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サイト上の写真の一部差し替え、追加

 投稿者:管理人  投稿日:2015年12月25日(金)15時22分42秒
  新聞会OB会事務局保管のネガ・フィルムで未点検のものがあり、先日これを点検したところ、いくつか利用可能なネガがあったので、これをサイト上にアップしました。
「400号記念特集号」の学生運動の座談会の写真は、今まで雑誌の写真のコピーを掲載していましたが、ネガをスキャンしたものと取り替えました。
また、朝永振一郎教授の「思い出ばなし」第9回、第10回のカットとして使用されていた理化学研究所、サイクロトロンの写真も原板があったので、今までの不鮮明な紙面のコピーと取り替えました。
その他に、8枚の写真をスライドショー「想い出の東京教育大学」に追加しました。
E館工事中、砂川闘争、全学連10回大会、全学連11回大会(3枚)、チャペルセンター前集会、全自連7全代の8枚です。
 
 

Re:慶応新聞のOB

 投稿者:管理人  投稿日:2015年10月13日(火)15時11分30秒
編集済
  > もっともそれが三田新聞なのか慶応義塾新聞なのか知らないけれど。

慶応塾生新聞会のサイトによると、慶応義塾大学新聞の方らしい。

http://www.jukushin.com/archives/3429

 

慶応新聞のOB

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年10月13日(火)00時45分58秒
  続けて掲示板を汚し恐縮ですが、ボケないうちに備忘録として思い出ばなしを。
慶応の新聞のOBと言えば、茂木さんの後輩筋で同じく慶応の法学部を出た人がいることを思い出しました。読売新聞社会部の記者を経て東京本社の社長や読売巨人軍オーナーなどを歴任した滝鼻卓雄(たきはな・たくお)さん。実はこの滝鼻さんは慶応の新聞部の時代、北川俊委員長時代の「全学新」の全執(中執)だったのですね。なぜ、ぼくがそんなことを知っているかって?実は北川俊ことTMさんが早世し、全学新の同期の仲間による偲ぶ会が開かれた時に、たまたまぼくも末席にいたから。もっともそれが三田新聞なのか慶応義塾新聞なのか知らないけれど。
 

慶応の新聞のOB?

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年10月13日(火)00時13分53秒
  たまたま図書館で読売新聞を斜め読みしていて、「時代の証言者」という連載企画に目がとまりました。10月7日付け、聞き書きの証言者はキッコーマン醤油の元社長の茂木友三郎。氏は大村さんと同世代で1954年に慶応の法学部を出ているのですが、「在学中はジャーナリズム研究会に所属し、学生新聞や雑誌を作り、3年から4年にかけて編集長をつとめ広告集めに苦労した」とあるのですね。ぼくらの時代、慶応には三田新聞そして慶応義塾大学新聞があったと記憶しているのですが、そのいずれかのOB?  

大村さん&中西さんのこと

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年10月12日(月)23時49分34秒
  管理人さんの書き込みを読んでウイキペディアで調べると「1960年、東京教育大学の研究生となり、中西香爾に師事した。中西香爾の紹介で1961年、東京理科大学大学院理学研究科都築洋次郎の研究室に所属し、高校教諭として働きながら1963年、東京理科大学大学院理学研究科修士課程を修了した」とあるのですね。ということは、大塚キャンパスの理学部在籍はわずか1年。ところで、中西香爾って?とさらに調べると、なんと文化勲章の受章者でした。いやはや……理科系の人脈にはトンとうとくて、おそらくぼくが在籍していた時も現役だったはずの中西教授の存在を全く知りませんでした。(なおちなみに中西さんは健在のようです。)  

ノーベル医学生理学賞受賞の大村智氏

 投稿者:管理人  投稿日:2015年10月 6日(火)11時35分29秒
  新聞報道によると、この度ノーベル医学生理学賞を受賞された大村智氏は、山梨大を卒業後、墨田工業定時制の教員となり、そのかたわら、教育大の聴講生になり、その後理科大の大学院に行った人だという。聴講生というのは学部学生とあまり一緒に行動することはないものの、もしかすると見かけた人もいるかもしれませんね。  

Re:朝永さんのペン画

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 9月27日(日)10時43分50秒
編集済
  > それにしても朝永さんの絵って、エッセイ集など著作に収録されているのですか?

