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27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月18日(金)07時14分41秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の43枚目は、Jessica Williams の This Side Up、2001年8月16日の録音です。
1948年生まれの女性ピアニストのジェシカ・ウィリアムスさんは、Wikipediaでみる限りでも1976年から2014年にかけて30枚以上のリーダー作品を残しているお方です。そんな中での私が持ったジェシカさんとの接点は、2000年代に入ってすぐに彼女が MaxJazzに残した3枚の作品でした。
本作はその1枚目であり、「今日の1枚」では2002年8月17日に掲載しました。そこではピアノの打楽器としての特徴をいかした演奏に感心したことを、私は述べておりました。
当時53歳のジェシカさんがソファーに身を沈めているジャケットですが、そこには貫禄と自信を感じさせます。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月17日(木)06時12分26秒
  さてケイコさんの「イス ジャケ」作品。
「Love Dance」という曲は、ブラジルの作曲家で歌手のイバン・リンスの代表曲とのことです。1979年に作られたこの曲はジャズ・シンガーにも取り上げられており、ケイコさんも本作品で歌っております。都会での暮らしをタフに生き抜いた女性の自信を感じさせるような、軽やかでありしっかりした歌い方で、バックの好演と相まって素敵に仕上がっています。
私は15年前の「今日の1枚」で感じたことは思い出せませんが、恐らくは録音当時31歳のケイコさんにしては、40歳代後半の女性の雰囲気に違和感を覚えたのでしょう。今や私は若い女性より40歳代の女性に目が移り始めており、この作品の良さが分かってきたのでしょう。他にもスタンダードを趣味よく歌っている作品です。
ちなみにケイコさんは今でも現役で、今でも素敵な御足であるようです。なんだか興味が出てきました。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月16日(水)07時30分32秒
  その前に、この作品が録音された1996年3月25日(月)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「松下が進出、衛星デジタル放送、事業会社に出資、月内に10 %」
ディレクト・TV・ジャパンへの出資とのことです。ディレクトTVは1997年から放送を開始しましたが、2000年にはスカイパーフェクトに統合され、ディレクト・TV・ジャパンという会社は精算されました。なお現在のスカパーJSATホールディングスの主要株主に松下の名はありません。

読売「与党・大野氏が圧勝、参院岐阜補選、住専国会 空転打開 弾みも、新進・共産候補を破る」
大野つや子氏のことで、夫・明氏の死去による補選でした。

朝日「新進 ピケ解除を検討、与党推薦の大野氏圧勝、参院の岐阜補選、住専手直し焦点に、国会正常化きょう折衝」
新進党は住専問題に絡み、衆院予算委員会室を封鎖しているとのことです。


ではこの3月25日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・1面とスポーツ面、そして社会面には、「日本サッカー五輪出場」の記事が大きくあります。これから4ヶ月後に「マイアミの奇跡」となります。
・2面下に角川書店の広告があり、いくつもの書籍を宣伝していて、その中に「高杉良 経済小説全集、全15巻」があります。書店の文庫本コーナーに高杉氏の本が結構な量で並んでいるのが、私には強く印象に残っています。特に香港の日本人本屋では、すごい人気でした。
・TV欄 テレ東 16:00から「総理大臣杯競艇中継」があり、蛭子能収氏が出演しています。鳳凰賞競走ともよばfれるこのSG競走、この年は47歳の中道善博選手が優勝しました。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月15日(火)04時51分22秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の42枚目は、Keiko Lee の Kickin' It with Keiko Lee、1996年3月25日の録音です。
欧州のソファー、その中でも超がつく高級品なのでしょう、ジャケのソファーは。そして大人の魅力のお足、そそるジャケです。この表ジャケだけを見れば、ケイコ・リー本人ではなくモデルかもと思ってしまいますが、裏ジャケにはこの上部、つまり本人のお顔が写っています。
2005年2月14日に本作を「今日の1枚」で取り上げた際には私は、「声が好みではない」とし冷淡な感想を書いておりました。それから15年、少しはこのジャケの魅力に正面から向き合えるようになった今、本作をどのように感じるのか、楽しみです。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月14日(月)09時24分23秒
  さてウィリアムソンさんの「イス ジャケ」作品。
15年前と今回、私は何をこの作品に怒っていやのであろうか。重い演奏を聴いた後に本盤に接すれば、穏やかな気持ちになる演奏が詰まった作品です。ギターとピアノがいきる「Westwood Walk」、なめらかな「A Ballad」、好調なカルテットの「Simbah」、軽いブルースで決めての「Blue at The Roots」と、ウィリアムソンさんのピアノが穏やかな風を運んでくれます。
マリガンの曲作りのうまさ、そしてピアノレスのマリガンが作った曲をピアノで楽しむ、そんなプロデューサーの気持ちを、ようやく感じられました。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月13日(日)05時03分51秒
  その前に、この作品が録音された1958年1月3日(金)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「英国経済は健全、リーニクロフト蔵相と一問一答、ポンド維持に万全、米国景気の先行き楽観」

読売「海上自衛隊を強化、米バーグ軍令部長の見解、対機雷潜水艦に重点、全面防衛へ援助惜まぬ」

朝日「柔軟な交渉へ、日ソ漁業委の開会を控えて、八日、代表団打合せ」

英米ソとのニュースが各紙の一面トップでした。



ではこの1月3日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・7面にある「きのう きょう」とのコラムには、「政治の機能障害症」との見出しがあり、総選挙の年についてコメントしています。
・9面下に第一製薬の広告があり、「精神神経安定剤 トランキライザー、アトラキシン」を取り上げ、「日日是好日」と書いて「まいにち心たのしく」とルビをふり、宣伝しています。1950年代から1960年代にかけて、トランキライザーは市販薬だったのです。現在では処方箋が必要です。
・TV欄 日テレ 18:15 「ラッキーサロン」との番組があり、司会は「原アナ」と書かれています。この番組についての情報はネットから得られませんでした。「原アナ」は前年に日テレ入りした原和男氏のことだと思います。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月12日(土)06時17分16秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の41枚目は、Claude Williamson の mulls the Mulligan scene、1958年1月3日の録音です。(月日は決め打ち)
この作品を買ったのは、2004年のことだと思います。香港の部屋でネット通販のサイトを見て本作をクリックしたのですが、その時の気持ちは覚えていません。ピアノ椅子に座り演奏のポーズを作っているウィリアムソンの姿を、反転させて左右に並べているこんな安直なジャケを、よくも私は買ったものです。
内容はギター入りカルテットでマリガンの曲を演奏したものです。これを「今日の1枚」で取り上げたのは2005年3月8日のことで、そこでは「マリガンが参加していると勘違いして購入」と書きましたが、それでもこのジャケなら敬遠したのではと思っています。また本作への感想は、どうでもよい作品、というものでした。その中で「Apple Core」の曲の良さを褒めていますが、今回のつまみ食いでは、何とか演奏の良いところを述べたいものです。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月11日(金)06時40分41秒
  19601024-19
Satellite (John Coltrane)
(5分50秒)




