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21度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月29日(月)06時52分46秒
  19590505-06
Giant Steps  (John Coltrane)
(4分46秒)



【この曲、この演奏】
コルトレーンがアトランティックでの門出に準備したこの曲、何度も演奏を重ねて、いよいよOKテイクとなります。
実質的なプロ活動に入れてから4年の間にコルトレーンが勉強と研究、そして共演者からの学びを通じて得てきたことの一面が、この演奏に実ったと言えます。資料09にある「圧倒的な存在感と完璧さ」という言葉、誰もが思うところでしょう。
この演奏でのフラナガンのソロに関しては、いろいろと言われてきました。資料09にも「途中で途絶えてしまっているかの印象」「コルトレーンのあまりの巨大さに圧倒されたため」とあります。
私が思うに、レコーディングのために集まるピアニストということなら、どんな名手でも同じ状況になったでしょう。コルトレーンと気心しれた名手フラナガンだからこそ、あそこまでの演奏が出来たと、コルトレーンは感じていたのではと思います。
コルトレーンが追求する音楽を実現するためには、やはりレギュラーな活動となるピアニスト、そしてリズム陣が必要だと、彼は実感したのでは。
これまでのコルトレーンの頂点であり、これからの出発点といえる演奏、そんな風にも感じます。



【エピソード、自分の音楽出版社】
コルトレーンは近い将来に自分のバンドを結成することになるだろうと思っていた。それはもう時間の問題であり、適当なミュージシャンさえ見つかればよかったのだ。さらにまた、ラベットの法律面の協力の下に、彼は自分の音楽出版社をつくってリーダーシップを取るべく準備していた。「ジャイアント・ステップス」に収められた曲のすべてはコルトレーンが設立した会社、ジョーコルの名前で出版され、その演奏の放送に関してはブロードャスト・ミュージック社と代理契約を結び、そのモニターの仕事を同社に委任した。(資料01)

「適当なミュージシャン」は「適切なミュージシャン」とのことだが、これに辿り着くまでコルトレーンは一苦労となる。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月28日(日)07時08分29秒
  19590505-05,06,07
Giant Steps (John Coltrane)



【この曲、この演奏】
3月26日にはこの曲を8回演奏しながら満足の域には遠く及ばず、この日の演奏となりました。この日の演奏については、三つのテイクを聴くことが出来ます。しかしながら、この曲はこの日に6回演奏されたようです。

-05 Take 3, incomplete (4分6秒)
やはりトミー・フラナガンにアート・テイラー、この二人にチェンバースというリズム陣ですので、コルトレーンのアドリブは狂騰していきます。それが技術的な凄さだけではなく、音楽として高い所にあることが、多くのジャズファンを惹きつけ続けている理由なのでしょう。
さてこのテイクが演奏中断となった理由は、フラナガンがソロの途中で手が止まったからです。名手フラナガン、この時期には多忙を極めていたフラナガン、バッキングはお見事となっても、この曲でのソロとなると難しさに直面したのでしょう。


-07 Take 6, alternate (4分55秒)
手応えある演奏を録り終えた後に、念のためにもう1回となったのでしょう。コルトレーンは思い描いたソロが出来た後ということで、更に違う姿を追い求めているようですが、少し空回りの感は仕方ないことでしょう。
そんな状況でもお見事なフラナガンのバッキング、それもソロとなるとコルトレーンの飛ばし過ぎの前でどうしようかなとの演奏となり、そこにコルトレーンが割り込んで演奏は終盤に向かいます。
この3つのテイクを、スタジオの雰囲気を頭に浮かべながら続けて聴くと、なかなか楽しいものです。




【エピソード、マーティン・ウィリアムス】
〈ジャイアント・ステップス〉・・・それはコルトレーンがリーダーとして初めてレコーディングしたアルバムのタイトル曲だが、ブリッジにしたBフラットとともに、Eフラットのペダル音で難しい巧みな変化を織り込み、独奏者がいずれかを選んで演奏できるようにした曲である。
マーティン・ウィリアムス

資料01にある、ジャズ評論家の大御所であるらしいマーティン氏の言葉である。当時のジャズ作品にはない曲であり演奏は、コルトレーンが辛苦を舐めた下積み時代からコードについて勉強に研究を、そして練習を重ねた成果であることが、このマーティン氏の言葉から(私には何となく)理解できる。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月27日(土)07時36分57秒
  19590505-04
Mr. P.C. (John Coltrane)
(6分59秒)



【この曲、この演奏】
このコルトレーン作のアップテンポのマイナー・ブルースは、曲名の通りポール・チェンバースに捧げたものであり、またライブでのコルトレーンの重要曲となっていきます。1961年にコルトレーン・バンドにベース奏者ジミー・ギャリソンを迎えて以降1963年まで、資料06には24回の演奏記録が残っています。
ではチェンバースと一緒のこの曲の演奏となると、本セッションだけとなります。
3月のセッションから本セッションまで、コルトレーンが用意した曲の多くは、彼が追求したコード・チェンジを現実化したものですが、この曲はハード・バップの熱気を感じさせるものです。そして演奏もその熱気そのままですが、そこにはコルトレーンが追い求めたスピード感がしっかりと生きています。
チェンバースにソロ・スペースをとの声もあるかと思いますが、コルトレーンはバッキングでのチェンバースのベース・ラインを最大限に活かす仕掛けをしているのではと、私には感じます。




