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27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月30日(日)06時48分14秒
  19601024-02
Mr. Syms (John Coltrane)
(5分22秒)



【この曲、この演奏】
コルトレーン作のこのブルース曲は、スタジオ録音ではこのセッション限りの演奏となります。しかしライブでは、この年の7月18日から23日までのフィラデルフィアのショーボートでのライブ出演で、何度か演奏されています。その際のメンバーはマッコイ入りの第二期カルテットでの演奏で、そこでもコルトレーンはソプラノ・サックスで演奏していたとのことです。(資料07)
あえて抑え気味のテンポで演奏しているように思うのですが、コルトレーンのソプラノには神秘の響きが芽生えだし、マッコイのピアノには後年の黄金カルテットでの演奏への萌芽を感じさせるものがあります。


【エピソード、ソプラノ・サックス入手の経緯】
コルトレーンとソプラノ・サックスについて、資料03に次の記述がある。
一九六〇年六月、コルトレーンはレコーディングでテナーと同時にソプラノ・サックスを使い始めた。ライブでソプラノを吹くようになってからまだ五ヶ月しか経っていなかった。彼がこの楽器に興味を持つようになったのは、車に乗せてやったヒッチハイクのミュージシャンが、持っていたソプラノ・サックスを置き忘れて降りてしまったのがきっかけだった。その後、マイルス・デイヴィスがソプラノをコルトレーンにプレゼントした。マイルスは、三月のヨーロッパ・ツアーの途次、パリのアンティーク・ショップで買ってコルトレーンに与えたと語っている。ジミー・コブによると、コルトレーンはバスの中で、いつも「ソプラノで東洋風のスケールを吹いて」時間を潰していた。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月29日(土)07時10分37秒
  19601024-01
Central Park West (John Coltrane)
(4分14秒)



【この曲、この演奏】
当時コルトレーンが住んでいたのはクィーンズ地区セント・アーバンズですので、セントラル・パークの東側です。西側と言えばハドソン川との間の地区ですが、この辺りにコルトレーンの何らかの思い出があるのでしょうか。録音スタジオはセントラル・パークの南側、そして少し西、そう考えればアトランティック・スタジオをこの曲名はさしているのかもしれません。
コルトレーンが作るバラッドの特徴が分かるこの曲、コルトレーンの演奏記録は資料07によれば本セッションだけです。
さて演奏ですが、憂と優しさが混じり合うコルトレーンのソプラノ演奏はテーマだけとなっており、マッコイが叙情的なピアノ・ソロを披露しています。
そしてこの演奏はAtl 1419(Coltrane's Sound) として、1964年6月に世に出ました。




【エピソード、本セッション】
本セッションは、第四期コルトレーン・カルテットによる、二度目のスタジオ録音である。そしてこの日には、曲数で11曲、コルトレーン抜きならば更に二曲多い十三曲を吹き込んだ。三日前の演奏でこのカルテットにコルトレーンが手応えを感じたのか、はたまたレーベルとの契約があってのことなのかは分かラナイが、この10月24日は精力的なセッションとなった。
このセッションは二回に分けて行われた。午後2時から6時半まで、そして7時半から夜中までだ。休憩時間の1時間は夕食(昼食?)ですぐに終わったことであろう。
またこの日もコルトレーンはソプラノ・サックスを手にして、4曲でそれを披露している。
本セッションでの収録曲は、アトランティック・オリジナル・アルバム(8枚)の3枚に分散収録された。1361(My Favorite Things), 1382(Coltrane Plays The Blues), 1419(Coltrane's Sound)の3枚である。
なお演奏曲順等について各資料で違いが見られるが、ここでは公式記録である資料16を正とした。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月28日(金)06時28分23秒
  19601021-04
My Favorite Things (Richard Rodgers - Oscar HammersteinⅡ)
(13分44秒)



【この曲、この演奏】
この曲を取り上げるにあたり、映画「サウンド・オブ・ミュージック」をビデオで観ました。私のメモが正しければ、この映画の中でこの曲が5回使われています。最初が冒頭のタイトル・クレジットで演奏のみ、2度目はジュリー・アンドリュース扮するマリア先生が子供たちと心を通わせる場面です。これは開始から50分ほどの場面ですが、マリア先生が雷を怖がる子供たちに「悲しい時は好きなことを思い出して」と語ってから、この曲が歌われます。3度目は54分のこの映画の名場面、草原での歌の場面です。この曲から「ドレミの歌」へ続くのは、ミュージカル映画を避け気味の私も、今までに何度も目にしてきた場面です。4度目は88分でのパーティの場面で演奏だけ、最後は120分の子供たちがマリア先生と再会する場面で歌われています。
この映画は1965年公開ですが、舞台では1959年11月にブロードウェイ公演が開幕し、数多くの上演がなされました。
コルトレーンがこの曲を録音した本セッションは1960年10月のことです。大ヒットしたミュージカルとはいえ、まだ一般に馴染み深い曲とはなっていなかったようです。資料09には「当時この曲はまだ無名だったのでトレーンのオリジナルと思った人も多かった」とあります。
コルトレーンのこの曲のスタジオでの演奏は本セッションだけですが、この後この曲は、コルトレーンのライブでの必須曲となっていきます。ライブで何回演奏されたかは不明ですが、資料06に記録が残っているだけでも54回あります。なお最初のライブ演奏の記録は、このスタジオ録音の一ヶ月ほど前の9月24日で、第三期コルトレーン・バンドでのモントレー・ジャズ祭での演奏です。これについては私家録音の存在も確認できずなのですが、公式録音がいつか世に出るのを待ちたいです。最後のライブ演奏は1967年4月23日のオラトゥンジでのものです。
さて本セッションでの演奏ですが、この至高の演奏には言葉がないのですが、資料09には「無機的に思えるほど執拗に各人が自らの役割を繰り返すという混沌の背後から徐々に偉容を現す巨大な精神性のような何か。以後コルトレーンが常に身に付けた神秘的な力が初めて漲った」と解説しています。