【この曲、この演奏】
有名なスタンダードに「How High The Moon」という曲があります。ベニー・グッドマン楽団に所属していたヘレン・フォレストが1940年に大ヒットさせた曲であり、多くの歌手に謳われています。またレス・ポールとメリー・フォードが組んで1951年にヒットさせました。また資料14によれば、この曲のコード進行の面白さに目をつけて、ガレスピーがミントン・ハウスでこの曲を取り上げたことによって、多くのジャズマンに浸透していったようです。そしてこの曲のコード進行を基にジャズマンが曲を作っていったそうです。パーカーの「オーニソロジー」と「バード・ラブ」、ホーキンスの「ビーン・アット・ザ・メット」などです。
資料09によれば、このコルトレーン作の「Satellite」もそんな曲と思われる、としています。本編が「月」なので、このコルトレーン作のは「衛星」にしたとか。
この曲のコルトレーンの演奏記録は、スタジオ録音は本セッションだけですが、1960年7月にフィラデルフィアの小ボートでのライブで、この曲を演奏したとのことです。(資料07)
さて演奏ですが、テナー・サックスを吹くコルトレーンはピアノレスでこの曲を演奏しており、コード進行をもとに表現できる可能性を模索しているような、急速な演奏を行っています。確かに「How High The Moon」を感じる部分がありますが、何も前提をつけずに聴けば気付かない程度のものです。
この日の後半セッションからは唯一 1419(Coltrane's Sound) に収録され、1964年6月に世に出ました。




【エピソード、コルトレーンと望遠鏡 その2】
「のぞいて見てごらん」といって、彼はナイーマに望遠鏡をのぞかせた。ナイーマはいくつかの星を選んで、翌日の彼の運勢を知る手がかりとなるホロスコープ(天宮図)のデータとした。星占いの結果がよくない場合は、運勢のよい日がくるまではどこにも出掛けないで、ベッドルームで練習するようにするとジョンは誓った。
こんどはジョンが望遠鏡をのぞく番になると、彼は望遠鏡を星には向けずに惑星、それもとくに一つの惑星に向けて注視した。
それは赤く不気味に輝く火星である。彼はその色とイメージにすっかり心を奪われていたので、その後かつての雇い主、マイルスのために書いた曲「マイルス・モード」を、彼の好きな火星に敬意を表して「ザ・レッド・プラネット」と改題したほどである。
神話によれば、火星は軍神を象徴しているのだが、ジョン・コルトレーンは平和な穏やかな人間だったのも奇妙な話だ。(資料01)
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月10日(木)07時27分26秒
  19601024-18
Blues To Bechet (John Coltrane)
(5分45秒)



【この曲、この演奏】
このエッションだけのコルトレーンの演奏記録のこのシンプルで朗らかなブルースは、ソプラノ・サックスをコルトレーンは吹いており、また前の曲に続きピアノレスでの演奏です。ソプラノ・サックスの特徴を試すようなコルトレーンと、コルトレーンとの会話を模索するエルヴィンの姿が記憶に残る演奏です。
曲名はソプラノ・サックスの先達シドニー・ベシェットに因んだもの(資料09)とのことですが、後付けの命名だと思います。



【エピソード、コルトレーンと望遠鏡 その1】
「ニート、星を見ないか、きれいな星が夜空一杯に輝いている」ファニータを短く縮めた彼の好きな呼び名で、ジョンは妻に話しかけた。天気が続くときは、彼がサンフランシスコで仕事をしていた時に買ったその望遠鏡を夜空に向けて固定した。ジョンがそれを買ったのはナイーマが占星術に興味を持っていたからだ。彼はナイーマに、「私の運河を司る星をよく見て、これから私がどういう人生を送るのか、何かわかったら教えて欲しい」と頼んだ。いまや裏庭に設置された望遠鏡は、屈折型で赤道儀式装置とカウンター・ウェート、ファインダー、四個の正規レンズのついた約4フィートの長さのものだった。三脚台の上で回転するので、空の隅から隅までどんな天体でもしっかりと捉えることも、星や惑星をかなり拡大して見ることも可能だった。(資料01)
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月 9日(水)06時09分46秒
  19601024-17
Blues To You  (John Coltrane)
(6分28秒)


【この曲、この演奏】
1962年7月にアルバム1382(Coltrane Plays The Blues)に収録されたこのテイクは、「Blues To Elvin」同様に最後のテイクであり、またエルヴィンのドラムに力強さが増したテイクです。コルトレーンのテナーにはインパルス期の深みはまだ感じられませんが、それに向かっている様子がうかがえる内容です。




【エピソード、コルトレーンとネイマとハープ その2】
ときおり、ジータがクラシックのハープ奏者を連れて来た。その男はシンフォニーの抜粋曲を何曲か弾いてみせてくれた。ジョンは腰をかけてうっとりとしたような眼でその演奏を眺めながら、しきりとうなずくように頭を動かした。演奏が終わると、彼はずるそうな笑いを浮かべながらネイーマに言った。「あんなふうにハープを弾けたらいいと思わないか」
彼はまた、テレビガイドに眼を通してマルクス兄弟の映画を放映するかどうかを調べるのがいつもの習慣だった。その映画が放映される日は、ちゃんと時間までに家に帰って映画を夢中になって見た。そして、ハーポのハープ演奏場面になると音量を上げ、床の上にすわってヨガの姿勢をとって映画に全神経を集中した。ハーポのすぐれた演奏が終わると、部屋の隅にあるハープをあこがれの眼で見てから妻に向かって言った。「ハーポの演奏はすばらしい、そう思わないか」
「私には弾けないのよ、わかっているじゃない」ネイーマは言った。そして口を開けて、わざと怒って歯ぎしりをしてみせて言った。「でも、話をすることができるし、歯だって立派にあるわよ」
ジョンはずばり自分の急所をついた彼女の言葉を耳にして、静かに笑った。彼はネイーマが勧める歯医者のところにいって、君の歯は腐りかかった木のようなものだから早く抜いた方がいいと言われた。そこで彼は決心してその医者の処置に任せた。痛いのを我慢して何回か歯医者通いを続けた。そのおかげで、ようやく新しい義歯が入ったばかりなのだ。(資料01)
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月 8日(火)06時23分52秒
  19601024-15-16
Blues To You (alternate take) (John Coltrane)



