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闘争写真

 投稿者:ライアンホームバーグ  投稿日:2016年 8月16日(火)11時03分59秒
  突然お便りを差し上げます。私は戦後マンガ史を研究しており、ライアンホームバーグと申します。年末までには、ロンドンの出版社から、東京教育大学大学院で原子核物理学を専攻しておりました、マンガ家の勝又進の反原発マンガ集を英語で出す事になりました。『ガロ』に掲載された学園闘争の4コマものも30点ぐらい収録されます、拙稿の解説にも筑波移転問題と当時の科学批判などを説明しております。参考図版として、大塚キャンパスのデモ、立て看板、バリケード、施設内落書きなどの写真も掲載されたいと思いますが、なかなか見つけません。そのような写真を掲載されている出版物か、高解像度で提供できる方に紹介させてもらえば、大変助かります。よろしくお願いします。080-9445-8168  
 

二木さんのこと

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2016年 7月30日(土)14時10分27秒
  牧さん、有難うございます。早速、メールさせていただきます。実は先日、NHKの番組で堀田さんの場面を見て二木(市橋)さんのことを頭に思い浮かべたばかりです。堀田さんの人柄や紳士ぶりについても聞いており、鬼検事から「さわやか福祉財団」の理事長に転進という快挙?を自分なりに理解していました。ところでお母上も亡くなっていたのですね。婦人警官第一期生ということもさることながら、先の東京オリンピックで代々木の選手村の安心安全面の裏方の責任者だったという写真付きの新聞記事を当時読んだ記憶があります。ご本を拝読することを楽しみに、そしてお二人のご冥福を祈りたいと思います。  

Re:二木都志子さんのお知り合いの方へ

 投稿者:  投稿日:2016年 7月30日(土)12時30分53秒
  >水沢様

人数の集計やご連絡等してくださり、本当にありがとうございます。
お手数おおかけしております。
名簿の件は、個人情報でもありますし、お送りいただかないということで安心いたしました。

「本の部数があまり多くない」と申しましたのは、オンデマンドではなく、ハード表紙の上製本で150部のみの発行ということです。
現在は、その中の一部を私のほうでお預かりしている状況です(日本国内の関係の方への発送用)。
著者の市橋太郎氏が「誰に読まれなくても、墓石のようなつもりで丁寧に作りたかった」と、あとがきに書かれていますので、誰にでもポンポンと配る類のものではないと感じ、あまりご関心のない方にお送りしても・・・と思いましたので、どうしたらよいかと思案してこちらの掲示板にご相談させていただきました。


>横浜通信部M生様

都志子さんと深いご縁があったとのこと、うれしく拝読させていただきました。
早速お送りさせていただきますので、reis@agate.plala.or.jpへ直接送付先等をお知らせくださいませ。
おっしゃる通り、市橋太郎さんからは、以前東京での個展に新聞会OBの方が来られたことがあるから、そういう方々の中にもこの本を読んでみたいという方がいるのではないか? と言われたことがきっかけで、この掲示板にたどり着きました。

書籍は、「都志子・二木富美子・私」というタイトルで、都志子さんと、都志子さんのお母様の二木富美子さん(婦人警官第一期生、2010年逝去)についても書かれた内容です。

都志子さんは、市橋さんとご結婚後、渡米し、ワシントンの日本国大使館で6年ほど勤務されていましたが、ちょうどその時期とロッキード事件が重なります。
先日NHKで特集が放映されていましたが、東京地検特捜部検事だった堀田力氏の補佐もしていたとのことで、堀田氏もこの本に寄稿されています。

とても興味深く読んでいただけると思います。
 

されど我らが日々…

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2016年 7月29日(金)23時14分27秒
  牧さん、ご案内有難うございます。
もう、あれから30年経つのですね。古い記憶の井戸を浚い調べてみると、二木(市橋)さんが急逝したのは1986年の夏。ワシントンのポトマック河畔の花火大会を見に行った夜と聞いています。で、その年の10月18日(土)に在京の新聞会OB有志で千葉・大和田のご実家を弔問し、初めてお母上にお目にかかった記憶があります。
なおまた私は1学年後輩ながら、卒業後たまたま二木さんとは編集稼業上のお付き合いがあったこともあり、何年かに一度帰国するたびに電話があり、急逝する前に一度、市橋太郎さんの個展が有楽町の交通会館の地下の画廊で開かれた折、市橋さんともお会いしたことがあります。ぜひ記念の文集をご恵贈いただきたいのでよろしくお願いいたします。
 