【エピソード、ポール・チェンバース】
マイルスに抜擢され、1955年にマイルス・バンドに加わったコルトレーンは、ベース奏者のポール・チェンバースと出会った。マイルスは同じ年とはいえ既に大物、フィリー・ジョーとガーランドは三つ上の先輩という中で、コルトレーンにとって9歳下のチェンバースは、そしてコルトレーン同様にこの時期から脚光浴びるチェンバースは、弟分のような仲間であった。
二人は私生活でも相性の良さがあったが、演奏面でもお互いに満足できる存在となった。それはコルトレーンのプレスティッジ時代には、殆どのセッションでチェンバースと一緒であったことからも理解できることだ。1959年にコルトレーンがアトランティックに移籍してからも、信頼できるチェンバースをコルトレーンは頼っていた。
1960年4月にコルトレーンがマイルス・バンドを辞した(1961年に客演はあるが)後、コルトレーンが本格的に自分のバンドを結成した際に選んだのは、チェンバースではなかった。そして短期間に紆余曲折を経て黄金カルテットを編成する際には、ジミー・ギャリソンがベース奏者となっていた。
何故にコルトレーンはチェンバースを選ばなかったかについて、この「今日のコルトレーン」でお世話になっている各資料にその明確な言及はない。恩人マイルスのバンドからチェンバースを引き抜くわけにはいかない、これが当たり前の考えなのであろう。
資料10には「コルトレーン KEYPERSON10」があり、その十人ににはチェンバースとギャリソンも入っている。
チェンバースの項には、この「当たり前の考え」の他に、次のような記述がある。
未知の領域へ歩みを進めていたコルトレーンにとってハードバップの代名詞といえるチェンバースは共に歩き続けることはできない存在であった。
またギャリソンの項には、次の記述がある。
ソリストがハーモニーにアプローチしてゆく過程で必要とするのはメロディックでベーシックなラインを弾くベースである。つまりチェンバースなのだが、コルトレーンがダイナミックスを求めてドラムスとベースを選ぶ時点では、それまでのベースとドラムのコンビネーションとは違うものを要求していたと思う。それはエルヴィンが入ってからそれまで以上にコルトレーンはベーシックなコードを単純化する方向に進んでおり、ベースへのハーモニーの要求が変わってきているのである。
どちらも明確な指摘とは、音楽知識に乏しい私には思えないが、何となく感じるものはある記述だ。
以上はコルトレーンからの視点でのものだが、チェンバースからの視点でみると、ウィキペディアに次の記述がある。
サイドマンとして数々の共演をこなしたチェンバースであったが、マイルス・デイヴィスに始まるモード・ムーヴメントやオーネット・コールマンやジョン・コルトレーンのフリー・ジャズにはあまり興味を示さず、モダン・ジャズの本流とも言うべきオーソドックスなスタイルを生涯変えなかった。
黄金カルテットにチェンバースがいたら、あの作品でチェンバースが演奏していたら・・・、誰でも考えたことがあるのであろう。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月26日(金)07時20分31秒
  さてピンキーさんの「ソラ ジャケ」作品。
ジョー・マンデル集の本作を聴いていると、マンデルの曲には辛さと甘さが同居しているような、不思議な感じを覚えます。その意味では、ピンキーの歌とレヴィのピアノにも共通点を感じます。ジャケの光景が似合う場面と不似合いな場面の連続を感じながら、本作を楽しみました。
1978年の映画「アガサ 愛の失踪事件」という映画で使われたという「Close Enough For Love」での歌とピアノには、そんな不思議さを感じながら聴き入りました。
最後に余談ですが、この曲に続いては歌抜きで「Theme From The M*A*S*H」が披露されています。朝鮮戦争下での米軍移動病院に配属された軍医たちのブラック・コメディ映画で、私には印象深い映画でした。この映画で、こんな洒落た曲が使われていたのかと思いながら、ドナルド・サザーランドの演技を再び見たくなりました。
 

19度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月25日(木)06時56分45秒
  その前に、この作品が録音された1983年2月27日(日)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「政府 民間の公共事業 後押し、法規制見直し検討、税・財政面で優遇措置、近く官民共同で研究会」
1999年にPFI(Private-Finance-Initiative)法がわが国で制定され、今までに180を超える事業が行われました。

読売「予算案、自民、強行採決固める、今週一気に緊迫化、衆院委、年度内成立へ限界」

朝日「大幅赤字 ここにも、特別会計や政府機関、林野は七千億円に、58年度末累積赤字、住宅公庫も悪化」
記事では他にも、厚生保険をあげています。




ではこの2月27日の新聞から少しばかり紹介します。
・3面総合面に「反核憎けりゃ映画まで、レーガン政権 上映禁止」との見出し記事があります。記事にはその対象が、医師の作った反核映画、カナダの環境保護グループによる公害映画としていますが、映画名の記述はありませんでした。
・22面社会面に「総合商社 太知」と書かれた広告があります。中東に多くの支店があり、家電や食料品を扱っているとのことです。この会社は私は知りませんでしたが、現在は太知ホールディングスとの社名で活躍しているようです。
・TV欄 NHK教育の18:00からの番組は「サラリーマンライフ」で、この日のお題は「共働き夫婦の食事考」とのものです。どんな内容だったのか、少し興味があります。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月24日(水)07時34分43秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の15枚目は、Pinky Winters の The Shadow Of Your Smile、1983年2月27日の録音です。
ペナン、香港、そして横浜と、私は19年間に渡り海のすぐそばに住んでいいますが、砂浜のそばに住んだことはありません。このジャケのような光景が身近にある暮らし、一度は味わいたいものです。
茜さす日の昏れ行けば術をなみ千重に嘆きて恋ひつつぞをる
このジャケ写のような光景を茜と呼ぶとソラ資料に解説があり、万葉集の一首が紹介されています。ネットで意味を調べたところ、「日が暮れて行く頃は、どうしようもなくて、何度もため息をついて、あなたのことを恋しく思っているのです」との意味であり、また「昏れ」ではなく「暮れ」と書くとのことです。
このピンキー・ウィンターズさんの作品は「今日の1枚」では、2006年7月24日に取り上げました。私は、50歳をすぎたピンキーさんの円熟味に感想を述べておりました。今回のつまみ食いでは、ジャケの雰囲気と、そして作者不明の短歌にある恋心を感じさせるものを、探したいと思います。
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月23日(火)07時04分24秒
  さてゴンザルベスさんの「ソラ ジャケ」作品。
「Body And Soul」「What Is There To Say」「It's The Talk Of The Town」と続くメドレーにおけるゴンザルベスさんのゆったり感には、あっぱれであります。バック陣の辛めの演奏、ゴンザルベスさんの我の世界をいく落ち着き、これが絶妙に合わさっています。
他にも聴き所はあり、ジャケのハチドリの勇姿とともに、心に残るつまみ食いでした。
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月22日(月)07時50分14秒
  その前に、この作品が録音された1970年1月3日(土)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「総ワク引っ込める、繊維規制、米 新たな協定案、特定28品目は残す、予備会議 七日再開も、トリガー方式復活」
ここでの繊維規制とは、日米繊維交渉のことを指します、ウィキペディアによればこれは、広義には1955年から1972年にかけて日米で行われた交渉、狭義には1970年6月22日から24日の日米交渉を指します。
狭義の1970年6月22日から24日はワシントンで行われ、宮沢通産相とスタンズ商務長官の会談でしたが、米側は前年の佐藤・ニクソン会談における「沖縄返還密約」を基に交渉を行い、宮澤は密約の存在を否定する佐藤の主張に沿って交渉を行い、その結果は交渉決裂となったのです。
なお2012年7月31日付で外務省が公開した外交文書にはこの「沖縄返還密約」が含まれており、その存在が初めて確認されました。