【この曲、この演奏】
コルトレーン作となるこの曲のコルトレーンの演奏記録は、本セッションだけです。(資料07)
3テイクの録音となりましたが、全てにマッコイは参加していません。恐らくは即興で用意された曲なのでしょう。

-15 Blues To You (alternate take)(5分35秒)
この日の第二部は、やはりブルース・ナンバーへのトライアル・セッションと言えるのでしょう。そしてこの曲では、ピアノレスでの演奏、コルトレーンとエルヴィンがどのように絡み合っていくかの試しなのでしょう。この最初のテイクでは、コルトレーンの演奏に対してエルヴィンが間合いを確認しているような演奏です。
なお資料07によれば「Blues To Elvin」と同様に、「Promotional tape」にはこのテイク1には6秒間のリハーサルが収録されていたとのことです。

-16 Blues To You (alternate)(5分30秒)
この曲2度目の演奏は、テイク1とほぼ同様の内容です。



【エピソード、コルトレーンとネイマとハープ その1】
ある時、ため息をつきながらナイーマは言った。「あのひとと一緒に暮らしてゆくには、ミュージシャンとしての彼と、人間としての彼を区別しなければならなかった」
確かに、彼女はコルトレーンに音楽のことを忘れさせなければならない場合がたまにあったし、それは結構大変な仕事でだった。例えば、ある日のことだが、コルトレーンがハープを家に持ち帰り、リビング・ルームの片隅において、その気があれば習ってもいいんだよとナイーマに言った。
ナイーマは、内心ではハープを部屋の外に放り出してやりたいと思った。ときどき暇つぶしにピアノをいじることはあったが、ハープなんか習うものかと思った彼女は、はっきりと拒否した。その場はこれでおさまった。(資料01)
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月 7日(月)07時17分15秒
  19601024-14
Mr. Day (John Coltrane)
(7分55秒)




【この曲、この演奏】
資料09でも言及してる通り、この曲、そしてこの曲名は、この第二部セッションの冒頭で演奏された「Mr. Knight」と対になっているものです。そして演奏は「Mr. Knight」よりもテンポを上げて演奏しており、このセッションの特徴であるこのバンド、マッコイにエルヴィンが加わったバンドでの可能性を追い求めているような演奏です。演奏の終わり方もタイミングの取り方の試しにも感じますが、そこはコルトレーン、全体を通してスリリングな味わいを提供しています。
このような曲でありますので、演奏記録はこのセッションだけかと思いきや、1960年9月8日のユナイティッド・アーチストでのスタジオ録音でもこの曲を取り上げています。(資料07)




【エピソード、ネイマとのドライブ】
ナイーマとトニは、日曜日の楽しかったドライブ旅行のことをよく覚えている。だが、いつもそうなるとは限らなかった。彼の内部に隠された衝動性がときどき外にでてきたからだ。夕食の支度をしているときに帰ってきたコルトレーンは、食卓に並べられた食物を一口味わってみてから、「今夜は何か別のものを食べたいな、外へ食事に行こう」というと、二人を車に乗せて気に入ったレストランが見つかるまで車を走らせた。当時、彼はインドの音楽と文化全般だけでなく、その料理についても身をもって知ろうとしていたので、インド料理を食べることが多かった。
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月 6日(日)06時56分54秒
  19601024-13
Blues To Elvin (John Coltrane)
(7分53秒)



【この曲、この演奏】
この曲の4テイク目であり、これが本テイクとなり、1962年7月にアルバム1382(Coltrane Plays The Blues)に収録され、世に出ました。
前のテイクの流れをくみ、 E♭ で演奏されています。しかしここではエルヴィンの、特にシンバルが強調された演奏になっています。そしてバンドとしてのまとまりが生きてきており、コルトレーンにとってスロー・ブルースでのバンドの手応えを感じた演奏だったのでしょう。



【エピソード、1960年頃のコルトレーンの運転】
コルトレーンの車の運転について、資料01に次の記述がある。
彼は車の運転も好きだった。当時、彼が運転していたのは一九五八年型のプリムス・セダンだったが、その後は一九六〇年型のマーキュリー・ステーション・ワゴンやクライスラー・ワゴンを愛用していた。彼の四重奏団が誕生した年、ミュージシャンたちは彼のマーキュリーに同乗して国内の演奏旅行に出かけたこともあった。
コルトレーンの運転ぶりについてジータ・カーノは次のように語っている。
「ジョンの家に寄ってコーヒーを一緒に飲んでから、彼がニューヨークで出演中のクラブに向かって車を走らせることがよくあった。いつでも彼は時間に遅れずに仕事を始めようと必死になって車を運転していた。少しでも遅れそうになると、次から次へと信号を無視して車を突っ走らせては、私に死ぬような怖さを味わせた。そんながむしゃらな運転をしながら、よく警官に止められたり他の車と衝突しないですんでいると私はいつも驚いていた。少くとも、私が車に載せてもらう時はいついもそうであった」
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月 5日(土)06時58分26秒
  19601024-10-12
Blues To Elvin (alternate take) (John Coltrane)




【この曲、この演奏】
「あるかないか分からないテーマ、とってつけた様なタイトル、リラクゼイションに満ちたオーソドックスな演奏」と資料09で評されたコルトレーン作のこの曲、コルトレーンの演奏記録は本セッションだけです。本セッションでは4回演奏され、最後のテイク4が1382(Coltrane Plays The Blues)として世に出て、他の3つのテイクは資料16で初めて世に出ました。

