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回顧総括本が出版されました

 投稿者:谷中猫屋敷主人  投稿日:2010年10月20日(水)22時54分7秒
  知人からの紹介です。
「東京教育大闘争の敗北ーある農学部生の総括」が自費出版されました。
取扱注意書き:田熊・早乙女委員長全学連派です。新聞会OBG諸氏にも,他山の石くらいにはなるのでは。恩讐の彼方に。
http://adachi.easymyweb.jp/member/mei-mushono/
 
 

Re:Re:E館・G館健在

 投稿者:一同窓生  投稿日:2010年10月20日(水)10時06分28秒
編集済
  そうですね、Googleマップの写真、大きく見えるし鮮明ですね。桜が咲いていますし。

一般にGoogleマップはYahoo地図より旧い写真が多いので、どうかなと思い近所を見渡した
ところ、Googleマップには窪町小学校の旧校舎がまだあり、Yahoo地図には旧校舎は無く
校庭になっていました。何年差あるのか、おもしろいものです。女子アパート跡はGoogle、
Yahooともあまり差はなく、青いビニールが敷かれたままですね。
 

Re:E館・G館健在

 投稿者:管理人  投稿日:2010年10月19日(火)17時12分47秒
  > と言ってもYahoo地図でのことです。

たしかに。Googleマップ(航空写真)でも同様のことが言えます。どちらかと言えば、Googleの方が拡大倍率が高くでき、より詳細に表示できます。「文京区大塚3-29-1」で検索すればE館がポイントされます。
 

E館・G館健在

 投稿者:一同窓生  投稿日:2010年10月18日(月)06時38分14秒
編集済
  と言ってもYahoo地図でのことです。

↓に行って、地図の左上の「写真」をクリックしますと、懐かしいE館・G館の航空写真が見られます。拡大してお楽しみください。

http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA%E5%A4%A7%E5%A1%9A&lat=35.72055175&lon=139.73708120&ei=utf-8&v=2&sc=3&datum=wgs&gov=13105.1.3.29&gc=80
 

小川弘先生を偲んで

 投稿者:水沢  投稿日:2010年 9月12日(日)20時38分10秒
   今日9月12日、茗渓会館で、哲学の教授であった小川弘先生の「偲ぶ会」が行われました。小川先生は7月17日に亡くなられ、ご葬儀はすんでおりました。「偲ぶ会」には、教育大哲学教室関係者40人、1946年から2年半教鞭をとられた千歳高等女学校での教え子6人、その他の知己・ご親戚14人が集まられました。
 何人かが挨拶されましたが、私も突然の指名を受け、しどろもどろ(?)の挨拶をさせていただきました。会費・香典なしで、「偲ぶ会」経費は奥さんがご負担され・・。
 小川弘先生は1920年6月台北市生まれ、1954年6月東教大助教授就任、1978年4月筑波大教授、1984年筑波大を定年退職。教育大文学部教授会における筑波移転反対派だったので、筑波大では学校教育部に所属させられ、教鞭をとることはなかった。1988年~1996年には八千代国際大学政治経済学部哲学担当教授を務めた。2010年7月17日ご逝去、享年90歳。
 

E館とG館はすでに

 投稿者:水沢  投稿日:2010年 9月12日(日)20時32分45秒
   旧教育大キャンパスへ行ってみました。E館・G館はとっくになくなっていました。跡地は塀で囲まれていましたが、公園側の高台で木の枝に足をかけ、のぞいてみました。深く掘り込まれ、ほぼ掘削工事が終わり、まもなく基礎工事が始まるようです。
 よく見ると、この「筑波大学大塚地区校舎・放送大学東京文京学習センター棟」工事は、今年6月1日に着工し、来年3月31日には完成させるという突貫工事です。たった10か月の工事期間というすごい工事です。ちょっとした分譲マンションでも2年以上はかかるでしょうに。
 まあ、地上6階、地下1階というフロアー数の少ない建物だからできることか。なお詳細データーです。敷地面積1万2997.70平方メートル、建築面積4176.76平方メートル、建築延面積2万997.76平方メートル。
 

茗荷谷駅前再開発

 投稿者:水沢  投稿日:2010年 9月12日(日)20時30分0秒
   茗荷谷へ行って来ました。女子アパートの跡地は、まだそのまま塀で囲まれたままでした。
 春日通りの向かいに(例の天米などの跡地を取り込んで)「茗荷谷駅前地区市街地再開発組合」が造っている建物は、組立てが終わり、すでにタワークレーンも取り外されて、工事仕上げに向かっていました。着工08年7月22日、完成11年3月31日です。「アトラスタワー茗荷谷」という名称の分譲マンションになるようです。25階建て、地下2階。奥に25階建て、道路寄りは地下にトンネルがあるから3階建て商業施設なのでしょう。どういう経緯なのか、分譲は旭化成がやっています。
 