【エピソード、本セッションでの  の演奏記録】
本セッションでのこの曲の演回数については、各資料で異なりがあります。1983年発行の資料09では1回だけ、1995年発行の資料06では計3回、そして資料08では計2回となっています。
1995年の資料16ではこの1回だけとなっており、これは公式記録となることからなのか、資料06を改訂した2008年の資料07では1回だけの演奏とリストされています。
しかしながら資料07では、次の内容の一文があります。
パリ人のコンサート・プロデューサーのフランク・テノが、アーテガン兄弟の招きにより、本セッションに立ち会った。テノの記憶によれば、本セッションで My Favorite Things は三回演奏され、一度目はコルトレーンはテナー・サックスで、二度目はテナーとソプラノで演奏したとのことだ。テノにはこの二度目の演奏は忘れられない程の出来でだったが、コルトレーンはこの二回の演奏を良しとせず、三度目の演奏をソプラノだけで行ったと。
ジャーナリストでありジャズ評論家でもあるフランク・テノ氏は、2004年に78歳で亡くなった。彼は2001年まで Marnay-sur-Seine で市長を務めていたので(ウィキペディアより)、亡くなるまで記憶はしっかりしていたと想像でき、上記の資料07でのテノからの聞き取りは2002年に行っていることから、その話には信用性があると私は思う。
こんな話に接すればジャズ好きならば、アトランティックの公式記録がどうであれ、テナーでの演奏、そしてテナーとソプラノでの演奏を聴いてみたいと切に願うはずだ。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月27日(木)07時21分46秒
  19601021-02
Village Blues (Take 2) (John Coltrane)
(6分17秒)



【この曲、この演奏】
続けてこの曲を録音したコルトレーンですが、こちらは1995年の「The Heavyweight Champion john coltrane the complete atlantic recordings」で世に出ました。火事でのテープ焼失を免れた演奏です。
さて演奏ですが、本テイクと甲乙つけるのが難しいほどの出来となっています。その中で私には、マッコイ・タイナーのピアノ演奏が、表情豊かになったと感じます。この演奏のテープが残っていたことは、多くのコルトレーン好きを喜ばしました。




【エピソード、バンドの変遷】
1960年にコルトレーンは待望の自分のバンドを結成した。その変遷を資料06にある記録から追ってみると、次の通りである。

第一期 1960年4月 (黄金へまだまだ)
Steve Kuhn(p)   Steve Davis(b)    Pete La Roca(d)
日にちは不明だが4月にこのカルテットでのライブ記録がある。また資料06によれば5月15日までこのメンバーで続いたとのことだ。

第二期 1960年6月27日 (黄金へ三歩手前)
McCoy Tyner(p)   Steve Davis(b)    Pete La Roca(d)

第三期 1960年9月8日  (黄金へ二歩手前)
McCoy Tyner(p)   Steve Davis(b)   Billy Higgins(d)

第四期 1960年10月21日 (黄金へ一歩手前)
McCoy Tyner(p)   Steve Davis(b)   Elvin Jones(d)

第五期 1961年5月23日  (黄金へ半歩手前)
McCoy Tyner(p)   Reggie Workman(b)   Elvin Jones(d)
カルテットとしての演奏記録は1961年7月1日が最初となる。またワークマンは第六期でも代打ちしたことがある。

第六期 1961年11月1日  (黄金)
McCoy Tyner(p)   Jimmy Garrison(b)   Elvin Jones(d)
ギャリソン参加時点はドルフィーを入れてのクインテットでの演奏が続いており、黄金カルテットとしての記録は1962年4月11日となる。
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月26日(水)06時36分9秒
  さてミンツァーさんの「ソラ ジャケ」作品。
陽気に賑やかに、楽しくジャズを決めている演奏が、清々しい内容です。ジャズ好きも、フュージョン好きも、好感を持つ作品なのでしょう。
ただし今回のつまみ食いで意識したアルバム名とジャケットについては、演奏からは何も答えを得られませんでした。繰り返し聴いたし、演奏を楽しんだのですが、その意味では消化不良で終わりました。
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月25日(火)06時54分25秒
  その前に、この作品が録音された1990年9月19日(水)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「法人・個人に一律課税、新土地保有税、税収 減税財源に、固定資産税 評価額上げも、政府税調土地小委」
1973年に創設された地方税に、特別土地保有税があります。この見出し記事は、その国税版とのことなのでしょうか。いずれにしても実現せず、また地方税の特別土地保有税も2003年から新規課税が停止されています。

読売「毎週水曜日は交通量規制、NOx対策で都、11月から、10-30%削減、運送業者に要請」

朝日「東欧が緊急援助要請、湾岸危機制裁で経済苦境、ポーランドなど3国、日本 貢献拡大か」



ではこの9月19日の朝日新聞から少しばかり紹介します。
・25面 都民版に「保管中の切手着服、地裁八王子支部事務官、24万円分」との見出し記事があります。警察や検察の着服事件は目にすることがありますが、裁判所の職員による着服事もネットには幾つか見受けられます。
・29面は、300社ほどの求人広告で埋め尽くされています。その中に「排骨ラーメン陳 チェーン本部」のものがあり、月23-30万円で店長候補を求めています。このラーメン店チェーンの情報は、ネットから得られませんでした。ちなみに私が生まれ育った町に、揚子江という中華屋さんがありました。そこの排骨麺と排骨飯は、素晴らしい味でした。
・TV欄 NHK教育 20:45からの「解説委員室」では、「高騰した土地の活用」との内容での放送です。バブルによる地価のピークは、この時期あたりでした。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月24日(月)07時02分53秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の20枚目は、Bob Mintzer の Hymn、1990年9月19日の録音です。
ジャケに映る雲は、積み雲、積乱雲、入道雲に見えます。しかし見方を変えれば、キノコ雲にも見えます。そう見てしまうと、茶色のイラストは原爆ドームに見えてしまいます。
アルバム名は「HYMN」、賛美歌です。しかしながらジャケには、「・MN」と書かれています。MNといえばマンガン、MN54となれば放射能に関係します。
何やら深い意味を込めているのかと思いますが、CDのどこにもそこらへの言及がありません。
ボブ・ミンツァーの本作品を「今日の1枚」で取り上げたのは、2009年1月3日のことでした。「明るさと刺激がミックスされ、心地よさが漂う内容」と、私は感想を述べました。今回のつまみ食いでは、ジャケへの思いも考えながら聴いてみます。
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月23日(日)07時17分50秒
  さてイェスパーさんの「ソラ ジャケ」作品。
霧雨のミラノの街には、喜怒哀楽が静かに漂っているのでしょう。その中の哀愁が、本作に散りばめられたスタンダードの演奏の中に感じました。そしてタイトル曲、哀愁が喜びや楽しみに変わることを願っているかの演奏です。タイトル曲名をグーグル翻訳すれば、「あなたは私に戻ってきます」との意味です。まさにこの通りの演奏、私は15年経って、この作品の良さがわかりました。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月22日(土)06時32分38秒
  その前に、この作品が録音された2003年4月4日(金)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「オリエンタルランド最有力、ハウステンボス再建に名乗り、首都圏以外で新事業」
1992年に長崎オランダ村からハウステンボスになり一時は人気となりましたが、2003年には会社更生法の適用を受け破綻、野村プリンシパル・ファイナンスによる会社更生となりました。近隣諸国からの入場者増となるなど再建は進みましたが、2008年のリーマン・ショックで再び窮地になりました。2010年4月からはHISによる経営再建となり、現在に至っています。