読売「行政組織 動く社会に対応、行管庁が法改正いそぐ、次官補 スタッフ制、局部課改廃は政令で、46年度から実施めざす」
明治以来のタテ割り行政を見直すことが目的でした。この動きでどのような改革が出来たのかはネットから情報を得られませんでしたが、それから50年後の今を見れば、成果無しだったのでしょう。
行管庁とは行政管理庁のことで総理府の外局であり、今の総務省行政管理局・行政評価局がその機能を引き継いでいます。

朝日「四次防の輪郭固まる、長期の目標を設定、交通路確保へ守備海域も決める、対艦ミサイルを配備」
四次防とは第4次防衛力整備計画のことで、1972年10月に第一次田中内閣で閣議決定されました。1972年から1976年までの五年間がその対象で、通常兵器による局地戦以下の侵略に最も有効に対処することを目的としました。これによりこの見出しにある対艦ミサイル搭載護衛艦1隻が整備されました。



ではこの1月3日の新聞から少しばかり紹介します。
・3面にあるコラム「海外短波」には、「パリの元旦、メデタシ五つ子」との見出しと、看護師5人に抱えられた赤ちゃん5人の写真が掲載されています。
・7面下に映画会社五社の広告があり、松竹は「チンチン55号ぶっ飛ばせ、出発進行」と「ミヨちゃんのためなら全員集合」の二本を宣伝しています。私はコント55号派ですが、この映画は観たことなく、逆にドリフの映画は数年前にBSでの放送を観ました。倍賞美津子と松岡きっこが光っていたと映画との記憶があります。
・TV欄の20:00をみますと、TBSが「8時だョ! 全員集合」、フジが「コント55号の世界は笑う!」を放送しています。どちらも大人気番組でした。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月21日(日)07時14分28秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の14枚目は、Paul Gonsalves の Humming Bird、1970年1月3日の録音です。(年は多分、月日は決め打ち)
アルバム・タイトルであり、ジャケでホバリング飛翔を披露しているのは、ハミング・バード、和名ハチドリです。北米南西部からアルゼンチン北部にかけて生息する鳥で、鳥類の中では最も体が小さなグループである鳥類アマツバメ目ハチドリ科に分類されます。(ウィキペディアより)
そのハチドリのバックには、暈の一つである幻日の空が広がっています。ソラ資料によれば、巻層雲が太陽や月に掛かると、その周囲に色づいた光の輪や弧、或いは柱が見えることがあり、これらを総称して暈と呼ぶそうです。その暈には内暈・外暈・幻日があり、ソラ資料にある写真と本作のジャケを見比べますと、幻日なのでしょう
2006年6月25日の「今日の1枚」で取り上げたこのポール・ゴンザルベスの作品は、エリントン楽団のテナー・サックス奏者が、英国ジャズ界のメンバーと組んでの作品です。
ジャケにお得意のポーズを決めているハチドリの姿ですが、今回のつまみ食いではゴンザルベスの決まった一瞬を探して聴いてみます。
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月20日(土)07時29分0秒
  さてミシェルさんの「ソラ ジャケ」作品。
国内盤封入解説で小川隆夫氏がミシェルさんのピアノ演奏スタイルについて、「そのプレイには万華鏡を覗くようにさまざまなスタイルのジャズが複雑に絡み合っている」と評しています。私には彼女の演奏スタイルは、いろんな表情をこじんまりとみせていくが個性が無い、と感じましたし、これは14年前と同じ感想です。
私には彼女は、相性の悪いピアニストなのでしょう。
 

18度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月19日(金)06時44分59秒
  その前に、この作品が録音された1994年7月1日(金)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「村山内閣が発足、副総理・外務 河野氏、大蔵 武村氏、建設 野坂氏、自民13ポスト、科技庁 田中真氏」