当サイトの「思い出話」のカットは、教育大学新聞掲載のものを転載したにすぎず、「著作集」は参照していないので分かりません。
 

朝永さんのペン画

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年 9月27日(日)01時20分5秒
  送られてきた世田谷文学館ニュース8月号の巻頭、菅野昭正館長とゲストの酒井忠康世田谷美術館長(美術評論家)の対談を斜め読みしていたら朝永さんの名前が出てきて、日曜の夜中だというのに思わずこのHPを久々に覗く破目に。
酒井さんの神奈川県立近代美術館時代の文学者などとの交流や美術と文学との乖離などについての話の後で、次のようなやりとりが。(抜粋)
 酒井 意外なところで、これは誰も注目していないと思いますが、理論物理学の朝永振一郎さんの絵が実にいい。
 菅野 朝永さんは随筆も素晴らしいですよね。どういう絵を描くんですか。
 酒井 ペン画がいいです。
そんなわけで早速、朝永さんが教育大新聞に寄せたエッセイ「思い出ばなし」をチェックしてみました。たしかに第15回ほかに添えられたカットは味のあるペン画で、デッサンもしっかりしています。それにしても朝永さんの絵って、エッセイ集など著作に収録されているのですか? あいにくぼくは未見です。
なおこの対談の詳細は同文学館のHPでPDFファイルをダウンロードすれば読めるようです。
http://www.setabun.or.jp/report/pub_news.html
 

総会終了後、感想が寄せられる

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 7月28日(火)09時14分20秒
編集済
  これが「最後」という7月7日の総会終了後、何人かの方から、事務局に感想が寄せられている。
ある方からは電話で「終了後、大塚キャンパスを11人で訪れ、写真を撮った」との話があった。
また、ある方は葉書で「もう新聞会の集まりは無いとのことですが、本当に残念でたまりません。皆様方のことは決して忘れません」と伝えてきた。
なかには封書で「過日の新聞会の会合、お世話様でした。お陰様で楽しい一時を過ごすことができました。新聞会OBG会としては、ことしで一応のシメ。これで良かったと思います。いままでも、年代によっての会は続いてきていますので」と伝えてきた方もいる。
想えば、東京教育大学の廃学を前に、1974年、東京教育大学新聞会OB会が組織され、最初の総会を両国パールホテルで開催、1978年には東京教育大学新聞縮刷版刊行会の名で「文理科大学新聞・教育大学新聞 縮刷版」を刊行、以来約40年にわたる活動は、学生サークル運動の歴史に名を残すものと言っても過言ではなかろう。当然のことながら、その間、会員の高齢化が進行し、当会創設当時の幹部は最初の会長、事務局長を含め、大半が鬼籍に入っている。
 

最後の総会無事終了

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 7月 7日(火)23時56分45秒
編集済
  7月7日、新聞会OBG会の最後の総会が、東京・池袋のホテルメトロポリタンで開催され、無事終了しました。参加者は34人でした。
当日の集合写真は、以下のページでご覧になれます。
なお、前回の総会以降、今回の総会までの間に、加藤長生氏(49年経済入学、2014年ご逝去、以下同じ)、五十嵐康男氏(52年英文入学、2012年)、工藤裕功氏(52年構成入学、2010年)、成田孝昭氏(53年哲学入学、2014年)、福沢利男氏(61年日本史入学、2010年)の5人の方々が亡くなられていたことが、出欠連絡により判明しています。

http://members.jcom.home.ne.jp/0361437901/obgf2015.jpg

 

訃報・丸岡扶氏ご逝去

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 5月25日(月)17時50分12秒
編集済
  1960年代に、教育大学生協の理事を勤められていた丸岡扶氏が、4月27日、癌のため逝去されたとのことです。享年74。葬儀はすでに終わっており、教育大関係者への連絡をしなかったため、大学関係者の葬儀参列はほとんどなかったとのことです。そのため、教育大関係の有志による墓参が秋の彼岸にあわせ、鎌倉霊園で行われるとのことです。
謹んでご冥福を祈ります。
 

OBG会総会7月7日開催予定

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 5月 6日(水)14時24分4秒
  2008年7月以来、7年ぶりとなる新聞会OBG会総会を、7月7日正午から、東京・池袋のホテルメトロポリタンにて開催する運びとなりましたのでお知らせします。会員には、追って案内状を送付する予定です。  

田淵さんのご逝去を悼みます

 投稿者:矢下育子  投稿日:2015年 3月19日(木)18時33分8秒
  今年2月11日に田淵守さんが亡くなられたことを知り、驚きました。
田淵さんは、亡夫矢下徳治の死去に際しては心のこもった軽妙な弔電をくださったり、その後も一周忌にお花を届けて下さったり、温かいお心遣いをいただきました。お元気と思っていましたのに本当に残念です。
今年の年賀状に「これからは、天に星、地に花、人に慈愛という言葉を胸に残された人生を過ごしていく」と書かれていたことを思いだします。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
 

国立大の授業料

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年 3月13日(金)01時34分39秒
  Sさんが「授業料なんか払わないで飲んでしまおう」ということで中退ではなく除籍の道を選んだという書き込みを読んで、国立大学の授業料の変遷を調べてみました。(ヒマ人?)
1954~55:6000円、56~62:9000円、63~71:1万2000円、72~75:3万6000円、76~77:9万6000円、78年に14万4000円になってからグングン上がり、2012年(H24)以降はなんと53万5800円。う~ん高いですねえ、驚きました。ぼくらの時代は家庭教師のアルバイトを2口もかけもちすれば年間授業料が払えたのに!
 