-10 Blues To Elvin (alternate take) (10分59秒)
本テイクとなったテイク4よりも3分長く、ここでは演奏されています。演奏内容は、このバンドでのスロー・ブルースの演奏スタイルを確かめるかのような感じであり、コルトレーンはリラックス感もあり、また手探り感もあるものです。またタイナーはこのバンドでの自分の役割を掴んでいくような、緊張感も感じる演奏です。この時期のコルトレーン・バンドを、気軽に楽しめる演奏と言えるでしょう。
資料07には、このテイク1について、二つの情報を掲載しています。
一つ目は資料16で世に出た演奏の前に、27秒のリハーサルが「Promotional tape」にあったとのものです。そこでコルトレーンは、「Don't play it, don't play it too fast」と言っているとのことです。
二つ目として、このテイク1は E で演奏されており、他の3つのテイクは E♭ で演奏しているとのことです。これはテープの再生スピードによるものではないと、資料07では念を押しています。

-11 Blues To Elvin (false start) (9秒)
コルトレーンが加わる前に、演奏は中止となりました。タイナーのピアノが止まってものですが、キーの変更での何らかが中止の理由なのかも知れません。

-12 Blues To Elvin (alternate) (6分1秒)
確かにテイク1と比べれば、やや音が下がっている気がします。演奏ですが、コルトレーンに多少のイライラ感を感じますが、もっとアグレッシブにとの思いなのかも知れません。演奏は最後まで行われていますが、テイク1の半分弱の演奏時間であり、コルトレーンがメンバーに目で合図して演奏を終わらせたのかなと、私は感じています。



【エピソード、1960年頃のコルトレーン、読書】
いつ、どこで彼が読書にさく時間をみつけているか、ネイーマにはまったく分からなかった。家ではテレビのスイッチを入れたままにしておくことが多かったが、それを見ていたのは主にトニだった。テレビの音が絶えず家の中を流れていたが、彼はその音に構わず、しばしば宇宙旅行や地球以外の惑星に生物が存在するかどうかといったことをジータと話し合ったり、アインシュタインについて論じあったりした。ジョンはまた、引力や電磁力といった問題に熱中し、相対性理論に関してもかなり多くの本を読んでいたが、それは奇妙な予言的な結果をともなうことになった。
(資料01)
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月 4日(金)06時48分28秒
  19601024-09
Mr. Knight (John Coltrane)
(7分31秒)



【この曲、この演奏】
コルトレーン作の、アフロ・リズムのモーダルなブルースであり、曲名はアール・ボスティック楽団時代の同僚、ジョー・ナイト(p)に因んだものとのことです。(資料09)
また1990年公開の映画「Mo' Better Blues」で、この曲の一部が使われたとのことです。(資料07)
この映画は、架空のジャズ・トランペッター、ブリーク・ギリアムの半生について描かれているとのことです。(ウィキペディア)
この曲のコルトレーンの演奏記録は、資料07によれば本セッションだけです。
さて演奏ですが、リズムにコルトレーン独自の視点を取り入れ、これがインパルス期に繋がって行ったのかと感じるものです。テナー・サックスの演奏自体は手探り感がありますが、コルトレーンのブルース演奏への新展開と考えると、意味あるものに感じます。
この演奏は1962年6月発売の、1382(Coltrane Plays The Blues)に収録されて世に出ました。





【エピソード、コルトレーン・バンドのピアニスト達】
資料03に、スティーヴ・キューンとマッコイ・タイナーについて、次の記述がある。
1950年代後半、コルトレーンは地元フィラデルフィアの若手ジャズメンのあいだでヒーロー的な存在になっていた。コルトレーンは彼らの気持ちを受け入れ、その努力をサポートしたが、自分自身の音楽も確実なものにしなければいけなかった。彼の音楽の中に思うがままに入り込み、彼のやり方に応じて力を注ぎ込んでくれるミュージシャンを、コルトレーンは必要としていた。コルトレーンは一九六〇年夏にピアニストのスティーヴ・キューンと共演したが、キューンのピアノは彼の理想に完全にはそぐわなかった。コルトレーンにとってキューンの伴奏は慌ただしすぎた。
それに対してタイナーの伴奏は、よりまばらで制御されており、それでいて独自の個性を宿していた。タイナーの左手は力強く、彼はそれをハンマーのように使って着実にコードを弾いた。彼自身、自らのタイム感覚を語るのに、”メトロノームのような”という形容詞を使っている。彼はいつも音楽的な構成に正しく即し、それぞれの小説でなすべきことを明確に表現した。グループの中にこの安定感があったからこそ、コルトレーンとエルヴィンはお互いに補完しあいながら、思い通りのパワーを発揮できた。彼らのこのような関連性がグループの特別な推進力を生み出したのだ。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月 3日(木)06時46分27秒
  19601024-06
Body And Soul (alternate take) (Johnny Green, Robert Sour, Edward Heyman & Frank Eyton)
(5分59秒)



【この曲、この演奏】
続けてこの名曲を演奏しています。こちらの演奏は、1975年1月に1668(Alternate Takes)で世に出ました。
なお資料によっては2回目の演奏が本テイクとする記述となっていますが、ここではアトランティック公式記録である資料16に従っています。
さて演奏ですが、本テイクよりも穏やかな感じに聴こえる演奏ですが、一般的な演奏から見れば異質なものなのでしょう。個人的に言えば、コルトレーンはこの曲をライブで積極的に取り上げていき、この名曲がコルトレーンの手で生まれ変わっていく姿を見たかったです。
さてこの日のセッション第一部ですが、コルトレーンはここで終わり、リズム陣だけで「Lazy Bird」と「In Your Own Sweet Way」を演奏しています。もしコルトレーンが参加していれば、「Lazy Bird」は1957年9月の「ブルー・トレイン」以来、「In Your Own Sweet Way」は1956年5月のマイルスのマラソン・セッション以来(他に音源未発表の1958年のマイルスのライブあり)となります。欲を言えば是非ともそれを聴いてみたかったです。




【エピソード、マッコイ・タイナーとの出会い】
資料03には、コルトレーンとタイナーの出会いについて、次のように書いてある。
タイナーはコルトレーンより十二歳も年下である。バド・パウエルとセロニアス・モンクを信奉する若きピアニストだった彼は、一九五五年、十七歳の時にコルトレーンと出会い、一緒に演奏した。マイルスのグループの仕事の合間を縫って、コルトレーンがフィラデルフィアに帰り母の家に泊まっているとき、彼はしばしばコルトレーンに会いに来て一緒に過ごした。その後の三年間、二人は人生のことや音楽理論について語り合った(タイナーはコルトレーンがジャイアント・ステップス・チェンジについて話してくれたことを覚えている)。コルトレーンはタイナーに、いずれカルテットを結成するから、そのときはメンバーに入ってくれと言った。タイナーは喜び勇んで即座に引き受けた。三年かかったが、コルトレーンは約束を守った。そしてタイナーもそれに応えた。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月 2日(水)07時05分37秒
  19601024-05
Body And Soul (Johnny Green, Robert Sour, Edward Heyman & Frank Eyton)
(5分37秒)




