨房の隅でアルトで音階練習しているのをコルトレーンは何度か聴いて、その生の音にますます魅せられた。コルトレーンはヘイグッドに頼み込み、時々そのアルト・サックスを借りて家で練習したのだった。
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 6月 1日(土)07時47分1秒
  19570419-01
Potpourri (Mal Waldron)
(6分37秒)


【この曲、この演奏】
ポプリとは知っている言葉のようで、私はその中身を知りませんでした。日本語では「室内香」、ウィキペディアによれば「花や葉・香草(ハーブ)、香辛料(スパイス)、木の実、果物の皮や苔、精油またはポプリオイルなどの香料を混ぜあわせて容器に入れ熟成させて作る室内香のひとつ」との事です。更にウィキペディアでは「語源はフランス語で(ごった煮料理)を意味したpot pourri(直訳=「腐った鍋」)で、多様な材料を混ぜてつぼに入れて作ったことに由来する」との説明がありました。
英語での「Potpourri」には室内香の他に、「混合曲、文集」との意味があり、この語源がは室内香と同じなのでしょう。では「混合曲」とは何かと調べたら、「メドレー」とのことです。
さて演奏ですが、ビ・バップの一体感を楽しさの中に感じさせる、スピード感あるものです。マクリーンとハードマンのソロは、最初は手探りの様子がありますが、後半には上手くスピードに乗ったものです。コルトレーンはテーマで示した余裕感をそのまま維持し、脂の乗ったソロを展開しています。このホーン陣3人を活かすアレンジを示したマルも、流石と思う演奏でした。





【エピソード、このセッション】
マル・ウォルドロンをリーダーにしたセッションで、コルトレーン参加のマルのリーダー・セッションという意味では初めてのものである。(前月のオール・スターズ・セッションの捉え方によっては2度目となる)
ここで注目なのは、アルト奏者のジャッキー・マクリーンのだ。コルトレーンもマクリーンもプレスティッジ所属なのだから何度もの共演があって当然と思うが、資料06によれば二人の共演記録は生涯で本セッションだけとなる。
さて資料11ではこの前日のセッションの内容を低く評価していたが、この日のセッションについては次のように書いてある。
「良いミュージシャンを集め、取り組みがいある曲を録らせても、十分なリハーサルがないとどうなるかを例証しているかのようだ」
プレスティッジと言えば「十分なリハーサルがない」のが定番であるが、ジャズ愛好家が愛情を寄せる作品を多数残している。資料11の4月18日とこの日の書き手は他とは別人だと思えるものと感じるが、これは聴き手の評価に任せるしかない。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 5月31日(金)07時26分20秒
  今日のコルトレーン

19570418-05
Tommy's Time (Tommy Flanagan)
(11分59秒)


【この曲、この演奏】
ミディアム・テンポのこのブルース曲は、その場でフラナガンがテーマを口ずさみ、長尺演奏に入っていたのでは何のでしょか。レコード化する際にプレスティッジが曲名を、流し作業でつけたのでしょう。コルトレーンもトミフラも、ここでの演奏記録しかない曲です。
トミフラ、バレル、シュリーマン、コルトレーン、そしてチェンバースと続くソロには、徐々に盛り上がっていく姿が伺え、ジャムセッションの魅力を味わえる内容です。この演奏には資料11も少しは前向きのコメントかと思いきや、「(コルトレーンのソロは)控えめに始まり、ドラムがダブル・タイムでほのめかしても反応しない」となっています。


【エピソード、初恋】
高校時代にコルトレーンはバイトでため高値で、高級服を一揃え持っていた。彼はこの服で週末の夜の友人宅でのパーティに出席し、バーボンと女の子たちの取り合わせを楽しんでいた。コルトレーンには何か神秘的な魅力があり、その気になれば女の子をものにすることができた。
友人のフランクリンはある女の子に眼をつけていたが、その女の子と仲良くなったのはコルトレーンであった。ドロシア・ネルソンというキュートなお名の子で、二人の交際は一年近く続いた。
彼女は高校の最上級生の時、ワシントン州の陸軍省で週給25ドル保証という書記資格の試験に合格して退学した。
かくして、コルトレーンの初恋は終わった。(資料01)
 

19度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 5月30日(木)07時22分22秒
  今日のコルトレーン

19570418-03
Minor Mishap (Tommy Flanagan)
(7分26秒)


