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28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月15日(土)07時13分12秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の17枚目は、Kahil El'Zabar の Golden Sea、1989年1月28日の録音です。
アルバム名通りに黄金色に染まった海、そして空、実に素敵なジャケ写です。
先につまみ食いした作品で紹介しましたが、ソラ資料によれば茜空、茜雲との呼ぼかたがあるようです。
この打楽器奏者のカヒル・エルザバーとマレイのデュオ作を「今日の1枚」で取り上げたのは、2004年9月3日のことでした。好きなミュージシャンの作品だけに、「聴き応え十分の内容」と本作の感想を私は書きました。
今回のつまみ食いでは、黄金色の海と空、茜色の海と空の雰囲気にあう演奏を感じたいと思います。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月14日(金)07時07分15秒
  さてロバートさんの「ソラ ジャケ」作品。
心の若さをぶつけるウッズ、それを演奏の奥深さを求めるロバートが受け止め、朗らかに楽しい演奏が繰り広げられていまして、聴き所が多い作品です。
そんな演奏に似合うジャケットは、避暑地の別荘で、緑広がる中で、二人が微笑んでいるようなものでしょう。険しい雪山、たとえ登頂に成功した瞬間であっても、天気の急変に心尖らせたり、下山の怖さに神経を尖らせているものでしょう。
ジャケ写と演奏の中身の不釣り合いで、私は14年前に少し冷たい感想となったのでしょう。脳内ジャケに変えて本作を聴けば、本作はお勧め作品となります。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月13日(木)06時52分52秒
  その前に、この作品が録音された1997年12月22日(月)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「邦銀の不良債権購入、米証券ゴールドマン、地価は底値と判断、来年に最大5000億円」

読売「新井議員に利益供与、日興証券、一任勘定で4000万円、証取法違反の疑い、東京地検が捜査」
1998年2月20日に、新井将敬議員は都内のホテルで首吊り死体で発見されました。前日には衆議院議院運営委員会で逮捕許諾請求が可決されて本会議で逮捕許諾決議が採決される直前に「最後の言葉だけは聞いてください。私は潔白です」と発言したとのことです。
警察は自殺と判断しましたが、これには諸説あるようです。(ウィキペディアより)

朝日「海上基地 反対票が53%、名護市民 有権者の44%、賛成票と2372票差、知事の判断が焦点、投票率 82%超す」



ではこの12月22日の日経新聞から少しばかり紹介します。
・9面 国際面に「97年の顔は グローブ・インテル会長」との見出し記事があります。「半導体が持つ力が生み出した驚くべき成長に最も貢献した」のが、その理由とのことです。米週刊誌タイムスのマン・オブ・ザ・イヤー、今ではパーソン・オブ・ザ・イヤーと呼んでいますが、これ以降でIT系で選出されたのは、次の2名となっています。
1999年 ジェフ・ベゾス(Amazon.com創業者)
2010年 マーク・ザッカーバーグ(Facebook創設者)
・7面にNTT移動通信網の広告があり、「アナログ方式携帯・自動車電話サービスの新規契約受付終了」を告げています。アナログ方式携帯が終了したのは1999年(NTT大容量方式)、自動車電話サービスが終了したのは2012年3月のことでした。また会社名がNTT移動通信網からNTTドコモに商号変更したのは2000年のことでした。
・TV欄 すでに年末番組となっていますが、午前中の民放情報番組はいつもの放送であり、この日は伊丹監督自殺で埋まっていました。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月12日(水)07時01分57秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「ソラ ジャケ」です。


「ソラ ジャケ」作品の16枚目は、George Robert の The Summit、1997年12月22日の録音です。
このジャケ写を見て、「雑居時代」というTVドラマを思い出しました。主役の石立鉄男扮するカメラマン助手がセッティングした女性グラビアの撮影現場で、川崎敬三扮する著名山岳写真家がシャターを押すというシーンが印象的なドラマでした。山岳写真というのは金にならないものとの印象を、私は強く持ちました。
それから結構な時を経て、私はカメラ好きになったのですが、スタジオでの女性撮影に興味を持った時期はありましたが、山岳写真に興味を持ったことはありませんでした。
さて本題のジョルジュ・ロベルト、或いはジョージ・ロバーツの本作品のジャケは典型的な山岳写真です。Joan Robert なる方が撮影したものですが、この現場にたどり着くまでが、大変なことなのでしょう。そこには険しい雪山の頂上と、見事な青空が広がっています。この青空はデジタル補正されているのでしょうが、頂上を見事に引き立てています。
本作品はジョージ・ロバーツとフィル・ウッズの共演作品であり、「今日の1枚」では2006年5月14日に取り上げました。「普通に良い作品といったとこでしょう。別に、人に推薦したくなるような内容ではありません」などと、私は冷たい感想を述べていました。この時代に勢い良かったアルト・サックス奏者、そして重鎮のアルト・サックス奏者の共演作品ですので、ジャケ写のように決まった瞬間があるはずです。その瞬間を楽しみにして、今回はつまみ食いします。
 

29度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月11日(火)07時11分5秒
  19601021-01
Village Blues (John Coltrane)
(5分22秒)



【この曲、この演奏】
これはコルトレーン作の、そして彼のスタイルの一つになっていくミディアム・テンポのブルース曲であります。この日のセッションではこの後にもう一度この曲が演奏されていますが、本テイクは最初のこの演奏となりました。
資料06,07によれば、この曲は1963年10月26日のアムステルダムのコンセルトヘボウでのライブで、演奏されています。この情報はコンサートを鑑賞した方の情報なので、1963年秋の黄金カルテットでの欧州楽旅で、他にも演奏されていた可能性があると思います。
さて演奏ですが、このバンドの濃密さが感じられるものです。コルトレーンは自身のバンドのメンバーとして、マッコイ・タイナーとはライブで既に何度も演奏をともにしています。しかしエルヴィン・ジョーンズとは、その意味では記録上ではこの日が初手合わせとなります。それでいながら、後年の黄金カルテットでの演奏にこの演奏が繋がっていくことを、理解できる演奏内容となっています。
この演奏について資料09にあるプロの解説では、「ポリズミックなドラムを横糸に4度を中心にした分厚いピアノのヴォイシングを縦糸にコルトレーンは新たなサウンドを織り始めた」と書かれています。