【この曲、この演奏】
名曲「ボディ・アンド・ソウル」のコルトレーンの演奏記録は、音源が世に出たのは2回分あります。最初は本セッションであり、アトランティックでのスタジオ録音です。本テイクが1419(Coltrane's Sound)として1964年6月に発売されました。そして別テイクは1668(Alternate Takes)として1975年1月に発売されました。次の録音はインパルスでのライブ録音であり、1965年9月30日のものです。ただし9202-2(Live In Seattle)として1971年に発売された時には「ボディ・アンド・ソウル」は収録されず、後年のCD化の際に追加収録されました。
さて資料07には、この曲の演奏記録が他に10回ほど掲載されています。しかしながらどれも音源が世に出ておりません。簡単に紹介すると、1947年5月のKing Kolax Bog Bandでのライブでコルトレーンはクラリネットで演奏、1952年1月6日にはボルチモアのホテルでのライブ、1960年6月には第二期カルテットでNYのジャズ・ギャラリーでのライブ、1060年7月に第二期カルテットでフィラデルフィアのショウボートでのライブ、1961年6月に第五期カルテットでワシントンのAlbert's Internationaleでのライブ、1961年7月に第五期でヴィレッジゲイトでのライブ、1962年6月に黄金カルテットでバードランドでのライブでの演奏といった具合です。さらにはスタジオ録音の記録もあり、1962年4月12日に黄金カルテットでヴァンゲル・スタジオで演奏しています。
さて演奏ですが、「ジャズ・スタンダード中でもっとも美しいと言われるバラード・ナンバー」(資料14)のテーマを無骨に表現して演奏するコルトレーンですが、演奏が進むうちに、コルトレーンとマッコイのソロは、この曲が持つ美しさを彼らなりの表現で聴かせています。
ここでの演奏は1964年6月に、1419(Coltrane's Sound)で世に出ました。




【エピソード、ボビー・ジャスパーのエルヴィン評】
資料03には、1957年にエルヴィンと共演したテナー・サックス奏者のボビー・ジャスパーが、ジャズ・レビュー誌に寄せたコメントが掲載されている。
エルヴィンの複雑で刺激的なプレイはいつも新鮮だった。間違いなく彼のドラミングにはベーシックなテンポがあった。それは演奏しているとき、常に一定不変であった。ただし時おりまったく消えうせてしまうこともあった。
しかしアップ・テンポのとき、意図的かテクニック不足のためかは分からないが、エルヴィンはあまりに激しすぎるリズムのクライマックスをつくり出してしまうことがあり、そのためベースの音がかき消される。そのような観点からすれば、このスタイルのドラマーとしてはフィリー・ジョーのほうがすぐれていると思う。エルヴィンのドラムスをバックに、アップ・テンポで、ステージから転げ落ちずに自由にインプロヴァイズできるソロイストは、ニューヨークにほとんどいないであろう。
最後の箇所は笑いを誘うためのコメントのようだが、エルヴィンとの共演の難しさを指摘している。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 9月 1日(火)06時14分59秒
  19601024-04
Summertime (DuBose Heyward & George Gershwin)
(11分33秒)




【この曲、この演奏】
名曲「サマータイム」のコルトレーン演奏記録は、世に出たのは本せセッションだけです。資料07によれば、他に5回ほどの演奏記録があります。本セッション以前の間違いないだろう情報としては、この年1960年の6月10日と7月10日に、第二期カルテットでNYのジャズ・ギャラリーで行ったライブ演奏であります。多分そうかも情報としては、1949年秋のガレスぴー・ビッグバンドでの演奏があります。本セッション以後ですと、1961年3月の10日間の、第五期カルテットでのシカゴのサザーランド・ホテルでのライブがあります。「サマータイム」の演奏は世に出たことがありませんが、この期間の他のいくつかの曲が、レーベル名も記されていないCDで世に出たことがあるようです。また1961年8月25日にNYのジャズ祭でこの曲が演奏されたようですが、メンバーを含めて詳細は分からずとのことです。
この曲は黒人霊歌「時には母のない子のように」をヒントに作られ、「夏の暮らしは楽だよ。魚は飛び跳ね、綿もすくすく育っている。だから赤ちゃん、もう泣かないで」とのような歌であり、子守唄の雰囲気での歌唱、そして演奏が多くありました。
ところがコルトレーンはそれを木端微塵にぶち壊し、インストものとしてのこの曲に新しい方向性を、この演奏でしましています。コルトレーンのテナーも、マッコイのピアノも、ベースもドラムも、同じ方向に思いをぶつけての演奏を行っています。コルトレーンはこの演奏で、自分のバンドの方向性に、手応えを感じたことでしょう。
この演奏以降、ジャズに限らずポップスの分野でも、この曲にいろんな思いをぶつけたものが登場していくことになりました。
1361(My Favorite Things)に収録され、1961年3月に世に出ました。




【エピソード、エルヴィン・ジョーンズについて】
資料03に、コルトレーン・バンド加入前までのエルヴィンについての記述がある。
教会の助祭だったエルヴィンの父はジャズを悪魔の音楽とみなしていた。エルヴィンは礼儀正しさと放縦さを併せ持つ青年に成長した(一九五〇年代から一九六〇年代にかけて、彼はジャズマンのなかでも札付きのヘロイン常用者だった)。一九五六年にNYにやってきたエルヴィンは、一九五七年にヴィレッジ・ヴァンガードで行われたライブ・レコーディングでソニー・ロリンズと共演した。(一部省略)そこでは彼は、後年のエルヴィンを思わせるプレイを披露している。だが当時の彼はジャズの規則正しくあるべきリズムを不安定にするドラマーとして知られていた。彼は正確なビートを刻まず、とくにアップ・ビートが不明確だった。その代わりに彼はシンバルとスネア・ドラムをつなげてアクセントをつけていた。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月31日(月)06時49分47秒
  19601024-03
Exotica (John Coltrane)
(5分22秒)