読売「米英軍、首都まで10キロ、先遣隊 国際空港に迫る」
第二次湾岸戦争、またはイラク戦争は、この前の月の20日に始まりました。この記事の国際空港とは、当時のサッダーム国際空港、今のバクダード国際空港のことです。

朝日「新型肺炎を新感染症認定、政府が緊急対策、空港の検疫強化。広東・香港、渡航延期」
香港への出張禁止、香港の駐在員は日本への一時帰国禁止、会社のこんなお達しのなかで、私は当時、二度目の香港駐在でした。



ではこの4月5日の読売新聞から少しばかり紹介します。
・4面 政治面には首相動向、小泉首相の一日(3日)があります。12:01にホテル・ニューオータニのガーデンコートクラブで、成田豊電通会長との会食(他に2名)となっています。電通と仲良しの政府は、この時期も活発だったのでしょうか。
・29面 地域面に歌謡ショーの広告が五つ並んでいます。左から、和田アキ子(NHKホール)、氷川きよし(渋谷公会堂)、森進一・森昌子(よこすか芸術劇場)、ピンク・レディー(中野サンプラザ)、そして寺田恵子(渋谷 ON AIR WEST)です。
・TV欄 NHK 14:10から「ガッテン選」との番組があり、この日は「決定版・ギョーザの鉄則」です。誰でも一家言あるであろう餃子、いつでも人気のようです。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月21日(金)07時31分55秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の19枚目は、Jesper Bodilsen の Mi ritorni in mente、2003年4月4日の録音です。
市電、チンチン電車、路面電車、トラム、横浜から姿を消したのは、50年近く前のことです。急速な自動車台数の拡大で、用無し、となってしまいました。
しかしながら路面電車の価値を見損なわずにいた国々は多く、私が長年お世話になった香港もそんな地域です。そしてヨーロッパも同様であり、イタリアのミラノには現在17系統、全長115キロの路線があるようです。
本作のジャケ写に映る市電は、ミラノの中心から北に5キロほどにある Bignami に向かう路線です。すでに夜、街灯の反射や地面の様子からすると、霧の夜空なのでしょう。
2005年10月2日に本作を「今日の1枚」で取り上げた際には、「イェスパーのベースは、さほど個性的なものではないが、しっかりとした演奏」「ステファノのピアノは、内省的耽美派の典型であり、数多いるこの手のピアニストの中から突き抜ける個性は感じられない」と、本作に味噌をつけることを書いてしましました。批判的なことを書いていた香港駐在時代ゆえ、ご容赦を。
今回のつまみ食いでは、何やら悲しげな空気感のジャケのような演奏を、感じたいものです。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月20日(木)06時21分31秒
  さてノックさんの「ソラ ジャケ」作品。
コートが必要な日々と半袖シャツで街中を歩ける日々の間隔が、年々短くなってきていると感じる私ですが、それでも桜の開花から満開の時期には春を実感できます。
このノックさんの作品のタイトル、「季節の移り変わり」の副題は「春から夏へ」であります。そのタイトル曲では、何やら自然の厳しさと、心の変化を表現しているような演奏です。ニュージーランドの春は9から11月、夏は12から2月、インターネットによれば楽園のようなシーズンとのことです。しかしそこに暮らしている方々には、ノックさんの演奏のような気持ちを感じる時期なのかもしれません。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月18日(火)06時48分2秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の18枚目は、Mike Nock の Changing Seasons、2002年2月1日の録音です。(年月はジャケ情報、日は決め打ち)
茜色の空、そしてより茜色に輝く道、季節が移っていく瞬間を切り取ったようなジャケです。
本作を「今日の1枚」で2003年2月1日に取り上げた際には、「攻撃と美の絶妙なバランス。更に練りあがったならば、名盤が誕生することでしょう」と、私は感想を述べました。いいんだけどあと一歩、そんな思いの17年前だったのでしょうか。
1960年代からアメリカやイギリスで活躍していたピアノ奏者のマイク・ノックですが、彼の転換点として、1983年から母国ニュージーランドで「ノック・オン・ジャズ」というTV番組のホスト役を務めたことがあげられます。このTVシリーズと、さらに彼の音楽人生のドキュメンタリー番組が放送され、ニュージーランドやオーストラリアのみならず、アメリカや欧州でも再び彼に注目が集まったとのことです。
この作品を録音した時には61歳のマイク・ノックですが、順調な音楽人生を送っていたようです。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月17日(月)06時50分8秒
  さてエルザバーさんとマレイさんの「ソラ ジャケ」作品。
クレジットによればエルザバーさんの使用楽器は、Trap Drums, Earth Drum, Ashiko Drum, Mbira, Sanza, Ankle Bells となっています。一曲目のタイトル曲では、Mbiraが使われているでしょう。ウィキペディアによればMbiraは、「ジンバブエのショナ族の伝統楽器、木製ボードに千鳥状の金属歯を組み込んだ楽器で、これを手に持ち親指や人差し指で演奏する」とあります。なんとも言えぬ柔らかい響きで、自然のさえずりように感じます。一方のマレイはバスクラで、風の動きを表現するような演奏です。
このタイトル曲での二人の演奏は、ジャケ写の光景の中での動物や植物の会話のように感じました。他の六曲も聴き応えありで、これからも数年に一回はつまみ食いするであろう作品です。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月15日(土)07時13分12秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の17枚目は、Kahil El'Zabar の Golden Sea、1989年1月28日の録音です。
アルバム名通りに黄金色に染まった海、そして空、実に素敵なジャケ写です。
先につまみ食いした作品で紹介しましたが、ソラ資料によれば茜空、茜雲との呼ぼかたがあるようです。
この打楽器奏者のカヒル・エルザバーとマレイのデュオ作を「今日の1枚」で取り上げたのは、2004年9月3日のことでした。好きなミュージシャンの作品だけに、「聴き応え十分の内容」と本作の感想を私は書きました。
今回のつまみ食いでは、黄金色の海と空、茜色の海と空の雰囲気にあう演奏を感じたいと思います。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月14日(金)07時07分15秒
  さてロバートさんの「ソラ ジャケ」作品。
心の若さをぶつけるウッズ、それを演奏の奥深さを求めるロバートが受け止め、朗らかに楽しい演奏が繰り広げられていまして、聴き所が多い作品です。
そんな演奏に似合うジャケットは、避暑地の別荘で、緑広がる中で、二人が微笑んでいるようなものでしょう。険しい雪山、たとえ登頂に成功した瞬間であっても、天気の急変に心尖らせたり、下山の怖さに神経を尖らせているものでしょう。
ジャケ写と演奏の中身の不釣り合いで、私は14年前に少し冷たい感想となったのでしょう。脳内ジャケに変えて本作を聴けば、本作はお勧め作品となります。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月13日(木)06時52分52秒
  その前に、この作品が録音された1997年12月22日(月)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「邦銀の不良債権購入、米証券ゴールドマン、地価は底値と判断、来年に最大5000億円」