【エピソード、本セッション】
各資料を見ますと、このセッションでの演奏曲については、様々な情報がある。この「今日のコルトレーン」では、公式発表の資料16とそれを基にした資料07を正として、セッションリストとしている。「Equinox」と「The Night Has A Thousand Eyes」はこの日に演奏されたが、テープ消失により、日の目を見なかったのである。
また「My Favorite Things」については資料07には興味深い記述があるが、アトランティックの公式記録には無い情報なので、一つの話として別掲することにする。
 

28度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月10日(月)06時47分16秒
  19600708-04
Bemsha Swing (Thelonious Monk)
(5分4秒)



【この曲、この演奏】
コルトレーンが多くのことを学んだモンクの曲を、この二日間のセッションの締めに取り上げました。この二日間のセッションはオーネット・コールマンがドン・チェリーと共に作った、新たなジャズの方向性の中での演奏でしたが、最後にモンクの曲を用意したことにはコルトレーンの何らかの考えがあったのでしょう。
コルっトレーンはこの曲をモンクとの長期間の共演ライブの中で何度も演奏したことだと思いますが、資料07で確認できる演奏記録は本セッションだけです。
また資料07によれば、アトランティックの公式録音記録には、この曲名を「Bemsha Swing」と記した横に、「Untitled (For Swing(?))」と書かれているとのことです。
さて演奏ですが、この曲の躍動感とともにしているのですが、このセッションのテイストに刺激を与えることはなかったようです。コルトレーンは自分らしさをぶつけていますが、全体の色合いはチェリー色となっています。




【エピソード、読書】
演奏と作曲のかたわら、コルトレーンは自分の時間の多くを読書、ほとんどの場合音楽と関係のない分野の書物を読むことに当てた。本屋をのぞくということはしなかったが、いくつかのブック・クラブに入会して慎重に読書対象を選んでいた。それは、永年彼に影響を与えていた、思索的な知人たちの説得の結果であった。とくに彼が好んで読んだのは、宗教と哲学関係の書物であった。例えば、ソニー・ロリンズは「ヨガ行者の自叙伝」を読むことをすすめたし、ビル・エヴァンスはクリシュナムルティの「人生論集」を推薦した。その他、エドガー・ケイルス、カーリル・ギブラン、エジプトロジー、サイエントロジー、プラトン、アリストテレスなど、数百冊もの本が書棚に並べられ、部屋のあちこちに、そしてテナー・サキソフォンとソプラノ・サキソフォンをおいてあるベッドのそばにも何冊もの本が散らばっていた。彼は寝る前に読書をしたり演奏をするのが好きだったし、それはまた、妻を眠りに誘うセレナーデみたいな役割も果たしていた。

以上は資料01からの引用であるが、時期は記述されていない。全体の文脈からすれば、1959年あたりからのことであると思う。
また文中にある「ブック・クラブ」であるが、ウィキペディアによれば、「読書愛好家の任意団体で、通常有料の会員になると毎月その団体が推薦する本をダイレクトメールにより割安で買うことができると同時に、年間何冊かを買う義務が生じる」とあり、日本でも1960年代に流行ったとのことである。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 9日(日)07時49分38秒
  19600708-03
The Invisible (Ornette Coleman)
(4分12秒)




【この曲、この演奏】
この曲の前に6月28日にも演奏されたオーネット作の「The Blessing」を演奏していますが、テープ紛失とのことで、世には出ていません。
続いて演奏されるのもオーネット作の曲であり、こちらも6月28日に演奏されましたが、それはテープ粉子となっています。コルトレーンの演奏記録は、ここだけです。
オーネットの「Something Else!!!!」での印象が強いこの曲では、コルトレーンはテナーサックスと共に、ソプラノサックスを吹いています。もっともソプラノはテーマ部での使用であり、チェリーのトランペットが輝いていますので、そう言われればコルトレーンはソプラノかなとのものです。テナーでのコルトレーンのソロは、楽しんでいるようであり、悩んでいるようであり、アップテンポの中のそんなコルトレーンを感じられる演奏です。


【エピソード、共演者 チャーリー・ヘイデン】
この7月8日のベース奏者はパーシー・ヒースであったが、6月28日はチャーリー・ヘイデンであった。
さてコルトレーンとヘイデンの共演歴だが、一緒に演奏したのは6月28日のセッションだけである。しかし、この二人には他にも繋がりがある。
評価は別にして、アリス・コルトレーンが1972年4月16日と17日に、過去のコルトレーンの録音にオーバーダビングを加えて、世に出した。1965年9月22日と1966年2月2日でのコルトレーンの演奏に対してである。このアリスのスタジオ作業に、ヘイデンは参加している。
コルトレーンの葬儀が、1967年7月21日にNYのセント・ピータース・ルセラン教会で行われた。そこでアイラーとオーネットがそれぞれ演奏を行ったのだが、ヘイデンはオーネット・バンドに加っていたのだ。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 8日(土)06時54分0秒
  19600708-01
Focus On Sanity (Ornette Coleman)
(12分13秒)



【この曲、この演奏】
オーネット・コールマンがドン・チェリーと「The Shape Of Jazz To Come」で演奏した曲であります。
資料07によればこの曲名について、アトランティックの公式録音記録には「Near and Fair」となっているとのことです。
オーネット流のブルース曲を、ドン・チェリーは緊張感高い演奏を披露しており、ベースと素晴らしい空間を作り出しています。このチェリーとの比較でここでのコルトレーンを語るならば、資料09にある「非常に貧弱なコルトレーン」とのコメントも、全否定できないものであります。コルトレーンの激しい叫びが聞こえるようだとの感想は、私だけなのでしょうか。