【この曲、この演奏】
トミフラ作のこの曲は、本セッションが初披露となります。この後はトミフラ自身はこの曲を演奏することはなかったようですが、1980年代に入り、突然とこの曲を演奏し始めております。
コルトレーンにとってはこの曲は本セッションだけでの演奏です。
「些細な災難」との意味のこの曲名ですが、資料09が指摘しているように、曲調と曲名をかけて「Minor」を使っているのでしょう。
ハードバップの燃える心が勢い込んでいる演奏で、コルトレーン、バレル、シュリーマン、そしてトミフラと続くソロは、ハードバップの粋が現れているものです。資料11の「心ここにあらずのコルトレーン」は、その勢い込みの過ぎたるを表した表現と、良い風に解釈します。



【エピソード、高校時代のコルトレーン】
父親の死後にコルトレーンは母親と急速に仲良くなった。彼は思春期の心の秘密をメアリーを含めた他の誰よりも母親とまず分かち合った。
その母親だが、より良い収入を求めてアトランティック・シティに出稼ぎに行った。このためコルトレーンは親戚の家に住み、祖母を含めて親戚数人で暮らしていた。ある意味でコルトレーンは孤独であったが、寂しいとは思っていなかった。子供の頃からのコルトレーンは多人数の家族の一員として暮らすのに慣れていたし、時の経過で身辺の人が死んだり、遠く別れて住むようになることを経験して来たのであった。(資料01)
 

19度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 5月29日(水)07時25分24秒
  今日のコルトレーン

19570418-02
Solacium (Tommy Flanagan)
(9分10秒)


【この曲、この演奏】
曲名はラテン語で「快適さ、癒し、なだめるような」との意味があるようです。法律用語として「補償」との使われ方もあるようです。
トミフラはこの曲を、このセッションの一月前のボビー・ジャズパーのセッションとのセッションに提供しています。また1981年のウッズとのセッションでも演奏しております。(資料08)
コルトレーンは、この曲の演奏記録はこのセッションだけです。(資料06)
悲哀を感じる、人生観を感じるこの曲では、ミドル・テンポの演奏の中でトミフラのソロが充実したものになっています。遊び心も入れたそのソロに触発され、シュリーマンもコルトレーンもソロをぶつけて来ますが、バレルのソロがトミフラの好演を引き継いだものと言えるでしょう。



【エピソード、プレスティッジとの契約】
コルトレーンが1957年4月にプレスティッジと交わした契約について、資料03に次の記述がある。
「1957年に入って、ついにプレスティッジはコルトレーンとリーダー・アルバムを作る契約を交わした。ポール・チェンバースのレコードで彼が初めて示したコンポーザーとしての才能がプレスティッジの決断を促したのかもしれない。1957年4月9日に交わされた契約は、一アルバムに対してわずか300ドル、年間3枚のアルバム制作をいう内容だった」
「1957年という時点において、評論家たちは新しい世代のテナー奏者の中で、コルトレーンをロリンズにつぐナンバー・トゥーのミュージシャンとみなしていた。コルトレーンはいまだにリーダー・アルバムを持っていなかった。いっぽうのロリンズは十枚以上のアルバムを持っていた」
プレスティッジのミュージシャンに対する契約条件の悪さについては有名なところであり、資料01にもいくつもの例が示されている。要するに、ミュージシャン側の取り分の余りにも低いことである。これに関して私の考えを述べるなら、ポップス界の例を示したりと、かなりに長文になってしまう。簡潔にいうならば、マイナーなレコード制作会社は、会社を存続させる(=作品を作り続ける)ためには、大手レーベルから声を掛けられないミュージシャンを使い、安い費用でレコード制作を行わなければならい。その契約の中で有名(=売れっ子)になっていったミュージシャンにとっては、その契約内容の悪さはあまりにも辛いところに変わっていく。
マイルスのバンドに入って世間での評価が出始めたコルトレーンであったが、1957年4月の時点で彼に声を掛け、リーダー作品を作る機会を与えたのはプレスティッジだけであったのだ。この時点では喜びのコルトレーンであったのだろう。しかし事実上の2年契約の後半では、注目度がうなぎ上りに高まっていったコルトレーンにとっては、辛い契約だった。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 5月28日(火)05時37分28秒
  今日のコルトレーン

19570418-01
Eclypso (Tommy Flanagan)
(7分57秒)


【この曲、この演奏】
曲名の意味については、web上に「Eclipse (日食や月食の"食"の意味)」と「Calypso (カリプソ。20世紀にカリブ海で起こった4分の2拍子の音楽」をミックスした造語、と解説しているページがあります。
作者のトミフラはこの後もこの曲を長年に渡り演奏しており、特にこのセッションから4ヶ月後の録音、12吋盤としては「オーバーシーズ」でも演奏しています。
コルトレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。(資料06)
さて演奏ですが、トミフラが提供したカリプソの空気感を、メンバー全員で楽しんでいる演奏です。確かにトミフラ、シュリーマン、コルトレーン、そしてバレルと続くソロ回しの繋ぎ目に野暮ったさと感じるものがありますが、本音で楽しんでいるキャット達とも感じます。
カリプソを楽しむコルトレーン、これだけで存在感あるものです。