読売「新井議員に利益供与、日興証券、一任勘定で4000万円、証取法違反の疑い、東京地検が捜査」
1998年2月20日に、新井将敬議員は都内のホテルで首吊り死体で発見されました。前日には衆議院議院運営委員会で逮捕許諾請求が可決されて本会議で逮捕許諾決議が採決される直前に「最後の言葉だけは聞いてください。私は潔白です」と発言したとのことです。
警察は自殺と判断しましたが、これには諸説あるようです。(ウィキペディアより)

朝日「海上基地 反対票が53%、名護市民 有権者の44%、賛成票と2372票差、知事の判断が焦点、投票率 82%超す」



ではこの12月22日の日経新聞から少しばかり紹介します。
・9面 国際面に「97年の顔は グローブ・インテル会長」との見出し記事があります。「半導体が持つ力が生み出した驚くべき成長に最も貢献した」のが、その理由とのことです。米週刊誌タイムスのマン・オブ・ザ・イヤー、今ではパーソン・オブ・ザ・イヤーと呼んでいますが、これ以降でIT系で選出されたのは、次の2名となっています。
1999年 ジェフ・ベゾス(Amazon.com創業者)
2010年 マーク・ザッカーバーグ(Facebook創設者)
・7面にNTT移動通信網の広告があり、「アナログ方式携帯・自動車電話サービスの新規契約受付終了」を告げています。アナログ方式携帯が終了したのは1999年(NTT大容量方式)、自動車電話サービスが終了したのは2012年3月のことでした。また会社名がNTT移動通信網からNTTドコモに商号変更したのは2000年のことでした。
・TV欄 すでに年末番組となっていますが、午前中の民放情報番組はいつもの放送であり、この日は伊丹監督自殺で埋まっていました。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月12日(水)07時01分57秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の16枚目は、George Robert の The Summit、1997年12月22日の録音です。
このジャケ写を見て、「雑居時代」というTVドラマを思い出しました。主役の石立鉄男扮するカメラマン助手がセッティングした女性グラビアの撮影現場で、川崎敬三扮する著名山岳写真家がシャターを押すというシーンが印象的なドラマでした。山岳写真というのは金にならないものとの印象を、私は強く持ちました。
それから結構な時を経て、私はカメラ好きになったのですが、スタジオでの女性撮影に興味を持った時期はありましたが、山岳写真に興味を持ったことはありませんでした。
さて本題のジョルジュ・ロベルト、或いはジョージ・ロバーツの本作品のジャケは典型的な山岳写真です。Joan Robert なる方が撮影したものですが、この現場にたどり着くまでが、大変なことなのでしょう。そこには険しい雪山の頂上と、見事な青空が広がっています。この青空はデジタル補正されているのでしょうが、頂上を見事に引き立てています。
本作品はジョージ・ロバーツとフィル・ウッズの共演作品であり、「今日の1枚」では2006年5月14日に取り上げました。「普通に良い作品といったとこでしょう。別に、人に推薦したくなるような内容ではありません」などと、私は冷たい感想を述べていました。この時代に勢い良かったアルト・サックス奏者、そして重鎮のアルト・サックス奏者の共演作品ですので、ジャケ写のように決まった瞬間があるはずです。その瞬間を楽しみにして、今回はつまみ食いします。
 

29度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月11日(火)07時11分5秒
  19601021-01
Village Blues (John Coltrane)
(5分22秒)



【この曲、この演奏】
これはコルトレーン作の、そして彼のスタイルの一つになっていくミディアム・テンポのブルース曲であります。この日のセッションではこの後にもう一度この曲が演奏されていますが、本テイクは最初のこの演奏となりました。
資料06,07によれば、この曲は1963年10月26日のアムステルダムのコンセルトヘボウでのライブで、演奏されています。この情報はコンサートを鑑賞した方の情報なので、1963年秋の黄金カルテットでの欧州楽旅で、他にも演奏されていた可能性があると思います。
さて演奏ですが、このバンドの濃密さが感じられるものです。コルトレーンは自身のバンドのメンバーとして、マッコイ・タイナーとはライブで既に何度も演奏をともにしています。しかしエルヴィン・ジョーンズとは、その意味では記録上ではこの日が初手合わせとなります。それでいながら、後年の黄金カルテットでの演奏にこの演奏が繋がっていくことを、理解できる演奏内容となっています。
この演奏について資料09にあるプロの解説では、「ポリズミックなドラムを横糸に4度を中心にした分厚いピアノのヴォイシングを縦糸にコルトレーンは新たなサウンドを織り始めた」と書かれています。