読売「自民13閣僚 要所に配置、村山内閣スタート、社会5、さきがけ2、静新と安定を強調」

朝日「自13、社5、さ2、村山内閣が発足、重要閣僚は自民」

あっと驚く村山首相誕生、でしたね。



ではこの7月1日の新聞から少しばかり紹介します。
・14面経済面に「持ち家、6割を切る、新規着工は借家中心、93年総務庁調査」との見出しがあります。因みに国交省資料によれば、2018年の持ち家比率は58%ですので、この傾向は長年続いているようです。
・32面に朝日ソーラーの全面広告があります。従業員77名の笑顔の写真を並べ、「お客様とのふれあい」を強調した広告です。かつては派手にTVコマーシャルを打っていた太陽熱温水器の会社ですが、今でもそれを主力に営業を継続しています。
・TV欄 14:00から村山総理の記者会見があるのですが、中継はNHKのみ、民放のワイドショー欄では、この会見について触れていませんでした。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月18日(木)07時45分46秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」13作品の枚目は、Michele Rosewoman の Spirit、1994年7月1日の録音です。(年はジャケ情報、月は多分、日は決め打ち)
夜景をバックに人物を撮影する場合は、スローシンクロとなります。露出は夜景に合わせ、フラッシュは人物に最適な発光をさせます。夜景の場合は1秒以上のシャッタースピードとなりますが、人物に全く動かないでとは出来ず、従ってフラッシュで人物を強く撮影する方法です。カメラのプログラム機能を使えば簡単に行えますが、手動設定の場合は慣れが必要となります。どちらにしても、三脚は必須アイテムとなります。
さて本作のジャケですが、これもスローシンクロでの撮影です。制作側の意図はこれなのでしょうけど、私ならば夜景はもう少し明るく、そして人物は二灯でのとらえたいです。夜景に関しては、せっかくの薄明を生かしてなく暗すぎ、そして人物は一灯を横から当てていますので、どうしても顔にできる影が気になります。
さて本作ですが、「今日の1枚」に掲載したのは2006年1月21日のことでした。ピアニスト兼ヴォーカルのミシェルさんは、1980年代からコンスタントに活動していますが、ディスコグラフィーを見る限りは、2010年以降には作品を発表していません。ただし最近になって新譜を出したとの情報もありますが、目に止まるような活動は行っていないようです。
14年前に私が「モントリオールのジャズ祭を無難に盛り上げた作品と言う内容」と感想を述べた本作品、改めて聴いて見ます。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月17日(水)06時51分55秒
  さてジャクソンさんの「ソラ ジャケ」作品。
街で過ごしている、街の時間の流れを感じる一枚です。これは客船での長い船旅でも同様のことでしょう。今回のつまみ食いで、本当に久しぶりに聴いた本作、なかなかの聴きごたえでした。贅沢を言えば、危機に直面したような展開があれば、さらに良かったです。
映画「海の上のピアニスト」のピアニストは超絶テクニックの方、本作のジャクソンさんは絵を描くようなピアニスト、そんな思いで聴き終えました。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月16日(火)07時14分50秒
  その前に、この作品が録音された2002年12月16日(月)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「役員報酬 記載義務づけ、報告書に総額開示、米国並みにリスク情報も」

読売「教室冷房化に逆風、甘やかしすぎ、異論続出、財務省難色、児童も温暖化心配」
文科省の資料によれば2019年9月現在の設置率は、小中学校等において、普通教室78.4%、特別教室50.5%、体育館3.2%とのことです。

朝日「内閣支持率54%に下落、本社世論調査、政策面に不満」
第一次小泉内閣の後半の時期です。



ではこの12月16日の日経新聞から少しばかり紹介します。
・15面デジタル経済面に「ICタグで電子チケット、携帯電話と組合せ、コンサート事業協会が実施」との見出し記事があります。この見出しにあるコンサート事業協会とは、当時のコンサートツアー事業者協会、現在のコンサートプロモーターズ協会のことでしょう。
私はある邦人歌手のコンサートに毎年のように参加していますが、そこでは電子チケットが始まったのが2015年頃、完全電子チケット化は2018年のことでした。
・18面ベンチャー面下に「European Company Watch」の広告があります。このブランドの時計の写真が大きくあり、英語で銀座店を紹介しています。この時計ブランドは2000年に誕生したものです。
・TV欄 テレ朝 13:15からの「徹子の部屋」は、この年の8月から11月にかけて亡くなった方の追悼でした。アナウンサーの野村泰治、女優の范文雀らの出演シーンを放送してました。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月15日(月)06時52分4秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の12枚目は、D.D.Jackson の Suite For New York、2002年12月16日の録音です。
数年前にBSで「海の上のピアニスト」という映画を見ました。豪華客船で生まれ、一度も土を踏むことなく死んでいったピアニストのお話です。その豪華客船は大西洋を往復するヴァージニアン号なのですが、NYに近づくと必ず誰かが「自由の女神だ!」と叫ぶとの話がありました。
恐らくはこのジャケのようなシーンなのでしょう。霧の向こうに自由の女神が現れてくると、何十日という船旅の疲れも忘れて、叫んでしまうのでしょう。
このジャケ写の撮影地点はどこかと思い、グーグル地図で調べたところ、リバティ州立公園の北部でした。とするとジャケ写は、自由の女神が通り過ぎた先からの光景となりますが、「自由の女神だ!」と叫びたくなる雰囲気は十分ある霧のNYです。
さて霧ですがソラ資料よれば、いくつも呼び方があるようです。発生原因によっては、放射霧、混合霧、蒸気霧、滑昇霧、移流霧、前線霧と呼ぶそうです。霧粒では、湿霧、氷霧、霧氷霧と分類されるとのことです。また発生する場所によっては、盆地霧、都市霧、海霧、山霧、谷霧、そして川霧と呼ぶそうです。更には文学の世界では、朝霧、夕霧、狭霧、霧の帳、霧の雫などが使われているとあります。ジャケ写は、蒸気霧で湿霧、そして都市霧で朝霧なのでしょうか。
カナダのオタワで生まれアメリカを中心に陸で活躍しているピアニスト、D.D.ジャクソンの大編成作品の本作を「今日の1枚」で取り上げたのは、2003年10月17日のことでした。今日はジャケの雰囲気を、本作の演奏から味わいたいと思います。
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月14日(日)06時58分28秒
  さてラングレンさんとピーターさんの「ソラ ジャケ」作品。
このピーター・アスプルンドというトランペッターは、「北欧を代表するトランペッター」の評価がある方なのですが、この作品を聴く限りでは、器用貧乏な方なのかと感じました。確かに演奏後術は高そう、そしていろんなスタイルを披露している、しかし彼らしさを感じない、これが本作を17年ぶりに聴いての私の感想です。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月13日(土)07時19分17秒
  その前に、この作品が録音された1996年1月30日(火)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「環境事業に共同で進出、伊藤忠・川鉄・川重・東ガス、ごみ固形燃料化、発電用、自治体に照準」
ネットで調べましたが、この四社の共同事業は実現しなかったようです。