名簿送付はやめておきます

 投稿者:水沢  投稿日:2016年 7月29日(金)21時03分57秒
  元新聞会員で、1959年入学者6人、1960年入学者1人、1961年入学者7人、1962年入学者(二木都志子さんと同学年で、付合いは濃かったと推察される)6人、1963年入学者5人、1964年入学者4人、1965年入学者3人と、新聞会ではなく1960年に二木都志子さんと同じ社会学専攻に入学された方1人のリストを作りました。33人です。学年が離れるほど、付合いは薄れると思います。
このことにつきましては、10人以上に、メール連絡をしました。うち、これまでに、2人の女性から、辞退の申し出がありました。1人の方は、「二木さんのことは存じていますし、何度かお話したこともありましたが、<学年が離れており>親しいお付き合いはありませんでした。従って、“少数の方に”といことであれば、リストからはずしてくださってかまいません」とのことでした。
名簿をお送りするのは、やめます。

「本の部数があまり多くない」というのは、通常の印刷ではなく、オンデマンド印刷なのですか? それなら納得。
 

Re:二木都志子さんのお知り合いの方へ

 投稿者:  投稿日:2016年 7月29日(金)16時31分50秒
  さっそくのご返信、ありがとうございます。
私は東京教育大学卒ではなく、生まれも1970年代後半なので、貴会の会員の方とは接点がないのですが、二木さんのご主人の代理でご連絡差し上げております。
名簿でもけっこうですが、本の部数があまり多くないので、二木さんとご縁の深い方で、ご希望の方から直接ご連絡いただいたほうが良いかもしれません。
reis@agate.plala.or.jpへお願い致します。
どうぞよろしくお願いいたします。
 

Re:二木都志子さんのお知り合いの方へ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月29日(金)16時22分54秒
  もちろん当新聞会在籍者で1959年入学者から1965年入学者までは、二木さんと在籍年度が重なっているため、二木さんのことはよく知っています。朝永振一郎教授の担当記者であり、当サイトの「思い出ばなし」は二木さんが原稿を扱っていました。
追って、当会事務局から、該当学年のメンバーの名簿を送信するかもしれません。
当会にも「牧」という名の会員がいるため、当初、当会の牧さんと勘違いしましたが、どうやら別の方のようですね。
 

二木都志子さんのお知り合いの方へ

 投稿者:  投稿日:2016年 7月28日(木)23時57分59秒
  1960年代前半に東京教育大学新聞会に所属していた二木都志子さん(1986年逝去)のお知り合いの方を探しております。
二木さんの御主人で画家の市橋太郎氏(ニューヨーク在住)が、二木さんとの思い出やお人柄についてまとめた本を、30年忌の節目に発行いたしました。
二木さんとご縁のあった方にお渡しできれば、とのことですので、ご連絡いただけますと幸いです。
reis@agate.plala.or.jp
(ちなみに、わたしは本の編集のお手伝いをさせていただいた者です。)
 

自然発生学校

 投稿者:水沢  投稿日:2016年 7月17日(日)09時30分16秒
  横浜通信部M生にとっては、「1967年、ちょうど大塚を去った年」でしたか。私もM生ですが、「1967年、ちょうど大塚に入学の年」でした。すれ違いでしたね。

「学校というものは、自然発生的に形勢されるもの」は、どうでしょうかね。自然発生的に形成された学校は、寺子屋ですね。例えば明治5年の師範学校開設にしても、明確な政策目標があって、人工的につくられたものではないでしょうか。
 

Re:東京教育大に名称変更

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月 9日(土)13時18分5秒
  世間一般では、東京教育大学が筑波に移転して筑波大学と名称を変更したものと誤解されていますが、筑波大学は、日本の科学技術のセンターとして国策で設置された筑波研究学園都市の中核をなす大学として、「新構想大学」として設立されたもので、東京教育大学は、その素材としてスクラップされたものにすぎず、完全に別の大学です。  

東京教育大に名称変更

 投稿者:Bob  投稿日:2016年 7月 6日(水)21時10分37秒
  茨城県つくば市を飛び地の東京都にして、東京教育大学に名称戻すのがいいです。東京高等師範ー東京文理科ー東京教育かた「筑波大学」はやはり無理があったように思う。学校というものは、自然発生的に形勢されるもので、人工的につくられるものではないと思う。  

朝永さんの墓(続)

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2016年 7月 6日(水)02時26分18秒
  たまたま見つけた多磨霊園の構内地図から朝永さんの墓碑について触れたので、ついでにウイキペディアで同霊園にある著名人の墓の一覧を眺めてみると何と美濃部さんもここに眠っているのですね。美濃部亮吉:1904年~1984年、満80歳で死去とあります。このうち1967年から79年まで3期12年間、東京都知事をつとめたのですが、2期目の選挙戦の対抗馬に石原慎太郎がいて、敵意むきだしに「前頭葉の衰えた老人ウンヌン」と美濃部批判を繰り広げたことは有名。美濃部さんが文学部教授から都知事になったのが1967年、63歳の時で、ちょうどM生が大塚を去った年でもあります。  