Re:真山勇一さん

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 8月22日(日)00時53分54秒
  1週間たっても何の反応もありませんが、彼は学生時代は特に目立った学生ではなく、63年独文科入学なので、同級生なら「大学時代ご一緒の方」ということになり、当然知っているでしょうが、それ以外に彼が教育大出身だということを知っている人はあまりいないのではないでしょうか。
後年彼がNTVでニュースキャスターをやっていた頃、どうも見たような顔だなと思いましたが、その後教育大出身と知って、そう言えば大学構内であの顔は見かけたことがあったな、などと当時思ったような次第です。
同窓会などでも彼のことが話題にのぼることはないですね。
 

真山勇一さん

 投稿者:世田谷の住人  投稿日:2010年 8月15日(日)10時34分47秒
  前調布市議会議員(元テレビキャスター)で、
先日の参議院議員選挙で次点だった、真山さん。
東京教育大学文学部卒業と選挙チラシに書いて
ありました。大学時代ご一緒の方、いらっしゃい
ますか?
 

35年ぶりに茗荷谷に行きました

 投稿者:世田谷の住人  投稿日:2010年 8月15日(日)10時29分52秒
   過去数度しか行ったことのない、よそ者の私には、もう、何も面影がありませんね。
今、筑波大学大塚キャンパス及び放送大学東京の建物が建てられようとしています。
 ここの掲示板で、E・G館が残っていたことを読んだのをすっかり忘れていました。
もう少し早く行くべきでしたね。
 駒場キャンパスは、裏門(旧・駒場駅前)からが、昔と同じなので、よく覚えてい
ますけど。あのころの写真は持っていますよ。幡ヶ谷のも。
 

スライドショーに写真8枚追加

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 8月 1日(日)02時20分47秒
  先日、当サイトを閲覧されている方から、東京教育大学閉学の際のW館内の写真等の提供があり、これらの写真の中から8枚をスライドショー「想い出の東京教育大学」の末尾に追加しました。(いずれもカラー写真です。)これにより、スライドショーの写真枚数は総計で140枚となりました。ご協力に感謝します。  

朝永学長の「ボロ家もまた楽し」追加

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 7月12日(月)09時42分51秒
  朝永振一郎教授の「思い出ばなし」のページを新規に作成したことはすでにお知らせしましたが、同じページに、教授が学長在任中「教育大学新聞」に寄せられたエッセイ「ボロ家もまた楽し」を追加併載しましたので、お知らせします。  

新ページ 朝永振一郎教授の「思い出ばなし」追加

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月24日(木)04時34分30秒
  本日(6月24日)、当サイトに新ページ、朝永振一郎教授の「思い出ばなし」を追加いたしました。「教育大学新聞」に教授が24回にわたり連載寄稿された貴重な文章です。
教授の京大入学から卒業、仁科研究室での活動、ライプチッヒ大学での留学生活の模様が素直な筆致で活写されております。どうぞご愛読ください。
 

大林憲一さんを偲ぶ会

 投稿者:水沢  投稿日:2010年 6月22日(火)21時19分21秒
  管理人さんが2月27日に投稿されている通り、本OB会員で、私とは同年入学の大林憲一さんがご逝去されました。葬儀は住まいのある神戸市で行われましたが、6月20日13時に教育大時代の知り合いが新宿に参集し、「大林憲一さんを偲ぶ会」が行われました。
「われらが学生時代に、共通の、明朗な友人であった大林憲一さんが、去る2月26日23時55分すぎにご逝去されました。哀悼の念を強く抱くとともに、あまりに早い旅立ちを恨まずにおれません。なおも、彼と往きし日々を語りあうとともに、彼の諸方面にわたるさらなる活躍を期待したかったからであります。さりながら、彼なきを嘆いても復することかないません。われわれは、小規模ながら、彼を濃く偲ぶ集まりを、実施します」との趣意のもとに呼びかけられました。
ご長男が神戸からおいで下さり、社会学教室から10人、新聞会から6人で、それ以外に3人(日本史2人、国文1人)が参加しました。1人ずつ自己紹介を兼ねて14時20分すぎまで大林君の思い出を語りあいました。さらに個別に話し合ってから写真を撮影し、16時ころ散会しました。
大林憲一さんの死因は脳出血です。2月10日午前は通常通り働き、午後はいつものボランティアでの子ども会の仕事をしました。午後5時ころに帰宅し、疲れたと言って休みました。家族が夕食に呼んだのですが、起きて来ません。家族は、「疲れているのだから、無理に起こさないでおこう」と考えて、そのまま寝かせておきました。午後9時近くなって起こそうとして、意識不明になって倒れていることに気づきました。そのまま、意識を取り戻すことなく16日後に亡くなられました。
 