【エピソード、本セッション】
各資料を見ますと、このセッションでの演奏曲については、様々な情報がある。この「今日のコルトレーン」では、公式発表の資料16とそれを基にした資料07を正として、セッションリストとしている。「Equinox」と「The Night Has A Thousand Eyes」はこの日に演奏されたが、テープ消失により、日の目を見なかったのである。
また「My Favorite Things」については資料07には興味深い記述があるが、アトランティックの公式記録には無い情報なので、一つの話として別掲することにする。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月10日(月)06時47分16秒
  19600708-04
Bemsha Swing (Thelonious Monk)
(5分4秒)



【この曲、この演奏】
コルトレーンが多くのことを学んだモンクの曲を、この二日間のセッションの締めに取り上げました。この二日間のセッションはオーネット・コールマンがドン・チェリーと共に作った、新たなジャズの方向性の中での演奏でしたが、最後にモンクの曲を用意したことにはコルトレーンの何らかの考えがあったのでしょう。
コルっトレーンはこの曲をモンクとの長期間の共演ライブの中で何度も演奏したことだと思いますが、資料07で確認できる演奏記録は本セッションだけです。
また資料07によれば、アトランティックの公式録音記録には、この曲名を「Bemsha Swing」と記した横に、「Untitled (For Swing(?))」と書かれているとのことです。
さて演奏ですが、この曲の躍動感とともにしているのですが、このセッションのテイストに刺激を与えることはなかったようです。コルトレーンは自分らしさをぶつけていますが、全体の色合いはチェリー色となっています。




【エピソード、読書】
演奏と作曲のかたわら、コルトレーンは自分の時間の多くを読書、ほとんどの場合音楽と関係のない分野の書物を読むことに当てた。本屋をのぞくということはしなかったが、いくつかのブック・クラブに入会して慎重に読書対象を選んでいた。それは、永年彼に影響を与えていた、思索的な知人たちの説得の結果であった。とくに彼が好んで読んだのは、宗教と哲学関係の書物であった。例えば、ソニー・ロリンズは「ヨガ行者の自叙伝」を読むことをすすめたし、ビル・エヴァンスはクリシュナムルティの「人生論集」を推薦した。その他、エドガー・ケイルス、カーリル・ギブラン、エジプトロジー、サイエントロジー、プラトン、アリストテレスなど、数百冊もの本が書棚に並べられ、部屋のあちこちに、そしてテナー・サキソフォンとソプラノ・サキソフォンをおいてあるベッドのそばにも何冊もの本が散らばっていた。彼は寝る前に読書をしたり演奏をするのが好きだったし、それはまた、妻を眠りに誘うセレナーデみたいな役割も果たしていた。

以上は資料01からの引用であるが、時期は記述されていない。全体の文脈からすれば、1959年あたりからのことであると思う。
また文中にある「ブック・クラブ」であるが、ウィキペディアによれば、「読書愛好家の任意団体で、通常有料の会員になると毎月その団体が推薦する本をダイレクトメールにより割安で買うことができると同時に、年間何冊かを買う義務が生じる」とあり、日本でも1960年代に流行ったとのことである。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 9日(日)07時49分38秒
  19600708-03
The Invisible (Ornette Coleman)
(4分12秒)




【この曲、この演奏】
この曲の前に6月28日にも演奏されたオーネット作の「The Blessing」を演奏していますが、テープ紛失とのことで、世には出ていません。
続いて演奏されるのもオーネット作の曲であり、こちらも6月28日に演奏されましたが、それはテープ粉子となっています。コルトレーンの演奏記録は、ここだけです。
オーネットの「Something Else!!!!」での印象が強いこの曲では、コルトレーンはテナーサックスと共に、ソプラノサックスを吹いています。もっともソプラノはテーマ部での使用であり、チェリーのトランペットが輝いていますので、そう言われればコルトレーンはソプラノかなとのものです。テナーでのコルトレーンのソロは、楽しんでいるようであり、悩んでいるようであり、アップテンポの中のそんなコルトレーンを感じられる演奏です。


【エピソード、共演者 チャーリー・ヘイデン】
この7月8日のベース奏者はパーシー・ヒースであったが、6月28日はチャーリー・ヘイデンであった。
さてコルトレーンとヘイデンの共演歴だが、一緒に演奏したのは6月28日のセッションだけである。しかし、この二人には他にも繋がりがある。
評価は別にして、アリス・コルトレーンが1972年4月16日と17日に、過去のコルトレーンの録音にオーバーダビングを加えて、世に出した。1965年9月22日と1966年2月2日でのコルトレーンの演奏に対してである。このアリスのスタジオ作業に、ヘイデンは参加している。
コルトレーンの葬儀が、1967年7月21日にNYのセント・ピータース・ルセラン教会で行われた。そこでアイラーとオーネットがそれぞれ演奏を行ったのだが、ヘイデンはオーネット・バンドに加っていたのだ。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 8日(土)06時54分0秒
  19600708-01
Focus On Sanity (Ornette Coleman)
(12分13秒)



【この曲、この演奏】
オーネット・コールマンがドン・チェリーと「The Shape Of Jazz To Come」で演奏した曲であります。
資料07によればこの曲名について、アトランティックの公式録音記録には「Near and Fair」となっているとのことです。
オーネット流のブルース曲を、ドン・チェリーは緊張感高い演奏を披露しており、ベースと素晴らしい空間を作り出しています。このチェリーとの比較でここでのコルトレーンを語るならば、資料09にある「非常に貧弱なコルトレーン」とのコメントも、全否定できないものであります。コルトレーンの激しい叫びが聞こえるようだとの感想は、私だけなのでしょうか。