朝永さんの墓

 投稿者:横浜通信部M生  投稿日:2016年 7月 5日(火)19時49分9秒
  何の脈絡もないのですが、机の引き出しにたまった古い資料類を整理していて多磨霊園(府中市)の「著名人埋葬墓所」というチラシが出てきました。何気なく見ると朝永振一郎の名が。で、ウイキペディアで朝永さんを検索すると1906年(明39)3月31日~1979年(昭54)7月8日とあります。享年73歳。そんなに若くして亡くなったのですね。墓は「正墓」ではないようですが、正門を突き当たりの東八道路際まで進み左手の22-1-38。師であった仁科芳雄の墓のすぐ脇に記念の石碑があるようです。  

軽井沢観緑会無事終了

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 6月15日(水)22時18分8秒
  OB有志の会主催の「軽井沢観緑会」は、6月12-13日、予定通り開催され、無事終了しましたのでお知らせします。初日は曇り、2日目は雨と天候には恵まれませんでしたが、軽井沢周辺の近代日本文学関係者の史跡を多数訪問し、2日目の午後散会しました。  

北辰寮廃止

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 5月 1日(日)16時44分53秒
  新潟県石打の北辰寮(筑波大学に移管され石打研修所)は、2013年に廃止されていたそうだ。今まで気づかなかった。体育の単位取得のため、スキー合宿に行った人も多いはず。

https://www.tsukuba.ac.jp/news/20130415143453.html

 

新聞会OB有志の会観緑会参加者募集中

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月26日(火)12時46分44秒
  一昨年山中湖で開催された観緑会につづきOB会有志の会(大体60年安保闘争世代の会)による観緑会が、今年は6月12-13日に軽井沢で開催される運びとなり、参加者を募集中です。参加希望者は国文・渡邊OBまで連絡してください。  

旧祖師谷農場の現状写真をアップ

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 4月 3日(日)18時23分2秒
  従来、「東京教育大学跡地関連リンク集」のページに、旧祖師谷農場の現状写真がありませんでしたが、昨日(4月2日)、管理人が祖師谷公園まで花見に行った際、撮影した写真10枚をpdfファイルでアップしました。  

『東京教育大学闘争の敗北』新聞広告

 投稿者:水沢  投稿日:2016年 3月20日(日)22時36分38秒
  今日、しばらく前の『東京新聞』1面下の書籍広告に、『東京教育大学闘争の敗北-ある農学部生の総括 増補改訂』が出ていたと、聞きました。私は知らなかったので、今日が初耳でした。  

『東京教育大学闘争の敗北』増補改訂版

 投稿者:水沢  投稿日:2016年 2月25日(木)15時30分8秒
  今朝、『東京教育大学闘争の敗北-ある農学部生の総括』という本が、縮刷版刊行会宛に送られて来ていました。昨日の配達でした。その昨日には、私は筑波大学に立ち入りました。1977年ころに立ち入って以来、2回目でした。

書名をご覧になると、聞き覚えのある方もおられると思います。このサイトのトップページの下の方にも紹介されている通り、2010年10月に刊行されています。今回のものは、その「増補改訂」と銘打っています。B5判573ページという大冊で、12級という小さな文字(昔の新聞活字や8ポイントに近い)、横2段組みです。
しかし、どうも、「増補改訂」とは思えません。2010年のものは、総括という通り、振り返りながら想いを書いていたように記憶します。しかし、今回のものは、編年体で、どういう経過があったのかの事実資料集に徹しています。しかも、67~69年の闘争だけではなく、1949年の学制改革に当たっての大学名問題、敗戦直後の全国の学生運動などから、文理大学での動き・学生運動を起点に、その後の学生運動までを網羅しています。『縮刷版』やこのサイトも大いに活用した大した労作です。
この仕事に長年取り組んだのだのは、教育大闘争の記録は残すほどのものではないとの意見もあるだろうが、教育大闘争を語ることのできるのは当時の教育大生しかいないし、語ることはあの時代を過ごした者の義務だと感じてのことだと言う。そして、その「勝手に担いだ荷物」を「降ろしてホッとしている」そうだ。ご苦労様でしたと言います。

三協社から送られてきたが、企画印刷が三協社、発行が山浦印刷出版部となっており、本体価格が3800円。
 

梅花女子大のこと(2)

 投稿者:水沢  投稿日:2016年 1月31日(日)17時40分45秒
  「梅花女子」の名前を、私は徳富蘆花の『思い出の記』という小説を読んで知ったと記憶しています。それも、浪人時代(約50年前)に神保町で買った明治時代の増刷版でした。約50年前に読んだ本です。だから、歴史ある古い大学というイメージは持っていました。
しかし残念ながら、その後の50年、梅花女子大のOGとお知り合いやお友達、お友達以上の関係になる機会は絶無でした。
それにしても、1878年とは、西郷隆盛の死の翌年ですね。
あまり関係のない話を書きました。
 

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