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24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 6月30日(火)07時31分32秒
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  19590505-08
Cousin Mary (John Coltrane)
(5分48秒)



【この曲、この演奏】
いとこのメアリーに捧げたこのブルースの初演であります。この後に何回もコルトレーンはこの曲を演奏していると思いきや、資料06には四回のライブ演奏の記録しかありません。その時期は1960年、1961年、1962年、1963年となっています。これからするにコルトレーンはこの曲をライブでのレパートリーにしようと思っていながら、なかなか定着しなかったようです。なお1963年の11月2日のライブ演奏は、後にパブロから発売されております。
この曲についてウィキペディアには、「マイルス・デイヴィスのアルバム・クッキン収録曲ブルース・バイ・ファイヴを改作したもの」とあります。
昔の友人知人の消息を聞くたびに、そんなに無茶走りするなよ、と感じることがあります。ただし人から言わせれば、私も子供の時から無茶走りすると感じていたようです。人のことはよく見える、だから一言いいたくなる、コルトレーンとメアリーのそんな心の会話がコルトレーンのソロ、そしてフラナガンのソロに表れているような演奏です。これはこの曲の背景を思いながらの想像です。資料09にある評論家のコメントは次の通りです。
終止感を弱めたハーモナイズはゴスペルを思わせる。コルトレーンのソロはミディアム・ファストのテンポにぴったり乗ったペンタトニックスを中心にした独得のフレージングのオンパレードで、むやみに音符の数を増やさずに見事なアーティキュレーションをみせつけ、実に自信に満ちている。



【エピソード、いとこのメアリー】
コルトレーンにはメアリーという名の従妹がいた。この少女は、彼が小学校に通っている頃に、両親に連れられてコルトレーンの家に引っ越してきた。コルトレーン家の三家族、合計八人が三つのベッドルームしかない家に同居していたのだ。みなが一つの家族として平和に暮らしていたが、幼い頃から物静かで内気なコルトレーンは、このとき以来自分の部屋を持つことが出来なくなったのである。
メアリーは生意気で陽気なおてんば娘で、あらゆる点でコルトレーンとは正反対であった。しかし、知識を身につけて立派な人間になろうという気持ちは、二人に共通していたし、小学校での成績はいずれもクラスでトップに近いものだった。
以上は資料01にあるものだが、そこにはメアリーに関して更に三つのエピソードが掲載されている。
一九四四年六月、コルトレーンはフィラデリフィアに居たが、高校を卒業した従妹のメアリーがフィラデルフィアに来て、コルトレーンと同居することになった。
コルトレーンがガレスピー・バンドにいた時に、バンドのメンバーをひっかきまわすマジードという変な男がいた。回教徒名をハーニファン・マジードといい、クリスチャン・ネームはチャールズ・グリーンリーであった。後にマジードはコルトレーンの従妹のメアリーと結婚して、そして離婚したのであった。
一九五一年初めにコルトレーンがガレスピー・バンドを辞してフィラデルフィアに戻ると、母親は従妹のメアリーのアパートに移っていた。さすがに手狭とのことで全員での引越しを決意し、フィラデルフィアのストロベリー・マンションズとよばれる地域に移転した。
 
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