【この曲、この演奏】
「Exotic」ならば慣れ親しんだ英単語ですが、この曲名の「Exotica」となると珍しい英単語に感じます。ウィズダム英和辞典によれば「(芸術作品・風俗などの)異国風の事物」との意味で、エキゾチックの名詞形なのでしょう。
この曲は「Untitled Original」との表記となることが多いです。
コルトレーンのこの曲の演奏記録は、資料07によれば5回ほどとなっています。最初はこの年の六月十日に第二期カルテットでNYのジャズ・ギャラリーで、二度目も同様で六月二十七日、共にコルトレーンはソプラノ・サックスを吹いています。三度目は、七月十八日から二十三日までのフィラデルフィアのショウボートへの出演で、ここでも第二期カルテットでソプラノ・サックスを吹いています。一週間の出演期間中に何回この曲が演奏されたのかは、不明です。四度目は第三期カルテットで、ユナイテッド・レコーズへのスタジオ録音、コルトレーンはテナー・サックスを使っています。そして五度目が本セッションであり、第四期カルテットでソプラノ・サックスをコルトレーンは吹いております。
この演奏記録を振り返れば、全てに参加しているメンバーはマッコイ・タイナーだけとなります。
この曲について、資料07では「I Can't Get Started」をコルトレーン流にアレンジした曲としています。また資料09では、「ボディ・アンド・ソウル」によく似た曲と書いています。
さて演奏ですが、曲名通りに異国風の雰囲気をコルトレーとマッコイで追求していくもので、この後のコルトレーンの演奏に、ここでの追求が生きてきています。
この演奏は、1970年4月発売のAlt 1553(The Coltrane Legacy)に収録されて世に出ました。



【エピソード、マッコイとエルヴィンの加入】
資料03からマッコイとエルヴィンの加入についての簡単な記述がある。
一九六〇年の夏、コルトレーンはピアニストのマッコイ・タイナーをグループに雇い入れた。コルトレーンと同じくフィラデルフィア州出身で、弱冠二一歳の新人だった。九月にはドラマーのエルヴィン・ジョーンズが加入した(コルトレーンとエルヴィンが初めて出会ったのは、シャドウ・ウィルソンを敬愛していたエルヴィンがモンクとコルトレーンのグループを聴きにファイブ・スポットに出かけたときだった)。エルヴィンはビートに対して後乗りで叩く。タイナーはオン・ビートで弾く。コルトレーンのグループで、この二人のプレイはいいバランスを保っていた。
(原文通りに引用。コルトレーンはノース・カロライナ州出身)
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月30日(日)06時48分14秒
  19601024-02
Mr. Syms (John Coltrane)
(5分22秒)



【この曲、この演奏】
コルトレーン作のこのブルース曲は、スタジオ録音ではこのセッション限りの演奏となります。しかしライブでは、この年の7月18日から23日までのフィラデルフィアのショーボートでのライブ出演で、何度か演奏されています。その際のメンバーはマッコイ入りの第二期カルテットでの演奏で、そこでもコルトレーンはソプラノ・サックスで演奏していたとのことです。(資料07)
あえて抑え気味のテンポで演奏しているように思うのですが、コルトレーンのソプラノには神秘の響きが芽生えだし、マッコイのピアノには後年の黄金カルテットでの演奏への萌芽を感じさせるものがあります。


【エピソード、ソプラノ・サックス入手の経緯】
コルトレーンとソプラノ・サックスについて、資料03に次の記述がある。
一九六〇年六月、コルトレーンはレコーディングでテナーと同時にソプラノ・サックスを使い始めた。ライブでソプラノを吹くようになってからまだ五ヶ月しか経っていなかった。彼がこの楽器に興味を持つようになったのは、車に乗せてやったヒッチハイクのミュージシャンが、持っていたソプラノ・サックスを置き忘れて降りてしまったのがきっかけだった。その後、マイルス・デイヴィスがソプラノをコルトレーンにプレゼントした。マイルスは、三月のヨーロッパ・ツアーの途次、パリのアンティーク・ショップで買ってコルトレーンに与えたと語っている。ジミー・コブによると、コルトレーンはバスの中で、いつも「ソプラノで東洋風のスケールを吹いて」時間を潰していた。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月29日(土)07時10分37秒
  19601024-01
Central Park West (John Coltrane)
(4分14秒)



【この曲、この演奏】
当時コルトレーンが住んでいたのはクィーンズ地区セント・アーバンズですので、セントラル・パークの東側です。西側と言えばハドソン川との間の地区ですが、この辺りにコルトレーンの何らかの思い出があるのでしょうか。録音スタジオはセントラル・パークの南側、そして少し西、そう考えればアトランティック・スタジオをこの曲名はさしているのかもしれません。
コルトレーンが作るバラッドの特徴が分かるこの曲、コルトレーンの演奏記録は資料07によれば本セッションだけです。
さて演奏ですが、憂と優しさが混じり合うコルトレーンのソプラノ演奏はテーマだけとなっており、マッコイが叙情的なピアノ・ソロを披露しています。
そしてこの演奏はAtl 1419(Coltrane's Sound) として、1964年6月に世に出ました。




【エピソード、本セッション】
本セッションは、第四期コルトレーン・カルテットによる、二度目のスタジオ録音である。そしてこの日には、曲数で11曲、コルトレーン抜きならば更に二曲多い十三曲を吹き込んだ。三日前の演奏でこのカルテットにコルトレーンが手応えを感じたのか、はたまたレーベルとの契約があってのことなのかは分かラナイが、この10月24日は精力的なセッションとなった。
このセッションは二回に分けて行われた。午後2時から6時半まで、そして7時半から夜中までだ。休憩時間の1時間は夕食(昼食?)ですぐに終わったことであろう。
またこの日もコルトレーンはソプラノ・サックスを手にして、4曲でそれを披露している。
本セッションでの収録曲は、アトランティック・オリジナル・アルバム(8枚)の3枚に分散収録された。1361(My Favorite Things), 1382(Coltrane Plays The Blues), 1419(Coltrane's Sound)の3枚である。
なお演奏曲順等について各資料で違いが見られるが、ここでは公式記録である資料16を正とした。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月28日(金)06時28分23秒
  19601021-04
My Favorite Things (Richard Rodgers - Oscar HammersteinⅡ)
(13分44秒)