読売「処理機構、告発体制強力に、住専不良債権の回収案、大蔵決定、犯罪通報義務付け」

朝日「きょうから住専予算委、責任焦点、だれが、いつ、どんな判断」

住宅ローン専門のノンバンクである住宅金融専門会社(住専)がバブル崩壊により抱えた不良債権により、1995年には8社中7社が行き詰まりました。この見出し記事にあるように予算委でこの件が大きく取り上げられ、6850億円を一般会計から支出し住宅金融債権管理機構が設立されました。



ではこの1月30日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・3面総合面に「富士通が2位に、パソコンの国内シェア、95年、出荷台数は過去最高」との見出し記事があります。NEC - 富士通 - アップル - 日本IBM - 東芝がその順位です。富士通は前年からアップルとIBMを抜いて、2位に躍進しました。
私は仕事で富士通のPC部門と1980年代後半から関わりましたが、当時は発想は良いが買いたくはならないラインアップでしたが、OSはウィンドウズとなってからは、ソフト開発からハードのコストダウンに方針を移して、この2位躍進につながったのです。

・20面の全面広告は、「閉店します」と大きく書かれたもので、広告主はブルーハウスです。全国にある60店舗を、全て閉めるとのことです。私はこの会社を全く知りませんでしたが、ウィキペディアによれば1967年に創業のインテリアショップでした。バブル崩壊で放漫経営が表面化し、この広告となったようです。

・TV欄 TVKテレビでは、11:45から18:30まで特番を組んでいます。「たてながHAMA大国 生中継 世界一豪華客船、本日横浜港に入港」との内容で、クイーンエリザベス2世号を扱っています。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月12日(金)07時33分33秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の11枚目は、Jan Lundgren / Peter Asplund の California Connection、1996年1月30日の録音です。
海岸沿いには白い波が打ち寄せ、青空には長く連なった雲、この二つが上手く組み合わさっている、ジャケ写の背景です。
ソラ資料を見ると、この雲は雲堤と呼ばれるようです。「土手のように、長く連なった雲の帯。多くは寒冷前線に沿って延びる。雲堤が通ると天気は急変し、雷雨になったり、突風が吹くことがある」と、ソラ資料にあります。
寒さが伝わってくる光景ですが、そこに映る二人の服装では寒くはないかと心配になります。
2003年5月22日に本作を「今日の1枚」で取り上げた際には、ラングレンのピアノの世界とピーターのトランペットが「不釣合いな場面も感じられます」と、私は感想を述べておりました。そうは言っても二人の演奏が、ジャケ背景の海と空のように重なり合っている場面もあると思います。今回はそこを意識して、つまみ食いしてみます。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月11日(木)06時36分55秒
  昨日の1枚は、Kasper Villaume の #2。
ハード・バップの力強さを2000年代に活かすとしたらこのような演奏なのかと、何度も唸りながら、本作を聴き終えました。主役のヴィヨム、そしてモラーのサックス、この力強さとスピード感を併せ持つ演奏、そして暴走寸前のエネルギー、素敵でした。
スタンダードの「My Man's Gone Now」からヴィヨム作の「The Speedmaster」へと続く展開は、曲の解釈の巧みもあり、なかなかの聴き所と言えるでしょう。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月10日(水)06時40分42秒
  今日の1枚は、Kasper Villaume の #2、Stunt原盤、2002年12月の録音です。
ディスクユニオン関内店中古CD半額セールで、250円で購入した作品です。
キャスパー・ヴィヨムとのカタカナ表記になるこのピアニストは、1974年生まれのデンマークのジャズマンです。ウィキペディアにページがある方ですが、そこには「2002年以来何枚かのアルバムを発表している」とありますので、今日取り上げるのは彼のごく初期の一枚となります。
「今日の1枚」では、彼の2004年録音盤を取り上げたことがありました。(2005/6/10)それはJesper Bodilsen(b) と Jeff Tain Watts(d)が参加としてのトリオ作でしたが、私はベースとドラムをほめておりました。
今日取り上げる2002年作品には、Lars Moller(ts)、Jesper Bodilsen(b)、そしてMorten Lund(d)が参加しての、カルテットでの演奏です。


昨日の1枚は、Machito & His Afro-Cuban Ensemble の Machito With Flute To Boot。
アフロ・キューバン・ジャズの楽しさを満喫でき、それはそれで楽しい1枚です。ハービー・マンやグリフィンの魅力が出ているわけではありませんが、二人のファンの方ならば、必須アイテムなのでしょう。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月 9日(火)06時56分10秒
  今日の1枚は、Machito & His Afro-Cuban Ensemble の Machito With Flute To Boot、Roulette原盤、1958年の録音です。
ディスクユニオン関内店中古CD半額セールで、300円で購入した作品です。
アフロ・キューバン・ジャズのマチートと言えば、彼のバンドと共に有名な存在であり、ジャズマンとの共演作を何枚も残しています、とはジャズ愛好家では常識なのかも知れませんが、私は彼を意識して作品を聴いたことがありませんでした。
本作はハービー・マンとの共演作であり、演奏している十二曲全てがハービー・マンによるものです。そしてジョニー・グリフィンも参加しています。



昨日の1枚は、George Garzone の The Fringe In New York。
伝わらない表現を承知で言ううならば、実に私好みのジャズです。ジャズ聴き始めの時期、黄金時代の名盤ジャズを聞いた後に、私はジャズ専門店のエサ箱で所謂ロフト・ジャズのLPを漁ってました。その時の求めていたものが、本作品に漂っています。
分類して言ううならば、インパルス期の中判から後半のコルトレーンの世界です。この手のミュージシャンは数多世に出ては消え、それは今でも続いています。世に残るミュージシャンとは、当たり前ながらオリジナルティがあるミュージシャンです。
サックス、ベース、ドラムのトリオの密な連携と刺激、そこにヴィブラフォン、称賛に値する演奏が50分間に渡り続いています。
こう書きながら私にはガゾーンの個性を言えないでおります。The Fringeの他の作品に出会えることを、楽しみにしています。
ここまで書いて気がついたのですが、The Fringe の作品を、かつてここで取り上げておりました。(2002/9/3)複雑な重いです。
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月 8日(月)06時19分34秒
  今日の1枚は、George Garzone の The Fringe In New York、NYC原盤、2000年6月の録音です。
「Fringe」とは元々は「縁」との意味で、そこから「前髪」や「(カーテンやドレスなどの)房飾り」に用いられ、さらには「少数派、傍流」などの意味にもなっていった単語とのことです。
本作のタイトルにある「The Fringe」とは、サックス奏者ガゾーンが1970年台から参加しているグループです。トリオ編成で、ベース奏者のジョン・ロックウッド、そしてドラム奏者のボブ・ガロッティがそのメンバーです。
本作にはこのトリオに加えて、本作のプロデューサーでもあるマイク・マイニエリがヴァイブ奏者として参加しています。