【エピソード、本セッション、パーシー・ヒース】
この日のセッションのコンセプトは6月28日と同様であるが、ベース奏者はチャーリー・ヘイデンからパーシー・ヒースに変更となっている。
コルトレーンとパーシー・ヒースの共演は、資料06によれば11回ある。最初はジミー・ヒースのバンドでの1948年の演奏であり、それにはジョニー・グリフィンも参加しているとのことだが、音源は残っていない。次にはガレスピー楽団での共演で、1950年から1951年にかけての8回あり、その中にはスタジオ録音もあり、それは公式発売されている。1952年にはマイルス・バンドで二人は共演しているとなっているが、資料06では「恐らくヒースだろう」との注意書きがある。最後の共演は、本セッションである。
なおドラム奏者のエド・ブラックエルとの共演は6月28日とこの日だけである。
 

27度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 7日(金)07時09分21秒
  19600628-02
The Blessing (Ornette Coleman)
(7分53秒)



【この曲、この演奏】
オーネット・コールマンがドン・チェリーと1958年2月10日に吹き込んだこの曲を、この日の2曲目に取り上げました。コールマンの第1作「Something Else!!!!」で世に出たこの曲ですが、コールマンがその後に何度かこの曲を取り上げています。
コルトレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。(資料06)
さて演奏ですが、どうしてもコールマン・バンドの「Something Else!!!!」での演奏が頭に広がるのは、致し方ないことでしょう。コルトレーンのソプラノ・サックス演奏は、おっかなびっくりとの印象を受けます。もちろん練習熱心のコルトレーンですから、家では徹底してソプラノの稽古に励んだはずです。しかしながら、ソプラノでの初録音ですから、いきなり”すばらしいですね”とはならないのでしょう。ここでの手探りのソプラノ・サックスの演奏が、この後に大きく花開くことになります。
なお、この次に演奏された「The Invisible」はテープ紛失で世に出ませんでしたが、7月8日のセッションで再び演奏されました。





【エピソード、ソプラノ・サックス」
コルトレーンのソプラノ・サックスでの演奏は彼の代名詞でもあり、その記録は数多ある。しかしながら、最初の演奏記録はとなると、資料06と07を調べても、明確な答えは出ない。
スタジオでの演奏となると本セッションが最初なのだが、ライブでの演奏となると曖昧なデータしか残っていない。
この年、1960年の5月或いは6月に演奏したらしい、というのが精一杯である。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 6日(木)06時36分7秒
  19600628-01
Cherryco (Don Cherry)
(6分46秒)


【この曲、この演奏】
ドン・チェリーとの二日間のセッションは、チェリー作の曲から始まりました。
資料07によりますと、アトランティックの正式録音記録によれば、この曲名は「Cherryco」と一緒に「Untitled Opus #1」とも書かれているとのことです。また「Cherryco」は有名曲の「Cherokee」に引っ掛けて付けられた曲名であり、「Cherokee」との音楽上の関連性はないとのことです。
これから想像すると、この録音の時点では曲名までは考えてなく「Untitled Opus #1」としたけれど、冗談でチェリーの名前に引っ掛けて「Cherryco」と誰かが言ったのでしょう。
コルロレーンのこの曲の演奏記録は、本セッションだけです。
曲はまさにコールマン - チェリーの世界であり、その演奏は自信に満ち覇気のあるチェリーが光っています。問題となるのはコルトレーンの演奏で、空回りしている、と感じる方が多いのも事実であります。私には、今後の進むべき道、そして自分のバンドの構想、そんな考えをここでの演奏にぶつけているコルトレーンを感じます。



【エピソード、本セッション、ドン・チェリー】
アトランティックの正式録音記録には、このセッションはドン・チェリーのリーダー・セッションとあったとのことだ。(資料07)
1950年台半ばからプロ活動を始めたドン・チェリーは、1950年台後半からオーネット・コールマンのバンドで、ジャズ界に重要な作品に参加していた。「Something Else!!!!」「Tomorrow Is The Question!」「The Shape Of Jazz To Come」「Change Of The Century」などである。これらの作品を聴いていたコルトレーンが、ドン・チェリーに興味を持ったのは当然のことと言えよう。
私見だが、ドン・チェリーとの共演はコルトレーンの強い希望によって実現できたのだと思う。
さてこのセッションについて資料09には、厳しい見解が書かれている。
オーネット・コールマンこそ、コルトレーンにとって常に気になって仕方ない存在であった。特にレギュラー・グループ結成に難航していたこの時期、そのスポンティ二アスな革新性は、まさに羨望の的であっただろう。しかし、実際オーネット・バンドをコンセプトごと借りて来た本作は、例えばマイルスの偉大なコーディネーターぶりとは対極の苦悩の涯てに得た自前の言葉でしか語り得ない、コルトレーンの哀しい性を晒け出している。特筆すべき点は、後年、もう一つの顔となったソプラノ・サックスの初使用ということのみだ。(資料09より全文引用)
このコメントが指摘する点を少し角度を変えてみれば、このセッションの重要性が浮かび上がってくるのではと、私は考えている。
コルトレーンのドン・チェリーとの共演は、7月8日との二日間に渡ったこのセッションだけである。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 5日(水)07時07分13秒
  19591202-08
Fifth House (John Coltrane)
(4分41秒)



【この曲、この演奏】
「Some Other Blues」同様に11月24日の演奏はテープ紛失、この日に再収録となりました。この曲をコルトレーンは1961年8月7日に、ドルフィー入りクインテットでデトロイトのライブで取り上げた記録が、資料06にあります。しかしながら私家録音もなく、従ってこの曲のライブ演奏は聴く事ができません。
不思議な魅力に包まれる、曲と演奏です。資料09にはこの曲について、「モーダルなパターンと典型的コルトレーン・チェンジのサビを持つ、この時期らしい曲」との解説があります。私にはインパルス時代のコルトレーンの世界を感じさせるものが、この曲と演奏にあると思いました。どちらかと言えば淡々と吹くコルトレーンですが、魅力的な演奏でした。