【この曲、この演奏】
この曲を取り上げるにあたり、映画「サウンド・オブ・ミュージック」をビデオで観ました。私のメモが正しければ、この映画の中でこの曲が5回使われています。最初が冒頭のタイトル・クレジットで演奏のみ、2度目はジュリー・アンドリュース扮するマリア先生が子供たちと心を通わせる場面です。これは開始から50分ほどの場面ですが、マリア先生が雷を怖がる子供たちに「悲しい時は好きなことを思い出して」と語ってから、この曲が歌われます。3度目は54分のこの映画の名場面、草原での歌の場面です。この曲から「ドレミの歌」へ続くのは、ミュージカル映画を避け気味の私も、今までに何度も目にしてきた場面です。4度目は88分でのパーティの場面で演奏だけ、最後は120分の子供たちがマリア先生と再会する場面で歌われています。
この映画は1965年公開ですが、舞台では1959年11月にブロードウェイ公演が開幕し、数多くの上演がなされました。
コルトレーンがこの曲を録音した本セッションは1960年10月のことです。大ヒットしたミュージカルとはいえ、まだ一般に馴染み深い曲とはなっていなかったようです。資料09には「当時この曲はまだ無名だったのでトレーンのオリジナルと思った人も多かった」とあります。
コルトレーンのこの曲のスタジオでの演奏は本セッションだけですが、この後この曲は、コルトレーンのライブでの必須曲となっていきます。ライブで何回演奏されたかは不明ですが、資料06に記録が残っているだけでも54回あります。なお最初のライブ演奏の記録は、このスタジオ録音の一ヶ月ほど前の9月24日で、第三期コルトレーン・バンドでのモントレー・ジャズ祭での演奏です。これについては私家録音の存在も確認できずなのですが、公式録音がいつか世に出るのを待ちたいです。最後のライブ演奏は1967年4月23日のオラトゥンジでのものです。
さて本セッションでの演奏ですが、この至高の演奏には言葉がないのですが、資料09には「無機的に思えるほど執拗に各人が自らの役割を繰り返すという混沌の背後から徐々に偉容を現す巨大な精神性のような何か。以後コルトレーンが常に身に付けた神秘的な力が初めて漲った」と解説しています。



【エピソード、本セッションでの  の演奏記録】
本セッションでのこの曲の演回数については、各資料で異なりがあります。1983年発行の資料09では1回だけ、1995年発行の資料06では計3回、そして資料08では計2回となっています。
1995年の資料16ではこの1回だけとなっており、これは公式記録となることからなのか、資料06を改訂した2008年の資料07では1回だけの演奏とリストされています。
しかしながら資料07では、次の内容の一文があります。
パリ人のコンサート・プロデューサーのフランク・テノが、アーテガン兄弟の招きにより、本セッションに立ち会った。テノの記憶によれば、本セッションで My Favorite Things は三回演奏され、一度目はコルトレーンはテナー・サックスで、二度目はテナーとソプラノで演奏したとのことだ。テノにはこの二度目の演奏は忘れられない程の出来でだったが、コルトレーンはこの二回の演奏を良しとせず、三度目の演奏をソプラノだけで行ったと。
ジャーナリストでありジャズ評論家でもあるフランク・テノ氏は、2004年に78歳で亡くなった。彼は2001年まで Marnay-sur-Seine で市長を務めていたので(ウィキペディアより)、亡くなるまで記憶はしっかりしていたと想像でき、上記の資料07でのテノからの聞き取りは2002年に行っていることから、その話には信用性があると私は思う。
こんな話に接すればジャズ好きならば、アトランティックの公式記録がどうであれ、テナーでの演奏、そしてテナーとソプラノでの演奏を聴いてみたいと切に願うはずだ。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月27日(木)07時21分46秒
  19601021-02
Village Blues (Take 2) (John Coltrane)
(6分17秒)



【この曲、この演奏】
続けてこの曲を録音したコルトレーンですが、こちらは1995年の「The Heavyweight Champion john coltrane the complete atlantic recordings」で世に出ました。火事でのテープ焼失を免れた演奏です。
さて演奏ですが、本テイクと甲乙つけるのが難しいほどの出来となっています。その中で私には、マッコイ・タイナーのピアノ演奏が、表情豊かになったと感じます。この演奏のテープが残っていたことは、多くのコルトレーン好きを喜ばしました。




【エピソード、バンドの変遷】
1960年にコルトレーンは待望の自分のバンドを結成した。その変遷を資料06にある記録から追ってみると、次の通りである。

第一期 1960年4月 (黄金へまだまだ)
Steve Kuhn(p)   Steve Davis(b)    Pete La Roca(d)
日にちは不明だが4月にこのカルテットでのライブ記録がある。また資料06によれば5月15日までこのメンバーで続いたとのことだ。

第二期 1960年6月27日 (黄金へ三歩手前)
McCoy Tyner(p)   Steve Davis(b)    Pete La Roca(d)

第三期 1960年9月8日  (黄金へ二歩手前)
McCoy Tyner(p)   Steve Davis(b)   Billy Higgins(d)

第四期 1960年10月21日 (黄金へ一歩手前)
McCoy Tyner(p)   Steve Davis(b)   Elvin Jones(d)

第五期 1961年5月23日  (黄金へ半歩手前)
McCoy Tyner(p)   Reggie Workman(b)   Elvin Jones(d)
カルテットとしての演奏記録は1961年7月1日が最初となる。またワークマンは第六期でも代打ちしたことがある。

第六期 1961年11月1日  (黄金)
McCoy Tyner(p)   Jimmy Garrison(b)   Elvin Jones(d)
ギャリソン参加時点はドルフィーを入れてのクインテットでの演奏が続いており、黄金カルテットとしての記録は1962年4月11日となる。
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月26日(水)06時36分9秒
  さてミンツァーさんの「ソラ ジャケ」作品。
陽気に賑やかに、楽しくジャズを決めている演奏が、清々しい内容です。ジャズ好きも、フュージョン好きも、好感を持つ作品なのでしょう。
ただし今回のつまみ食いで意識したアルバム名とジャケットについては、演奏からは何も答えを得られませんでした。繰り返し聴いたし、演奏を楽しんだのですが、その意味では消化不良で終わりました。
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月25日(火)06時54分25秒
  その前に、この作品が録音された1990年9月19日(水)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「法人・個人に一律課税、新土地保有税、税収 減税財源に、固定資産税 評価額上げも、政府税調土地小委」
1973年に創設された地方税に、特別土地保有税があります。この見出し記事は、その国税版とのことなのでしょうか。いずれにしても実現せず、また地方税の特別土地保有税も2003年から新規課税が停止されています。