【エピソード、本セッション、パーシー・ヒース】
この日のセッションのコンセプトは6月28日と同様であるが、ベース奏者はチャーリー・ヘイデンからパーシー・ヒースに変更となっている。
コルトレーンとパーシー・ヒースの共演は、資料06によれば11回ある。最初はジミー・ヒースのバンドでの1948年の演奏であり、それにはジョニー・グリフィンも参加しているとのことだが、音源は残っていない。次にはガレスピー楽団での共演で、1950年から1951年にかけての8回あり、その中にはスタジオ録音もあり、それは公式発売されている。1952年にはマイルス・バンドで二人は共演しているとなっているが、資料06では「恐らくヒースだろう」との注意書きがある。最後の共演は、本セッションである。
なおドラム奏者のエド・ブラックエルとの共演は6月28日とこの日だけである。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 7日(金)07時09分21秒
  19600628-02
The Blessing (Ornette Coleman)
(7分53秒)



【この曲、この演奏】
オーネット・コールマンがドン・チェリーと1958年2月10日に吹き込んだこの曲を、この日の2曲目に取り上げました。コールマンの第1作「Something Else!!!!」で世に出たこの曲ですが、コールマンがその後に何度かこの曲を取り上げています。
コルトレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。(資料06)
さて演奏ですが、どうしてもコールマン・バンドの「Something Else!!!!」での演奏が頭に広がるのは、致し方ないことでしょう。コルトレーンのソプラノ・サックス演奏は、おっかなびっくりとの印象を受けます。もちろん練習熱心のコルトレーンですから、家では徹底してソプラノの稽古に励んだはずです。しかしながら、ソプラノでの初録音ですから、いきなり”すばらしいですね”とはならないのでしょう。ここでの手探りのソプラノ・サックスの演奏が、この後に大きく花開くことになります。
なお、この次に演奏された「The Invisible」はテープ紛失で世に出ませんでしたが、7月8日のセッションで再び演奏されました。





【エピソード、ソプラノ・サックス」
コルトレーンのソプラノ・サックスでの演奏は彼の代名詞でもあり、その記録は数多ある。しかしながら、最初の演奏記録はとなると、資料06と07を調べても、明確な答えは出ない。
スタジオでの演奏となると本セッションが最初なのだが、ライブでの演奏となると曖昧なデータしか残っていない。
この年、1960年の5月或いは6月に演奏したらしい、というのが精一杯である。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 6日(木)06時36分7秒
  19600628-01
Cherryco (Don Cherry)
(6分46秒)


【この曲、この演奏】
ドン・チェリーとの二日間のセッションは、チェリー作の曲から始まりました。
資料07によりますと、アトランティックの正式録音記録によれば、この曲名は「Cherryco」と一緒に「Untitled Opus #1」とも書かれているとのことです。また「Cherryco」は有名曲の「Cherokee」に引っ掛けて付けられた曲名であり、「Cherokee」との音楽上の関連性はないとのことです。
これから想像すると、この録音の時点では曲名までは考えてなく「Untitled Opus #1」としたけれど、冗談でチェリーの名前に引っ掛けて「Cherryco」と誰かが言ったのでしょう。
コルロレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。
曲はまさにコールマン - チェリーの世界であり、その演奏は自信に満ち覇気のあるチェリーが光っています。問題となるのはコルトレーンの演奏で、空回りしている、と感じる方が多いのも事実であります。私には、今後の進むべき道、そして自分のバンドの構想、そんな考えをここでの演奏にぶつけているコルトレーンを感じます。



【エピソード、本セッション、ドン・チェリー】
アトランティックの正式録音記録には、このセッションはドン・チェリーのリーダー・セッションとあったとのことだ。(資料07)
1950年台半ばからプロ活動を始めたドン・チェリーは、1950年台後半からオーネット・コールマンのバンドで、ジャズ界に重要な作品に参加していた。「Something Else!!!!」「Tomorrow Is The Question!」「The Shape Of Jazz To Come」「Change Of The Century」などである。これらの作品を聴いていたコルトレーンが、ドン・チェリーに興味を持ったのは当然のことと言えよう。
私見だが、ドン・チェリーとの共演はコルトレーンの強い希望によって実現できたのだと思う。
さてこのセッションについて資料09には、厳しい見解が書かれている。
オーネット・コールマンこそ、コルトレーンにとって常に気になって仕方ない存在であった。特にレギュラー・グループ結成に難航していたこの時期、そのスポンティ二アスな革新性は、まさに羨望の的であっただろう。しかし、実際オーネット・バンドをコンセプトごと借りて来た本作は、例えばマイルスの偉大なコーディネーターぶりとは対極の苦悩の涯てに得た自前の言葉でしか語り得ない、コルトレーンの哀しい性を晒け出している。特筆すべき点は、後年、もう一つの顔となったソプラノ・サックスの初使用ということのみだ。(資料09より全文引用)
このコメントが指摘する点を少し角度を変えてみれば、このセッションの重要性が浮かび上がってくるのではと、私は考えている。
コルトレーンのドン・チェリーとの共演は、7月8日との二日間に渡ったこのセッションだけである。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 5日(水)07時07分13秒
  19591202-08
Fifth House (John Coltrane)
(4分41秒)



【この曲、この演奏】
「Some Other Blues」同様に11月24日の演奏はテープ紛失、この日に再収録となりました。この曲をコルトレーンは1961年8月7日に、ドルフィー入りクインテットでデトロイトのライブで取り上げた記録が、資料06にあります。しかしながら私家録音もなく、従ってこの曲のライブ演奏は聴く事ができません。
不思議な魅力に包まれる、曲と演奏です。資料09にはこの曲について、「モーダルなパターンと典型的コルトレーン・チェンジのサビを持つ、この時期らしい曲」との解説があります。私にはインパルス時代のコルトレーンの世界を感じさせるものが、この曲と演奏にあると思いました。どちらかと言えば淡々と吹くコルトレーンですが、魅力的な演奏でした。