【エピソード、ラヴィ・シャンカール】
コルトレーンの新しい家には、ポール・ジェフリーがよく来て、二人で地下室で練習していた。またアールとカール・グラブスも二、三ヶ月おきに来て、コルトレーンに自分たちの演奏を聴かせてた。コルトレーンは二人に対して感想を述べるだけで、決して批評はしなかった。
ある時、アールはコルトレーンが蒐集したレコードの中にラヴィ・シャンカールのアルバムがあるのに目をつけて、どんなレコードかとコルトレーンにたずねた。コルトレーンは二人のために、モーニング・ラーガを演奏してみせ、いくつかの五音音階を勉強するようにとそれを書いて渡した。
その頃彼はおそらくユセフ・ラティーフの影響だと思われるが、インド音楽を聴くようになっていた。ラティーフは永年東洋音楽に深い関心を抱いていたが、コルトレーンは彼の演奏を聴いてみてその影響にはっきりと気づいた。このとっておきの抽象的なインド音楽は、ハーモニーを度外視してメロディとリズムを極端に強調しているが、コルトレーンはそれにすっかり夢中になって、一九六一年にシャンカールと手紙のやり取りを始めた。その結果、一九六五年に、二人は初めて会うことになったのである。(資料01)
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 4日(火)06時20分5秒
  19591202-07
Some Other Blues (John Coltrane)
(5分36秒)



【この曲、この演奏】
コルトレーン作となっている、実にシンプルなブルース曲です。11月24日のセッションで演奏されましたが、何故だかテープ紛失、この日に再演となりました。
さて演奏ですが、このような曲での新しいスタイルでの演奏を探し求めているようなコルトレーンも感じますが、それなりのブルース演奏となりました。



【エピソード、散髪】
歯科医の場合と同様、床屋を相手にした時もコルトレーンは自分の思い通りに事を運ぶことができなかった。特に旅行中、床屋に行って見るも無残な刈り方で帰ってくることがよくあった。彼の好みからすると、ただ短く刈り上げてほしかったのに。しかし、なかには一人か二人、コルトレーンの好みを勝手に解釈してばさばさと髪を切ったり、禿同然に剃り上げてしまう床屋さえいた。ついに床屋の剃刀の手元が狂って左の耳を切られるというひどい経験を味わって以来、彼は床屋に行くのを断念し、バリカンとはさみを買って来て、自宅でも旅先でも全て自分で髪を刈るようにしたのである。(資料01、恐らくは1959年頃の話と思われる)
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 3日(月)07時10分13秒
  19591202-06
Naima (John Coltrane)
(4分22秒)



【この曲、この演奏】
アトランティックのコルトレーン、彼が勝負曲とし用意したこの曲は、シダー・ウォルトンでの3月26日に6回演奏しましたが、満足できるものはなしでした。しかしトミー・フラナガンでの5月5日は、満足できる演奏ができたはずであります。2テイク、3テイクと演奏する曲もある中で、この曲は1回の演奏で終えたからです。「Giant Steps」にしろ「Mr. P.C.」にしてもレベルの高い演奏を行った5月5日だけに、この「Naima」もさぞや素敵な演奏だったことでしょう。
しかしテープの紛失とのこと、この日にピアノをウィントン・ケリーでの再演となりました。
さて演奏ですが、深淵であり、哀しみと希望が同居するような神秘のこの曲を、コルトレーンはテーマをじっくりと演奏することに集中しています。そのことによりこの曲の魅力が一層増しております。またケリーのピアノは、この曲から想像を膨らませ、短いながらも興味深い演奏を披露しています。
このセッションではこの演奏の前に5曲演奏しています。聴けるのは3曲ですが、それらはまるでこの「Naima」のための、準備運動にも思えてしまいます。
このセッションでの演奏に酔いながら、でもトミフラとはどんな演奏をしたのだと思いとなりました。



【エピソード、1959年の食生活】
コルトレーンの体重はたえず増えたり減ったりしていた。時として、三〇パウンド(約14キロ)も体重オーバーになることもあった。友人たちのアドバイスによって、彼はタイガー印の牛乳や生野菜、温床育成の果物、いろんな種類の豆類などの健康食品を食べ始めた。最新作のレコードあさりのためサム・グーディの店に寄るのと同じくらいの頻繁さで、健康食品店に顔をだした。コルトレーンの食生活のこうした習慣と、ネイマの回教徒として定められた食事しかとらない習慣に耐え切れなくなったトニは、ある時抗議した。「マミー、たまには普通の家みたいにホット・ドックとかハンバーガーでも食べさせてよ、こんな健康食品なんか見たくもないわ」(資料01)
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 2日(日)07時26分36秒
  19591202-05
My Shining Hour (Johnny Mercer / Harold Arlen)
(4分53秒)



【この曲、この演奏】
マーサー&アーレンという強力コンビによる曲で、1943年の映画「ザ・スカイズ・ザ・リミット」でフレッド・ステアが歌ったのがオリジナルで、その後にはビリー・ホリデイやシナトラ、そしてローズマリー・クルーニーなど多くの歌手に取り上げられた曲です。(資料14)
インスト物となると、このセッションでの演奏が代表的演奏となるようですが、コルトレーンの演奏記録は本セッションだけです。
さて演奏ですが、このバンドの調子の良さを物語っているかのような快調な味わいのものです。コルトレーンにとってこの時期には恩人へのお付き合いもあり、自分の目指す方向とは違う演奏の機会もあったのでしょうけど、ここでの演奏で自分のバンドでの一体感を確認し、そしてその先を見つめているようです。