読売「毎週水曜日は交通量規制、NOx対策で都、11月から、10-30%削減、運送業者に要請」

朝日「東欧が緊急援助要請、湾岸危機制裁で経済苦境、ポーランドなど3国、日本 貢献拡大か」



ではこの9月19日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・25面 都民版に「保管中の切手着服、地裁八王子支部事務官、24万円分」との見出し記事があります。警察や検察の着服事件は目にすることがありますが、裁判所の職員による着服事もネットには幾つか見受けられます。
・29面は、300社ほどの求人広告で埋め尽くされています。その中に「排骨ラーメン陳 チェーン本部」のものがあり、月23-30万円で店長候補を求めています。このラーメン店チェーンの情報は、ネットから得られませんでした。ちなみに私が生まれ育った町に、揚子江という中華屋さんがありました。そこの排骨麺と排骨飯は、素晴らしい味でした。
・TV欄 NHK教育 20:45からの「解説委員室」では、「高騰した土地の活用」との内容での放送です。バブルによる地価のピークは、この時期あたりでした。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月24日(月)07時02分53秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の20枚目は、Bob Mintzer の Hymn、1990年9月19日の録音です。
ジャケに映る雲は、積み雲、積乱雲、入道雲に見えます。しかし見方を変えれば、キノコ雲にも見えます。そう見てしまうと、茶色のイラストは原爆ドームに見えてしまいます。
アルバム名は「HYMN」、賛美歌です。しかしながらジャケには、「・MN」と書かれています。MNといえばマンガン、MN54となれば放射能に関係します。
何やら深い意味を込めているのかと思いますが、CDのどこにもそこらへの言及がありません。
ボブ・ミンツァーの本作品を「今日の1枚」で取り上げたのは、2009年1月3日のことでした。「明るさと刺激がミックスされ、心地よさが漂う内容」と、私は感想を述べました。今回のつまみ食いでは、ジャケへの思いも考えながら聴いてみます。
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月23日(日)07時17分50秒
  さてイェスパーさんの「ソラ ジャケ」作品。
霧雨のミラノの街には、喜怒哀楽が静かに漂っているのでしょう。その中の哀愁が、本作に散りばめられたスタンダードの演奏の中に感じました。そしてタイトル曲、哀愁が喜びや楽しみに変わることを願っているかの演奏です。タイトル曲名をグーグル翻訳すれば、「あなたは私に戻ってきます」との意味です。まさにこの通りの演奏、私は15年経って、この作品の良さがわかりました。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月22日(土)06時32分38秒
  その前に、この作品が録音された2003年4月4日(金)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「オリエンタルランド最有力、ハウステンボス再建に名乗り、首都圏以外で新事業」
1992年に長崎オランダ村からハウステンボスになり一時は人気となりましたが、2003年には会社更生法の適用を受け破綻、野村プリンシパル・ファイナンスによる会社更生となりました。近隣諸国からの入場者増となるなど再建は進みましたが、2008年のリーマン・ショックで再び窮地になりました。2010年4月からはHISによる経営再建となり、現在に至っています。

読売「米英軍、首都まで10キロ、先遣隊 国際空港に迫る」
第二次湾岸戦争、またはイラク戦争は、この前の月の20日に始まりました。この記事の国際空港とは、当時のサッダーム国際空港、今のバクダード国際空港のことです。

朝日「新型肺炎を新感染症認定、政府が緊急対策、空港の検疫強化。広東・香港、渡航延期」
香港への出張禁止、香港の駐在員は日本への一時帰国禁止、会社のこんなお達しのなかで、私は当時、二度目の香港駐在でした。



ではこの4月5日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・4面 政治面には首相動向、小泉首相の一日(3日)があります。12:01にホテル・ニューオータニのガーデンコートクラブで、成田豊電通会長との会食(他に2名)となっています。電通と仲良しの政府は、この時期も活発だったのでしょうか。
・29面 地域面に歌謡ショーの広告が五つ並んでいます。左から、和田アキ子(NHKホール)、氷川きよし(渋谷公会堂)、森進一・森昌子(よこすか芸術劇場)、ピンク・レディー(中野サンプラザ)、そして寺田恵子(渋谷 ON AIR WEST)です。
・TV欄 NHK 14:10から「ガッテン選」との番組があり、この日は「決定版・ギョーザの鉄則」です。誰でも一家言あるであろう餃子、いつでも人気のようです。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月21日(金)07時31分55秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の19枚目は、Jesper Bodilsen の Mi ritorni in mente、2003年4月4日の録音です。
市電、チンチン電車、路面電車、トラム、横浜から姿を消したのは、50年近く前のことです。急速な自動車台数の拡大で、用無し、となってしまいました。
しかしながら路面電車の価値を見損なわずにいた国々は多く、私が長年お世話になった香港もそんな地域です。そしてヨーロッパも同様であり、イタリアのミラノには現在17系統、全長115キロの路線があるようです。
本作のジャケ写に映る市電は、ミラノの中心から北に5キロほどにある Bignami に向かう路線です。すでに夜、街灯の反射や地面の様子からすると、霧の夜空なのでしょう。
2005年10月2日に本作を「今日の1枚」で取り上げた際には、「イェスパーのベースは、さほど個性的なものではないが、しっかりとした演奏」「ステファノのピアノは、内省的耽美派の典型であり、数多いるこの手のピアニストの中から突き抜ける個性は感じられない」と、本作に味噌をつけることを書いてしましました。批判的なことを書いていた香港駐在時代ゆえ、ご容赦を。
今回のつまみ食いでは、何やら悲しげな空気感のジャケのような演奏を、感じたいものです。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月20日(木)06時21分31秒
  さてノックさんの「ソラ ジャケ」作品。
コートが必要な日々と半袖シャツで街中を歩ける日々の間隔が、年々短くなってきていると感じる私ですが、それでも桜の開花から満開の時期には春を実感できます。
このノックさんの作品のタイトル、「季節の移り変わり」の副題は「春から夏へ」であります。そのタイトル曲では、何やら自然の厳しさと、心の変化を表現しているような演奏です。ニュージーランドの春は9から11月、夏は12から2月、インターネットによれば楽園のようなシーズンとのことです。しかしそこに暮らしている方々には、ノックさんの演奏のような気持ちを感じる時期なのかもしれません。
 

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