昨日の1枚は、Donald Byrd の Slow Drag。
バードが望んでなのかBNからの要求なのかは別にして、ファンク色を出しているのは時代の流れなのでしょう。その色合いの中で本作は、トランペットのバードは真摯に、アルトサックスのレッドは自由奔放に、この二人の演奏の対比を楽しめる作品と言えるのでしょう。
ただし私が今回気に入ったのは、ジャズ本流よりの演奏となったスタンダード「My Ideal」でした。
それにしてもジャケの女性が気になりました。誰かに似ていると思いながら本作を聴いていたのですが、聴き終えてから女優のレスリー・アン・ブラントだと気づきました。二人の写真を並べれば違いは明らかなのですが、映画「ドリフト」でのレスリーさんの主人公を支えていく姿、そして「強い男の秘密は一人ぼっちであること」とのセリフが、何故だか本作ジャケの女性の雰囲気に通じるものがあるなと、思っていた次第です。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月 7日(日)07時18分4秒
  今日の1枚は、Donald Byrd の Slow Drag、Blue Note原盤、1967年5月の録音です。
ドナルド・バードの1960年台後半の姿を捉えた作品を、今日は取り上げます。一部の方の間では、本作は「ソニー・レッド入りドナルド・バード三部作の最終作」と呼ばれているようです。
リズム陣は、シダー・ウォルトン(p) 、ウォルター・ブッカー(b)、そしてビリー・ヒギンズ(d)であります。



昨日の1枚は、Max Roach の Deeds, Not Words。
ローチはホーンの扱い方が非常に上手い方だと、改めて実感しました。ピアノレスでのチューバの使い方、コールマンのテナーサックスの音色の活かし方、そしてリトルに思いっきり吹かせる場面を用意するあたり、流石はローチであります。
リトルにとってはジャズマンとしての活動の出発点であるここでの演奏ですが、その終焉はこれから僅か三年後となります。私にとってもう少し活動していればどんな演奏をしたのだろうと思うミュージシャンの筆頭格が、リトルです。
タイトル曲名は「言葉でなく行動だ」であり、ローチの政治的思想の表れですが、演奏はそこを意識する事なく、ジャズの凄みを見せつける演奏です。そんローチの活動は二年後の名盤「We Insist!」に結実するのですが、私は本作品に親しみを覚えます。
最後にですが、私が持っているのは1992年にCD国内発売されたものですが、最後にCD化追加曲が入っております。オスカー・ペティフォードとのデュオでの、六分弱の演奏で、1958年2月(3月説もあり)のものです。このCDを買った時は、何でこんな曲追加をするのだろう、本作品とは関係ないであろうと思っていました。
今回「今日の1枚」で取り上げるにあたり、CD封入解説を読んだところ、オリン・キープニュースのこの追加曲に関する一文が目に止まりました。それによれば、ロリンズのセッションのためにスタジオ入りしていたローチとペティフォードですが、なかなか主役のロリンズが現れない、そこでテープを回してと頼み、二人で「There Will Never Be Another You」を演奏、しかしそのテープは長らく眠ったままだったとのことです。1992年にCD化するのにあたり、このデュオ演奏を世に出すとしたら、本作「Deeds, Not Words」が相応しいと判断したとのことです。
本作はドラムのソロ演奏で終わります。そしてこのCDでは、その後にドラムとベースのデュオ演奏が流れる訳です。今回キープニュースの話を頭に入れながら聴いてみれば、何ともドラマがある演奏の流れを、私は感じました。長い月日を経て、私はようやくキープニュースの思いを感じることができました。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月 6日(土)07時11分48秒
  今日の1枚は、Max Roach の Deeds, Not Words、Riverside原盤、1958年2月の録音です。
粗い粒子のジャケ写です。当時で言うならば、フィルムASA3200で撮影したのでしょう。この粒子の粗さが、サングラスの奥にあるマックス・ローチの瞳の訴えの強さを、想像させます。
1956年にクリフォード・ブラウンとの突然の別れを迎えたローチは、虚脱状態から抜け出した後に、再び自分のバンドを編成し始めました。1956年暮れには、ケニー・ドーハムとレイ・ブライアントを迎えて活動し、メンバーの入れ替えを行いながら、1958年初めには本作品のメンバーとなっていました。
23歳のジョージ・コールマン(ts)、20歳のブッカー・リトル(tp)、そして18歳のレイ・ドレイパー(tuba)と言うのがフロント・ラインで、ベースには23歳のアート・デイビスというメンバーです。
国内盤CD封入解説から本作の背景を紹介しましたが、当時34歳のローチが若手と組んだ作品を、今日は聴いてみます。