【エピソード、1959年の新居での生活】
(1959年末に引っ越した家に)コルトレーンがシカゴの仕事から帰ると、家の中には、シンプルだが、現代的な家具がちゃんと収まっていた。新しいピアノや、スイート・ポテト・パイのはいった食器棚もあった。彼はパイの誘惑に勝てず、体重が増えることなどお構いなしにパイをぱくついた。その後、マッコイ・タイナーとジータ・カーノとコルトレーンが顔を合わせると、つい二、三ブロック先にあるピザ・ショップから一個二ドル25セントのオニオン・ピザを買って来てみんなで食べるのが習慣となっていた。そのうち、コルトレーンは自分の甘党の味覚を制限するための試みとして、バター・ラム・ライフ・セイヴァーズをひまさえあれば口の中に放り込むのが癖となった。(資料01)

ちなみにライフ・セイヴァーズとはウィキペディアによれば、「リング型のハードキャンディーとソフトキャンディーのアメリカブランド」(ウィキペディア)で、「アメリカではレストランや食料品店のレジ横に置いてある」とのことだ。日本人には馴染みはないが、アメリカ映画で何度も目にしてきたものなのだろう。
バター・ラムのライフ・セイヴァーズの情報はネットから得られなかったが、バター・ラム味はあちらでは定番のようだ。
さてそんな「バター・ラム・ライフ・セイヴァーズ」が「甘党の味覚を制限」に結びつくかだが、これは謎のままとなった。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 8月 1日(土)07時02分31秒
  19591202-02
Harmonique (John Coltrane)
(4分13秒)


【この曲、この演奏】
コルトレーン作のこの曲について資料09には、「8分の6拍子のブルースで、倍音を重ね同時に複数の音を出す難しい技術のハーモニック奏法を用いており、それを前面に出して1曲創ってしまうのは、いかにもらしい」と書かれています。
その「難しい技術」が聴く方には、奇妙な世界に連れて行ってくれる気持ちにさせる効果となり、コルトレーンのテナー・サックスのかすれ方も加わり、興味ある演奏内容になっています。
この曲のコルトレーンの演奏記録は、本セッションだけです。




【エピソード、ある持ち込み企画】
音楽プロデューサーのトム・ウィルソンが1959年の後半にアトランティック・レーベルに、書面で仮名「Monk Buisiness」とのアルバムの企画を提案した。それは恐らくモンクが直近に行ったタウンホールでのミディアム・サイズのバンドでのコンサートに影響されたものであろう。その仮名「Monk Buisiness」には、ベニー・ゴルソン編曲によるモンクの八つの曲を収録するという企画であった。ゴルソンは「1959年の新星アレンジャー」に選出されていたのだ。そして演奏するのは。メイン・ソリストにコルトレーン、その他にサド・ジョーンズかリー・モーガン、E♭ alto
horn にブッカー・リトル、ジュリアス・ワトキンス、カーティス・フラー、チューバ奏者にバーナード・マッキーニーとドン・バターフィールド、そしてパーシー・ヒースにチャーリー・パーシップとのものであった。このメンバーで3回のレコーディングを行なう計画だった。そしてゴルソンには1曲につき125ドル、コルトレーン以外のミュージシャンには計1,164ドル、そしてコルトレーンにはそれ以上を払うとの計画を立てていた。このアルバム仮名「Monk Buisiness」は最初のモンクへのトリビュート作品になったのであろうが、実現には至らなかった。(資料07)


ここでの音楽プロデューサーのトム・ウィルソンとは、トランジション設立者として、またディランのデビュー当時に関わったプロデューサーとして名の知れた人で、間違いないと思う。
またモンクのタウンホールでのコンサートは1959年2月28日に行われ、そのライブ盤がリバーサイドからその年に発売されていた。
モンクへのトリビュート作品は世に数多あるが、この企画が実現されていたら、後続の作品は常にこれと比較されることになっただろう。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月31日(金)06時35分58秒
  19591202-01
Like Sonny (John Coltrane)
(5分54秒)



【この曲、この演奏】
この年の3月26日のセッションでリハーサルを含め9回も演奏された曲ですが、アトランティックのコルトレーンのオリジナル・アルバム8枚には含まれませんでした。本来ならば5月4日と5日の「ジャイアント・ステップス」セッションで演奏されてもおかしくなかったのですが、この12月のセッションでの録音となり。アルバム「コルトレーン・サウンド」で世に出ました。
さて演奏ですが、バンドとしての一体感が、シダー・ウォルトンとの3月26日のセッションとは比べものにならない良さです。このことによりコルトレーンの演奏は、深みのあるメロディアスなものになっています。





【エピソード、本セッション】
アルバム「コルトレーン・サウンド」用の本セッションだが、11月24日と同メンバーであり、同一セッションが二日間行われたとの内容である。先の「ジャイアント・ステップス」のセッションも二日間であり、これ以降のアトランティックでのレコーディングでは、二日間セッションが主となっていく。プレスティッジ時代には考えられなかった恵まれた環境であった。
さて本セッションの特徴を三つあげておく。
一つ目は11月24日の録音でテープ紛失となった2曲、「Some Other Blues」と「Fifth House」をこの日に再び吹き込んだことである。
二つ目は、この日のセッションでも、「The Night Has A Thousand Eyes」と「Equinox」の2曲のテープが紛失となった。この2曲も、後日に再演されている。
最後は「Naima」であるが、これは別項で取り上げている。
 

21度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月30日(木)06時48分48秒
  19591124-05
Little Old Lady (Hoagy Carmichel & Stanley Adams)
(4分23秒)



【この曲、この演奏】
この曲名の頭に「The」が付けば、1964年のジャン&ディーンのヒット曲が有名とのことですが、こちらはカーマイケル&アダムスの曲であり、資料14に掲載されていない曲です。曲名の意味は「可愛らしいおばあちゃん」との意味合いなのでしょう。
資料06によれば、この曲のコルトレーンの演奏記録は本セッションだけです。
さて演奏ですが、笑顔が似合う素敵なおばあちゃんが目の前に浮かんでくるような、バンド一丸となっての楽しい演奏です。
また資料09には「次のステップを求めて止まないコルトレーンに尚一層レギュラー・グループへの欲求を募らせる結果になったのでは」との、この演奏への記述があります。
プレスティッジ時代の延長ではなく、新しい壁を乗り越える考えがコルトレーンの最大の関心事であったのは事実なのでしょう。しかし私はこの曲での楽しいコルトレーンの姿も、大好きです。