新ページ「東京教育大学の筑波移転問題」追加

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 5月27日(木)01時54分57秒
  すでにお気づきの方もおられると思いますが、4月10日、当サイトに新しいページ「東京教育大学の筑波移転問題」を追加しました。
これまでも筑波移転問題関連の資料等は掲載していましたが、それらの資料等から、当時の状況を読み解くのは面倒でもあり、概説のようなものが必要であると考えたためです。
なにぶん40年以上も前のことであるため、最近の若い方はほとんど当時の状況を知らない方が多く、「2ちゃんねる」等々のサイトには移転問題に関する相当でたらめな記述が多く見られ、腹に据えかねることが多々あるためです。
ただし筑波移転問題をめぐる紛争に関しては、その人の立場によりさまざまな見方が可能な面があり、出来るだけ客観的な記述になるよう心がけたとはいえ、このページの文章はあくまでも管理人の個人的見解として述べたものであることをお断りしておきます。
 

LEC会計大学院などが不適合 大学基準協会

 投稿者:    投稿日:2010年 5月22日(土)17時44分25秒
  大学の第三者評価などをしている大学基準協会は25日、2009年度に実施した法科大学院2校と経営系専門職大学院10校の認証評価結果を公表。

このうち愛知学院大法科大学院と、経営系のLEC東京リーガルマインド大は、科目内容の適切性や教員の年齢構成などに重大な問題があるとして不適合と判断した。

評価結果によると、愛知学院大は、特定の司法試験予備校に通う成績上位の学生に対し、受講費用の一部を肩代わりするなど過度な受験対策を実施。

「法科大学院制度の理念・目的から大きく逸脱し極めて深刻」と指摘した。

LEC大(会計大学院)については、会計専門職専攻の研究者教員7人のうち6人が80歳前後という年齢構成を問題視した。

認証評価は教育の質確保のため義務付けたもので2校は指摘事項について追評価を受けられる。

同協会は大学57校と短大2校に対する認証評価結果も公表。城西国際大、洗足学園音楽大、

つくば国際大の3校は定員充足率などに問題があり、改善を図る必要があるとして判断を保留した。

(東京新聞 2010/3/25夕刊)
 

「想い出会」式典にてチラシを配布しました

 投稿者:元全学闘有志代表 前田浩志  投稿日:2010年 3月 6日(土)18時38分25秒
  (われわれは、「想い出会」への抗議文を筑波大学当局に手交するとともに、あわせて会場に集まられた方々に以下の内容のチラシを配布したことを報告します。)

旧教育大全学闘有志は、筑波大の「想い出会」式典に断乎抗議する!

闘争と弾圧の歴史を忘れるな

 E・G館「思い出会」式典に集まられたみなさん!
 旧東京教育大学全学闘争委員会有志より、本式典が遺憾ながら、<東京教育大学=筑波大学>のデマゴギーの上に立ち、かつ、一九六八~六九年の「筑波移転」を撃つ大学占拠闘争を消し去るものとなっていることに、注意を喚起したいと思います。
 東京教育大学から筑波大学への移行のプロセスが、かつて一九六七年から一九七八年にかけて在ったことは事実ですが、その一二年間の前半は、東京教育大学を挙げての深刻な紛争が繰り広げられ、学生はその中で右記の大学占拠で立ち上がりました。しかし、時の大学当局は官憲と結託して大塚をロックアウト、無期停学など処分を乱発、また大量の刑事弾圧を行ないました。そして、一方では、東京教育大学を一九七八年閉学に至る廃校のプロセスへ追い込み、もう一方では筑波新大学の創設を準備し、一九七三年にそれを開学させました。
 このように、一二年間の移行のプロセスは、まことに忘れることのできない不祥事に満ち満ちたものであったということができます。しかるに筑波大学は、ある時は新大学を自ら称揚し、ある時は東京教育大学以来の伝統を僭称してきました。そして、本日、E・G館取り壊しを奇貨として、「想い出会」式典をデッチ上げ、東京教育大学の遺物であり、かつて大学占拠の中心であったE・G館を、筑波大学の歴史の中に回収し去らんとしています。
 本日、二月二八日がまさに四一年前、大塚ロックアウトのための機動隊導入が行なわれた日であったことも、私たちはまざまざと思い出します。私たち有志は、時を超えて本日式典を弾劾し、抗議します。式典に集まられたみなさんが、私たちの抗議行動の意を汲み取られ、E・G館の真実の歴史に思いをいたされるよう強く要請します。