昨日の1枚は、John Coltrane の The Last Trane。
アップテンポとスローなブルースの組み合わせのA面、スローなブルースとミディアムで有名スタンダードのB面、それなりに考えたものです。ただし発売された1966年でも今でも、この作品を買うにはそこそこコルトレーンを聴き込んできた方々でしょう。そうすると、この一曲という華がないのが残念なところ。
「Come Rain Or Come Shine」が原曲の良さをもっと活かした演奏であれば、そしてアルバム名を「Come Rain Or Come Shine」にしていれば、この作品の存在感がもう少し増したことでしょう。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月 5日(金)07時25分26秒
  今日の1枚は、John Coltrane の The Last Trane、Prestige原盤、1958年1月の録音です。
コルトレーンが急成長する舞台となったプレスティッジ時代、多様なメンバーでの録音を残したプレスティッジ時代のコルトレーンでしたが、アルト・サックスは使ったものの、ソプラノでの演奏はありませんでした。
何故だかソプラノ・サックスを吹くコルトレーンのジャケの本作品は、プレスティッジが世に出した最後のコルトレーン作品であり、1966年1月のことでした。
1957年8月16日のトリオでのセッションからラッシュ・ライフに収録されなかった「Trane's Slow Blues」の別テイクを「Slowtrane」という曲めに変えて、1958年1月10日のバード入りクインテットで演奏した五曲の中でラッシュ・ライフとビリーヴァーに収録しなかった「The Believer」と「Come Rain Or Come Shine」を、そして1958年3月26日のカルテットでの五曲の中でセッティン・ザ・ペイスに収録しきれなかった「By The Numbers」を、本作品に詰め込んでプレスティッジは世に出しました。



昨日の1枚は、John Coltrane の Settin' The Pace。
やはりA面一曲目が、このアルバムの顔でしょう。ジャズの世界では影が薄い曲ですが、ガーランドが引っ張り出してきたこのバラッドを、ギリギリの美しさで見事に表現するコルトレーンの演奏力の高さに、誰もが酔ってしまうことでしょう。衝撃に強うさな滑床皿も、簡単に割れてしまうことがありますが、そんな心の弱さを感じる演奏内容です。
B面の頭には、凄みと粘りっこさを感じる演奏の「Little Melonae」を取り上げており、これも印象深いものです。
両面とも二曲目には軽快な演奏を用意しており、ガーランドを始めとするリズム陣も好演奏を繰り広げ、影に隠れながらもコルトレーンのそれとなく愛される作品となっています。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月 4日(木)07時31分30秒
  今日の1枚は、John Coltrane の Settin' The Pace、Prestige原盤、1958年3月の録音です。
1960年代に入ってから発売されたプレスティッジのコルトレーン作品は、語られることが少ないものです。気持ちが既に新天地に向かっているコルトレーンの演奏であり、またアトランティックでの諸作が既に世に出た時期に発売されたこともあり、コルトレーンの数多い作品の中で埋もれていったのでしょう。
インターネットが世に定着した2000年頃に話題となっていた「2ch」などで、「私はSettin' The Paceが好きだ」との書き込みを何度か目にし、それから20年経った今でも時折目にするコメントです。それはそうでしょう、本作品はガーランドが引っ張り出してくる曲をコルトレーンが楽しく演奏しており、そんな3月26日に録音された5曲の中から本作に4曲が収録されており、またワン・ホーン・カルテットでの演奏なのですから。
曲毎のコメントは「今日のコルトレーン」を参照願うとして、今日はアルバム構成に気持ちを移して聴いてみます。



昨日の1枚 は、 Kenny Burrekk & John Coltrane。
この録音時点ではコルトレーンの気持ちは、1年後のプレスティッジとの契約終了、そして新しいレーベルでの自分が望む形でのレコーディングに向かっていたのであろうと、本作を聴きながらふと思いました。
ギターとの共演で新たな道を模索するとかの真摯な思いではなく、レーベルが用意したセッションを、悪い言い方ではこなしていく、良い言い方をすれば楽しんで行こうとの思いが、コルトレーンにあったと思います。
ただしそこは真面目なコルトレーン、手抜きは一切なく、新進気鋭のギタリストと共に、新進気鋭を卒業したコルトレーンが楽しんでいる演奏です。
バラッドをデュオで演奏している「Why Was I Born ?」が注目される作品ですが、クインテットでの演奏に飛び抜けるものが欲しかったと思いながらも、このような楽しいコルトレーンの姿にニヤッとしながら聴き終えました。
コルトレーンの話ばかり書きましたが、バレルにとっても本作はキャリアのステップ・アップとは言えないものでしょうが、テナー・サックス奏者との共演という意味では良い経験になったのかと思います。テナー奏者とのバレルの共演作品、そんな目でバレルの諸作を聴いてみたくなりました。
この時点のバレルとコルトレーンの共演を、楽しめる1枚です。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月 3日(水)06時49分29秒
  今日の1枚は、 Kenny Burrekk & John Coltrane、New Jazz原盤、1958年3月の録音です。
ケニー・バレルの代表作を挙げろと言われて、本作品をあげる方は少ないことでしょう。またコルトレーンについても、プレスティッジ系との縛りを付けた場合でも、上位5作品に本作品を入れる方は少ないことでしょう。
でも、本作品は両者のファンに愛されている作品です。急激な上昇気流の中のコルトレーンと、まさにこれから注目されていくギタリストのケニー・バレル、プロデュースしたボブ・ワインストックの狙いは何であれ、この時期の二人の共演作品が残っていることは貴重だと思います。
トミフラ、チェンバース、そしてジミー・コブとの演奏です。



昨日の1枚は、John Coltrane の Soultrane。
コルトレーンのプレスティッジを録音順に「今日のコルトレーン」で取り上げ、そこからのアルバムを「今日の1枚」でコメントしてきたから思うことなのでしょうけど、この作品はコルトレーンがガーランドと成長してきた流れの総決算のように感じました。演奏機会を得ることでのコルトレーンの技術面での急成長に、ガーランドが歌心の大切さをそれとなく伝えてきたことの熟成を、改めてこの作品を通して聴いてみて、強く思った次第です。
この後もこの年の末まで四ヶ月ほど二人の共演は続きますし、その中にはカルテットでの演奏もあります。そこを考えても、常にコルトレーンを全面に出すガーランドがいる本作品、そしてセッションが丸ごと収まっている本作品は、コルトレーンとガーランドの蜜月時代の良い記録と言えるでしょう。
曲それぞれについては、別掲の「今日のコルトレーン」をご参照願いいます。
 