【エピソード、1959年の引越し】
コルトレーンがニューヨーク州クイーンズのセント・アーバンズ区域に転居、一九五九年一二月二三日に家族をそこに移した後、何より最初にやったことは、ネイーマとトニにプレゼントを贈ってクリスマスを祝うことだった。それから、クリスマスにはきまってシカゴに行くことにしていたマイルス・デイヴィスと一緒に、彼はシカゴへ演奏旅行に出掛けた。
彼らの新しい家は、小さな前庭とさらに小さな裏庭のついた二階建煉瓦づくりの家で、二階にはベッドルームが三部屋とバスルームがあり、一階には居間と食堂に広い台所、そして、小部屋があった。また、大きな地下室もついていた。コルトレーンはその地下室でいつも練習や録音をしていたが、グラブズ兄弟もやっていたように、パンチ・ボールを叩いたり、ウエイト・リフティングに励んだりもしていた。(資料01)
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月29日(水)06時58分55秒
  19591124-04
I'll Wait And Pray (alternate take) (Jerry Valentine & George Treadwell)
(3分27秒)




【この曲、この演奏】
続けてこの珍しい曲を演奏しています。資料09によれば、作者の一人の George Treadwell は、かつてのサラ・ヴォーンの旦那さんとのことです。ただしそれ以上の情報は、各資料やネットから得られませんでした。
演奏時間も構成も前テイクとほぼ同じですが、コルトレーンがテーマ演奏で違う試みをしています。しかしながら前テイクの方がベターとの判断で、本テイクは1975年に「Alternate Takes」として世に出ました。



【エピソード、ウィントン・ケリー】
アトランティックでのコルトレーンが選んだピアニストは、シダー・ウォルトン、トミー・フラナガンに続くのがウィントン・ケリーだった。
資料06によれば、コルトレーンとケリーの共演歴は21回あるが、コルトレーンのリーダー・セッションとなると、スタジオ録音ではこの日と12月2日だけである。この年にバードランドでのライブでも共演しているが、音源を含めて詳しい情報は残っていない。
その他の18回は、マイルス・バンドが16回となる。3回はスタジオ録音であり、「Kind Of Blue 」と「My Prince Will Come」という名盤で世に出ている。残りの15回はライブであり、1960年のマイルス・バンド欧州ツアーがその中心となり、非公式盤としていくつかの音源は世に出ている。
さて残り2回は、スタジオ録音である。1957年のBNでのグリフィンのリーダー・セッション、そして1959年のキャノンボール・アダレイのシカゴでの録音であ理、どちらも人気作品として今日でもジャズファンに愛されている。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月28日(火)07時30分33秒
  19591124-03
I'll Wait And Pray (Jerry Valentine & George Treadwell)
(3分34秒)



【この曲、この演奏】
この曲を検索しますと、ここでの演奏と、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの1990年に製作したアルバム「One For All」がヒットします。資料14には掲載されておらず、知る人ぞ知る曲なのでしょう。作者の Jerry Valentine はジャズ・トロンボーン奏者、George Treadwell は ジャズ・トランペッターが、検索でヒットしました。
コルトレーンのこの曲の演奏記録は、このセッションだけです。
さて演奏ですが、美しいバラッド、いくつもの場面が目の前に広がるバラッド、この曲をコルトレーンは曲の持つ表情の内面を映し出しような演奏をしています。コルトレーンのバラッド演奏の凄みに接することができる演奏となっています。



【エピソード、本セッション】
本セッションは、コルトレーンのアトランティックでの5度目のセッションであり、12月2日にも同一メンバーで録音を行っている。このセッションから7曲がアルバム「コルトレーン・ジャズ」に収録され、1曲が「ジャイアント・ステップス」に収録された。
冒頭に録音されたコルトレーン作の2曲「Fifth House」と「Some Other Blues」は、資料07によれば「Tapes are missing and presumed lost」と記載されている。この2曲は12月2日のセッションでも演奏され、そちらは「コルトレーン・ジャズ」に収録された。
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月27日(月)06時25分48秒
  19590505-09
Cousin Mary (alternate take) (John Coltrane)
(5分46秒)



【この曲、この演奏】
鮮烈な「いとこのメアリー」を演奏した後に、その勢いで更に濃い演奏が出来ると考えたのか、もう一度この曲を演奏しています。
その内容ですが、前の演奏を超えているとは言えませんが、決して劣る点はなく、こちらにアグレッシブさを多く感じるものもあります。
資料09ではこちらか本テイクとされなかった理由を、チェンバースのベースのミスとして、テーマ部とベース・ソロ部をあげていますが、私には分かりませんでした。