【エピソード、このセッションについて】
プレスティッジお得意のオール・スターズ・セッションですが、シクステットでの演奏の4曲はトミフラ作、ピアノ・トリオの曲も1曲あることから、リダーはトミフラと考えて間違いないでしょう。(資料09,11)
ヴァンゲル・スタジオを毎週金曜日に確保してレコーディングを行っていたプレスティッジですが、この1957年4月18日の木曜日からプレスティッジはヴァンゲル・スタジオで3日連続のレコーディングを行いました。各資料にはその理由がありませんが、3日間共通のメンバーはコルトレーンだけなので、コルトレーンが3日間セッションの理由なのかもしれません。
ジャズマンを表す俗語をアルバム・タイトルにして、そしてジャケではトミフラの名前を頭にして、本作品はプレスティッジの傍系レーベルのニュー・ジャズから発売されました。しかし後年には「Kenny Burrell - John Coltrane」とのタイトルでプレスティッジから再発されました。(資料06)
資料11では、このセッションでのコルトレーンを酷評しています。また、このセッションをアルバムにした「The Cats」を、ダウンビートは非常に低い点数を付けたとのことです。しかし日本のジャズ愛好家は、この「The Cats」を非常に愛しています。日本では、未だに高い人気を誇っている作品なのです。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 5月27日(月)07時33分1秒
  今日のコルトレーン

19570322-05
C.T.A. (Jimmy Heath)
(4分41秒)


【この曲、この演奏】
アルファベット3文字の略を見ますと、ここ20年の日本の企業がいくつも頭に浮かびます。英語圏では古くからのことのようで、ウィキペディアを見ますと、いくつもの例があります。テレスコープ弾 (cased telescoped ammunition)、商品投資顧問業者 (commodity trading advisor) 、シカゴ交通局 (Chicago Transit Authority)などであり、その中には日本のケーブルテレビ足立 (Cable Television Adachi)などもあります。
ネットで検索しますと、「Call To Action(コール トゥ アクション)の略で、行動喚起の意味」と言うページが多数ヒットします。マーケティングの世界で用いられ、今ではwebページ製作会社でよく使われる用語とのことです。
ジミー・ヒース作のこの曲に付けられた「C.T.A.」が何の略なのかは掴めまでんでしたが、おそらくは「行動喚起」の意味合いからではないかと、私は思いました。
アップテンポで明るく陽気にとの曲を、快調に飛ばす4人がいます。「オレが目立ってやるぜ」との意気込みが感じられ、コルトレーンもぶっ飛ばしているテナー演奏を披露しています。しかしながらバラバラの演奏にならないのが、流石はこの時期のジャズ界を牽引していた4人であります。爽快な気分で聴き終えます。



【エピソード、高校時代のコルトレーン】
他の生徒同様に、コルトレーンも暇潰しに学校に行っていた。
彼は静かな口調で遠慮がちにものを言った。無口で、ときとして引っ込み思案だった。友人としては、音楽のことを話し合う相手はレッドというニックネームのジョン・イングラム、映画ならスヌーキー、野球の時はポーシュ、そのほかには、たまに遊ぶことのある数人のクラスメイトがいた。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2019年 5月26日(日)07時42分38秒
  さてクリスさんの「イス ジャケ」作品。
哀しいバラッドも、クリスさんの乾いた歌声に合うものです。アルバム1枚がタイトル通りに哀しい曲なのですが、クリスさんは充実した内容でワン・パターンにならずに歌っています。プロデューサーと打ち合わせを重ねてレコーディングに臨んでいた、アトランティック時代のクリスさんならではの内容です。
私にはあまり縁のない「Lilac Wine」という曲が、ジャケに合う曲かなと感じました。恋人を失った悲しさをライラックの木にぶら下げられたワインで忘れていく内容の曲とのことですが、ジャケにあるカフェで一人静かに座りながらワイングラスに口紅をつけるクリスさんを、私はこの曲を聴きながら思い描きました。
さて先に書いた香港にあるドイツバーの名前をと思い、グーグルマップで調べたのですが、結局分かりませんでした。店のことは、その空気感まで記憶にあるのにと嘆きながら、そういうものだと自分に言い聞かせて本作を聴き終えました。
 

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