【エピソード、ラヴィ・シャンカール】
コルトレーンの新しい家には、ポール・ジェフリーがよく来て、二人で地下室で練習していた。またアールとカール・グラブスも二、三ヶ月おきに来て、コルトレーンに自分たちの演奏を聴かせてた。コルトレーンは二人に対して感想を述べるだけで、決して批評はしなかった。
ある時、アールはコルトレーンが蒐集したレコードの中にラヴィ・シャンカールのアルバムがあるのに目をつけて、どんなレコードかとコルトレーンにたずねた。コルトレーンは二人のために、モーニング・ラーガを演奏してみせ、いくつかの五音音階を勉強するようにとそれを書いて渡した。
その頃彼はおそらくユセフ・ラティーフの影響だと思われるが、インド音楽を聴くようになっていた。ラティーフは永年東洋音楽に深い関心を抱いていたが、コルトレーンは彼の演奏を聴いてみてその影響にはっきりと気づいた。このとっておきの抽象的なインド音楽は、ハーモニーを度外視してメロディとリズムを極端に強調しているが、コルトレーンはそれにすっかり夢中になって、一九六一年にシャンカールと手紙のやり取りを始めた。その結果、一九六五年に、二人は初めて会うことになったのである。(資料01)
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 4日(火)06時20分5秒
  19591202-07
Some Other Blues (John Coltrane)
(5分36秒)



【この曲、この演奏】
コルトレーン作となっている、実にシンプルなブルース曲です。11月24日のセッションで演奏されましたが、何故だかテープ紛失、この日に再演となりました。
さて演奏ですが、このような曲での新しいスタイルでの演奏を探し求めているようなコルトレーンも感じますが、それなりのブルース演奏となりました。



【エピソード、散髪】
歯科医の場合と同様、床屋を相手にした時もコルトレーンは自分の思い通りに事を運ぶことができなかった。特に旅行中、床屋に行って見るも無残な刈り方で帰ってくることがよくあった。彼の好みからすると、ただ短く刈り上げてほしかったのに。しかし、なかには一人か二人、コルトレーンの好みを勝手に解釈してばさばさと髪を切ったり、禿同然に剃り上げてしまう床屋さえいた。ついに床屋の剃刀の手元が狂って左の耳を切られるというひどい経験を味わって以来、彼は床屋に行くのを断念し、バリカンとはさみを買って来て、自宅でも旅先でも全て自分で髪を刈るようにしたのである。(資料01、恐らくは1959年頃の話と思われる)
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 3日(月)07時10分13秒
  19591202-06
Naima (John Coltrane)
(4分22秒)



【この曲、この演奏】
アトランティックのコルトレーン、彼が勝負曲とし用意したこの曲は、シダー・ウォルトンでの3月26日に6回演奏しましたが、満足できるものはなしでした。しかしトミー・フラナガンでの5月5日は、満足できる演奏ができたはずであります。2テイク、3テイクと演奏する曲もある中で、この曲は1回の演奏で終えたからです。「Giant Steps」にしろ「Mr. P.C.」にしてもレベルの高い演奏を行った5月5日だけに、この「Naima」もさぞや素敵な演奏だったことでしょう。
しかしテープの紛失とのこと、この日にピアノをウィントン・ケリーでの再演となりました。
さて演奏ですが、深淵であり、哀しみと希望が同居するような神秘のこの曲を、コルトレーンはテーマをじっくりと演奏することに集中しています。そのことによりこの曲の魅力が一層増しております。またケリーのピアノは、この曲から想像を膨らませ、短いながらも興味深い演奏を披露しています。
このセッションではこの演奏の前に5曲演奏しています。聴けるのは3曲ですが、それらはまるでこの「Naima」のための、準備運動にも思えてしまいます。
このセッションでの演奏に酔いながら、でもトミフラとはどんな演奏をしたのだと思いとなりました。



【エピソード、1959年の食生活】
コルトレーンの体重はたえず増えたり減ったりしていた。時として、三〇パウンド(約14キロ)も体重オーバーになることもあった。友人たちのアドバイスによって、彼はタイガー印の牛乳や生野菜、温床育成の果物、いろんな種類の豆類などの健康食品を食べ始めた。最新作のレコードあさりのためサム・グーディの店に寄るのと同じくらいの頻繁さで、健康食品店に顔をだした。コルトレーンの食生活のこうした習慣と、ネイマの回教徒として定められた食事しかとらない習慣に耐え切れなくなったトニは、ある時抗議した。「マミー、たまには普通の家みたいにホット・ドックとかハンバーガーでも食べさせてよ、こんな健康食品なんか見たくもないわ」(資料01)
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 2日(日)07時26分36秒
  19591202-05
My Shining Hour (Johnny Mercer / Harold Arlen)
(4分53秒)



【この曲、この演奏】
マーサー&アーレンという強力コンビによる曲で、1943年の映画「ザ・スカイズ・ザ・リミット」でフレッド・ステアが歌ったのがオリジナルで、その後にはビリー・ホリデイやシナトラ、そしてローズマリー・クルーニーなど多くの歌手に取り上げられた曲です。(資料14)
インスト物となると、このセッションでの演奏が代表的演奏となるようですが、コルトレーンの演奏記録は本セッションだけです。
さて演奏ですが、このバンドの調子の良さを物語っているかのような快調な味わいのものです。コルトレーンにとってこの時期には恩人へのお付き合いもあり、自分の目指す方向とは違う演奏の機会もあったのでしょうけど、ここでの演奏で自分のバンドでの一体感を確認し、そしてその先を見つめているようです。




【エピソード、1959年の新居での生活】
(1959年末に引っ越した家に)コルトレーンがシカゴの仕事から帰ると、家の中には、シンプルだが、現代的な家具がちゃんと収まっていた。新しいピアノや、スイート・ポテト・パイのはいった食器棚もあった。彼はパイの誘惑に勝てず、体重が増えることなどお構いなしにパイをぱくついた。その後、マッコイ・タイナーとジータ・カーノとコルトレーンが顔を合わせると、つい二、三ブロック先にあるピザ・ショップから一個二ドル25セントのオニオン・ピザを買って来てみんなで食べるのが習慣となっていた。そのうち、コルトレーンは自分の甘党の味覚を制限するための試みとして、バター・ラム・ライフ・セイヴァーズをひまさえあれば口の中に放り込むのが癖となった。(資料01)

ちなみにライフ・セイヴァーズとはウィキペディアによれば、「リング型のハードキャンディーとソフトキャンディーのアメリカブランド」(ウィキペディア)で、「アメリカではレストランや食料品店のレジ横に置いてある」とのことだ。日本人には馴染みはないが、アメリカ映画で何度も目にしてきたものなのだろう。
バター・ラムのライフ・セイヴァーズの情報はネットから得られなかったが、バター・ラム味はあちらでは定番のようだ。
さてそんな「バター・ラム・ライフ・セイヴァーズ」が「甘党の味覚を制限」に結びつくかだが、これは謎のままとなった。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 1日(土)07時02分31秒
  19591202-02
Harmonique (John Coltrane)
(4分13秒)