【エピソード、アルバム ジャイアント・ステップスの評判】
「ジャイアント・ステップス」は多くのレコード批評家の注目の的となったが、その全てが好意的であったわけではない。サイドマンとしてのコルトレーンは常に物議の種となっていたが、リーダーとしても各方面からの批評の的となりつつあった。一部の批評家や、影響力をもった愛好家がコルトレーンに示した熱狂的な支持は、その後のコルトレーンのキャリアに大きな力を与えた。
ニューヨーカー誌のホイットニー・ヴァリエットによる批評。
たとえば、人生の醜悪さえ、美に変貌し得るという驚くべき発見・・・それこそ、コルトレーンの挑戦を受けて立った人たちが、彼の演奏を聴き終えたときに経験するものである。
ミネアポリス・サンデー・トリビューン誌のチャールズ・ハンナによる批評
コルトレーンの音楽はずっと以前から注目に値するものを持っていたが彼自身を表現するのにふさわしい道を見つけたのはごく最近になってからだ。彼はあらゆる可能な音をその構成から絞り出しては、一つのコードを五通りにも演奏するのだ。優れたリズム感ときわめて感動的な音を駆使して、臨床的なサウンドに陥る危険を避けている・・・コルトレーンはついに自分の進むべき道を発見したのだ。
(全て資料01より)
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月26日(日)07時19分51秒
  さてジュリーさんの「イス ジャケ」作品。
1月は「1月も私には6月」、これは1934年の映画「我が胸は高鳴る」の主題歌で、ビング・グロスビーが歌ってヒットした曲です。1月でも恋に落ちている私には春の6月の気分、そんなこの歌をジュリーさんは、嬉しさいっぱいの乙女心で歌っております。
3月は「哀愁の3月」、これはハーマン・サウンダースとドリー・ランドンの手による、寂しいもの同士の寄り添う心の曲です。やがてまた恋に出会う予感を、ジュリーさんはしっとりと歌っています。
7月は「7月のそりすべり」、1944年の映画「ベル・オブ・ザ・ユーコン」でダイナ・ショアが歌っていた曲で、素敵なロマンスなんて見せかけだけのものだった、との気持ちの曲です。蜃気楼のようだった恋をジュリーさんは、自分を落ち着かせるように歌っております。
10月は「今年の10月」、珍しい曲ですが、恋した10月は私は月にいる、といった内容の曲です。男性コーラスとの掛け合いを交えながらジュリーさんは、低音を効果的に使いながら、そして気持ちを落ち着かせながら歌っており、しかし恋の嬉しさが随所に漂う気分にさせています。
「イス月」の4曲を今回はつまみ食いしましたが、この作品にはセミヌードのジュリーさんの写真による「13月」という曲もあります。恐らくはこのアルバムのために用意された曲なのですが、素敵な恋の思い出にもう一度、との願いを、ジュリーさんは揺れる気持ちで歌っております。
以上の曲紹介は、私が持っている1990年国内盤CDの青木啓氏による封入解説からの引用でした。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月25日(土)07時00分42秒
  その前に、この作品が録音された1956年5月2日(水)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「国会の運営正常に復す、特別委に差戻し、小選挙区法案、長老会議で話合つく」

読売「国会運営やっと正常化、選挙委で審議続行、一切の決議案を撤回」

朝日「今国会は不成立か、小選挙区法案、自民党 一部に妥協案も」

戦前には小選挙区制がありましたが、戦後の衆議院で小選挙区制となったのは、1994年に小選挙区比例代表並立制が導入されてからです。1996年の衆院選から実施され、これまで6回の小選挙区制での総選挙で2回の政権交代がありました。



ではこの5月2日の新聞から少しばかり紹介します。
・1面下に「和歌山県に有田市」との小さな見出し記事があります。有田郡有田町が市政施行で有田市になったことを伝えています。この時点の人口は30,382人、2020年5月1日時点の推計人口は26,129人です。
・7面下に「ベル・カレールウ」の小さな広告があります。姉妹品に「ベル・スープルウ」「ベル・トマトルウ」があり、またニッポン放送の「お母さんと童謡」を提供していることを宣伝しています。この広告から64年、私はとっくに消えた会社だと思いましたが、今でも大阪で元気に活動している会社です。1969年にベル食品工業と会社化し、恐らくは業務用と思われる、多種類のカレーソースを販売しています。
・TV欄 日テレ 19:30から「キス夫とミー子」という番組があります。調べたところこの番組はコメディー・ドラマで、1956年3月から8月まで21回放送されたとのことです。番組名の由来は、提供スポンサーがキスミー化粧品だからとのことです。
 

23度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月24日(金)07時32分14秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の40枚目は、Julie London の Calendar Girl、1956年5月2日の録音です。(日は決め打ち)
12枚のジュリーさんの写真が並ぶジャケです。LPなら見開き、CDなら両面に各六ヶ月の写真が掲載されています。その中でイス写真は1月、3月、7月、10月の四ヶ月となります。どれもジュリーさんのお綺麗な御足を強調すべく、イスが小道具として活躍しております。
2003年1月2日に本作を「今日の1枚」で取り上げた際に私は、「4月の思い出」と「9月の雨」についてコメントしておりました。今回のつまみ食いでは、イス写真の四曲で感じたことを書きたいと思います。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月23日(木)07時25分34秒
  さて三人組さんの「イス ジャケ」作品。
この作品はベースを中心に聴くべきと、今回のつまみ食いで感じました。メロディはベースが担当している、そう思って聴き進めると、ピアノにも魅力を感じてきます。
ボサノバの名曲「How Insensitive」での緊張感、これはなかなかの聴き所でした。
私は本作がトリオの共同名義作品であることの意味を、15年経ってようやく理解しました。
 

26度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月22日(水)07時23分40秒
  その前に、この作品が録音された2002年8月8日(木)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「進ちょく率で 継続判断、民営化委検討、50%未満は原則凍結」

読売「防犯ビデオ 男浮かぶ、世田谷の一家殺害、血洗い再び現場へ」
安全メルトダウン、とのシリーズでのものです。2000年12月30日に発生した世田谷一家殺害事件、警視庁による事件の正式名称は「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」は、多くの証拠がありながら、未だに解決されていません。

朝日「一般有料道路も有料継続、値下げは検討、高速道と収支一体、民営化推進委合意」
小泉内閣の聖域なき構造改革の中で道路四公団の民営化が挙げられ、2002年に道路関係四公団民営化推進委員会が設置され、2005年に民営化されました。



ではこの8月8日の新聞から少しばかり紹介します。
・11面企業総合面に「エアコン相互供給へ、三菱重工 大型住宅用を販売、三菱電機 業務用補完めざす」との見出し記事があります。三菱のエアコンなのに、ビーバーと霧ヶ峰の二つのブランドがあります。今でもこの二社は、エアコン・ETCシステム・加湿器で競合相手となっています。
・2面総合・政治面下の文藝春秋の広告は、第127回直木賞となった「生きる/乙川優三郎」を宣伝しています。乙川氏は今でも活躍している作家で、私は愛読しているオール読物でその作品に触れています。
・TV欄 この日は高校野球の開会日で、開会式に続いて、中部商 対 帝京、日本文理 対 海星、智弁学園 対 拓大紅陵の三試合が放送されています。この大会では明徳義塾が優勝しました。この日に登場した六校の中では、帝京が準決勝まで進みました。
 