   二〇一〇年二月二八日  旧東京教育大学全学闘争委員会有志
           (連絡窓口 前田浩志:杉並区梅里2-13-10)

・筑波大のE・G館占有式典を弾劾する!
・<教育大=筑波大>のデマゴギーを垂れ流すな!
・一九六九年二月二八日の機動隊導入を忘れるな!
・弾圧に手を貸した教職員を糾弾する!
・旧全学闘有志は闘うぞ! 時を超えて闘うぞ!
 

筑波大学への抗議文

 投稿者:元全学闘有志代表 前田浩志  投稿日:2010年 3月 6日(土)17時44分19秒
     抗 議 文

 われわれは今から四一、二年前、一九六八~六九年の東京教育大学筑波「移転」反対のバリケードストライキ、大学占拠闘争を闘った学生の一翼に在った者たちであり、文学部自治会闘争委員会さらには全学闘争委員会の中軸に在った者である。
 本日、二〇一〇年二月二八日、G501教室において「筑波大学大塚地区E・G館想い出会」式典が開かれるのに対して、その態様、趣旨に大いに弾劾すべきものを見出だし、本抗議文を明らかにして、手交するものである。

 一ツ、一九六九年二月二八日の東京教育大学大塚キャンパスへの機動隊導入(この宮島龍興学長事務取扱の行った“ロックアウト”がその後の学内処分と大量刑事弾圧の発端となった)と同じ二月二八日に式典を挙行すること、さらにそれを、われわれが主な会議場としてきたG501教室において挙行することは、ともにわれわれの闘いの記憶を踏みにじる行為であり、大きくは一九六八~六九年の大学占拠の事実を歴史から消し去り、東京教育大学から筑波大学への移行を称揚するものとなっていること。

 一ツ、東京教育大学から筑波大学への移行自体が、一方における東京教育大学の一九七四年からの最終的入試中止(学部学生)から一九七八年の閉学に至る廃校のプロセスと、もう一方における文部省内の「筑波新大学創設準備調査会」の一九六九年の発足に始まり、一九七三年の筑波大学開学に至る創設のプロセスとが同時並行したものであり、到底、東京教育大学の筑波への「移転」「名称変更」とはいえないにもかかわらず、それを移転視するデマゴギーが積年振りまかれているが、今回式典もそれを強化するものとなっていること。

 一ツ、特に東京教育大学の遺物としてのE・G館を、筑波大学の歴史の中に回収し去ろうとの意図を有していること。

 右三点において、本日式典は断乎、弾劾さるべきものである。その開催に対してわれわれ有志は強く抗議し、本抗議文を提出する。

 二〇一〇年二月二八日

筑波大学学長山田信博殿
並びに元学長北原保雄殿

    旧東京教育大学全学闘争委員会有志
               右を代表して 前田浩志

(上記抗議文を、2月28日の式典当日、会場にて筑波大学当局に手交したことを報告します。)
 

訃報・OB会員大林憲一君急逝

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 2月27日(土)22時35分33秒
  OB会員大林憲一君(1967年社会学)が急逝されたという。(詳細は不明)
通夜は2月28日19時から、告別式は3月1日11時~12時、会場はベルコ・シティホール名谷(〒654-0155 神戸市須磨区西落合1-1-3 電話 078-794-4949 FAX 078-794-4241)。喪主は夫人の大林静子さん。
さしあたり当会からは同期生の井沢君が通夜に、水沢君・田淵君が告別式に参列し、生花を供するとともに弔電を打つ予定。
筑波闘争の時期には逮捕歴最高回数を記録した同君のご冥福をお祈りします。
 

お礼

 投稿者:中西直樹  投稿日:2010年 2月18日(木)11時18分45秒
  管理人様 貴重な情報をありがとうございました。特に武井氏のことは大変に参考となりました。しかし、武井氏の文章が記載されているのは、戦後『学生評論』のようです。『学園評論』は、『学生評論』の後継誌という性格もありますが、むしろ全学連とは距離をもっていたようです。塩浜氏が全日本学生新聞連盟の委員長を辞任して『学園評論』を創刊したのも、その辺りの事情が関係していたのではないかと推測しています。ご関係の方もほとんどがご逝去されているようですが、もう少し調べて記録に残しておきたいと考えています。  

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