【この曲、この演奏】
コルトレーン作のこの曲について資料09には、「8分の6拍子のブルースで、倍音を重ね同時に複数の音を出す難しい技術のハーモニック奏法を用いており、それを前面に出して1曲創ってしまうのは、いかにもらしい」と書かれています。
その「難しい技術」が聴く方には、奇妙な世界に連れて行ってくれる気持ちにさせる効果となり、コルトレーンのテナー・サックスのかすれ方も加わり、興味ある演奏内容になっています。
この曲のコルトレーンの演奏記録は、本セッションだけです。




【エピソード、ある持ち込み企画】
音楽プロデューサーのトム・ウィルソンが1959年の後半にアトランティック・レーベルに、書面で仮名「Monk Buisiness」とのアルバムの企画を提案した。それは恐らくモンクが直近に行ったタウンホールでのミディアム・サイズのバンドでのコンサートに影響されたものであろう。その仮名「Monk Buisiness」には、ベニー・ゴルソン編曲によるモンクの八つの曲を収録するという企画であった。ゴルソンは「1959年の新星アレンジャー」に選出されていたのだ。そして演奏するのは。メイン・ソリストにコルトレーン、その他にサド・ジョーンズかリー・モーガン、E♭ alto
horn にブッカー・リトル、ジュリアス・ワトキンス、カーティス・フラー、チューバ奏者にバーナード・マッキーニーとドン・バターフィールド、そしてパーシー・ヒースにチャーリー・パーシップとのものであった。このメンバーで3回のレコーディングを行なう計画だった。そしてゴルソンには1曲につき125ドル、コルトレーン以外のミュージシャンには計1,164ドル、そしてコルトレーンにはそれ以上を払うとの計画を立てていた。このアルバム仮名「Monk Buisiness」は最初のモンクへのトリビュート作品になったのであろうが、実現には至らなかった。(資料07)


ここでの音楽プロデューサーのトム・ウィルソンとは、トランジション設立者として、またディランのデビュー当時に関わったプロデューサーとして名の知れた人で、間違いないと思う。
またモンクのタウンホールでのコンサートは1959年2月28日に行われ、そのライブ盤がリバーサイドからその年に発売されていた。
モンクへのトリビュート作品は世に数多あるが、この企画が実現されていたら、後続の作品は常にこれと比較されることになっただろう。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月31日(金)06時35分58秒
  19591202-01
Like Sonny (John Coltrane)
(5分54秒)



【この曲、この演奏】
この年の3月26日のセッションでリハーサルを含め9回も演奏された曲ですが、アトランティックのコルトレーンのオリジナル・アルバム8枚には含まれませんでした。本来ならば5月4日と5日の「ジャイアント・ステップス」セッションで演奏されてもおかしくなかったのですが、この12月のセッションでの録音となり。アルバム「コルトレーン・サウンド」で世に出ました。
さて演奏ですが、バンドとしての一体感が、シダー・ウォルトンとの3月26日のセッションとは比べものにならない良さです。このことによりコルトレーンの演奏は、深みのあるメロディアスなものになっています。





【エピソード、本セッション】
アルバム「コルトレーン・サウンド」用の本セッションだが、11月24日と同メンバーであり、同一セッションが二日間行われたとの内容である。先の「ジャイアント・ステップス」のセッションも二日間であり、これ以降のアトランティックでのレコーディングでは、二日間セッションが主となっていく。プレスティッジ時代には考えられなかった恵まれた環境であった。
さて本セッションの特徴を三つあげておく。
一つ目は11月24日の録音でテープ紛失となった2曲、「Some Other Blues」と「Fifth House」をこの日に再び吹き込んだことである。
二つ目は、この日のセッションでも、「The Night Has A Thousand Eyes」と「Equinox」の2曲のテープが紛失となった。この2曲も、後日に再演されている。
最後は「Naima」であるが、これは別項で取り上げている。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月30日(木)06時48分48秒
  19591124-05
Little Old Lady (Hoagy Carmichel & Stanley Adams)
(4分23秒)



【この曲、この演奏】
この曲名の頭に「The」が付けば、1964年のジャン&ディーンのヒット曲が有名とのことですが、こちらはカーマイケル&アダムスの曲であり、資料14に掲載されていない曲です。曲名の意味は「可愛らしいおばあちゃん」との意味合いなのでしょう。
資料06によれば、この曲のコルトレーンの演奏記録は本セッションだけです。
さて演奏ですが、笑顔が似合う素敵なおばあちゃんが目の前に浮かんでくるような、バンド一丸となっての楽しい演奏です。
また資料09には「次のステップを求めて止まないコルトレーンに尚一層レギュラー・グループへの欲求を募らせる結果になったのでは」との、この演奏への記述があります。
プレスティッジ時代の延長ではなく、新しい壁を乗り越える考えがコルトレーンの最大の関心事であったのは事実なのでしょう。しかし私はこの曲での楽しいコルトレーンの姿も、大好きです。





【エピソード、1959年の引越し】
コルトレーンがニューヨーク州クイーンズのセント・アーバンズ区域に転居、一九五九年一二月二三日に家族をそこに移した後、何より最初にやったことは、ネイーマとトニにプレゼントを贈ってクリスマスを祝うことだった。それから、クリスマスにはきまってシカゴに行くことにしていたマイルス・デイヴィスと一緒に、彼はシカゴへ演奏旅行に出掛けた。
彼らの新しい家は、小さな前庭とさらに小さな裏庭のついた二階建煉瓦づくりの家で、二階にはベッドルームが三部屋とバスルームがあり、一階には居間と食堂に広い台所、そして、小部屋があった。また、大きな地下室もついていた。コルトレーンはその地下室でいつも練習や録音をしていたが、グラブズ兄弟もやっていたように、パンチ・ボールを叩いたり、ウエイト・リフティングに励んだりもしていた。(資料01)
 

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