24度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月21日(火)06時48分59秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の39枚目は、Muller - Kramis - Baschnagel の、Nautilus Ⅱ、2002年8月8日の録音です。
夕暮れの室内に円形の食卓と四脚の背もたれ椅子、ベランダには籐の椅子、まさにイスジャケなのですが、物足りなすぎます。人なり動物なり絵なり、アクセントになるものが何もないジャケットです。
Gregor Muller(p)、Herbert Kramis(b)、そしてPius Baschmagel(d)の三人組の作品を「今日の1枚」で取り上げたのは、2005年2月2日のことでした。そこで私は「ジャケット同様に何を主張したいかを、掴めないままで終わった作品」と酷評しました。
今回のつまみ食いでは、何か良いところを見つけたいです。
 

あめぞうのことを知ってほしいです

 投稿者:a  投稿日:2020年 7月20日(月)08時16分35秒
  下のURLにあめぞうの情報がありますのでそれを見て知ってください
あめぞうさんという方のためにもどうかお願いします

http://resistance333.web.fc2.com/newpage1.htm
http://tiyu.to/1ch_08.html
 

25度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月20日(月)07時09分42秒
  さてコニーさんの「イス ジャケ」作品。
歌声の魅力はどんな楽器でもかなわない、かつてこんなことを聞いたことがあります。この場合は、歌唱力があるのは当然のことですが、声質自体に魅力があり、それを生かしての表現力がある、ここまで揃っていることが必要です。
私にとってのコニーさんは、まさにこれが当てはまります。2001年1月24日に「今日の1枚」で取り上げた際には「低音の色気が何とも言えなくセクシーで、人生の辛さと楽しさを早くも悟ったような表現力」と感想を述べましたが、それから20年近く経った今でも、この感想は同じであります。
そんな彼女が、味のあるギター入りクインテットをバックにスタンダードを歌っているのですから、私にとって本作はかけがえのないの存在です。
その中での「Some Cats Know」ですが、55歳のペギー・リーさんの歌と聴き比べしてみました。猫にいろんな意味合いを持たせている歌だと思いますし、軽くブルージーなこの曲はなかなかのものです。そんな歌をペギーさんもコニーさんも、表現力豊かに独自の世界で歌っています。庭にいる猫の仕草が、両者の歌で異なって頭に浮かぶところは、巧者のお二人だなと唸った次第です。
 

22度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月19日(日)07時21分35秒
  その前に、この作品が録音された1999年1月3日(日)の新聞を見てみましょう。
先ずはトップ記事。
日経「個人向共同店舗、住友信託・大和証券、金融異業態の提携加速、株・預金 1カ所で、99年度に10店」
この計画は実現し、今では三井住友信託と大和証券との提携になっています。

読売「市場と国家 妥協点探ろう」
2000年を読む、とのシリーズの第1回目は、ジョージ・ソロス氏へのインタビューです。ソロス氏は「ハンガリーブダペスト生まれのハンガリー系ユダヤ人の投資家、慈善家」であり、「イングランド銀行を潰した男」との異名を持っています。(ウィキペディア)

朝日「消費者金融に別人登録、全国で100万件超? 業界調べ、不良貸し付け 数千億円規模」


ではこの1月3日の新聞から少しばかり紹介します。
・1面に「有終の美 日本一、横浜フリューゲルス、全日本サッカー」との見出しがあり、3面のコラム「人」では選手会長の前田浩二さんが、27面のスポーツ面では清水エスパルスとの決勝の模様が伝えられ、そして30面社会面には「横浜フ、土壇場の頂点、夢は終わらない、サポーター 存続へパスつなぐ」との見出し記事があります。
私は1993年のJリーグスター時ににわかサッカー・ファンとなり、地元フリューゲルスのファンとなりました。しかしながら出資会社の佐藤工業と全日空の経営不振により、横浜マリノスに吸収合併となり、このお正月の天皇杯決勝戦が最後の試合となりました。
・13面経済面に「HOT LAVA SALE」「BARNEYS   NEW TORK」と書かれた全て英語の広告があり、新宿と横浜店でのセールを宣伝しています。横浜店は今でもマリンタワーの近くにあり、高級感を前面に出したお店です。それにしても、全て英語の広告とは、恐れ入りました。
・TV欄 NHK教育テレビは40周年とのことで、「ETV40周年」と名付けた番組が5つありました。
 

19度

 投稿者:マハール  投稿日:2020年 7月18日(土)07時52分50秒
  「今日の1枚からつまみ食い」、今回のテーマは「イス ジャケ」です。


「イス ジャケ」作品の38枚目は、Connie Evingson の Some Cats Know、1999年1月3日の録音です。(年月日は決めうち)
アルバム名にもなっている「Some Cats Know」ですが、Jerry Leiber と Mike Stoller が作った曲です。このコンビは、1950年代に「ハウンドドッグ」などヒット曲を連発しました。「Some Cats Know」が作られた時期は分かりませんでしたが、ジャズ分野ではペギー・リーが1975年に制作した「Mirrors」というアルバムに収録されているようです。
この作品のジャケットでは、切られた部分には、庭用の簡単な食事がとれるテーブルが置いてあるのでしょう。そしてそこには当然ながら椅子があり、コニー・エヴィンソンさんはその椅子に膝を抱えて座っております。風が冷たくなってきた朝、昨夜のことを考えているような視線です。
私が渋谷ユニオンで本作を手に取ったのは、会議のためにマレーシアから一時帰国していた時期のことでした。廻り合わせで出会ったコニー・エヴィンソンさん、これまで5作品を「今日の1枚」で取り上げましたが、その端緒となった作品を今日はつまみ食いしてみます。
 

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