20度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月 2日(火)07時43分51秒
  今日の1枚は、John Coltrane の Soultrane、Prestige原盤、1957年8月の録音です。
「コルトレーンの自信に満ちた姿が見出せるプレスティッジ時代の最高傑作!」、「プレスティッジ・レーベルに残された数多くのジョン・コルトレーンのアルバムの中でも、疑いもなく最高の出来栄えを示した一作」と、大絶賛紹介文で今でも宣伝されている作品です。
本作品が収録された1958年2月7日のセッションは、コルトレーンがプレスティッジで行った21回目のセッションであり、コルトレーンのリーダー・セッションとしては初のワン・ホーン・カルテットでのものです。その前の20回のセッションを眺めてみますと、コルトレーンが2年半の間にこのプレスティッジだけでも、多種多様な経験を積んできたことが分かります。
そして待ちに待った初めてのワン・ホーン・カルテットでのリーダーセッションは、これまたプレスティッジで多くの活動を共にしてきたガーランド、チェンバース、そしてテイラーとの演奏です。このメンバーで5曲が演奏され、その全てがこの「ソウルトレーン」に収録されています。



昨日の1枚は、John Coltrane の Lush Life。
トリオでの3曲は全てA面に収録されており、有名スタンダード「Like Someone In Love」をスローでしっとりと歌心豊かに、コール・ポーターの「I Love You」ではコルトレーンの高速演奏を堪能し、そしてコルトレーン作とクレジットされている「Trane's Slow Blues」ではトリオ演奏ならではの粘りっこさを聴かせています。
B面に移っても、ガーランドとバードの熱演も光る「Lush Life」での、すでに完成形とも言えるコルトレーンのバラッド演奏の美しさが輝く演奏です。
ただし、願わくばトリオでの演奏で1枚のアルバムをと欲張ってしまうのですが、ここがこの作品への感想の分かれ目なのでしょう。
最後に余談ですが、ジャズ聴き始めの時に国内盤LPで本作を楽しんでいた際に、「Lush Life」」でのヘイズのブラシ「焼きそば」の再生に随分と苦労しました。カートリッジを取っ替え引っ替えし、やはりMCの高級品を買わなければとも悩んだりしていた記憶があります。今回は2006年にビクターから発売された紙ジャケCDで本作を聴いたのですが、そんな「焼きそば」再生悩みは消え去っていました。これを良い方向に考えたいのですが、ブラシの絶妙な力加減が感じられないなと、また新たな「焼きそば」再生悩みとなりました。
 

19度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月 1日(月)07時20分56秒
  今日の1枚は、John Coltrane の Lush Life、Prestige原盤、1957年8月の録音です。
プレスティッジのコルトレーン単独名義の人気リーダー作と言えば、LP7105の「Coltrane」、LP7142の「Soultrane」、そしてLP7188の本作となります。しかしながら本作品が他の2作品より少し人気の面で落ちるとしたら、アルバムとしての統一感でしょう。他の2作品はそれぞれ、一つのセッションから構成されていますが、本作品は三つのセッションからの五曲で構成されています。
1957年5月31日の初リーダー・セッションから一曲、1957年8月16日のトリオでの演奏から三曲、そして1958年1月10日のバードとの共演から一曲という具合です。
しかしながらトリオでの三曲でA面を構成していますので、そこは良い点と言えるでしょう。
ジャケの出来はピカイチの本作を、今日は楽しんでみます。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 5月31日(日)07時29分18秒
  19590505-03
Syeeda's Song Flute (alternate take) (John Coltrane)
(7分6秒)


【この曲、この演奏】
この曲は2回目の演奏を行い、1回目がOKテイクとなり、2回目が1975年発売の「Alternate Takes」に収録されました。演奏時間は両テイク、同じです。
資料07によれば、コルトレーン直筆のこの曲のリード・シートがオークションにかけられたそうです。その際には「Saidas Song Flute」と、オークション・リストに書かれていたようです。因みに「Saida」、「Saeeda」、そして「Syeeda」は英語の翻字であり、どれも正しいとのことです。
さて2回目の演奏ですが、1回目と構成で変えた点はなく、内容も高いものです。その中でコルトレーンの演奏には、いくぶん荒々しさを加えたいとの思いを感じます。
どちらをOKテイクにするのか、その過程の様子が世に出ればと思いますが、今となれば無理なことなのでしょう。



【エピソード、アントニオ・サイーダ・コルトレーン】
ジョンはあたしのことをトニと呼んだり、時にはポニーとも呼んでいた。というのも少女の頃のあたしは、がりがりにやせていたからです。彼はひまを見ては、あたしを遊びに連れて行ってくれました。夏はコニー・アイランドに行き、私をサイクロン・ローラー・コースターに乗せてくれたし、冬にはヴィンセント・プライスの恐怖映画をみせてくれました。あたしが恐ろしさに身体を震わせているのを見て、彼は満足そうに笑っていました。長期間の演奏旅行から帰ってきたときは、いつもポケットに小銭を一杯つめ込んで、銀行に預けるように私に渡してくれたものです。
アントニア・コルトレーン

ジョン・コルトレーンは、トニのためにもっと大事なことをしてやった。それは、彼女の回教徒名をおりこんだ「サイーダズ・ソング・フルート」を書き、それを「ジャイアント・ステップス」というアルバムの中でレコーディングし、その名前を不滅のものにしたことだ。トニが子供のよく吹くカズー笛に似たトネットで何か吹こうとしていつもうまく行かないのを見て、彼は曲想を掴んだのである。
彼女が一九六七年にハイスクールを卒業したとき、コルトレーンは別の女性と結婚していた。だが、彼はナイーマの娘のことを忘れたりはしなかった。彼女は彼の娘でもあったのだ。彼が贈ってくれたプレゼントを見て、すっかり成長したアントニオ・サイーダ・コルトレーンは、父親が自分のことをどれほど愛してくれているかを知った。
それは、ほんもののフルートだった。
(以上、全て資料01より)
 

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