Re:中退? 除籍?

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月11日(水)16時05分40秒
編集済
  Sさんの場合、8年目に必修得科目が2科目取れずに残っており、授業料を払うお金はあったものの、「どうせ卒業できないなら、授業料を払うよりは飲んでしまおう」ということにして、みんなで飲んでしまったということのようです。
Sさんは違いますが、筑波移転阻止闘争の頃の新聞会員は、闘争の敗北後、中退してしまった人が多いです。先日亡くなられた根井君も田渕君もそうです。もっとも田渕君の場合はその後法政大学の通信教育で不足単位を修得し、大学卒業の資格を取りました。数年前のことです。新聞会ではありませんが、私のクラスの1年上の先輩にも、授業料を払わずに事務室に「退学届」を提出し、事務員が「授業料を払え」と追いかけてきたのを振り切って逃げてしまった人もいます。しかし、この人はその後別の大学に入りなおし、地元の大学で研究者になったということです。いろいろな人がいます。
筑波移転阻止闘争による中退者、除籍者は相当大量になるのですが、今日に至るまでその総数は集計されておりません。
 

中退? 除籍?

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年 3月11日(水)03時13分21秒
  Sさんが滞納学費?を払ったかどうかぼくは知りません。で、厳密に言うとSさんは新聞会OBでありながら「教育大OBでない」かも。実は同じようなケースは五木寛之の場合も話題になりました。五木さんは「早稲田の露文科中退」ということで露文科の名を高からしめたのですが、ウイキペディアには「1957年に学費未納で早稲田大学を抹籍された(後年、作家として成功後に未納学費を納め、抹籍から中途退学扱いとなる)」とあるように、作家として高名になってからも形式上は早稲田とは無縁(除籍)の存在だったのですが、むしろ大学側が望むかたちで往時の未納学費を納めメデタく「早稲田中退」となったと聞いています。  

Re:津田さんのこと(続)

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月10日(火)16時36分29秒
  「残るはたしか8年がかりで卒業したSさん」というのは、満期の8年間在籍したものの、修得単位不足で、授業料滞納のまま、除籍になったのではないですか?  

津田さんのこと(続)

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年 3月10日(火)01時53分56秒
  ところで実はぼくは学生時代、一度だけ津田さんに会ったことがあります。1960年代後半の某月某夜、新聞会OBのたまり場であった池袋の大衆酒場(トリス・バー)を覗いたところ、研究会の流れだったのか先輩諸氏や津田さん(その夜、紹介されました)他のメンバー数人がカンカンガクガクの議論をしていて、気がつけば終電も出たあと。そのままタクシーに分乗して、社会人となっていた先輩Tさんが借りていた「ひばりが丘団地」(東久留米、いまの西東京市)の一室へとなだれこんだのですね。一升瓶やら何やら、ありったけの酒を飲み延々と続いた激論の果てに雑魚寝。翌朝、遅い朝食で腹を満たし散会したことを覚えています。炊き立てのご飯と納豆だけの朝食。うまかった~。納豆に玉子とキュウリのみじん切りをたっぷり入れ増量したを覚えています。そのTさんもMさんも、もう10年以上も前に相次いで病死して、残るはたしか8年がかりで卒業したSさん。懐かしい思い出です。えっ、その後? あいにくぼくはサヨクになりきれず(笑)、卒業後しばらくしてからMさんに誘われ別の某研究会に参加しました。  

津田さんのこと

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2015年 3月 6日(金)01時26分40秒
  先月末、管理人さんが触れていた津田道夫さんの訃報。本名は浅見浩さんと言い、氏が主宰する現状分析研究会のメンバーだった新聞会の先輩諸氏は、年齢的にもそれほど大差がない兄貴分の津田さんを「浅見さん、浅見さん」と親しげに呼んでいた。ぼくは氏と同じ西洋史専攻の後輩。それを知る友人から、同じ年の6月に亡くなった浅見夫人の追悼文を載せた『人権と教育』のコピーが送られて来ていたのですね。(同誌2014年7月20日、479号)改めて読み直すと、和子夫人あっての津田道夫。「現状分析研究会」やらその後の「活動家集団思想運動」やら、津田さんの評論家としての活動を生活面で支えていた賢婦人の死に直面し、半年を経ずして津田さんも急逝したことになります。男って弱いですよね。  

新聞会OBG総会開催計画

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 3月 4日(水)01時59分14秒
  昨年山中湖で開催された新聞会OB有志の会の際、今年は全員に呼びかけた総会をやろうという話になり、現在、その計画が事務局を中心に進行中です。
予定としては、7月7,8,9日あたり、東京で開催ということになっています。
なかには、現在連絡が取れなくなっているOB、OGもいます。心当りのある方は、事務局、当サイト管理人、あるいはメーリングリスト(メンバーでなくとも一時的な投稿は可能です)に連絡先をお知らせくださるようお願いします。
 

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